#13 下手なフォローと褒め言葉
21
「それについては、生まれた頃から死ぬまで続く不治の性分だ。二人にどう思われたところで、今更俺には矯正なんかできねぇよ。
それにそもそもこの状況じゃ、俺が精一杯の努力で否認してたとしても、どの道活路なんか無かっただろうぜ。
相手が小途だけならまだしも、綾が敵に回ってたらな。勝目はねぇし、仮にあったとしても自信がねぇよ。
で、俺が話すべきは動機か?
それこそ小説みたいな、単純な理由だよ。
色恋沙汰、謂わば惚れた腫れたの話。
ありきたりだろ?
例えば、俺が密かにかのかに想いを寄せていたら? かのかを手に入れるために、その彼氏と別れさせようしたんだとしたら?
──いや小途、納得した顔すんな。嘘だよ、こんな可能性もあるだろってだけの話。
タチの悪い冗談ではあるが、俺がお前を欺く理由なんていくらでも考え付くってことを言いたかっただけだ。
──俺が好きなのは綾だよ。
昔からずっと、今も変わらず好きだ。
驚いた顔になったな。幼馴染に惚れてることなんか、そんなに意外でもないと個人的には思うけど。
『なら何で』って?
なら何で、俺たち二人を別れさせようとしたのか、って?
簡単に言うと、だ。
俺は確かに綾が好きだが、だけど綾と付き合いたいとかは思ってねぇんだ。
勿論それが叶えば喜ぶけど、その為に行動を起こしたりする積もりは毛頭ない。
俺が一番に望んでるのは、好きな相手の幸せ──つまり、綾の幸福。
それが叶うなら、俺はその光景の背景の一部でしかなくとも構わない。
断っておくが、これが綾の為だなんて言うつもりはねぇ。俺がしたいようにやってるだけ、他でもない自分の為でしかないからな。
──その綾が少途に惚れてるのは、俺も当然ずっと知ってる。
だったら俺の望み、綾の幸福を叶える方法は簡単だろ?
綾と少途が結ばれればいい。
俺の動機はそれだよ。小途が他の女子と付き合ってたら、綾と小途が恋仲になる未来はどうやっても訪れない。
けれど二人を別れさせれば、少なくとも可能性は生まれる。
勝手な言い分だと思うだろ?
俺もそう思ってるよ。自覚はあるさ。あるから何だって話だが。
もっとも、俺の企みはすぐに綾にバレた──どうやら、実際に二人が別れるよりも前に。
さっき綾が言ってた、昨日の放課後に綾が理詰めで俺を追い詰めた云々だ。
あのときはとにかく驚いたし、素直に怖かった。
余裕も無くして何も言えないまま、ただただ罪を暴かれ、だけど断罪も弾劾もされない、なぶり殺しみたいな恐怖はまだ記憶に新しい──そう、綾は俺を断罪も弾劾もしなかった。
鋭く睨む視線は向けられてたが、言葉で裁かれはしなかった。それがかえって、俺の恐怖を煽ったんだが。
そんな生きた心地のしない時間がようやく終わったとき、つまり綾が推理を語り終わったとき、綾は去り際に俺に言った。
『打出を責める資格は、当事者の少途とかのかにしかないと思う。
だから私からは何も言わないし、この想像が正しいかどうかも答えなくていい。正しくても、白を切ってくれても構わない』。
『けど、もしも打出がこの推理を認めるなら、あの二人が、或いはどちらかがこれに気付いて打出に話を付けに来たときには、絶対に逃げないで』。
──本当に、かのかと小途の二人には悪いことをしたと思ってる。
信じるかどうかは任せるが、それは嘘なんかじゃなく俺の本心だ。
だけどこれだけは言っておく。
そうは思ってるけど、でも俺はこの件について、全く後悔はしてない。
それとこれとは話が別だ。
身勝手でも、曲がりなりにも俺なりに考えて行動した結果だからな」
──永遠のように感じられた打出の語りを聴き終えて、俺は、
「……勝手な言い分だな」
と、素直な感想をただ率直に述べた。
対する打出は、諦めを既に遠く通り越したのか、いっそ開き直った態度で悟ったように応える。
「恋する人間なんてのは、往々にして勝手なもんだよ」
打出の軽薄な態度は、俺や綾の怒りを増幅させるには充分なものだったと思うが、しかし何だか、告げられたその台詞に、俺は冷水を浴びせられたような気持ちになってしまう。
ちょっと綾を見やると、こいつにしては珍しいことに、考え込むような仕草のままで固まっていた。
打出も数秒が経ってから、唐突に黙り込んだ俺と綾を不審そうに見て、ようやく気付いたように口から息を漏らした。
──心当たりがある人間の反応を、三者がそれぞれに見せていた。
打出が口にした理論は、恐らくは深く考えもせずに適当に放った言葉だったろう。
実際、多少の含蓄こそあるものの、普通に考えれば取るに足らない極論でしかないはずだった。
けれど、俺たちの全員が理解していたのだ──綾の告白から連なる混沌に満ち溢れたこの一件は、全てそんな『恋ゆえの身勝手』が引き起こしたようなものだ、と。
この物語の混沌は、他ならぬ俺達自身に起因していたのだと、みんな分かっていた。
──俺への恋情を抑えきれないと告白して、周囲の人間関係に無用の歪みと不和を産んだ、絢峰綾。
──綾への恋心を大義名分に掲げ、想い人の幸福を叶える名目で他の全てを蔑ろにした、桜音打出。
──俺への愛情に自信を失い、本人も含めた関係者全員を不幸に巻き込む選択をした、坂穂かのか。
──意地と罪悪感からかのかへの想いを言葉にできず、恋人の選択を否定できなかった、高多小途。
言い換えるなら、この物語は、俺たちが俺たちでさえなければ起こりもしない事件だった。
──けれど混沌に満ちていた謎も、もう大体は明かし尽くしたはずだ。
これ以上続けることに意味なんてないだろうし、仮にあっても勘弁してほしい。そろそろ幕引きにして、落ち着いて疲弊した精神を休めるための時間が欲しかった。
昼からの授業もいつの間にか三分の一近くが終わっていて、今から教室に戻ることはもうできないだろうけど。
「私が言いたかったことは、これで全部。じゃあ、色々と散らかっちゃったあれこれをどう片付けるか決めなきゃだよね」
さながらそんな俺の思考を見て取ったように綾が口を開いた。
そして、不敵で挑戦的な笑みをこちらに向けて、
「──どうするの、小途?」
と訊いてきた。
打出に昨日言っていた(と、打出が言っていた)ように綾は、沙汰は当事者が下すべきだと考えているのだろう。丸投げとも言う。
俺は現状を脳内で軽く整理して、考えるべきことは何かと考え込む。
すると打出が「さしあたっては」と、割り込みをかけてきた。
「俺の処遇について、じゃね?」
「それって『一発殴らせろ』とかそういうやつ?」
見れば、綾も頷いて賛同の意を表明していた。
とは言えこいつは、そもそもこの状況で反対意見を出すか分からんが。丸投げとはそういうことだ。
けれど二人がそんな態度を見せれば、俺も考えないわけにいかなくなる。
だから沈思黙考──している振りをしながら、しかし俺は頭の中では関係ないことを考えていた。打出の処遇については最初から結論が出てたからな。そのまま言うと何も考えずに言ったみたいだから、ちょっと小細工した。
俺はようやく意を決して重々しく、悩み抜いて辿り着いた結論を口にする──演技をした。
昨日みたく簡単に気付かれていたのかもしれないが、二人は特に何も言わなかった。
「──別に無くて良いだろ」
言い切ってから数秒、場に何とも言い難い空気が落ちる。
気まずい。こうなる気はしてたけど。
沈黙の末、激情を顕にしたのは桜音打出だった。
無理解と怒りがない交ぜになった表情で鋭く、しかし落ち着いた諭すような反論。
「小途が甘いことは重々知ってるつもりだったよ。だが、それでもだ。罪に対する罰、ケジメってのは必要だろ」
最後の一言だけ、叱責するような厳しい口調に一転した。それまではまだ抑え込めていた感情の奔流が、とうとう堤防を決壊させたかのように。
「──これは、なあなあで済ましていい問題じゃねぇ。違うか?」
けれど、その反応を予想していた俺──そして綾──に驚きはなかった。
打出が俺と綾をよく知っているのと同様に、俺たちも打出の義理堅さは知っていたから。
だから俺は落ち着いたまま、必要以上に淡々と告げる。
「──何も考え無しに言ってるわけじゃない。お前の言う通り、罪があればケジメは付けてたさ。
でもお前が実際にやったのって、かのかに真相を伝えたことだけだろ?
確かに、そのせいで話がややこしくなったのはお前の計画通りだったみたいだし、それを許すことはできない。
だけど結局あの結末は、俺とかのかの二人が勝手にやったことでしかないだろ?
それでケジメって言っても、責任転嫁みたいで変な話じゃねぇ?」
茶化すような笑顔を浮かべてこそいたが、これが偽りの無い俺の本心だった。
そのことはきっと、二人の幼馴染ならすぐに見抜いただろう。
綾は短く嘆息して、無言で笑んだ。
打出は面食らったように硬直していたが、それから堪えきれないといった様子で吹き出して、どこか愉快そうに、声は上げずに笑った。授業中だからかもしれないし、他の理由があったのかもしれない。
それでも盛大に笑った後で、打出は呆れを隠そうともせずに言った。
「……お前、馬鹿じゃねぇ?」
否定はしなかった。
分かりきった問には分かりきった答えしかない。分かりきった答えなら、言わずとも伝わるはずだ。
打出はまた薄く笑って、俺たちに背中を向ける。
少しずつ遠ざかって小さくなるその背中を止める無粋は、俺も綾も犯しはしなかった。
踊り場でUターンした打出の口が、その姿が死角に溶け込む数瞬前に何事かを呟いた気がしたけれど──それはこの場にいる誰に聴こえることもないまま、儚く消えた。
たぶん、それで良いのだと思う。
打出の足音も届かなくなって、俺はようやく気を緩めて一息ついた。
さながらその瞬間を狙い済ましたように、この場に残っていたもう一人の幼馴染が不思議そうに首を傾げた。
「……んー。私って昔から今までずっと少途のこと『優しい』って思ってたんだけどさ。実際はひょっとして、ただ馬鹿なだけだったのかな?」
俺はそれに応えず、磨り硝子の窓から外の景色を眺めていた。
つまり何を見るわけでもなくただ無視していたのだが、ねぇねぇねぇねぇ、と端的に言ってウザい絡み方をしてきた綾に根負けして、渋々ながらに「自覚はあるよ」とだけ言った。
「分かってる。だからタチ悪いのよ」
返される言葉には容赦がなかった。
すると、俺がよほど酷い顔でもしていたのか、綾が突然慌てたような態度を見せる。下手なフォローでも入れてきそうな様子だった。
今の精神状態だと優しさに甘えて寄り掛かりかねないと、ちょっと身構える。くだらない意地だが、こいつやかのかには弱い所を見せたくない。
こづち? あの盗撮の常習犯に、何かを隠せるとは思えない。
「あ、ひょっとしたら勘違いしてるかもしれないけど、私にしては珍しく、今日の小途のことは褒めてるからね」
──本当に下手なフォローかよ!
「嘘吐け。どう解釈すりゃ『馬鹿』とか『タチ悪い』が誉め言葉になるんだよ」
「別に嘘じゃないってば」
綾はそう言って笑い、俺もなんとなく釣られて笑った。
そこに漂う空気は今まで通りでいつも通り。二人とも言葉にはしなかったが、それはさながら胸に秘めていた緊張を解いて日常に戻る為の儀式のようだった。
いや、綾にそんな意図はない気がする。
「──さてと、これからどうする?」
一頻り笑いあって二人が落ち着いたところで、綾が気持ちを切り替えたように言う。
「授業も、もう半分くらい終わってるよな。今更教室に戻るのも難しいし……」
「そうだねー。凄く目立っちゃうし、理由を訊かれても困るもんね。打出はどうしたんだろ。戻ったのかな」
「教師に見付かる可能性を考えたら歩き回るのはリスキーだし、身を潜めてるんじゃねぇか? 俺たちと一緒には居づらいから出てっただけで」
「そっか。じゃあ、私たちはどうしようか?」
「何かが出来る訳でもないし、時間潰すくらいしかねぇよな……」
「小途が良いなら、チャイムが鳴るまで二人で、ここでお喋りしない?」