#15 Love Story from there①
ここから第三幕、です。
恋愛モノな第一幕、謎解きの第二幕と来て、次は何なのか、作者にもあまり分かってません。そんな『瑕納佳』篇です。
幕間
「えっと……坂穂さん、だっけ?」
──入学式から一ヶ月が過ぎた、五月上旬のある日。まだ初夏には早い、春の名残に包まれた季節。
「はい。坂穂瑕納佳、です」
俺は、とある女子から放課後の教室に呼び出されていた。
クラスメイトではあるものの特に接点も今後話す機会も無さそうな、初対面と言って差し支えない女子。
「良かった、合ってて。実はまだクラスメイトの名前があやふやでさ」
記憶の海から探し出したうろ覚えの名字があっていたことに、本心から安堵。
「いえ、かのかも実は、みんなの名前は覚えきれてないですから。高多くんが覚えてくれていただけでも、ありがたいくらいです」
気遣うようにそう言って、少女は軽く微笑む。可愛らしい、子どもっぽく人懐っこい笑顔。
「……それで、俺に何の用?」
「ああ、ごめんなさい。話があるからと呼び出したのはかのかの方なのに、申し訳ないですね」
ぺこりと少女は頭を下げた。
その態度に思わず、俺は言う。
「気にしなくていいよ、どうせ暇だったし。それに同級生なんだから、もっと砕けた感じで良いよ?」
「そうですか? ──じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
少女は、これでいいのかと確認するように小首を傾げながら、敬語を外してうっすらと笑む。
「それで本題なんだけど……恥ずかしいから単刀直入に言うね?」
そう言った少女の顔は紅く染まっていて。胸の前で所在なさげにもじもじと動かされる指先は震えていて。
自意識過剰とも思えるけれど、このときの俺は青い春の気配を感じていた。
これまでにそんな経験をさっぱり持たない冴えない男子としては、黙って先を促すことしかできず。
少女は一度口を開いてから、何も言えないままに俯いて、もう一度覚悟を決めたように俺を見て──
「──実は前からずっと、高多くんが好き、だったの。
まともに話せたこともないから、本当に? って思うかもだけど……本当に、好き。
だから、かのかと付き合ってほしいの」
唐突な春の訪れに、俺は内心飛び上がりそうなくらい喜んでいた。
人から好意を抱かれることの蜜のような甘さが、俺を柔らかく溶かしていくようなイメージを幻視。そういう経験が無いことを隠そうともせずに、我ながら恥ずかしいくらいに気分が盛り上がっていた。
勿論普段なら、俺の内面に存在する疑り深い俺が疑問符を掲げて脳内を駆け巡っていただろう。
残念ながら俺には人から好かれるような心当たりは無いし、仮に「なんてね、冗談だよ。本気にした?」と言われても驚かない。
──だけど、何故だろう。この少女の告白を、俺はこのとき、素直に受け入れることができた。
いや、違う。
──喩えこれが嘘だったとしても騙されて構わないと、俺はそう思ったんだ。
少女の初々《ういうい》しい告白は続く──
「勿論、高多くんが絢峰さんを好きなのは知ってるよ。だけど──」
「──ちょっと待って、坂穂さん」
続く告白を、俺は耐えきれず遮った。
「──でも、かのかはやっぱり高多くんのことが好きで。気持ちを伝えたらきっと高多くんは困るって分かってるのに、自分の気持ちに嘘を吐きたくなくて……身勝手でごめんなさい」
「ストップ。一旦ストップしてくれ」
「え?」
驚いたように目を丸くして、少女が首を傾げる。
自分が言ったことには何一つ疑問を感じていない顔だった。
俺は、何と説明すれば良いのだろうと悩みながら辿々しく言葉を選んで告げる。
けれどこれは絶対に言わねばならないことで、解かねばならない誤解だった。
「その、ちょっと誤解があるみたいなんだけど……俺にとって綾は別に、恋とか愛とかそういう感情を向ける相手ではないというか……あいつはただの幼馴染でしかないよ」
「でも、廊下とかでたまに二人を見かけるとき、すっごく仲が良さそうじゃない? ただの幼馴染ってだけじゃ説明付かないくらいに。かのかは最初、二人は恋人同士なんだと思ったよ?」
「まあ仲が悪くもないけど、俺にとって綾はただの幼馴染だよ。何だろう、ずっと一緒にいたからか、そもそも異性として見てない感じ?」
「もし高多くんが本当にそうだったとしても、間違いなく絢峰さんの方はそうじゃないと思うよ?」
「ん。綾は俺が好きってこと?」
「端的に言えば」
少女は強く頷く。
俺はふと、一年半くらい前のある出来事を思い返した。
中学二年生だった頃に、絢峰綾が俺の部活を覗きに来た際に、当時からの後輩、皆琴こづちにも似たようなことを言われたことがある。
──絢峰先輩って、どう考えても小途先輩のこと好きっすよね?
目の前に佇む少女の張り詰めた表情が、彼女の発言や胸に抱いている憂慮が本物であることを如実に示している気がした。
「好きな人に、自分ではない好きな人がいる」不安が取り除かれても、「自分の好きな人を想っている人間が他にもいる」不安は大きい、のだろう。
そんな様子が可哀想に思えて、俺は笑顔を意識しながら、
「──でもまあ、仮にその通りだったとしても」
と、言う。
「それでも俺には、その気持ちに応えて綾と付き合ったりするつもりは無い。なら、どちらにしても一緒じゃない?」
少女は驚きに目を大きく見開いて黙り込む。
二人の間に沈黙が数秒だけ続いた後、少し険しい視線を向けながら、少女は鋭く口を開いた。
「──それは本音かな?」
「本音というか、現実だと思うよ。あくまでも個人の感想、だけど」
俺は怯まず、用意していた答えを返しているような速さで即答する。
「喩え相手のことをどれだけ好きだったとしても、どんなに焦がれて憧れても、どれほど愛しても、それでも結局、結果は相手の受け止め方次第だろ?」
受け入れられれば成就して、
受け入れられなければ失恋。
そのどちらとも違う曖昧も、広義では失恋だ。
強い語調でそう言い切ってから、目の前の少女が少し呆然としているのに気が付く。
「──って、今まさに告白されてる奴の台詞じゃないか。ごめん」
つい熱くなってしまったが、この少女にとっては関係無い話でしかない。
反省して謝るも、そのことは気にしていないように、けれど他に気になることがあったように、少女は小首を傾げて俺に問う。
「だったら高多くんに言わせれば、かのかのこの恋が実るかどうかは高多くんの気持ち次第ってことかな?」
この少女はどうやら、俺の意見を適当に肯定したり頭ごなしに否定したりしないで、真剣に受け止めて考えを巡らしてくれていたらしい。
その態度に、何だか好感が持てた。
少女は真剣な面持ちで、覚悟を決めたように口を開く。けれど、その小さな胸の中から完全には消えてはくれない不安に、声は固く震えて、瞳は淡く潤んでいた。
「率直に訊くけど……かのかの気持ちに応えようって気持ちは、今の高多くんにある?」
「あるよ」
俺は間を置かずに答えた。
ここで俺が考える素振りを見せても、少女を不安にさせるだけだから。この少女が傷付き悲しむ顔を見たくないと、心のどこかでそう思っている自分の存在に気付いたから。
「……え」
けれど少女は、俺のその返答に言葉を失った。
呆然と、自分の耳を疑うように小刻みに震えて「今、なんて……」とようやく絞り出すように口にする。
「意外なの?」
思わず、そんな言葉が俺の口から溢れていた。
少女は無言のままでこくこくと頷いて応える。
「──なら、なんで告白したの?」
突如、そんな疑問符が出現した。
俺が言いたいことがよく分からないみたいで、少女は何も答えずに再び首を傾げた。
「成功する可能性が多少なりともあるから、告白しようって思えるもんじゃないの? その可能性が全く無かったら、普通は告白に踏み切る勇気なんか出てきやしないって、俺はずっと思ってたんだけど」
だってそうだろう?
好きな相手に想いを伝えて、うまく恋が成就したなら、それは良いことなのだと思う。
けれど、そうならなかったら? その恋が破滅したとき負うことになる傷の痛みと苦しみは、想像を絶する。
告白は、結果として天国と地獄のどちらにも繋がりうる、言ってしまえば賭けだ。ハイリスクで勝率ゼロのギャンブルに、一体誰がベッドするのか?
リスクを冒しさえしなければ、何も得られはしないものの、ダメージを負うこともない。
少女は黙り込んで、俺の考えをじっくりと咀嚼するように考え込む。
永遠のような沈黙が落ちた後、ゆっくりと言葉が紡がれていった。
「──ああ、そういうこと」
少女が口にしたのは理解、納得したような台詞だったが、けれど俺はそのことに一先ずの安堵を覚えることは出来なかった──少女の口調や態度が、その台詞とは裏腹に、胸を締め付けて自身を苛む耐え難い苦痛を堪えているかのようなそれだったから。
「……何が?」
だから俺には、そんな風に恐る恐る疑問符を浮かべるくらいしかできず。
「いや、大したことじゃないよ──高多くんも、たぶん無意識みたいだし」
対する少女の声はもう元に戻っていて、それがかえって少女が胸に隠した苦悩を際立たせていた。
少女にはきっと、その苦鳴の理由を俺に明かすつもりはなかった。
けれど疑念が俺の視線に込もっていることを感じ取ったのか、少女はさながら自供する犯人のような態度でいかにも渋々と、ゆっくりと語り始めた。
「分かったっていうのは、かのかの想いを受け入れても良いって、高多くんが言ってくれた理由だよ。
たぶん、高多くんの意識としては『今好きな相手もいないし断る理由もないな』とか『自分を好きだって言ってくれた子を拒絶するのは可哀想だし』とか、そういうことを思っているんだと思うよ。
でも無意識下の理由はきっと、それと別にある。
──絢峰さんを守るため。
さっき『成功率の無い告白をする人はいない』って言ってたでしょ?
あれが高多くんの本心で、普段からなんとなく考えてることだっていうのはかのかにも分かるよ。
──絢峰さんが高多くんを好きだってこと、本当は高多くん、自覚してるよね? ラノベの鈍感系主人公でもないんだからさ。
当事者からも端からも、絢峰さんがいつか高多くんに告白する未来が来ることってほとんど明らかで──それを高多くんは、心のどこかで恐れてるんじゃない?
そうなっても応えられないし、応えるつもりがない。
だけど告白して振られたら、絢峰さんは傷付く──自分が応えなければ、絢峰さんは確実に深く傷付く。
それを見る未来を、恐れてる──自らの手で幼馴染を傷付けてしまう未来を、恐れてる。
だけど、『自らの手で』相手を傷付けずに振る方法は、言葉にすれば簡単だよね──諦めさせればいい。最初から、告白させなければいい。
高多くんの言葉を借りて言うなら、『告白の勝目を最初から零にしておけば、絢峰さんがいつか自分に告白してくることもない』。
『恋人がいる』というステータスは、一般的にはそれを充分に満たしてるはず。
絢峰さんが高多くんに告白してくる未来が訪れなければ、絢峰さんが傷付くこともなく──絢峰さんを直接的に傷付ける未来の回避で、高多くんの精神も傷付かずに済む」
──少女が口にした『俺の無意識下の思考』に、俺は全身を殴られるような衝撃と痛みを感じていた。
そんな身勝手で救いの無い自惚れじみた逃避の打算に基づいて、俺が行動していたのだとしたら──それが喩え無意識下だったところで、いや、無意識下だからこそ──
「──気に病む必要はないよ」
どす黒い自己嫌悪と沸騰する思考回路に、場違いなほどに甘く優しい声が柔らかに水を差す。
それが先程まで俺の罪を暴いていた厳しい声と同じだということが、何だか不思議だった。
けれど、差し伸べられたそれが救いの手なのだとしても、それを受け取るなんて出来るわけがない。
こんな俺が許されて良いはずが、
「──その評価こそ受け手次第なんだと、かのかは思うよ。これも高多くんの言葉だね」
甘く優しい声が脳に響く。黒に染まった思考に白い光が射し込まれて、視界を覆っていた靄が暴力的なほど強制的に晴らされた。
「かのかは、高多くんのその罪深い打算を、絢峰さんへの優しさの現れなんだって思ってる。
そうじゃなかったら、わざわざ本人に突き付けたりしないよ──弾劾や断罪がしたいわけじゃないもん。
罪を知ってほしいんじゃなくて、愛を知ってほしかっただけ──私が好きな高多くんは、そんな優しい高多くんだって、知ってほしかっただけ。
傷付けたならごめんなさい。
それに、正直悔しいし悲しいけど、こんなことでかのかは別に怒ったりしないから。
だってそうじゃない? たとえ理由がどうでも、結果としてかのかと付き合うことを受け入れてくれるなら──かのかを、受け入れてくれるなら、一人の乙女として、一先ずは満足のいく結果だもの。
もっとも、その優しさがかのかに向いてくれるように、これからは恋人として頑張るけどね?」
──堂々と恥じらいも無く少女はそう言い切って微笑む。
ただ可憐で可愛いだけじゃない、底の見えない深さを孕んだその笑顔は、いつの間にか俺の心を掴んでいて。
きっとこのときから既に、俺の心は──物語は、確かな運命を刻み始めたのだろう。
因みに、この作品のキャラ、ストーリー、章題は全て僕の妄想を垂れ流した結果なのですが、『リバース・インサイド』において唯一、友人に案を出してもらった箇所が、前回から登場した『かのかの名前 漢字ver.』の字でした。
『瑕』は僕、『納』が友人、『佳』は二人の共通意見で選ばれました。
坂穂かのかというキャラを作ったときには、瑕納佳なんて影も形もなかったため、漢字は後から考えたものなんです。