救い
「……それは、違うだろ」
俺を苦しみから解放するために武器を構えた『天使』の言葉を、俺は正面から否定する。
「違う……?何が違うと言うのですか?」
金色の瞳を小さく揺らした『天使』に向かって、言葉を次ぐ。
「お前は俺を救うために生まれてきた訳じゃないだろ?お前は、お前を形造る人たちの『助けて欲しい』って願いから生まれてきたんだろ?」
『天使』は黙して俺の言葉の続きを待っている。
「だったら、お前が助けたいと思ってるのはその人達のはずだ。お前は、そのためにこんなことをしてるんだろ?」
「言っている意味がわかりませんね」
恐らく本心からそう言っているのだろう。得てして自分の事というのは、自分が一番わからないものだったりする。
俺自身も、ここに来てこの人達の言葉を聞かなければきっと気付けなかった。
「ここへは来て欲しくなかったって言ったけど、本当は逆だ。俺をここへ連れてきたかったんだ。だから俺を『この駅』に引き込んだ。殺そうと思えばもっと簡単に出来たはずだ。でも、わざと俺を取り逃がし続けた。この場所に辿り着かせるために」
「何のために、私がそんな事を?」
「聞かせたかったんだ」
端的に言い放つ。
こうしている間にも、何人もの人影が苦痛を吐露しながらホームの下に消えていく。
「聞いて欲しかったんだろ?この人達の苦痛や絶望を」
「それで、彼らが救われると?」
「そうじゃない。だけど、それがあの人達の願いだったんだ」
ここにいる人たちのことを俺は知らない。会ったことも無いし、話したことも無い。だけど、ここで声を聞いて、線路に飛び込む姿を見て、きっとそうなんだと思った。
俺は、そうだったんだと気付いた。
「ここにいる人達は、死ぬことが救いだなんて思っちゃいなかった。ただ、他の誰にも頼れなくて、誰にも助けを求められなかっただけなんだよ」
本当は違った。
死にたくなんか無かった。
「誰にも言えずに抱え込んだ苦しみを吐き出して楽になりたかったんだ、誰にも話せずに背負い込んだ思いをぶちまけて自由になりたかったんだ。自由に生きたかったんだ」
……そう、生きたかったんだ。
「もう、結構です」
長々と俺の言い分を聞いていた『天使』は静かに言葉を発した。
「あなたが、この方々の苦痛を語らないで下さい。わかったような口を聞かないでください」
その言葉には、明確な怒りが混ざっていた。
「私の理由を、あなたが否定しないで下さい」
漆黒の鎌を構えたまま姿勢を落とす。
「彼らは死にたくて、それでも死ねなかった。あなただってそうでしょう?」
純白の翼を広げる。
「だから、ここで終わらせて差し上げます」
今までとは段違いの速度で、ホームの端から端の距離を一気に詰めてくる。
生きるのは辛い。死ぬのは怖い。
だけど。
俺は、もう逃げない。
猛スピードで飛来する『天使』に向かって、俺は体ごと突っ込む。
俺の方から向かってくる事など予想していなかったのだろう。距離を見誤って大きく鎌を振りかぶった『天使』の隙だらけの鳩尾へ肩からぶつかっていく。
それでも相手の力に敵うはずもなく、後方へ大きく転がされてしまう。
しかし、『天使』の方も大きくバランスを崩したらしく、背中から柱に身体を衝突させた。硬い柱に罅を入れる程の衝撃だったが、あの『天使』がこの程度でどうにかなるとも思えない。
動き出す前に、次の手を探さないと。
今にも砕け散りそうな全身に喝を入れて、立ち上がらせる。
その俺の視線の先で、高校生くらいの少女が口を開く。
その言葉に自然と耳を傾けてしまう。
「生きてたって楽しいことも無いし、もう意味なんか無いよ」
そうかも知れない。
夢も希望も、才能も生き甲斐もない。この先もずっとそうかも知れない。
生き続けることに意味なんか無いのかも知れない。
「私には、生まれた意味なんか無い。生きてく理由なんか無い。死んだって、悲しむ人なんかきっといない」
そうかも知れない。
自分の生きたいようになんか生きられず、他人に必要ともされていないかも知れない。
こんな人生は、自己満足以下かも知れない。
「生きてたって、辛くて悲しくて苦しくて痛いだけだよ」
「そうかも知れない」
一歩を踏み出そうとした少女の肩に俺は手を乗せる。
驚いたような表情を浮かべ、彼女は俺の顔を見つめた。
「人生なんて、辛くて悲しくて苦しくて痛いことばっかりかも知れない。それでも、俺達は死なない」
少女の体をそっと横へ退けて代わりに俺が前に出る。
「それは、死にたくても死ねないからじゃない」
背後で、『天使』が膝をついて起き上がるのが分かった。バサリと翼を蠢かせる。
俺はもう一歩大きく踏み出す。その一歩で地面を蹴り出し、肉体を前に放り投げる。
「そうまでしてでも、生きたいからだ!」
大きく跳躍した体は線路を超えていく。後ろからは空を駆ける『天使』が急速に距離を縮める。
そして、その体は横合いから走り込んできた通過車両に攫われていった。
着地に失敗した俺は冷たい金属の上を転がる。身を起こし、後ろを振り返るが、車両も『天使』の姿も見えない。
「どう……なったんだ?」
その問いに答えるように、ピキリ、という音がどこからか聞こえた。それはすぐ近くからのような気もたし、どこか遠くからのようにも聞こえた。
そして、ガラスが割れるような、或いは世界そのものが砕け散るような音が続き、視界は白に埋め尽くされた。
*
次に俺の意識が戻った時、俺はホームの上で尻餅をついていた。
その状況は『天使』が出現したときと似ていた。しかし、そこに『天使』の姿はない。
「戻って……来たのか?」
周りを見渡そうとして、
「痛ッ……!」
左腕の痛みに意識を持っていかれる。どうやら『向こう』で負った傷はそのままらしい。
「まさか、こんな結果に終わるとは思いもしませんでした」
突然意識に割り込んできた声に、思わず体を震わせる。
『それ』はいつの間にか目の前に現れていた。
「安心してください。今ので殆どの力を失ってしまいましたので。しばらくは鎌の顕現も出来ません」
言葉通り、あちらも無傷ではないようで、翼も傷だらけになっており黒い鎌もその手には持っていない。
本当に敵意を向けるつもりもない様子で彼女は質問を投げかけてきた。
「あなたは最後に、『人生は辛くて苦しいことばかりかも知れないけれど、それでも生きているのは、そうまでしてでも生きたいからだ』と言いましたね」
「ちゃんと聞いてたのか」
改めて他人の口から言われると少し恥ずかしい。
「何故……ですか?」
自分で言ったことながら、はっきりとした理由や根拠がある訳じゃない。
曖昧な自分の想いを言語化するための言葉を手探りで探す。
「だって……自分で望んだ訳でもないのに、こんな世界に産み落とされて、誰にも望まれないまま死んでくのなんて、あまりにも救われないだろ?」
そんなの、死んでも死にきれない。
すっかり殺意の削ぎ落とされた金髪の少女は納得しかねる、とでも言いたげな表情を浮かべる。
それに、と俺は付け足して述べる。
「多分、信じてみたいんだよ。辛くて苦くて絶望ばっかりのこの世界にも救いがあるってことを。いつかそれを見つけられるってことを」
呆れたのか、諦めたのか。
彼女は小さくため息を吐いて呟いた。
「全く、つくづく救われませんね。人間という生き物は」
そして僅かに俯き、本当に消え入りそうな声で、
「結局私には……誰を救うことも出来ませんでしたね」
それでも確かに聞こえたその声に、俺は応える。
「そうでもないさ」
返答があったことに驚いたように顔を上げる。
「少なくとも俺は、お前にちょっとだけ救われたよ」
一瞬、目を丸くして俺を見つめた『天使』だったが、ほんの微かに表情を綻ばせた。
「そうですか」
良かった、と彼女は言った。
「それなら私も、少しは救われます」