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#4 朝霞に惑わぬ恋心


 ──そして、物語は冒頭へと回帰する。

 手短に済ませるつもりだった割には長い回想になったが、これは俺が頭の中を整理して現状を把握するために必要な時間だったと思ってほしい。逃避とも言う。

 綾は「言いたいことは言った」とばかりに口をつぐんで俺を見ている。紅潮した頬に残る興奮の余韻が、逃避出来そうもない現実を俺に否応なく突き付けた。

 かのかは、「何がどうなっているのか分からない」的な狼狽こそ見せないものの、「恐れていた事態が起こってしまった」という焦りが胸中を占めているらしかった。そういえば一昨日の電話で、そんなことを言っていたっけ。ちらりと見やった俺の視線に気付きもしないほどには平静を失っている。


 朝の教室だ、当然ながらここにいるのが俺たち三人だけなはずもない──普段なら止むことのない喧騒に身を包んでいるクラスの連中は、しかし今は静かなものだ。恐怖さえ抱くほどに。

 そもそも有名人な綾が教室に入ってきた時点で幾らかの視線は集めていたのだが、喧騒の中でもよく響く声で告白なんぞすれば、この注目は当然だった。

 あの綾峰綾の告白現場に居合わせたのだから見たい、という野次馬根性が最初に芽生えたのだろう。

 しかし直後に、その相手が彼女持ちの俺であることを知り、無理解に変わった──と、こんなところだろうか。

 連中の視線が自然と俺に向く。心境は野次馬根性に戻ったらしい。

 彼女持ちの人間が、自分に告白してきた幼馴染にどう対処するのか見たいとでもいうつもりだろうか。見世物じゃないと言いたい。

 しかし、とにかく場が悪すぎる。これを狙って綾がこの場面を選んだのなら、悪辣だと言う他ない。考えずに選んでいても、それはそれで悪辣だと思うけれど。


 背筋が凍る思いだ。不快なのは見られているからか、背中に流れる嫌な汗のせいか。

 そんな不安定な心理をどうにかギリギリで押し殺し、俺は演技過剰なほどに堂々とした所作と態度を心掛けて綾に言葉を投げる。

「綾、昨日も言ったことだし、そもそも言うまでもなくお前は知ってることだけどさ、俺は今かのかと──」

「──うん、知ってる」

 やましいことなど俺には無いと主張するような心持ちで告げた台詞は、しかし面前の綾にすげなく遮られる。

 綾はそれから、一つ息を大きく吸って続けた。こんな場面だし、緊張しているのだろう。

 いや、緊張はお前自身のせいだろうが。


「知ってる……けど、そんなの関係ないの。そう知ってて、小途とかのかを応援もしてて……でも、少途が大好き。昔からずっと大好き。諦められないの」

 らしくもなく辿々しく、しかし堂々とそう言い切った綾。その瞳がにじむ涙で僅かに潤んだ。

 綾はかのかともかなり仲の良いし、この告白に罪悪感もあるのだろう。

 ──けれど同時に、俺は教室内の空気が大きく変わったことを肌で感じていた。

 即ち、ギャラリーの態度の変化。連中の野次馬根性が、圧倒的な無理解に改めて塗り替えられていた。

 どうやら、「恋人のいる人間を相手に、それを認識していながら告白すること」は彼らにとって理解の及ばない行為らしい。気持ちは分からなくもないけれどな。

 だから自然と、連中の視線が──


 ──俺は溜息を溢した。そりゃあ溜息も出るさ、こんな状況ならな。

 そして、音を立てずに小さく息を吸い込む。その瞬間に俺は、二つの覚悟を決めた。

 今度は俺が言葉を発した。先程までとは違う。なるべく平静を装うなんてことは止めだ──むしろ感情的に、ただ素直な感情をぶつける。

「──綾の気持ちは嬉しい。それは本音で、嘘じゃない。でも、残念だけど気持ちと返答は関係ない」

 一瞬だけ言葉を区切って、そこからは一息に告げる。

「俺は坂穂かのかの恋人で、俺が愛してるのは坂穂かのかだ──断る理由は、それだけで十分なんだよ。少なくとも、俺にとっては」

 綾の瞳が切なく揺れ、浮かんだ小さな雫が奥の景色を淡く曖昧にぼやけさせた。自身の心の中に言葉を探すように視線をさ迷わせて、それでも何も見付けられなかった悲しい痛みをこらえるように固く唇を食み、決壊しそうな不安を鎮める祈りを捧げるように手を胸の前で併せて軽く握る。

 ──幼馴染のそんな様子は、ともすれば何もかもを忘れて投げ出して抱き締めたくなるほどに儚げだった。

 或いはそれは、俺の中で現在激しく自己を主張している罪悪感に起因していたのかもしれないが。


 けれどしかし、ここで俺が折れるわけにはいかない。深呼吸で動悸と胸の痛みを押さえ付ける。

 前者と違って後者は一向に収まる気配が見えなかったが、まあ今は構わない。

 俺が今からすることは、どうしようもなく残酷なことだ。仕方ない、避けられない、物語の筋書が既に定まっていたのだと言い訳してみても、良心の悲鳴が止まないほどのことを、しなければならないのだ。


 俺は告げる。心の痛みを、今だけは置き去りにして。

 たった今この場で俺に必要なのは、冷淡に徹した、純粋な冷徹だけ。突き放すように漆黒で、突き刺すように鋭利な冷徹を、ただぶつける。


「率直に言うよ。お前の気持ちは──ただの迷惑だ」


 悪意と害意に満ち溢れた台詞は、周囲の状況を決定的に変える一言。

 言い放った瞬間に、先程から俺と綾の二人に注がれていた無数の視線が、俺だけを意識の中心に据えた。そこに含まれる温度も、非難の鋭い冷たさを湛えるそれに変化した。


「そこまで言うか」「綾の気持ちも考えろ。お前を好きだと言った女の子だぞ」「人間の心が無いのか」「綾が可哀想だとは思わないのか」「恥ずかしくはないのか」「お前なんて」──声にされないだけで、今この教室の中を席巻せっけんしているだろう弾劾の言葉が、無数の視線に潜んでいる。

 否応なく如実に伝わってくるそれらを感じ取れる程度には、俺は鈍感ではなかったらしい。

 それでいい。


 けれど当事者ではないが故に、俺の態度を言葉に出して批判する者はいない──否、唯一それをとがめられる人間が、この場には存在している。

 ──坂穂かのかが咎めたのは、だから当然の成り行きだった。

 或いは「自分が静観していれば、他人が咎める展開も想定しうる。関係者である自分が今動けば、それを回避できる」という打算的な気遣いもあったのかもしれない、というのは流石に自分に甘過ぎるか。

 かのかが、空気の緊迫を和らげるような柔らかな口調で言う。

「少途、流石に言い過ぎ……」

「──良いの、かのか」

 しかしその台詞を遮ったのは、他でもない絢峰綾だった。

 苦しみに耐えるように俯いたまま発された制止は、しかし静寂の中ではいつも以上によく響いた。

 その事実に、ギャラリーの無理解が閾値を越える。当然、かのかもその中の一人だった。


「え、いや、綾ちゃん……」

 綾に止められることになるなんて、全く考えてもいなかったのだろう。かのかが戸惑いをあらわにする。

 周りで見ていた連中も同じく、何が起こったのか分からない、みたいな間抜けな顔を浮かべていた。

 そして綾は俯いたままに、正面でそれを見詰める俺にだけ分かるように、そっと唇を緩めた。

 その仕草に、俺は理解する──俺の思惑は綾には筒抜けだったらしい。まあ、綾に隠しきれるとも思ってはいなかったけれど、こんなに早いかね。

 綾の唇が、音を立てずに「少途らしいね」と呟いた、気がした。

 さとい幼馴染はどうやら、俺の思惑を見抜いたうえで、暴く無粋は犯さず、この即興劇に乗ることに決めたらしい。

 むしろまなじりの雫を溢れさせて、涙に掠れた声で続ける。そこに演出過剰を感じるのは、演技だと知っているからだろう。そうでなければ気付かないくらいに、綾の演技は真に迫っていた。

「……ごめんね、少途。少途の気持ち、全然考えないで、こんなこと言って」

 綾に比べれば拙い自覚はあるが、俺も可能な限り冷淡に、淡々と応えた。

「全くだ」

「……少途、あんた──!」

「──かのか」

 そんな俺の態度に、かのかが再び激昂する。先程とは違って今回は、気遣いの混じらない本心からの怒りのようだった──けれど、辿る結末は同じ。

 やはり、綾はそれを制止した。

 周囲の連中が再びの無理解に包まれた隙に、綾はさっと身をひるがえして、俺たちに背中を向ける。

 そのまま、振り返ることなく言葉を残して去る。

「……じゃあね、少途」

 綾の所属は違うクラスだ。もう教師も入ってくる頃合だし、そちらへ帰るのかもしれない。或いは、どこか人目に付かない場所に隠れてひっそりと泣くのかもしれなかった。

 と、少なくともギャラリーは思っていたことだろう。


 ぼんやりと考えながら、俺は何も言わずに、綾を見るのを止めて自分の席に着いた。



 綾が教室から出て数秒が経って、今まで沈黙を守っていた外野が普段の騒がしさを取り戻す。

 それでも、喧騒の話題の中心は、さながら誰かが取り決めたように画一的に統一されていた。


「絢峰さん、意外と男を見る目は無いのかもね」「坂穂も坂穂で、あんな奴と付き合うなよ。別れた方が良いんじゃね?」「あんな奴のどこに惚れたんだよ」

 話題が共通なように、その果てに辿り着く結論も共通で満場一致──高多少途は人間のクズで、そんな奴に何故か惚れた、坂穂かのかと絢峰綾という二人の少女は可哀想な被害者。


 ──惚れた理由、か。

 聞くともなく聴こえてきたそんな言葉が、俺の意識になんとなく引っ掛かる。その理由を俺の中に探して、そしてすぐに理解した。

「……俺が知りてーよ、そんなの」

 呟く言葉は、誰かに聴かれることもなく喧騒に呑まれて、消えた。

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