7.旧校舎を辿る
さて、例の乙女ゲーム内で――殺されたローゼ嬢は、どの攻略対象者のルートでもヒロインを目の敵にしていた。
シオン王子のルートでは、ローゼ嬢は最も正統派の敵として立ち塞がる。度重なるイジメの描写は過酷を極めた。
学園中を巻き込んでシカトしたり、重要な授業に出られないよう監禁したりは当たり前、私物の破損も普通にやっていた。暈してはいたが、飲食物への異物混入どころか所謂ミミズジュースみたいなドン引きものもあった。
物理的な攻撃がハードなのは、このルートが基本で本命だからだと思われる。
続いてカイト君のルートでは、ローゼ嬢は当初は飽くまで実姉として、跡取りの弟に馬の骨を近寄らせまいと邪魔立てする。
恋敵よりマイルドかと思いきや、見下していた腹違いの弟の反抗が神経を逆撫でして、派手にぶつかり合うことになる。姉弟の父親である大公まで担ぎ出して、ヒロインを学園から追い出そうと圧力を掛けていた。
こちらのルートは教師陣を経由してテストや進級の妨害をするような、権力的嫌がらせが多かったと記憶している。
立場を盾にすると言えば、ユーハ君のルートもそうだ。
ただしカイト君のときのような家の力ではなく、学園を統率するべき王子の婚約者としての立ち位置から、ローゼ嬢はヒロインと関わり合う。どちらかと言えば、悪役令嬢というより風紀委員に近い。
ユーハ君自身が女子生徒を弄び学園の規律を乱すこと著しいとして糾弾されていたところを、ヒロインは殆ど巻き込まれる形で目を付けられ、疎外されていく。
不貞の子かもしれないという出自が原因の女性不信のユーハ君に対し、ヒロインは理解者となり孤独に寄り添った。逆にローゼ嬢は正論しか言わず追い詰めるため、両者は激しく敵対していくのだ。
ヒロインだけでなく攻略対象者ごと敵と見なされるのはギル君のルートも同じだが、ちょっと毛色が変わっている。外国の出身に加えギル君自身が性格がわりと独特だったせいもあり、ローゼ嬢は未来の王子妃の立場からなのか、得体の知れない隣国王子に反発的だった。だから彼に近づくヒロインの行動を利敵行為に類するものと糾弾するのだ。
友好国じゃなかったのか、と突っ込みたいところだが、攻略後の駆け落ちエンド以降は両国の間で戦端が開かれるのだから、まったく笑えない。
ただ、ヒロインの母方が隣国王家筋という裏設定があったとも聞くので、実はローゼ嬢の疑心の方が正しかったのかもしれない。
そして残るはルッツ君のルートである。彼自身はヒロインと出会うまで、ローゼ嬢に対しては主筋の未来の伴侶ということもあり、わりと優しく献身的に尽くしていた。護身術の師匠と弟子的な関係でもあった。ヒロインがルッツ君と親しくなると、彼女も体術に興味を持ち習うようになる。自分より後から弟子になったヒロインの方が素質があり目を掛けられたため、ローゼ嬢は殆どやっかみで嫌がらせをするようになる。
正直途中から恋愛物というよりスポ根モノになっており、イマイチ不人気なのだが、ヒロインとローゼ嬢が(何故か)肉弾戦で闘うミニバトルゲームがあって、わりと完成度が高かったのだけは印象に深い。
それでは――今の現実は何なのか?
いったい誰のルートなのだろうか。
もちろん、何もかもを乙女ゲームの因果だと思いたくはない。しかし、事実としてひとりの人間が死に、複数の人間が心を痛めている。
金木犀の散る頃に、誰が何を見て、誰が何を思ったのか。すでに登場人物外とは言えないほど関わってしまった今――私はそれが知りたかった。
◆ ◆ ◆
私たちは事件の現場である旧校舎に来ていた。
ええ? 突然なんでかって?
成り行きですよ。私が知りたいですよ。
すべてを暴露しろと迫った私に対して、ルッツ君は慎重極まりない様子で、寮の中庭では話を続けることはできないと拒否してきた。
じゃあどこならいいんだと、諦め半分で尋ねたら――実際にあの日を説明するなら、同じ環境しかあり得ないと回答を得たのだった。
旧校舎は現在、立ち入り禁止なんだよなー。
そこはそこ、別に物理的な障害がある訳ではないので、こっそり侵入してしまえばいい。バレたら私の教員生命が超ヤバイんだけどさあ。
「いや、本当に内緒だからね? 私だけなら兎も角さぁ、生徒三人も連れていったと知られたら、馘首じゃあ済まないんだから」
道中で生徒たちに念を押す。
ルッツ君はもちろんのこと、ついてきたギル君もオリーブ嬢も、つい素に戻ってしまった私の剣幕に負け、反論せずこくこくと頷いた。
さて、我々は裏門から旧校舎に入るルートで進んでいた。事件の当日のルッツ君の行動を辿っているからだ。
「ルッツ様、あの日……旧校舎に行く途中は誰にも会わなかったのですか?」
「いや」
「何故裏門から?」
「特に理由はないが……俺は基本的に正門よりも裏門側をよく使う。何となくだが通る人間が少ない分歩き易い気がしてな。あの日もそうだっただけだ」
「ちなみに何時頃?」
「確か……本校舎を出たのが授業が終わってからだから、四時半過ぎくらいだったと思うが」
「なるほど。旧校舎までは男性の足でも十五分程度はかかるはずです。では、おおよその時間は……」
四時半というと、弟のカイト君がローゼ嬢と会っていた時間帯だ。その時間、ギル君は裏庭にいたとわかってるけど、シオン王子やユーハ君が旧校舎内にいたかどうかは定かではない。
美術室にはカイト君より以前の来客――という存在があったらしいけれど、ルッツ君は行き帰りでその人物と互いにすれ違ったりもしていない訳か。
だとすると……?
喉元に何かが引っ掛かる。疑問の正体に悩むうちに、裏門が見えてきた。
あの日と変わらない――。
どきどきしながら、重厚な門の鍵を開ける。
事件以前にこの門が日中閉まっていることはなかった。そう、誰もが出入り自由だったのだ。
裏門を入ると、真っ直ぐ正面を少し行ったところに旧校舎の裏口がある。歩いていく途中の右側に中庭があった。
まだ一月しか経っていないので、無惨に荒れ果ててはいない。けれど今までは、もっと美しく細やかに手入れされていたと思う。
裏庭の奥に位置する金木犀はすでに花をつけていない。この一月で見事に散り切っていた。
「ユーハ、言ってたけど……ルッツが僕を見た、って。あそこの、金木犀の樹のところで」
「ああ……門を入ってすぐ気づいた」
自らの双眸をすっと細めて、ギル君がやや離れた金木犀を眺める。あの場所に他人がいたとして、正確に誰だか特定できるだろうか。
ギル君は挑発するように口端を上げた。
「僕は確かに、四時頃……四時過ぎくらいから一時間くらい、あそこにいた。でも逆にルッツが通ったの、全然気づかなかったよ」
「何が言いたい?」
「別に。ただ、裏庭を見たの……本当に裏門のところから、だった? 旧校舎内の教室の窓からでも、見えるよね」
「俺が偽ってるとでも?」
「ま、まあまあギル君」
妙に険悪そうな、一触即発の雰囲気を押し止めるべく、私は割って入った。
「本当か嘘だとか、そういう検証は後でいいの! 今はちゃんと彼の話を聞きたい。だいたい頭っから疑ってかかるなんて失礼だよ」
「……」
叱責された子どもみたいに、ギル君は無言で顔を逸らす。まったく、この未熟者めぇ。
「ごめんなさいねルッツ様、話の腰を折って。貴方は……裏門を通った際に、裏庭の金木犀の傍でギル殿下がオリーブさんと思しき生徒と一緒にいるのを目撃した。で、よろしいのですね?」
無理矢理まとめて問い掛けると、ルッツ君は嘆息ひとつを置いて頷いた。
「まあ、その通りだ。確かに多少距離はあるが、制服だけでも男女二人だとすぐわかった」
「なるほど……」
学園の制服はインナーとパンツないしスカートは白を基調としていて、ジャケットの色は男子と女子で異なる。男子が濃紺で女子が赤だ。正直、二次元のデザインだから実物大だと結構ダサい。
恥ずかしながら前世を思い出す前の学生の頃は、貴族的お洒落デザインだと信じていたんだよなぁ。現役の学生さんには悪いけど、今着るなら罰ゲームとしか言いようがないよ。
「ギルは学園でもひとりしかいない特徴的な銀髪だから、間違いようがない。黒髪の女生徒はオリーブの他にも少しはいるだろうが、髪の長さや背格好を見れば明らかだった」
「そう……でしたか」
「こちらの方はギルたちの目には止まらなかったようだし、否定されても証拠はないがな」
「ルッツ先輩、私は」
「オリーブさんも、とりあえず待って。ルッツ様の話の続きを聞きましょう?」
そこでオリーブ嬢サイドの主張まで展開し出したら完全に話の収拾がつかなくなると判断して、私は一方的に制止する。どうして若者は他人の話を最後まで聞こうとしないかな。面倒臭い。
「兎も角……その、二人と思しき人物を目撃をされた後、ルッツ様は裏口の方から旧校舎の中に入った訳ですね?」
「……もうひとつ、見たものがある。いや、もうひとり見たと言うべきか」
「えっ?」
「もうひとり? 裏庭に?」
急にルッツ君から新しい情報が齎され、私は困惑気味に聞き返した。
「いいや、違う」
「と、仰ると?」
ルッツ君は否定すると、不意に腕を上げて旧校舎の上方を指で指し示した。金木犀の樹よりも高い位置――遠目にベランダ的なもの(屋根がないからバルコニーの名称が正しいかも?)が見える。
「まさか四階の……美術室の?」
「そうだ」
眉間に皺を寄せるように顔を顰めたルッツ君は、少し視力が弱いのかもしれない。あの日もそうやって誰がいるのか確認したのだろう。
「露台に立っていたのは……ローゼだった」
「ローゼ様が?」
「ああ、手摺に手を置いて真下を……金木犀のところにいる二人を見ているようだった。多分、俺の方にまでは気づいていなかった」
「ローゼが……見てた? 僕らを? なんで?」
ギル君は珍しく少し動揺していた。
まあ覗かれてたようで落ち着かないのはわかる。
「さてな。俺はそれからすぐに校舎内に入った」
「声、掛ければ……良かったのに」
「そんな雰囲気だったか? お前は俺にもローゼにも気づく様子はなかった。まったく、盲目にもほどがある」
「……煩いな」
「ちょ、どうどう」
「とりあえず! では当時と同じように校舎の中に入りましょう!」
また言い合いになっても困る。
私は再び二人を制して、敢えて室内に入るよう促した。
四人揃って裏門から校舎の裏口まで進み、小さな鍵を取り出した。門のそれとは違って安普請だ。
扉を開くと、むわっとした湿気が肌に不快感を与えた。閉め切られた建物の内部には淀んだ空気が溜まっていた。
裏口を入ってすぐに階段がある。対角の正面入り口と構造は変わらない。
「ルッツ様は……それから、どちらに?」
「わかっているだろう。美術室だ」
「特に他の教室には寄らず?」
「ああ」
薄暗がりの中、私は生徒たちの先頭に立って四階までの階段を上り切った。人気のない室内というのもあるけれど、今日は曇り空で陽射しが弱いから、一層雰囲気がどんよりしている。
尤も、事件が起こる前からそんなに賑やかでもなかったから、空気が重いと感じるのはただの先入観だろう。
廊下は建物の中心を通っており、両サイドに教室がある造りだ。廊下の両端はそれぞれの階段で、一階だけは角側を大きく取って、出入り口に接している。正階段と裏階段は廊下を突っ切って行くと大した距離じゃない。
幅が狭いせいか教室の壁に圧迫されて、歩いていると妙に閉塞感がある。
自らの負の気分に急かされて足早に歩を進めた。裏階段から正階段側に真っ直ぐに移動する。
やがて美術室の扉が見えた。
「あの日――ルッツ様はこちらを訪れた」
「ああ……こんな風に」
ルッツ君は拳を握ってノックの真似事をした。
「扉を叩いたが、反応はなかった」
「いなかった?」
私は教室の鍵も解錠する。
これは一本で全教室を網羅するマスターキーなんだよね。この学園は外部に対してとは逆に、中のセキュリティが甘過ぎる。
美術室の中は灯りもなくカーテンもしっかりと閉まっていた。疎らに置かれた画材道具は当時のままだろう。
私たちは内側には立ち入らず、部屋の風景をただ眺めた。
「いたのだとは思う。だが返事はなかった」
「外に……まだ露台にいたので気づかなかった?」
「かもしれない。ただ……」
「扉は内側から鍵が閉められていた」
「え……」
それはちょっと……不審だ。
当然、私の脳裏にはある可能性が浮かぶ。
「まさか、そのときにはもう」
「それはない」
やけにはっきりと、ルッツ君は断言した。さすがに物騒な想像をするには早合点に過ぎただろうか。
「あ、そうか。ルッツ様はその時点で、ローゼ様の生存を間違いなく確認されたのですね?」
「ああ。……いや」
「どっち?」
おっと、いけない。矛盾する返答についイラッとしてしまったじゃないか。
生徒相手に遜るの本当に面倒だわ。
「失礼。続けてください」
「……しばらく扉を強く叩いたが、ローゼの返事はなかった。俺は隣の空き教室に行ったんだ」
「つまり、隣の教室からローゼ様がいらっしゃるのを直接確認した、と?」
「窓から一瞬だけだが、な。俺と顔を合わせたくなかったのか、ローゼは美術室に戻って行った。その後ろ姿を見た」
「ふむ……」
私は考える。
即ち――そのときまではローゼ嬢は生きていたということだ。ルッツ君の話が真実であれば。
「その後は……?」
「そこまで避けられては、さすがに憚られた。まさか鍵を抉じ開けて押し入る訳にもいかないだろう。ローゼに会うのは諦め、元来た裏階段から戻った」
「直接お話はされていない……」
「そうなるな。ただ時間は正確にわかる。俺が最後にローゼを見たとき、丁度五時の鐘が鳴っていたからだ」
誤字のご指摘ありがとうございます