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5.ヒロインの心痛

 旧校舎には出入り口が二つある。

 一方は正門――と言っても便宜上少しだけ大きい方の門をそう呼んでいるだけで、実際には長方形敷地の東側、四隅の一角にある。

 もう一方の裏門は旧校舎の建物を挟んで対角線上の西側の角に位置する。

 校舎の正面入り口と裏口も同様の位置関係だった。なお、それぞれの門と本校舎を繋いで、別々の道が通っている。

 敷地は塀で覆われており、さらにその外側は鬱蒼とした森に囲まれていた。道と道は交差せず、間も木々や茂みが邪魔をして抜けられない。正門から裏門に移動するには、建物内を通るか本校舎に戻るかいずれかである。


 旧校舎に赴くにあたり正門ルートと裏門ルートのどちらを選ぶかは、向かう者の気分次第だった。何しろ所要時間は殆ど変わらない。敢えて言えば正門ルートの方が若干道幅が広く、名称も「正門」であり「正面」入り口なので、特に理由がなければそちらを利用するだろう。


 私は逆に裏門ルートをよく使う。

 理由を問われれば、裏門から入ると裏庭が眺められるからだ。慎ましやかな花壇があって、ささやかながら季節の花々を愉しめる。


 一ヶ月前のあの日は、金木犀が満開、いや散り始めていた。乙女ゲームのタイトルも、裏庭に植えられたこの金木犀に由来する。


 金木犀の散る頃に――旧校舎内で何があったのか。

 私の持つ虚構の知識は、果たして真相に迫る一助になるのだろうか。






 ◆ ◆ ◆



 カイト君からの聞き取りを終えた後、私たちはいったん寮のギル君の部屋に立ち寄った。

 少し情報を整理したかった。

 正直、私の頭じゃ話を聞いただけで全部把握できん。まだこれから話す相手、二人もいるし。


「ユーハ君……あとルッツ君、寮にいるかなぁ」

「……ルッツはいない、と思う。いつも鍛練に行ってて、帰宅遅いから」

「じゃあ、ユーハ君はいるんだ?」

「ユーハは……あそこ」


 窓際に立っていたギル君は、窓の外――くいっと下方を指し示した。中庭……かな?

 ベンチに座っている複数の人影が見えた。ギル君の部屋は四階だから、個人を判別するにはちょっと遠い。


 派手目っぽい赤毛の男子生徒がひとりと、彼を取り囲んでいる女子生徒が五人ばかし。


「む? 確か原則としては、女の子連れ込んじゃ駄目なんだよねぇ?」

「現時点では……僕は他人のこと、言えない」

「う……耳に痛いわぁ」


 当然まあ、私も叱れる立場じゃない訳で。

 そうでなくとも、あの手の女子の群れに突入するのは気が引ける。


 攻略対象者のひとり――貴族院議長の子息であるユーハ君は、要するに軟派キャラだ。

 最上学年の十六歳で、容姿は大人びた感じのちょい悪風イケメンだった気がするけど、あまり好みでなかったせいか印象が薄い。

 女性関係がだらしなさそうなのは、顔が良くてもマイナスだよね。いくらヒロインだけは他の女と差別化される展開でも、人として信用度低いじゃん。

 今も他の女の子と遊んでるようだし、さすがにオリーブ嬢と恋仲になっている様子はないと思っていいのかな。


「オリーブさん……貴女はどうする? 私は下でユーハ君に話を聞きに行くけど、オリーブさんはもう一度、シオン殿下のところに行ってみる?」

「アニー先生……」

「こんな場所で貴女をひとりにするのは、ちょっと忍びないけれど……オリーブさんだけなら、シオン殿下も抵抗なくお話ししてくれるんじゃない?」

 シオン王子の部屋は最上階の五階だから、目的が違うなら分かれた方がいいと思い、私はオリーブ嬢に確認した。


「――いいえ」


 一瞬だけ微妙に悩む表情を見せたものの、オリーブ嬢はきっぱりと首を振って否を告げた。

「私も……真相が知りたい。事件以来、明らかにシオン君はおかしいんです。もちろん婚約者のローゼ様を亡くされて、それも最初にご遺体を見てしまったのだから、精神的に負担があって当然かもしれませんけど……」

「おかしい、ねぇ。まあ引きこもりだけど、そこまで落ち込んではいなそうだったような」

「私のことを、ずっと避けている……ように思います。何度も面会を求めましたし、手紙も言付けました。でも」

「え……無視されてるってこと?」

「はい。今日も多分……先生がいらっしゃらなければ門前払いされていたかも」


「……だよね」

 ギル君がオリーブ嬢に同意する。

「シオン、おかしいのは……オリーブに対して、だけじゃなくて」

「え? それってどういう……?」

「ここのところずっと、僕が訪ねても断ること、多かったんだよ。今日だって、正直言うと、会ってくれるか五分五分だった。でも先生がいたから……シオンもきっと、仕方なく応じたんだと思う」

「そーなんだ……」


 意外だ。ギル君とオリーブ嬢がいたから、おこぼれに与ったんだと思ってたよ。あんなんでも教師である私に配慮していたってことは、ある意味外聞を憚ったんだろうか。

 穿った見方をすれば、学園側である私、つまり事件の調査者に不審を抱かれたくないと思ったのでは? それこそ後ろ暗いところが――。


 いいや、断定するには早い。まだ話を聞きたい相手は二人もいる。考えるのはその後だ。


「オリーブさんは……これから話しに行くユーハ君って個人的にどう思う? 学年違うけど、接点あったりする?」

「ユーハ先輩、ですか?」

 単刀直入に尋ねても、オリーブ嬢は首を傾げるだけで特に動揺もしなかった。

「何かと……親切にしていただいてます」

「そうなの? 女性関係が派手なわりには、結構冷たいっていうか、突き放してくる感じの子じゃなかったっけ? 愛想良く見えて、あまり特定の相手と親しくしないっていうか」


「先生……ユーハのこと、詳しい?」

「え」

「なんで……? 仲、良いの?」

「えええ? う、噂だよ。聞いただけ」


 朧気な印象を適当に連ねたら、ギル君のセンサーに引っ掛かったみたいでギクリとする。

 ヤバイヤバイ。

 私が述べたのは、もちろん乙女ゲーム内でのユーハ君のキャラ付けであって、実際の人物像が同じかどうかなんて全然知らん。そもそも直接会話したことすらないっていう。


「アニー先生が仰る通り、ユーハ先輩、そういう面もあると思います」

 オリーブ嬢が苦笑して認める。

 やっぱり結構親しいんだ。

「でも、私に構うのは……」

「……特別だから? オリーブさんが」

「違います」

「え?」


 オリーブ嬢は淡々としていた。少なくとも恋する乙女ではない反応だ。

「ユーハ先輩は……その、ローゼ様がお嫌いだったんです。だから」

「は?」

「当てつけみたいに、わざと優しくしてくれていただけで。私がローゼ様に目をつけられていたから」

「そうなの?」


 それは初耳だった。

 もちろんゲーム的仕様でヒロインちゃんと悪役令嬢とが険悪なのは承知している。思い出すに、結構キッツイ嫌がらせとかあったはず。

 ただ私自身は教師のくせに、学園内リアルの人間関係がどうなのか全然把握していないのだ。


「ユーハ君、ローゼ嬢とは幼馴染なんじゃ? そんな仲悪かったのか……」

「ローゼ様が、何て言うか……昔から我儘なところがあって、段々と振り回されるのが嫌になったんだそうです」

「王子の婚約者だからって出しゃばり過ぎる……とか、ユーハ、よく悪口、言ってた。先生は……知らなかった?」

「全然。最上学年は担当してないし」

「わりと……有名な話だけど」

「でもギル君、アニー先生は赴任されてまだ一年だから、私達が入学当初のことはご存知ないんだわ」

「あ、そっか……」

「?」


 入学当初? 何だろう。

 ギル君たちが十二歳の頃の話――時期的に私はまだ大学にいたなぁ、と私はやや遠い目をしてしまう。年齢の差を感じるわ。 

 同級生同士という関係にちょっとだけ疎外感を覚えた。学生として一緒に過ごせるなんて、ある意味羨ましい。


「で、その頃に何かあったの?」

「新入生として入学したローゼ様が、一学年上のユーハ先輩とルッツ先輩にかなりキツイことを言ったそうです。先輩方は幼馴染の気安さでシオン君やローゼ様に接していたんですが……」


 詳しい話はオリーブ嬢がしてくれた。

 簡単にまとめれば、入学早々、今までのお友達感覚で王子殿下にタメ口利いた先輩方に、ローゼ嬢が突然キレたんだという。学園は社交界の一種であり、学生と言えど序列と格式を軽んじてはいけない。他の生徒がいる場では王子殿下に遜るべし――とまあ、そういう主張だったようだ。

 それを公衆の面前でやったもんだから、相手のプライドをいたく傷つけてしまった。あわよくばシオン王子に取り入ろうとする有象無象への牽制の意味もあっただろう。幼馴染とすら一線を画すのであれば、他人が近づけるはずもない。


「ダシに使われた方は怒るわ、そりゃ……」

 正論っちゃあそうなんだけれど、根回しもせずにやらかせば反発するに決まってる。今まで培ってきたはずの信頼関係を頭ごなしに否定するような行為だもの。

「ローゼ嬢がわざと矢面に立ったんだとしても、あまり賢しくはないねぇ」

「わざと?」

「シオン王子の権威を示したい。でも権力を振りかざせば嫌われる。そのへんの周囲の反感は代わりにローゼ嬢が負った、みたいな?」

「そんな殊勝な性格……してたかな」


 ギル君がうーんと首を捻る。

「まあ確かに……ローゼがいないところでは、シオンとユーハたち、仲良くしてたよ。特に……この寮の中では、みんな気楽で。男同士、だし」

「怖い婚約者の目を盗むって状況が、却って連帯感が生まれたのかもね。ローゼ嬢が狙ってやったかはわからないけど」

「もし故意になさってたなら、ローゼ様はどんなお気持ちだったんでしょう」

 オリーブ嬢は今となっては窺い知れない故人の胸中に想いを寄せて、憂いの感情を見せた。共感力のある人間が想像を真実と仮定すれば、同情も生まれるだろう。


「それでもローゼ嬢自身が選んだ行動だからねぇ。外野がとやかく言う筋合いではないと思うよ」

 モブ中のモブ的な自分の立ち位置から、私は率直に言い放った。別にオリーブ嬢を批判したのでも、ローゼ嬢に含むところがあった訳でもない。単なる感想だ。

「そういうとこ、先生らしい。割り切ってる、ね」

「え? うーん……」

 他人事なだけですがな。つーか褒めているのか微妙な反応がむしろギル君らしいよ。

 それでもオリーブ嬢にはさすが大人の意見だと妙に感心された。買い被られて複雑な心境だ。


「私、全然何もわかっていなかったのかもしれません。ローゼ様のこと。キツく当たられて、辛くて、ずっと敬遠していました。どうして目の敵にされるんだろうって。もしかしたら、ローゼ様なりにお考えがあったんでしょうか」


 オリーブ嬢は悲しそうに項垂れた。

 うわぁ、どうしよう。

 こんなところでイジメの事実を告白されて、教師としては困惑しているだけじゃ駄目だろう。さらに私は乙女ゲームの展開上でその可能性を知り得たのだから、無関心の仮面を被って故意に放置していたも同然だった。


「ごめんなさい、オリーブさん。私は……これでも教員なのに、何も気づかなくて」

「アニー先生に謝罪いただく必要はありません。ローゼ様は入学した頃から私を嫌っていました。言葉では色々言われましたが、幸い暴力的なことは一度もなかったんです」

「でも、だからって」

「もちろん昔は、他の先生方に訴えたこともあります。ローゼ様やご友人とりまきの方々があまりに酷いと。ですが……」

「身分の差を持ち出されて、泣き寝入りだった?」

「……はい」


 あー……あるよね、この学園。

 教職員よりも生徒の家柄が良ければ、叱責も注意も通らなくなる。一応中には中の上程度の貴族家出身はいるんだけど、王族だの大公家だのが出てきたら、どんなに正義感に溢れる教師だとしても太刀打ちできない。

 そして、そもそもそこまでやる気のある人間は、学園側には存在しない。私も含めてだ。


 オリーブ嬢はきっと、長く苦痛に耐えてきたに違いない。ローゼ嬢の悲劇は、彼女にとってはまったく逆の意味を持っていたのかもしれない。

「ローゼ嬢を……恨んでた?」

「何も思わなかったと言えば、嘘になります」

 当然とばかりにオリーブ嬢は首肯する。

「なんて嫌な方なんだと、いなくなってしまえばいいのにと、ずっと……心の奥では願っていました。でも、もちろん思っていただけです」



 実際に彼女の死を望んだ訳ではない――。



 言外の主張は察したけれど、私が軽々しく免罪符を口にするのは憚られた。

 貴女のせいじゃないと告げるのは容易だ。

 もしも、オリーブ嬢の境遇を知っている人物が、彼女の悲痛を理由に犯行に及んだのだとしたら? それでも私は、或いは彼女自身は、責任がないと断言できるだろうか。



 私が調べているのは、乙女ゲームの――悪役令嬢の断罪イベントなんかじゃない。加害者がいて、被害者がいる、歴とした殺人事件なんだ。オリーブ嬢がイジメを受けていたのと同じく、現実に起こった出来事に他ならない。

 今更ながらに自覚して、私はぎゅっと唇を噛み締めた。

誤字のご指摘ありがとうございます

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