#5 愚者の思惑
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「──少途にしては、それなりに名演技だったんじゃねぇか?」
桜音打出は俺の姿を見るなり、唇を皮肉っぽく歪めた笑みで、出し抜けにそんなことを言い出した。
「……何の話だ?」
数時間ほど時計の針が進んで、現在は昼休みだ。
学校は色んな奴が集まる処だとはよく言われることだが、友達同士で昼飯を食べつつ談笑するとか部活の練習に励んだりするとかではなく、友人に人気の無い場所へ呼び出される輩はかなり稀少だと思う。その相手が幼馴染なら尚更だろうし、取り敢えず俺にとっては初の体験だった。
既に話題に登ったことがあるが、桜音打出は俺の同性の親友で、綾と同じく幼馴染みの同級生。
そんな打出は少し呆れたように嘆息して、長々と口上を述べる。
「俺とお前も、もうかなり長い付き合いだろ? 俺はあんまし勘の働く方の人間じゃねぇけどよ、それでも幼馴染の考えてることくらい流石に分かるってこった」
そこまで言ってから、打出はこちらの意思を確認するように視線を向けてきた。俺が黙って首を横に振って無理解を示すと、鋭く睨み付けられた。
「まあ安心しろ。クラスの連中はお前『ら』に完全に騙されてるし、俺もバラすとか興醒めなことしねぇから」
「話が見えないな」
「見ようとしてねぇんだろ? 俺が何の為にわざわざここにお前を呼んだと思ってんだよ。ここなら誰も来ねぇし、隠し事抜きの本音トークと洒落込もうぜ」
打出は周囲を手で指し示しながら、軽い調子でウィンクを飛ばしてきた。ムカつく仕草だ。
俺はそれを無視しながら、打出の手に示された景色を眺めつつ、屋上に繋がる扉に背を預けて立つ。打出は階段に腰を下ろして座り込んだ。
打出の言う通り、普通に学校生活を送っていても用事で訪れることはないこの場所は人通りも少ないし、薄暗くて密談向きだろう。むしろお前は何でこんな場所を知ってるんだ。
「まあ俺だって、いつもみたいにお前が坂穂と仲良く飯でも食ってたら、流石に呼び出さなかったけどな。坂穂に恨まれるのはゴメンだし」
黙って先を促した積もりだったのだが、打出が口にしたのは三角刀のように俺の心を抉る一言だった。
例えばこれが綾の台詞なら無自覚だろうが、打出は意図的にこういうことを言い出す。白を切る俺への意趣返しだろうか。
とはいえ、打出に言われたことは厳然たる事実なので、俺は言い返すことも出来ず「……朝のあの一件以来、かのかとは口を利けてないからな」と呻くのが精一杯だった。
当然のことだが、今朝の一件は未だに尾を引いている。かのかの怒りは鎮まっていないし、クラスの連中の俺に対する疎外も続いている。
俺がやったことを思えば仕方無いことだし、かのかについては、別れ話を切り出されていないだけマシかもしれないくらいだ。
「それだよ」
急に何だ打出。
「俺がさっきから言ってるのは、その今朝の一件のことだ。言ったろ? 少途にしては名演技だった、ってな」
「──何がだ?」
何を言っているのか、俺には全く見当も付かないと態度で示して、俺は端的に問う。
さながら、推理小説で探偵に追い詰められる犯人の気分だ。
状況だけを切り取ってもそうだし、本当は最初から真相が全て分かっているという点も、そうだった。
「お前がまだしらばっくれるんなら、さながら推理小説の探偵みたく真実って奴を叩き付けてやるよ」
幼馴染も似たようなことを考えていたことを知って少し恥じらいが芽生えたが、それは隠しておくとして、俺は無言で首肯し、探偵役に先を促す。
「綾を必要以上に手酷くフッただろ? それが小途の──小途と綾の、渾身の演技だったってことさ」
堂々としたその宣告に、俺はいっそ開き直りを見せて、より犯人らしい言葉を紡いでみた。
「何を言い出すかと思えば。綾を振ったのが演技? 生憎、俺は本心から綾を拒絶したんだがな。そうするだけの理由が、俺にはあったからな」
しかし俺のささやかな抵抗を軽やかに無視して、打出は滔々《とうとう》と言い放つ。
「『小途は綾の告白を冷たくあしらった』ってそれだけ言うと、まるでお前が綾を傷付けようとしたみたいに聞こえるよな? そして実際、クラスの連中はそう思った。でも実際は違う、そうじゃない──小途は冷徹を装うことで、綾を守ろうとしたんだろ?」
打出は続ける。
「あの状況において、綾は『身勝手で空気の読めない奴』でしかなかった。
昔からずっと焦がれていた幼馴染は自分の友達と付き合っていて、そんなことはちゃんと分かってて、それなのに溢れ出す熱情を抑えることなんてできなくて、このまま恋が終わるなんて耐えられなくて、迷惑でしかないとは思いながらも気持ちを打ち明ける。
一作の小説なら、確かにこれは美談かもしれない。人間の感情は単純なものじゃないから、どんな理由があろうと好きな気持ちを諦められないって心境は、万人の共感を得るだろうぜ。
でも、これは現実だ。
哀しいほど現実的なこの世界で実際にそんな行動に踏み切った場合、そいつはどう思われる?
そんなの、考えるまでもない。身勝手、空気が読めない、痛い──残念だとは思うが、実際その通りだ。
だから小途は、そんな視線から綾を守ろうとした。だろ?」
馬鹿げた妄想を唱える打出の圧力に耐えかねて、俺は口を挟む。
「──確かにお前の推測通りでも筋は通るし、それこそ、これが物語なら面白いと思うぜ? でも、お前も言ったことだが、残念ながらこれはドラマとは無縁のリアルだ。
それに、探偵小説みたいなことを言えば証拠、根拠も何も、お前の推測には無いだろ」
「確かにな」
しかし打出は、堂々とした態度を崩すことなく沈着に返答する。
「物的にも状況的にも証拠は無い。俺がこう考える理由は、正直に言ってただ一つだけだ──小途は考え無しにあんなことしねぇって信じてるだけだ」
続いた打出の言葉の意外性に、俺は一瞬言葉を失った。その隙を探偵が見逃す筈もなく、打出は畳み掛けるように自身の推測を述べる。
「さっきも言ったが、小途は『必要以上に』綾を傷付けた。それはクラスの連中も小途自身も、あの場にいた全員が認めるところだろ?
お前はそうすることで『絢峰綾よりも一層、身勝手で空気の読めない奴』になったんだ。意図的にな。
自分が絶対悪になれば、綾を可哀想な被害者に仕立て上げれば、周囲からはむしろ綾に同情が集まる」
打出はそこで、呆れ果てたとばかりに深い溜息を吐いた。
「もっとも俺同様に、綾にはバレた。俺以上にお前を信じてる綾のことだから、小途の思惑に気付くのも、かなり早かっただろ。
つーか、即興劇に参加してたくらいだからな。小途が綾のためにとった行動を無下にする奴じゃないし。
怒った坂穂を諫めたのは、流石にそれは酷だと思ったからってとこかな。
──さ、何か反論はあるか?」
打出はそう言って自らの推論の披露を締め括り、両手を大きく広げ、芝居めいた様子で気障っぽく問う。
さて、ここで俺は何と応えたものか──見当違いも甚だしいな。凄いぜ、その想像力──その通りさ。実は俺は良い奴だったんだ──と考えつつ、俺は扉から背中を離して、ゆっくりと階段を降り始める。
打出はそれを黙って見詰めながら、俺が次に口にする台詞を待っていた。その打出が座っている段を過ぎた辺りで足を止めて、けれど振り向きはしないまま、俺は言う。
「馬鹿かお前」
打出はどんな表情を浮かべていることだろう。気にはなったが、やはり俺は振り返らなかった。
「お前の中で俺がどんな存在なのかは知らないが、生憎とお前の幼馴染はそんなに良い奴じゃねぇよ。
誰かを庇って孤立なんて、それこそ創作の世界だ。自己犠牲が格好いいとか勘違いしてるような、救いようの無い愚か者の所業だよ」
強く言い切って、歩みを再開する。死角に入るまで振り返ることはなかったし、打出が俺に言葉を掛けることもなかった。互いに、そうする意味も理由も無かったからだ。
踊り場を越えた辺りで、俺は自分の口の中だけでそっと呟いた。
「──諦めろ、俺はこんな奴だよ」
さて、誰に向けた台詞だろう?
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自教室へと直帰した俺は、しかしすぐにそこを去っていた──現在は男子トイレの一個室に避難中。
端的に言えば籠城だ。
戦略的に籠城が愚策なのは知っているが、実際に追い詰められると、この方策を採りたくなるのも頷ける。
このトイレの場合、鍵の存在が実に大きい。
たったそれだけのことと思うかもしれないが、今はその存在にどれほど救われた気持ちになっている考えてみてほしい。鍵が在るだけで、人間は心から安心できるのだと知ったよ。
「……何だってんだよ、全く」
そう、俺はこのとき追い詰められていた。舞い戻った教室から脱兎の如く逃走し、鍵の掛かる個室に閉じ籠るほどにだ。
例えば、クラスの連中から疎外や迫害を食らったのなら理解できる。朝の一件で『最低』の称号を得た俺にとっては、予想しうる展開の一つだ。
では何が俺を待っていたのか? その答えは、言葉にすれば簡単だ。
「真逆……疎外どころか」
熱烈な歓迎、と言うとニュアンスがズレてしまうが、最適な言葉が見付からない。
ともかく、この展開は完璧に俺の想像の埒外だったし、予想の斜め上どころか裏側といった感じだった。
当然と言えば当然のことだ。果たしてどんな理由があれば、クズのレッテルが半日で削ぎ落ちるのだろう。
いや、理由は少しだけ分かっているのだが。そしてそれは、俺が困惑している理由の中でも最大級のそれだった。
──教室に入ってすぐ、一人の女子が近付いてきた。話したこともない、喧騒の中心近くにいるような陽属性の人間。
そのとき俺は、責任感か正義感の強い女子が民意を代表して、女の敵こと高多小途を謗りに来たのだと思った。罵倒なり恐喝なりを公衆の面前で受ける、そんな展開を予想した。
普通に考えて、そうだろ?
だから、その少女が俺の目前で立ち止まって頭を下げたとき、俺には何が起こっているのか理解不能だった。
面食らう俺の耳には彼女が「ごめん」と言ったように聴こえて、俺の無理解は更に深いものへと変化した。
ごめんなさい。謝って済むことでもないけど、ごめんなさい。高多のことクズとか言って、ごめんなさい。絢峰さんを庇ってたって気付けなくて、ごめんなさい──そんな風に少女が絞り出すように謝罪の言葉を紡いでいくにつれて、俺は少しずつ状況を理解し始めた。
この少女はどうやら、打出同様の馬鹿な想像をしているらしい。
そう理解すると同時に、けれど俺は不思議に思った──何だ『これ』は?
けれど俺が反論も弁明もする間は無かった。周囲にいた他の連中からも、続けて似た言葉を投げられたからだ。
そして俺は訳も分からないまま逃げ出した。その時に胸を占めていた感情は、きっと恐怖と呼ばれるそれだったような気がする。
ひょっとしたら、新しい形の虐めなのかもしれない。
──取り敢えずは現状の整理を終えて、俺の脳も少しは冷静さを取り戻してきた。
ある一点に存在する強烈な違和感を認識する程度には。
「一人や二人があんな想像をするなら可能性も無い訳じゃない、かもしれないが……クラスの全員が揃いも揃って、あんな結論に達するなんてこと、起こりうるか?」
例えば桜音打出。
あいつがそんな風に考えたのは、俺への過剰な評価と信頼が理由だ。『高多小途は理由もなく絢峰綾を傷付けたりはしない』という下地があってこその推察なのだ。
たぶん、綾が俺の思惑に気付いたのも同じような理由に基づく。
「作為的な何か、誰かの意志がはたらいている、とか?」
例えばそんな仮説を立ててみる。つまり、この馬鹿げた推理を連中に広めた「誰か」の存在を仮定してみる。
容疑者として想定しうるのは、俺の思惑(と彼ら彼女らが呼ぶ馬鹿げた推測、という注釈も白々しいか? なら次からは言わない)に気付いた人間に限られるよな。
仮定1、絢峰綾が犯人。
綾が「少途は悪くない。小途は私を庇っただけ」と主張した──いやこの場合、誰かそれを信じるか?
身内による証言が重視されないみたいな感じというか、何なら綾が連中からより不憫に思われて、被害者性が増すだけだろう。
それに、どうせバラすなら朝の段階で俺の思惑に乗った意味が分からないよな。
仮定2、桜音打出が犯人。
これも結局、推理は先程と同じ道筋を辿ることになるだろう。当事者の綾よりは客観的だとはいえ、あいつも俺の幼馴染かつ親友だ。身内判定だろう。
犯行が昼休みに為されたのなら、俺を呼び出していた打出に、そもそもそんな時間があったのかという問題もある。
仮定3、それ以外の誰かが犯人。
急に考え方がざっくりしたものになったが、他に思い付かなかったんだから仕方ない。
けれど打出も言っていたことだが、俺と綾の演技を見抜けた奴は多くないどころか少ないだろうし、この可能性は限りなく低い気がする。
挙げた仮説は全て棄却されて、結局何も分からないという残念すぎる結論に達した。
強いて言えば、俺は探偵に向いていないというのが結論である。
「まあ良いか、誰でも。或いは最初からそんな奴いなくても」
多分に思考停止を含んだ呟きで、無意味で雑多な思考に歯止めをかける。探偵ごっこはもう終わりだ。続けても何かを得ることはなかろう。
今はもっと有意義なことを考えておくべきではないか? 何事もなかったかのように教室へ戻る方法とか、かのかと無事に仲直りする方法とか──と思考を切り換えて、俺は先程までの思考を意図的に意識の外へ追い出した。