9.敵対者の本音
音を立てて酒場の扉が開かれる。
随分と乱暴な動作だった。
高級な革靴を踏み鳴らして入ってきた人物は、粗野に振る舞いながらも、見るからに上流階級の雰囲気を纏っていた。
特徴的な赤毛は、まだ私の記憶の中では新しい。制服姿じゃないせいか、ますます大人びた印象を受ける。
「……お前ら、なんで」
酒場のカウンターに私とギル君の姿を認めると、彼――ユーハ君は思い切り表情を歪めた。
「本当に……ユーハ、この店の常連、なんだ。よく知ってたね、先生」
「まーねー」
「な……」
唖然としているユーハ君に向かって、私は勝ち誇ったようなドヤ顔を向けた。ふふん、これが前世持ちの優越だ。
っていうのはまあ冗談だけど、乙女ゲームの知識でユーハ君の行きつけの酒場を見つけ出したのは事実だった。家庭の事情で自棄になって入り浸る彼を、ヒロインちゃんがしつこく、もとい、親身に通って諭すシーンがあったんだよね。
「昼間はどうも。でもねユーハ様、わたくしからそう簡単に逃れられるとは思わないことよ」
「先生……」
なんてね。
悪乗りをして、それこそ悪役令嬢っぽくホホホと笑ってみせた私を、ギル君が醒めた目で見ていた。いや、すまんて。
「ちッ」
ユーハ君は舌打ちひとつで不快感を露わにする。
でも背中を向けて逃げようとはしなかった。
観念したのか、プライドのためか。どちらでも構わない。私は店の奥に彼を促した。ちょっと値は張ったけど、もしユーハ君が来たら落ち着いて話ができるよう、人払いできる半個室を用意してもらってたんだ。経費で落ちるといいなぁ。
奥の座席はゆったりとした広さがあった。背の低い卓を挟んで、ユーハ君と正面から相対する。ギル君は私の隣に並んで座った。
蒸留酒の瓶と杯と軽食の皿が運ばれる。
しばらくの間、沈黙が続いた。
やがて耐えられなくなったのか、ユーハ君が少し癖のある赤毛を気だるげにかきあげて、大きく息を吐いた。
「……で?」
不機嫌極まりない声が酒杯の水面を揺らす。
「何が知りてェんだ? 学園の犬」
意外と堪え性のない子なのかな。
見た目通りに大人びていたらもっと駆け引きとか使いそうだけど、十六歳の少年なんてこんなもんか。
乙女ゲームでは家庭環境が良くなくて捻くれてる設定とはいえ、所詮は貴族の坊っちゃんだしね。何やかやで甘やかされて思い通りに生きてきたんだろう。
「そんな風に仰るからには……やはり、ユーハ様はあの日、ローゼ様とお会いになったのでしょう?」
ほぼ確信を持って、私は尋ねた。
いくら犬猿の仲でも昼間の態度は妙に過剰だったから、最初から疑っていたのだ。後ろめたさを誤魔化すためと考えれば合点もいく。イコール即犯人と断定できるかはさておき。
「……だから、どうしたよ」
ユーハ君は吐き捨てるように認めた。
「まさかこの俺がローゼを殺ったとでも言うつもりか? 未だに手掛かりも掴めてねェくせに、濡れ衣でも着せるか、無能教師が」
「それはユーハ様の発言次第でしょう」
乱暴な物言いにも怯まずに、私は正面からユーハ君を見据える。
「事実だけを語ってください。判断はその次に」
「……ちッ」
脅しとも取れる私の科白に、ユーハ君は予想通り反発を示した。
「ざけんなよ」
「もしやユーハ様には、ローゼ様の殺害犯が明らかにされては都合の悪いご事情でもおありで?」
「何だと?」
おやおや、質の低い挑発のつもりだったけど、乗っちゃうんですか。ちょろいな。
正直なところ美形顔で思い切り凄まれて、内心ちょっとビクついてはいる。でも相手が想定より感情的だったせいで、私はまだ落ち着いていられた。
「こちらを、ユーハ様」
勿体ぶった感じで、私は先程ギル君から貰ったメモをユーハ君に差し出した。
「わたくしも情報をお渡ししましょう」
「……あざといな」
「本当は貴方も決して、無関心ではなかったのだと思いましたので。違いますか?」
これは私の勘だったけれど、ユーハ君の反応から正しかったと判断する。
だってそうだ。本当に何の感情も抱いていなかったら、嫌味も言わないし怒ったりもしない。非協力的な態度すら取らないだろう。
複雑な感情を幾つも噛み潰すように端正な相貌を歪めて、ユーハ君はメモを受け取った。
とりあえず取引は成立、かな。
「この内容は事実か?」
「ええ一応。各人の証言の通りですが?」
「……解せねェな」
「? 何か不審な点でも?」
訝し気に形の良い眉を顰め、ユーハ君はメモをじっと見つめる。何だろう。何が引っ掛かってるんだろう。
「お前はずっと裏庭にいたのか、ギル?」
「そうだけど……?」
ユーハ君は当日のギル君の行動を確認する。
「連れのことは書いてねェな。ずっと二人でいたのか? お前がひとりになった瞬間はなかったか?」
「ああ、別れたのは……五時の鐘が鳴ったちょっと後、だよ。それまでは一緒にいた。そんなの……わざわざ書く必要なんて、ある?」
「片手落ちだろ」
「何も語らないユーハに、言われてもね」
自分の記録に文句をつけられ、ギル君はあからさまに不機嫌になる。
「だいたいユーハは……いつ、ローゼに会った?」
うわあ、またしてもギル君の声が剣呑だ。
まったく、どうしてこの子は普段おっとり話すくせに沸点が低いのか。
「五時の鐘が鳴ったとき、本当はユーハが美術室にいた……としても、不思議じゃない、よね?」
「どういう意味だ?」
「……ユーハ様、実は」
私はギル君が口を開いて余計な発言をするより早く、慌ててユーハ君に暴露した。
「最後に生前のローゼ様を目撃したのは、どうもルッツ様らしくて。その後、シオン殿下が遺体を発見されるまでは、ほんの僅かな時間しかなかった」
「それが……五時の鐘、か」
ユーハ君は察しが良かった。
こちらの言外の意図を、少しの誤差もなく把握する。さっきはすぐ感情的になる方かと思ったけど、本当は空気読めるタイプなのかもしれない。
そりゃそうか。じゃなきゃ、女の子にあんなにモテないよなー。
「ルッツが最後にローゼに会ってんのか」
「いえ、直接は。美術室に鍵を掛けて籠られていたそうで」
「鍵を?」
「と、聞きました」
うん、疑問はわかるよ。
そのローゼ嬢の行動はめっちゃ不思議だよね。
さらにバルコニーに出ていたところを隣の教室からルッツ君がチラ見しただけ、と聞いた話を説明すると、ユーハ君もますます不審がった。
「あんたはどう考えている?」
「……憶測ですが」
「ルッツ様が訪ねたとき、やはり美術室にはローゼ様以外の方がいらっしゃったのでしょう。そして、その人物が鍵を閉めた」
情報を開示せず尋ねるだけの相手に答えるのは正直不本意だったが、成り行き上致し方ない。
でもさぁ……やっぱりこっちばっか手の内を見せるのも癪だよね。
「……貴方ですか、ユーハ様?」
「何?」
「違うと仰るなら、わたくしを納得させてくださいな。現時点で最も怪しいのは――貴方です」
「……」
鋭くなった眼光が、攻撃的に私を見据える。ユーハ君は牽制するかのように鼻を鳴らした。
「ふん……最初っから俺を疑ってたつゥのか?」
「だとしたら?」
「見当違いも甚だしいぜ」
渡したメモを二本の指で挟んで、ユーハ君は失笑する。こちらの追求など意にも介さない、と殊更見せつけるように。
「事実を話せと言ったな? いいだろうよ。俺は……俺が美術室でローゼと会ったのはこの時間だ」
メモは一瞬でひらりと卓上に置かれた。
細い長い指が一点を指す。
私は指した先を凝視する。
そして――そのままギル君が書いた流麗な字を、声に出して読んだ。
「四時半前、『不明』……」
「俺はカイトよりも前に美術室に行ってる。つッても、カイトがその後に来てたなんて今日初めて知ったがな。ローゼが殺された……と思われる時間には本校舎に戻ってたさ。まあ信じる信じねェは勝手だが」
「カイト様の前の、来客……」
「あァ、俺だ」
「旧校舎で他の方にはお会いになってませんか?」
「いや」
「そうですか……正門と裏門とどちらを使いましたか?」
「正門だ」
「……行きも、帰りも?」
「どっちもだ。裏門の方には行ってねェよ」
「それに俺が五時頃に本校舎にいたってのは、多分証明できるぜ? 他の生徒と顔合わせたりしてるからな。探せば誰かしら証言してくれるさ」
「そう……ですか」
メモに書かれた時系列を見ながら、私は足りない脳をフル回転させる。
今まで謎だった空白の時間が埋まったし、現時点ではユーハ君が潔白らしいこともわかった。
それはいい。ある意味スッキリした。
でも……でもさ。
「でも、ユーハ様はどうして……いえ、貴方はあの日、わざわざ美術室に出向いて、いったいローゼ様とどんなお話をされたのです?」
「……別に、大したことじゃねェ」
ユーハ君は再び舌打ちをして吐き捨てた。
「あいつ……ローゼがオリーブに嫌がらせをしてたのは周知の通りだ。やり過ぎだ、つッて止めようとしたんだよ」
「オリーブさんの……ため?」
「ああ」
即答したユーハ君は、けれど少しも甘さの含まれない声音で続けた。
「ローゼの奴は……オリーブの大切にしていた腕輪を奪ったのさ。明らかにやり過ぎだった」
「腕輪? と仰いますと……確か前日にオリーブさんが調理室に置き忘れたものでは? 回収したカイト様からも、そのようにうかがっておりましたが?」
「あァ、そいつは嘘だ」
赤い髪が左右に揺れる。
まさかオリーブ嬢の忘れ物が話に絡んでくるとは思わず、私は首を傾げた。
「嘘?」
「オリーブとカイトがあんたに隠し事をしたってだけさ。新参の教師に生徒が内情を全部バラすとでも思ったか?」
「ええ……そう、ですね」
言われてみれば至極尤もだけど、微妙にショックだ。見た感じ純粋そうなオリーブ嬢やカイト君が、そんな平然と嘘を吐けるものなのか。
「オリーブと、カイトが……嘘を?」
ギル君も意外そうに呟いた。
「お前も知らなかったのか、ギル? 存外信用されてなかったんだな。妙にこの教師とつるんでたからだろうが……」
「僕は、先生を……信用してる」
「利用じゃねェのか?」
「冗談……でしょ」
またしても一触即発の雰囲気だ。
お互い警戒し過ぎて態度が刺々しい。
「まあ教師と生徒という立場から考えれば仕方のないことなのでしょうね。それで……結局のところ、ユーハ様はローゼ様を説得できたのですか?」
こほんと咳払いをして、私は話を元に戻す。
「そもそも、いったいどういう経緯でオリーブさんの私物がローゼ様の手に渡ったのでしょう?」
「どうということもねェ。事件の前日、調理室に行ったオリーブは作業のために腕輪を外した。そいつを……隙を見計らって、ローゼが盗ってったのさ。腕輪は身内の形見だって話だし、嫌がらせにはうってつけだろうよ」
強奪現場以外の一部始終を目撃していたのだろうユーハ君は、淀みなく続けた。
「最初はオリーブは自分の不注意で失くしたと思って落ち込んでいた。翌日、以前から挙動の怪しいローゼをカイトが追求したら、故意に隠したとすぐ白状した、つゥ訳だ」
ふ、と嘆息をすると、ユーハ君は背もたれにぐっと寄り掛かって、大仰に足を組んだ。顎は引かなかったので、顔がやや店の天井に向けて傾く。
揺れる視線は遠く、取り戻せないあの日に寄せられているような気がした。
「ローゼはやり過ぎた」
「口で嫌味を言うだけなら兎も角、底意地の悪ィ貴族連中ばっかの学園内で下手な真似をすれば、いくら王家筋のお姫様でも罪を追求されるさ。表立っては裁かれなくとも品位に欠けると非難されるだろ。だから」
「ユーハ……様?」
愁いの表情は誰に対してのものだったんだろう。私は違和感を拭い切れずに、思わず眉根を寄せる。
だって、意味がわからない。
ユーハ君の言ったことを文字通りに捉えたなら、それは今までの解釈とは全然逆の意味を持ってくる。
「もしかして――」
我々は勘違いをしていたのかもしれない。
彼らは……ユーハ君とローゼ嬢は幼馴染でありながらもお互いに犬猿の仲で、学園内で反目し、牽制し合っている。これまでの話から、そう思い込んでいた。
――それこそが嘘なのか。
「貴方は元から、ローゼ様の敵対者ではなかった。そうなのですね、ユーハ様」