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懲役25年  作者: やわか
2/5

命の鎖

 自身を『天使』と称したそれは、こちらに向けたままにしていた大きな黒い鎌を両手でゆっくりと振り上げながら言葉を紡ぐ。


 「なるべく恐怖や苦痛を感じさせないように、と思っていたのですが。こうなってしまっては仕方ありませんね」


 何が、と問う前に『天使』の言葉が続く。


 「せめて、それらを感じる時間が短くなるように」


 頂点まで振り上げられた得物がゆらりと動く。


 「一瞬で終わらせて差し上げます」


 あらゆる光をも吸い込んでしまいそうな漆黒の鎌が、尻餅をついたままの獲物の首を正確に狙って放たれる。


 「ッ……!」


 反射的に身を屈めていなければ、今頃俺の首は胴体から切り離されて無機質な地面を転がっていた事だろう。

 遅れてその現状に頭が追いつき、心臓を握りつぶさんばかりの恐怖が喉を一瞬で干上がらせた。


 「なッ……あ……!?」


 「わかりますよ。死ぬのは怖いですよね」


 空を斬った鎌の感覚を確かめるようにその先端を見つめながら、あくまで淡々と言葉を紡ぐ。


 「ですが安心してください。私が、すぐに解放して差し上げますからね」


 「ざ……ッ!?」


 ふざけるな、たったそれだけの言葉すら上手く出てこない。

 相対することを放棄して立ち上がろうとしたのを見逃さず、『天使』は素早く追撃の刃を振り下ろす。

 またしても俺の首に吸い寄せられるように迫る漆黒を、のたうつように地面を転がってかわす。金属とコンクリートの衝突する冷淡な音が背後で響いた。

 転がった勢いのまま、取り落した鞄を拾いもせずにふらつきながらも立ち上がり、地面を蹴る。

 振り返らずとも迫っていることがわかる、明確な死の気配。

 足をもつれさせた事が功を奏し、体勢を崩した俺の頭上を死の爪痕が削る。

 あの華奢な体のどこにそんな力があるのか、俺の体を刻み損ねた刃が地下空間を支える柱に突き立った。それを抜き取るのに僅かに手間取っている間に少しでも遠くへ、と足を無理やり前へ押し出すように走る。

 一刻も早くこの駅から逃げ出すために前方に伸びる階段を目指す。

 僅かながら距離を開けたはずの死の気配は小さくなるどころか、急速に大きさを増す。

 階段に差し掛かったあたり、背筋を凍らす悪寒に堪らず後ろに視線を投げると、『天使』が翼を広げて空中を滑るようにしてすぐ眼前に迫っているのが目に入った。


 「ひ……ィ……!」


 思わず身を引いた俺は段差に足を取られ後ろ向きに倒れる。



 ガギィィィィィィィィィィィィィィィィン――――――!



 目の前を通過した黒の刃が白銀の手すりに衝突して、長く尾を引く甲高い金属音を無人の駅に響かせる。

 首の代わりに体から切り離された前髪の先がパラパラと落ちた。

 再三獲物を取り逃がした凶刃を不思議そうに見つめながら金髪の少女の姿をした『それ』は小首を傾げる。階段の段差にもたれ掛かる形の俺に刃物を突きつけ、見下ろすようにしている彼女の美しい髪が揺れる。

 鼻孔をくすぐる甘い香りさえも、これこそが死の香りなのだと本能に思い込ませる程の何かが『天使』にはあった。


 「なぜ、そうまでして死から逃れようとするのですか?」


 聞くまでも無いだろう、と反射的に浮かんだ思考を読み取ってそれを肯定するかのように続ける。


 「ええ、確かに死ぬのは怖いことでしょう。けれど、ほんの一瞬。その恐怖と苦痛に耐えさえすれば、あなたは解放されるのです」


 『天使』は囁くように訴えかける。


 「さぁ、楽になりましょう?」


 それも良いかもしれないと思った。

 少女の言葉が何の抵抗もなく脳まで届き、その言葉を否定する思考を溶かしていった。

 このどうしようもない人生を、自分では手放すことも出来ない命を、彼女は終わらせてくれる。

 抵抗する理由なんてどこにもない。


 ゆっくりと、少女のか細い腕によって闇より黒い鎌が頭を持ち上げる。

 今度こそ俺の首を確実に刈り取るために、刃は頂点へ向かっていく。

 最大まで振り上げられた刃が降り落ちる直前、蛍光灯の光を受けた漆黒が刹那煌めくのが見えた。

 その続きを認識するよりも速く、『天使』の一撃が俺の首と胴体を分かつ。



 ――はずだった。



 気付けば俺は体を横に反らせて、間一髪の所で命にしがみついていた。

 石の階段と昏い色の金属がぶつかり合う渇いた音が虚しく虚空を震わせる。

 視線だけをこちらへ投げた『天使』は、理解できない、と言った表情で目を瞬かせた。

 残念ながら、まだそう簡単には死なせて貰えないらしい。


 「ああ、くそッ!」


 結局本能に根負けした俺は、体勢を立て直す前の無防備な『天使』の腹あたりに向かって蹴りを入れる。

 余程予想外だったのか、その体は驚くほど呆気なく階段を転がり落ちていった。

 その隙に一気に階段を駆け上がり、突き当りを右に折れる。

 階段の代わりに翼を使って背後に現れた『天使』が勢い余って壁の広告に凶器を突き立てるのが見えたが、構わず走り続ける。

 改札を通って駅の外に出られれば、いくらでも助けを呼べる。

 水を開けたはずの『天使』は空間を割るかのような速度で既に俺の背後に。

 ゾッとして思わず倒れ込むように地面に伏せる。

 飛来した『それ』は俺の真上を行き過ぎ、その先の着地点との摩擦でスピードを殺しながら後方を向き直る。

 姿勢を低く構え、翼を広げる。

 咄嗟に体を横に転したのとほぼ同時に、俺がいた場所に純黒の牙が突き立つ。

 一瞬でも気を抜けば次の瞬間には命は無い。

 その恐怖と緊張感で、心臓に針金でも巻き付いているみたいな息苦しさを感じる。

 体中の震えを抑え込んでそのまま立ち上がると懲りもせず足を前へ。向かってくる脅威に狙いを定めさせないために不規則に蛇行を繰り返し、なるべく柱などの障害物の陰に入るようにしながら改札へと走る。

 相手が真っ直ぐに首を狙ってくる以上、タイミングを誤りさえしなければ避けることは不可能じゃない。

 分かっている。

 分かってはいるが、死の鎌が肉体を掠めながら駅構内を砕く音が心の余裕を削り取っていく。

 駅自体が軋みを上げるように蛍光灯の明かりが明滅する。

 綱渡りのような感覚で命を繋ぎながらひたすら出口を目指した。

 うんざりするくらいに通い慣れた駅から改札までの距離が嫌に長く感じた。

 だがそれも今は目の前。

 ポケットから取り出した電子定期を改札機にかざすが、反応がない。


 「嘘だろ……!?」


 入場した駅と同じ駅から出ようとしているせいか?

 いや、それでもエラーすら出ないのはおかしい。

 そんなことを考えている間に、『天使』に追いつかれる。

 半分転ぶようにして地面を転がって攻撃を躱す。


 そうだ、駅員……ッ!


 いくら何でもこの状況を見て何もしないのはどうかしている。

 俺は駅員が座っているはずの、改札の横にある小さな部屋に視線を投げる。

 そこに人影は見えない。

 まだ終電が残っているのに駅員がいないなんて事ありえるのか!?

 そもそも、ここに来るまで誰の姿もなかった。

 これも『天使』が何かしてるせいだっていうのかよ!?

 追撃を止めない『天使』の凶刃をくぐるようにしてすれ違い、破れかぶれに改札を乗り越えようとするが、見えない何かに阻まれるようにその先へは進めない。

 何が何でも俺をここから出すつもりは無いらしい。

 素早く反転して駅構内へ行き先を変更する。横薙ぎの一閃が改札機を貫いた。

 アテがある訳じゃないが、このままここにいても殺されるのを待つだけだ。

 とにかく動き続けないと。

 『天使』の視界の外へ逃れられるまで。

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