#12 名探偵の設問
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「──設問一の答え、つまりクラスの連中に俺の『思惑』を広めていた人物は、坂穂かのかだ」
「正解」
俺の答えに、綾が短く首肯する。
正直に言うと、このとき俺はその事実に内心では非常に安堵していたのだが、それは言わぬが花だろう。
格好付けたいわけじゃないにしても、進んで格好悪いところを見せたいわけでもない。間違いは恥じることではないとは定型句のように言われるが、堂々と答えて間違ってたらやっぱり恥ずかしいから。
まあ、答えが合ってるからって過程が正しいかは分からないんだけど。
「まずは大前提。俺の『思惑』を広めた人物の候補は『それができる人物』、つまりは俺の『思惑』を知っていた人物だけに限られる。言うまでもなく当然だって思うけど。
俺も昨日の昼、あれを誰が広めたのかってのは考えてはいた。答えは出なかったけど──それは、単純に前提から間違ってたからだった。
俺は最初、その候補が綾と打出の二人だけだと思ってたんだよ。
けど、二人にはできない。幼馴染が擁護したところで、クラスの連中全員が納得できるほどの説得力があるとは思えないからな。
となると、この時点で既に候補者が尽きて、袋小路の手詰まりになる。
三人目の候補者の存在を考えなかったのが、昨日の俺の失敗だ。
──第三の候補、坂穂かのかの存在を。
かのかは、打出に陰で呼び出されて俺たちの会話を聴いている。そして、俺の『思惑』を知った。
なら、それを広めることは可能だ。
けれどそんなかのかも、綾や打出を除外したのとほとんど同じ理由で除外せざるをえないように思える。「幼馴染だから」を「恋人だから」に置き換えるだけだ。
身内判定の人物の証言には、クラスの連中という名の司法を動かす力は、残念ながらない。
なら、再び候補がいなくなるのか?
推理が振り出しに戻って、再び手詰まりに陥るのか?
──いや、喜ばしいことにそうはならない。
確かに普段なら、恋人であるかのかは候補から外れる──けれど、今回の一件に関しては、そうじゃない。
クラスの連中はその日の朝、しっかりと目撃している──他ならぬ坂穂かのかが俺を厳しく弾劾している場面が、連中の記憶に焼き付いている。
或いは逆に、そんなかのかが俺を擁護すれば、その説得力は増しさえするかもしれないくらいに」
──打出を追い詰めていたときからずっとそうだが、自分の推理を人に披露するのは、普通にかなり疲れる。特に、精神的な消耗の激しさは筆舌に尽くしがたいほどだ。
だから、俺の推理を聞き終えて満足そうに頷いた綾が、間髪を措かずに、
「じゃあ次、問二はどう?」
と言ってきたときには、ちょっと間を空けてくれないかと本気で思った。
問の形式を採った割に、採点すらしてはくれないようだ。こいつが聞く耳を持つわけがないので、口に出しては言わないけれど。
昼休みは既に半分が終わっていて、このまま続けると昼飯が食えないどころか午後の授業をサボタージュする羽目になるのだが……綾はそんなことは気にしていないみたいだし、俺も真面目な方ではないのでサボりへの抵抗はあまりないし、そういうことを唯一言い出しそうな打出には、残念ながらこの状況では拒否権がなかった。
真っ当に生きる人間が損をする、なんてそんな大仰な話でもないが。
俺は大きな溜息で思考を打ち切り、綾に促された通りに推理の続きを披露し始めた。
「設問その二は──」
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「──設問その二、かのかが別れ話を切り出した理由として俺が挙げた二つの仮説のうち、正しいのがどちらか。
昨日の朝の俺の行動、かのかはその真意を知って、どう思って何を考えたのか?
仮説その一、自分を責めた。
『自分は恋人という立場なのに小途の思惑に気付けず、あろうことか非難さえして、ちゃんと気付いていた綾に制止されて──』
あの場にいた人間の大半は気付いてなかったんだし、気に病む必要はないと俺は思ってる。
だけど、かのかがそのことを気に病んでいたとしても、その気持ちを否定はできない。
次に仮説その二、俺に呆れた。
『自分の学校での立場や外聞の全てを擲つような行為に及んで、幼馴染を庇い立てるなんて──』
馬鹿なことをやった自覚はあるし、かのかは俺と綾との関係を危惧していたから、これが最後の一押しになった可能性はある。
じゃあ、この二つのうち、どっちが正しい?
──かのかの性格からして前者だ、と俺は思う。
まあ、これだと根拠としては弱いから、もう少し説得力の有りそうな根拠を挙げると──かのかが俺に別れ話を切り出すときに口にした言葉。忘れもしない台詞。それを思い返してみる。
『──少途は、かのかとは別れたほうが良いと思うの』
あのときの俺は、冷静さも余裕も無くしてたから気付かなかったが、この台詞、別れ話を切り出すには少し不自然じゃないか?
『俺が』かのかと『別れるべき』?
そんな些細な違和感を元に、若干の恣意も含みながら、この台詞に言葉を補って解釈すると──
──少途は、『恋人なのに真意に気付いてあげられなかった』かのかと別れたほうが良いと思うの。
或いはその後には『自分と別れて、少途はもっと良い人と付き合うべき。小途の考えてることを、ちゃんと分かってあげられるような相手と──』ぐらい、かのかの心の中では続いていたかもしれない。
だとしたら、笑えない話だけれど」
俺はそう言って、推理を締め括った。
綾がここで「間違い、全然違うよ」とでも言ってくれたら嘘でも信じただろうというくらいに、気分は暗く沈んでいた。
ふと腕に巻いた時計を見ると、昼休みは既に終わっていた。
俺が話している間に時間が尽きたようだったが、鐘の音を聴いた記憶は無い。この場所では聴こえないのか、或いは俺にそんな余裕が無かったかだろう。
綾の見せる沈痛な面持ちが、俺の推理が正しかったことを何よりも雄弁に証明していたけれど、喜びを味わうことなど出来るはずもない。
俺の胸に立ち込める暗雲はより深くなっていった。
「──本当に、笑えないよね。馬鹿なくらいのあの素直さは、笑えない」
綾がぽつりと呟く。
俺は素直に、全くの同感だと思った。
「……あのとき、すぐに気付いてやれれば良かったのかな」
「さあね。二人のどっちが悪い、なんて簡単な話でもないからね……強いて言えば、間とタチが悪かったよ」
溢した後悔に対して返されたのは、寄り添うように優しい、けれど容赦無く厳しい反駁。
否定することもできず、俺はただ押し黙るしかなかった。
そして綾は、気を取り直したようにいつもと変わらない様子で言う。
「さて、これで二つの設問についてはもう終わりにしよう──じゃあ最後の話を始めようか」
綾のその言葉に、いい加減にうんざりしてきた俺は、この一件にはまだ何かあるのかよ? という台詞を言いかけて──すぐに気付く。
さっきも言っていたことだ。
『真犯人』は打出──用意された二つの設問は、その解答へと至るためのヒントなのだと。
昼休みが終わっても、この地獄のような時間はまだ終わらないらしい。
綾が口を開いた。
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「二つの設問と解答を踏まえて状況を観察すると、少途とかのかが別れることになった理由を辿ると、行き着く先が見えてくるよね。
別れた理由。
かのかが別れ話を切り出した理由。
かのかがその結論を出した理由──かのかが少途の『思惑』を知った理由。
見方によっては、打出のせいと言えなくもない。
言い掛かりだって?
打出は別に、それを狙って仕組んだ訳じゃないんだから──そう言いたげな顔だね。
うん。実際、二人の破局は二人のせいでしかなくて、その責任を他人に押し付けるのは身勝手でしかないよ。分かってると思うけど。
──だけど、ね。
簡単に言うと、打出は最初から全部分かってたんだよ──打出の行動によって物語がどう歪むか、ちゃんと分かってた。
かのかが小途の『思惑』を知れば、どう思ってどう考えることになって、かのかと小途の二人がどんな結末に辿り着くことになるか──分かってた。
打出の策は小途も見抜いてたけど、それを小途は打出の優しさなんだって解釈した。
そんな打出の行動の結果、すれ違いで二人は別れることになっちゃったけど、それは打出のせいじゃないって。
打出は何も悪くないはずだって。
けれど、違うんだよ。
打出は最初から全部分かった上で、そんな行動に出たんだよ。
──二人を、別れさせるために」
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──桜音打出が、幼馴染で親友の打出が、俺たち二人を別れさせるために行動していた。
綾によって無情にもはっきりと告げられたその言葉に、俺は言葉を失う。
呆然と立ち尽くす数秒の後、ようやく俺は硬直から脱して口を開くことができた。
「確かに、仮にそうだったとしても矛盾なく話は繋がるよ。可能性の話だけをするなら、あり得ないとは言い切れないとも思う──でも……」
……証拠も動機も、無いはずだ。
けれど、弱々しい響きのそんな台詞さえ、最後まで途切れることなく紡ぐことはできなかった。
──きっと俺は、本当は理解しているんだ。
表面を取り繕って、到底納得できることではないと叫んで、態度で示したところで、心が理解している。
──綾の推理は正しい。
根拠なんて無くていい。動機だって関係無い。
ただ確信めいた直感がある。
俺はだから、それを認めたくないだけだ。
けれど俺には認めるしかないから、他の誰かに否定してほしいんだ。違うと言ってほしい、それだけで。
例えば打出が今この場でそう言ったなら、俺はきっと信じた。それが真実かどうかはどうでもいい。
濡れ衣と誤解を謝って、冗談みたいに互いに笑い合って、また元の関係に──
──そんな現実逃避でしかない期待は、次の一瞬に破られる。
「──全部、綾の言う通りだよ」
端的に編まれた、桜音打出の自白。
彼が犯した罪の、他の何よりずっと雄弁で決定的な証拠に、俺は再び言葉を失う。
思考が硬直し、麻痺するような鈍い感覚に全身が支配される。
けれど不思議と、この時の俺の胸中に渦巻いていた感情の中に、友人に裏切られた絶望は全く無かった──それとは別の、強く昏い感情。
綾が披露した推理には、確たる証拠は何一つ無かった。物的証拠どころか状況証拠さえ無い、普通なら言いがかりとしか思えないくらいの妄想。
もし打出が本気で言い逃れようとしていれば、それも可能だったと思うほどの。
──けれど彼はそうしなかった。
抵抗せずに自身の罪業を認めるその姿勢は、或いは潔さと言っても良いのかもしれない。
しかし俺はこのとき、確かに思ったのだった。
「さっきも言ったけど、打出のそういうところ、私は心の底から嫌いだわ」
怒りと毒を孕んだ声でそう言い切って、綾が深々と嘆息する。
俺も同感だった。