第113話 腹ぺこにはシチューが効く
テペ族の後ろ盾を得られたことが大きいのだろう。それからのアルテンジュは、その茶色の瞳にやる気が溢れ、以前よりも行動的になったように見える。
まずはテペクルジュ。長のエムレは初め、テペの協力を得られたことを信じようとしなかったが、バイラムの封書を見せただけで顔色が変わり、読み終えるや否や協力を約束した。そればかりか、正面から王子と向き合い、話を聞くようになった。自分の力ではなし得なかったこの変わりようにアルテンジュは無力さを思ったのだが、同時に自身に協力してくれる者のありがたみも噛みしめ、イェシリアダンの住まうエコ台地の麓へと向かう。
麓とは言っても、エコ台地を完全に下り切る手前の辺りから大森林の中央付近まで、広範囲に彼らの集落は点在していた。ケスティルメ側から乗合馬車で行けば、下り坂の途中から大森林に突入するのだが、突入してから半日ほどで、控えめな三角錐の屋根が特徴的なイェシリアダンの最初の集落が見えてくる。
彼らの家は全て木で出来ており、テペやテペクルジュと比較して全体的に小ぶりだ。その小ぶりな家には炊事場や納戸がなく、ほとんどの家が寝床と雨除け、虫除けのために作られているためだという。代わりに集落の中には水場の他にも共同の炊事場やトイレ、屋根付きの広場がいくつか用意されており、思い思いに過ごすイェシリアダンの人々をそこかしこで見ることができた。
「んー?」
乗合馬車の休憩を待つ間、ふらりと集落の様子を眺めに出ていたアルテンジュとブラークだったが、ふいにブラークが遠くを眺めて変な声を鳴らす。「どうしたの?」とアルテンジュが問えば次のように返事をした。
「いやあ、何かこの集落、違和感があるんですよね。アルタン君はどう思います?」
「俺は特にこれといった違和感は感じないかな」
「ケスティルメに来たときに一度、通っているでしょう。そのときと比べてどうですか?」
「うーん、やっぱりないかなあ。そういうブラークさんはどうなの? 俺よりも沢山ここに来てるんじゃないの?」
「確かにそうなんですけどね、それがさっぱり分からなくて」
「それなら馬車の出発までまだ時間もありそうだし、聞いてみたらいいと思う。ブラークさんなら、この集落にも知り合いがいるんじゃない?」
「ああ、そうですね、その通りですよ。では、私はちょっと聞いてきますから、アルタン君は馬車の近くで待っていて下さい」
そうしてアルテンジュが馬車の近くで待つこと30分ほど。成果があったことを一目で窺わせる表情でブラークが戻ってきた。
「ブラークさん、何か分かった?」
「ええ、勿論ですとも。簡単なことですよ。王都から逃れてきた人たちがここに住むようになっていて、最近、急に人が増えたそうです」
「そう、ユズクから……。何か他に新しい情報なんかは?」
「生憎とめぼしい情報はありませんでしたが、ギョゼトリジュ側はユズクの西側と南側を随分と警戒しているようですね」
「西側はショバリエ家、南側はソルマ家の領地か。二つともギョゼトリジュ家とは仲が悪いと聞くし、何よりも代々王家への忠節厚い家柄だからね。当然、攻撃の機会を窺っているだろうし、ギョゼトリジュ側も攻撃されると思って相当警戒しているんじゃないかな。ただ、ショバリエ家はともかく、ソルマ家は南にイスケレ家のウチアーチがあるから、身動きがとれなくなっているかも知れない」
「そうすると、バイラム殿から手紙を預かったオドンジョ家がどちら側に付くかで、今後の趨勢が大きく変わってくると」
「ああ、そうだね。まったくバイラム殿はどこから情報を仕入れているのやら」
「恐らくはご自身なり部族の者を使うなりして、ケスティルメに集まる巡礼者や商人などから、話を聞いているのでしょうな。エルマン・オドンジョ殿ともお話したと仰っていたことですし」
「内地公安局ほどに散らばらなくとも、情報は自然と集まってくるのか。バイラム殿に協力をして頂けて本当に助かるよ」
「そうですね」
「内地公安局と言えば、ケレム・カシシュがギョゼトリジュ側にいるというのは本当なのかな?」
「私がシェスト教会で助祭をしていた頃から入ってきている情報ですので、間違いないかと思います。何か腑に落ちない点でも?」
「うーん、ケレムは何かにつけ、凡庸だの無能だのとビルゲから言われていたそうだから、不思議なんだよ」
「領地がギョゼトリジュとサディルガンに挟まれていますからね。大方、脅しつけられでもしているんでしょう」
「本意でないとしたら、こちら側に引き込めないかな?」
「それは、難しそうなお話ですね。本意の確認以前に接触する伝手がありませんから」
「そうか。残念……」
カランカラン、カランカラン
そうこうしている内に馬車が発車する時間になったようで、軽いベルの音とともに御者が声を張り上げ、狭い集落に触れ回る。イェシリアダンの長が住む集落はここよりも2つ先。日が変わらぬうちにと、アルテンジュとブラークの二人は急ぎ荷台に飛び乗った。
それから馬車は順調に森を進み、空がやや赤みを帯び始めた頃には、目的の集落に到着した。これまでの二つの集落と比べて少し大きいが、町と言えるような規模ではなく、ケスティルメ、或いは更に西へ進んだオルマヌアーズとは比べるべくもない。また、イェシリアダンの各集落には名前が付けられておらず、馬車の運行業者は一つ目、二つ目などとケスティルメから近い順番で呼んでいるようだ。
その三つ目に到着するなり、アルテンジュは馬車から素早く降り、大きく伸びをした後、準備万端という体でブラークを見遣るも、ブラークの動きは緩慢。
「ちょっと待って下さいね、アルタン君」
ブラークが呑気に「よいしょ」と動き、先に少し離れたところにいたアルテンジュに追い付けば、かの王子は如何にも待ちきれないといった表情で口を開いた。
「さてと、ブラークさん。早速、会いに行こうか。カシム殿はどちらに住んでいるんだい?」
「そうですね。早速行ってみましょうか。長の屋敷は、私が前に来たときと変わっていなければ、街道から北、こちらからだと右に折れた先にある開けたところにありますよ。まあ、他の家よりも少しだけ大きいので一目でわかると思います」
そうして道なりに歩き、大きめの道を右に折れるとすぐに目的の建物が見えた。少し離れて点在する家々と比較してみれば、なるほど確かに少しだけ大きいなとアルテンジュは納得する。
「こんばんはー。どなたか御在宅でしょうかー?」
アルテンジュは、長が住まうと推測される家の玄関に臆せず進み、木の扉をコンコンと2回叩いて呼びかけた。ベルカントと面識のある自分がと、うかうかして先を越されたことにブラークは慌ててアルテンジュの隣に立ち、住人が出てくるのを待てば、やがてゆっくりと玄関を開けたのは老齢の女性だった。
「おや。ブラーク先生、お久しぶりですね。さあさ、お上がり下さい。そちらのお弟子さんも一緒にどうぞ」
「それでは失礼します。アルタン君はひとまず私の後に」
「はい」
そうして老女に促されるままに二人は入るが、家の中もやはり、外見通り特別広いとか豪華であるということもなく、すぐに食卓と思われる机と何脚かの椅子が並ぶ、簡素な部屋に辿り着く。そこで待っていたのは、筋肉の鎧を纏った大男が、大皿に盛られた小ぶりな料理を次々と摘まんでは口に運び入れる光景であった。
「おう。ブラーク先生、いらっしゃい。こんな時間に何の用だい?」
「こんばんは、ベルカントさん。今日は大事なお話があって参りました」
「ふーん、大事なお話ねえ。そっちの新顔の坊主と関係あるのかい? ま、なんにしても腹減ったろ? 今、お袋が|エトゥリノフット《羊肉とひよこ豆のシチュー》を準備しているだろうから、それを食べ終わってからにしようか。ま、立っていないで座りなよ」
「それはそれは。丁度お腹が限界でしたので、大変助かります」
「さあさ、たーんと食べて下さいね」
アルテンジュがお礼の一つでも言おうと口を開きかけたとき、手回しの良い事に先ほどの老女――ベルカントの母が底の深い木皿に盛り付けたエトゥリノフットを運んでくると、匂いに反応したのか、アルテンジュのお腹が大きく唸り声を上げる。
「はっはっは! 坊主の腹は正直だな。さ、早く食って話をしようじゃないか」
ありがたくいただきますと、礼もそこそこに木の匙の存在意義を疑わせるかのような早さでどんどんと口に搔き込み、頻りに喉を鳴らせば、初めから空の容器が運ばれてきたのではないかと思わせるほど、二人は実に綺麗さっぱりとエトゥリノフットを平らげた。それを眺めていたベルカントもその母も、とても嬉しそうな顔をしている。
「お腹も膨れたようだし、お話とやらを聞こうじゃないか、先生」
「そうですね。まず私は教会の職を辞しましたので、今は先生ではありません。後任の者は、いずれ挨拶に来ることでしょう」
「ほう?」
「そして、お話は私からではなくこちらの少年から差し上げます」
「なんだ? 言ってみろ」
ベルカントはあからさまに胡乱な目でアルテンジュを見るが、慣れたもので怯む様子もなく、懐から封書を取り出して用件を伝える。
「イェシリアダンのベルカント殿、初めまして。私はアルタンと言います。テペのバイラム殿から長のカシム殿に宛てた手紙をお持ちしたのですが、カシム殿はいらっしゃいますか?」
「あー……、親父はいないんだ」
「やはりまだ王都に囚われて?」
「いや、そういうんじゃないんだ。……行方不明でね。こっちでも探して欲しいくらいだ」