第106話 北町奪還作戦①
――デニズヨル北町の詰所が陥落した。
重苦しい表情のイーキンがそう告げた。ルトフの長であるメティンも同席しているが、当然、その視線は厳しい。
イーキンの話によれば、セルハンとドゥシュナンが発ってからも目立つ動きはなかったが、2週間くらい経った頃、突如としてバルクチュ兵が北、西、東の3方向から北町に攻め寄せたということだ。島の民は役場と詰所に立て籠もり頑強に抵抗したが、彼我の戦力差の前に敢え無く詰所は奪還され、両軍に多大な犠牲者を出した。役場の方はと言えば、包囲されはしたものの、その攻めに詰所ほどの苛烈さは見られず、撃退することに成功したと言う。
「相手の指揮官は誰だ?」
ぶっきらぼうにセルハンが訊ねれば、イーキンも最小限の言葉で返す。
「北町の衛兵長だったバリス・セレンだ」
「なぜ一介の衛兵長がバルクチュ軍の指揮をしている? 将軍のジェムが戻って来たんじゃないのか?」
「分からん」
膠着状態を打開できるかも知れない成果を手にし、北部3氏族の中心都市ルトフに意気揚々と戻ったドゥシュナンとセルハンだったが、一連の話に早くも笑顔は消え失せた。
そんな雰囲気の中でも報告はしなければならない。3氏族の代表として異邦のイヌイで商談をまとめてきたのだから。
「それではメティン様、今回入手した魔石の使い方について僕から説明します」
「うん。ドゥシュナン君、その前に一つ聞きたいんだが、魔石というものは今の状況を覆せるようなものなのかね? 大人の拳ほどの大きさしかないが」
「はい、間違いなく。ただ、これも扱うのはあくまでもヒトですから、訓練と運用方法次第ということにはなります」
「分かった。説明を続けてくれ」
「最初に、魔石を使うと魔法が使えます――」
ドゥシュナンがメティンに説明した内容は凡そ、次の通りだ。
一つ目。基礎中の基礎。魔石を直接、或いは間接的に使用者の体に接して所持し、想像することによって魔法が発動する。お伽噺のように呪文を唱える必要はない。想像するのだ。頭に青々と詳細に思い描くのだ。この想像する、とは魔石から魔法が発生する様子、或いは現象が起こる様子を想像するのであって、例えば両手に魔石を一つずつ持って、片方だけ想像すればその一つだけ、両方から発動される様を頭に思い描けば、そのまま二つから発動されるということだ。
二つ目。魔石の種類によって行使できる魔法が異なる。それは、魔石に浮かび上がる神紋が関係するのか。白のアイン神は光、黒のナハト神は闇、茶のエルデ神は土と鉱物、青のギューテ神は水、赤のヤクト神は火、花緑青のライゼ神は空気を操る。しかし、行使には代償が伴うことも。
三つ目。魔法には単発のものと、状態を保てるものがある。どちらも発現された状態を維持するには、使用者の集中力が必要である。
四つ目。魔石は突然に色を失い、魔法を行使できなくなる。回数によるものか、規模によるものか、時間によるものなのか。条件は解明されておらず、その糸口すら掴めていない。
五つ目。魔法には、魔石の表面から発現するものがあるため、持ち帰ってきた間隔杖のように、杖の先端に魔石を取り付けるのが妥当である。杖に触れている部分およびその周辺からは何故か発現しないことが判明している。そして、急に使えなくなることから、間隔杖を参考に、付け替え可能な仕組みも用意するとなお良い。なお、杖に使用する木材について、イヌイではスピノサスモモや樫を利用していたが、こちらでは、多く入手できるキュルか、同じく樫を利用するのがいいだろう。
「――ふむ。そういうことであれば、ヤクト様の石が戦力の中心になるのかな?」
「いいえ、なりません」
「それは、……どうしてだ?」
当然、火を使った攻撃が主力になるだろうと考えていたメティンだったが、予想していなかった否定の言葉に怪訝した。
「先ほど説明した通り、魔法の中には代償が伴うものがあります。赤い魔石が代償とするものは周囲にある炎や熱です。鉄砲や大砲のように使おうと思えば、常に火を焚く人員も必要になりますから、野戦ならばともかく、町の中では非常に運用しづらいと考えています」
「使用者単独で行動させるのは?」
「身近に炎が無い状態での使用、ということでしたら使用者の命に関わる事態になりますので、お奨めできません。周囲の熱には使用者の体の熱も含まれますので」
「分かった。で、君は一体どうやって、この状況を打開すると言うのだね?」
依然としてメティンの表情は険しいままであるが、ドゥシュナンはこの言葉を待っていましたと言わんばかり。セルハンと共に鼻息荒く説明を行なえば、メティンの表情も徐々に平静を取り戻していく。
「では、他の長たちには私の方から話しておこう。だが、既に人員を引き上げている集落も出てきている。失敗したら、もう仕舞いだ。我々はどこの馬の骨とも分からぬ余所者に唆され、沢山の家族を失っただけという事になる。そこは理解してくれたまえよ」
集会所からメティンが立ち去ると、達成感を漂わせるドゥシュナン、無表情のセルハン、そして俯き加減のイーキンが残った。
「さあ、イーキン。魔法の練習をするぞ」
「そうですよ。魔法の練習をしましょう」
「あ……、ああ、ああ。そうだね、それがいい。そうしよう」
「死んだ奴らの分まで頑張らないとな」
「……そうだね」
*
「小隊前へ! 撃て!」
それから1週間と経たずに、再度、バルクチュ側からの攻撃が行なわれた。
北町役場へと至る道は封鎖され、在番の島の民たちは孤立無援の状態となったが、不幸中の幸いか、はたまた神算鬼謀の類か。ドゥシュナン、それに付け焼き刃とは言え魔石を扱う訓練を受けた者が数名居合わせたのだ。
「すぐに築堤して下さい!」
不躾な訪問者に気が付くと、いつになく大きなドゥシュナンの声が飛んだ。それと同時に役場の上空に光弾を打ち上げ、昼日中の辺りをより明るく照らし出す。
それを合図に魔石の取り付けられた杖、否、魔石の取り付けられた棍棒を持った者――正式な呼称は決まっていないが仮に魔法兵と呼ばれている――が一斉に動き始めれば、1分もしない間にちぐはぐな高さの土塁と、その内側に空堀が建物を取り囲むように築かれた。
彼らが使用した魔石は茶。土を移動させるものである。
突如として現れた土の砦に警戒していたバルクチュ軍だったが、寄せ集めとはいえ少しは訓練を受けた兵のこと、土塁を乗り越えようとする勇敢な者が次々と現れることになった。垂直な壁ではなく土の堤防なのだから、当然の反応だと言えよう。
だが、そうとなれば、それは正しくドゥシュナンの狙い通り。出来上がったばかりの土の山は踏み固められておらず、足をかけるそばから足元を不安定にし、実に侵入を遅らせた。その上、苦労して頂きへと至れば、鉄砲玉の餌食である。運よく、空堀へ降りられたとしても、銃兵の格好の的であることに変わりはない。
当初400前後はいた兵が50ほども死傷したが、そのような状態が30分も続けばバルクチュ軍の現場指揮官も無能ではない。役場から見て土塁の外側にあたる部分を踏み固め、島の民たちから身を隠しながら、慎重に銃撃を行なう作戦に切り替えてきた。依然として北町役場の周りはバルクチュ軍が押さえている。持久戦に持ち込めばいずれは勝てると踏んだのだ。
しかし、それもドゥシュナンの思惑通りであった。
北町役場の上空に、太陽と見紛うばかりの眩い光球が出現した頃、南町の詰所を遠巻きに見守る一団があった。その数は10にも満たない。
「よし、やるか」