#11 名探偵の講釈
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「──名探偵?」
絢峰綾のあまりに突然な登場、やっとの思いでその衝撃から立ち直ってから、俺は真っ先に、幼馴染の台詞中に登場した一つの気になる単語に疑問符を浮かべた。
「そ。まあ実を言うと、こうして出てくる積もりは無かったんだけどね。事が上手く運ぶようなら、つまり私が出る必要が無ければ、そのままこっそりと傍観者を気取るはずだったし」
対する綾は何食わぬ顔で、はぐらかしているわけでもないのだろうが、しかし答えになっているとは到底思えない応えを返す。
というか俺への返答は実質「そ」だけじゃねぇか。
「なあ綾、頼むからもう少し分かりやすく、俺にも分かるように言ってくれないか? さっきからお前が何を言ってるのか、俺には──」
「小途が理解できないのは、私の説明のせいじゃないよ。いや、それもあるけど、少なくとも全部じゃないの。理解できないのは、少途が探偵にはなれても名探偵にはなれなかったから」
──いや、優しいからかな。
説明を求める言葉を投げてはみたものの、ぴしゃりと遮られる。
要領を得ないことを言い続ける幼馴染の姿に、頭の中の疑問符が急速に繁殖していく。
何を言っているのか、
何が言いたいのか、
何故ここにいるのか、
何故ここで姿を見せたのか、
何を知っているのか、
何故そんな辛そうな表情を見せるのか、
何故そんな儚げな顔をしているのか──綾が、誰の味方なのか。
「それに」
俺の心中の錯綜を余所に、綾は何でもないことのように言う。
「──打出は、ちゃんと理解したみたいだよ?」
「……へ?」
──告げられたその突拍子も無い言葉に、それまで胸を渦巻いていた数多の疑問さえ忘れてしまう。
言われたことを確かめるために、俺は打出を見やった。てっきり、打出も俺と同様、疑問符に脳内を支配されているものだと思っていたが。
その想像は、半分だけ当たっていた。
「──」
確かに桜音打出は、その脳内に疑問符が蔓延っていることを隠そうともしない様子だった。
表情にははっきりと「何故」の文字が見えたし、何が起きているのかを必死に考えているような余裕のない態度だった。
それは俺も同じで、こんな状況においては当然の反応だ。実感と共に理解できる──ただ一点、その表情に浮かぶ感情に、莫大な恐怖が無ければ。
「おい、打出──」
慌てて咄嗟に声をかけるも、反応は無い。返事がないどころか、こちらを振り向きさえしない。
そんな余裕が、彼にあるはずがなかった。
──桜音打出の全ての意識は今、突如この場に現れた自称名探偵、絢峰綾にだけ向けられている。
ふっ、と口から息が漏れる音。
それが、打出が不意に笑った音なのだと気付くのに数秒を要した。
その笑みが何を意味していたのか、どんな感情を孕んでいたのか、このときの俺には全く見抜けなかった。或いはそこには意味も感情も、何一つ存在してはいなかったのかもしれない。
対峙する綾は、普段と全く変わらない様子で──否、幼馴染の俺だからギリギリ分かるという程度に冷たさを含んだ口調で、言った。
──じゃあ真犯人は誰だろうね?
──『真犯人』。
「──ね、『真犯人』の打出」
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「野暮ってことは当然ながら承知の上で、講釈を始めようか。あくまでも少途の補足として。
何が始まるのかと不安がってる小途のために簡単に言い換えると、これから私は幼馴染の打出を弾劾するの。犯人を追い詰める探偵のように。
……恐い顔しないでよ。私だってこんなこと、進んでやりたくはないんだってば。
必要が無ければ出てこなかったって、さっき言ったでしょ?
必要があるから、出てきたの。出てきたし、打出を弾劾するの。
それに、言われちゃったんだ。
『それが誰かがやらなきゃいけないことなんだとしたら、するべき人間は綾先輩しかいないっすよ』
物真似、似てなくてごめん。
でも、誰の言葉かは分かったでしょ?
あの子は本当、正しいことしか言わないね。それが酷でも残酷でも、正しいなら躊躇わない。
そんな姿勢を、少し羨ましく思ったりして。
話が逸れたから戻すよ。
『名探偵、一同集めてさてと言い』──一同って言うには、三人だとちょっと人数が少ない気がするね。
そもそも犯人が幼馴染な以上、小説の探偵みたく誇らしげに真実を暴くこともできないかな。
だから私は、『さて』とは言わないことにしておくよ──さてと、じゃあまずは、さっきから無視しちゃってる少途の疑問に答えるところから始めようか。流石に悪いしね。
第一に、私が何でここにいるか。
ごもっともな疑問だね。
端的に言うと、保険のつもりだった。具体的に言うと、私が打出の罪を知ってるから、かな。
本題に深く関係があるわけじゃないから詳しくは話さないけど、実は私、推理で打出を追い詰めるっていうのは昨日の放課後に既にやったんだよ。
だから私、昨日の放課後は打出を捕まえるためにそっちの教室に行ってたんだよね。
残念ながら、かのかにも小途にも会わなかったけど……え、すれ違った? 嘘、全然気付かなかったよ、ごめん。
まあ私も、あのときは精神的にあんまり余裕がなかったから、それでかな。
だから、今日の昼休みに少途が打出を呼び出すつもりだって知ったとき、ああ、小途も私と同じことに気付いたんだなって思った。
だから私は、陰でこっそりと小途たちの様子を見ることにしたんだよ。
死角なんて他にもあるんだから、わざわざ鍵の掛かった屋上に隠れる必要は全く無かったんだけど……鍵はどうしたのかって? こづちに合鍵と盗聴機を貸し付けられたの。
何でそんなもの持ってるのかは訊いてない、訊いたら後に引けない気がしたから。
分かってるつもりだったけど恐ろしい後輩だね、色んな意味で。
まあ犯罪的行為のことは忘れて話を戻すと、私は隠れて小途たちの話を聴きながら、あることに気付いたの。
少途は、私が気付いたのと同じことに気付いたんだと思ってた。
だけど、本当は違ったって。
こうなると話は変わってくる。私は取り敢えず、こづちに相談しようと電話を掛けた。
打出にはまだ、明かされていない、小途が気付いていない罪がある。
それを私が明かすべきなのか、黙ったままでいるべきなのか──私には判断できなかった。
幼馴染を信じて疑わない、優しい小途が導いた結論を台無しにする。その無粋を犯す覚悟が、決まらなかった。
そのときあの子に言われたのが、私がさっき言った台詞。それが必要なら私がするべき、ってやつ。
それだけが理由って訳でもないけど、だから私は二人の前に姿を現して、こうして推理を披露してるってわけ。
第一の疑問に対する答えは、こんなところで良いかな?
うん。じゃあ、ここからが本題。
第二の疑問だね──『真犯人』とは何か?
桜音打出の、明かされていない罪とは何か?
まずは小途の推理を整理するね。
昨日の昼、打出は少途をこの場所に呼び出して、その思惑を暴いた。同時にこっそりと呼び出していたかのかにもそれを聴かせることで、かのかの誤解を解こうとした──だったね。
ここまでに、間違いも矛盾も存在しない。
実際、さっき打出も認めたしね──だけど満点じゃない。言うなれば部分点で、しかもこれじゃあ及第点にさえ届いていない。
じゃあ、謎を解くヒントを問題形式にしてみようか。
設問その一。
小途が打出との会話を終えて教室に戻ったとき、クラスの皆が小途の『思惑』を知っていたんだよね? じゃあそれは、誰が皆に広めたの?
設問その二。
誤解が解けても、結局かのかは少途に別れ話を切り出したんでしょ?
その理由として小途は二つの可能性を考えてたよね。自分は気付くことができなかったって罪悪感か、自分を犠牲にしてまで私を庇った小途に呆れたか、なんて。
それ、実際はどっちだと思う?」
──名探偵の講釈と自ら銘打つだけのことはある、と思うくらいに饒舌な語りを繰り広げた自称名探偵は、そこでようやくその長い鉤括弧を閉じる。
俺も打出も、綾の台詞を聴いている間はほとんど口を開かなかった。
そんなことができる空気じゃなかったのも勿論だが、詰め込まれる情報の奔流に俺が余裕を無くしていたというのが最たる原因である──もっとも、打出が何も言わなかったのは、俺とはまた違う理由に依るようだけれど。
それは、先程見せたうっすらとした笑みが含んでいた感情──諦め。
打出は既に、逆転の目がないことを理解している。絢峰綾を敵に回すということの意味を、最初から全て理解している。
だから、ひょっとしたら存在するかもしれない逆転の可能性を探そうとすることもないままに、全てを諦めている。
「──やっぱり、潔いね」
そんな幼馴染の態度に対して、綾は呟いた。
言葉だけ切り取れば称賛にも思えるそれは、しかし皮肉だ。こいつにしては珍しく、苛立ちと嫌悪を隠そうともしない口調である。
しかし、剥き出しの悪感情を向けられた打出は、普段と全く同一の態度を崩すことなく応える。
「そうは言っても、今更もう何をやったところで無駄だろ? 釈明も自己弁護も言い訳も、何の意味もないさ」
斜に構えたような物言いを聴きながら、俺はふと、一昨日に交わした会話を思い出していた。綾と二人で出掛けたショッピングセンターで、綾が言っていた台詞。
──小途は知ってるでしょ? 私が打出嫌いだって。
──彼の一面を、私がどうしても気に入らない。それだけの話よ。
「そうかもしれないわね」
俺にも何となく、綾が打出を嫌う理由が分かった気がした。
「──けど私は、昔からずっと打出のそう言うところが嫌いなのよ。すぐ諦めてそんな風に見栄を張ってる奴が」
「そんなもんかね……まあ綾がどう思おうと自由だし、俺が口出すようなことでもないけど」
確かに打出は昔からずっと、物事が上手くいかなかったときに、それを諦めるのが早い奴だった。
それこそが、綾の言う「どうしても気に入らない」部分だったのだ。
とそこで、打出が何かに気付いたように、それと同時に何かに納得したように呟いた。
「──だから、少途なのか?」
「それは駄目。教えたげない」
「いや、その台詞はもう答えだろ」
「まあ……かもね」
残念ながら、二人が一体何の話をしているのか、俺にはよく分からなかったけれど。
ただ、綾が言いながら俺の様子を横目でちらちらと窺っていた気がしたことだけ、少し気になった。
しかし、その好奇心が質問の言葉という形で俺の口から紡がれるよりも、綾が真剣な表情を作って俺に向き直る方が少しばかり早かった。
さっきから台詞を遮られてばかりな気がするが、故意ではないと信じたい。
「さて、少途。答えは?」
「へ? ……ああ」
話題の転換があまりにも唐突で、綾が何のことを言っているのかがすぐには分からず、少し頓狂な声を出してしまったが、しかし普通に考えれば、綾が先程出題した設問のことだろう。
俺は答えた。
「まず、一つ目の答えは──」