4.近親者の証言
「オリーブさん、シオン殿下とお話しなくて良かったの?」
「……そのつもりでしたけど、何だか話ができる雰囲気じゃないように思えて。無理を言ってついてきたのに、ごめんなさい」
「いや、うん……まあ、でもなんかわかるし」
シオン王子への聞き取りが終わると、私たちは即座に部屋から出された。まるで厄介者みたいな扱いだ。まあ護衛やお付きの方々からしたら相違ないんだろう。
わざわざシオン王子と話をするために来たというのに、オリーブ嬢は終始無言だった。確かに本人も言う通り、流れ的に無駄口を挟めるような状況じゃあなかったけれども。
おまけに……オリーブ嬢を見るシオン王子の目、少しおかしかったし、絶対に二人の間に何かあったとしか思えないんだけど。
うーん、気になる。
訊きたいなぁ。でもなぁ。
「先生、どうする? 僕の部屋、行く……?」
「あ、そうだよねぇ」
廊下で立ち話を続けるのを咎めたのか、ギル君から提案があった。
「でも……他にも話を聞きたい寮生がいるの」
「誰?」
「さっき名前が挙がったカイト君と、あとギル君の一学年上にいるユーハ君とルッツ君だね。三人とも事件当日の放課後、旧校舎に行ったらしいから」
「なるほど……」
もちろん件の乙女ゲームの攻略対象者たちだ。ギル君とシオン殿下を足して計五人になる。
カイト君は前述の通りローゼ嬢の弟、ユーハ君とルッツ君はどちらも良いお家柄の出身で、シオン王子やローゼ嬢の幼馴染だ。貴族院議長の子息と、陸軍元帥の子息だったかな。
「カイト君はまだご実家だそうだから、当分は会うの難しそうだしねぇ」
「あの、そのことなんですけど」
オリーブ嬢が不意に口を開く。
「実は私、カイト君から手紙をもらっていて」
「え?」
少し迷った様子で、オリーブ嬢は制服のポケットから一通の封書を取り出した。
「今日、学園に戻るって書いてあったんです。でも授業にはまだ出てきていないみたいだったから、多分、寮にいるんじゃないかと」
「そーなの? ギル君?」
「さあ。僕は……会ってないよ。昼間の早い時間に戻った、のかも?」
これは行ってみるしかないか。
にしてもヒロインちゃん、悪役令嬢の弟君とも親しいんだ。少なくとも個人的に手紙を遣り取りする程度の仲ではある訳だ。
シオン王子は本当にただのお友達で、もしこっちが本命だったら?
その場合、物語の流れ的に犯人となる攻略対象者は――。
いや、断定はいかんよ。
今はまだ事実確認を第一にしよう。
「ギル君、カイト君のところに案内して」
「……了解」
「わ、私も行きます!」
私たちは階段を下りる。
カイト君の部屋は丁度シオン王子の部屋の真下にあった。
+ + +
「姉のことで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。実家がまだ落ち着かず、父は元より、継母の精神状態もずっと不安定で、なかなか学園にも戻れなくて……」
「いえ、改めてお悔やみ申し上げます。高貴な方をお預かりする学園側の落ち度、お詫びのしようもございません」
「仕方ありません。先生方が生徒全員を終日監視できる訳じゃないですから。むしろ立場も弁えず、いくら学園内であっても、供もなく単独行動をしていた姉に非があります」
何と言うか、カイト君は十四歳とは思えないほどしっかりした生徒だった。外見は年齢相応に幼さを残していて可愛いくらいなのに。
顔立ちも色彩も姉弟だけあって、ローゼ嬢によく似ていた。ローゼ嬢と同じ綺麗な長い金髪を後ろで一纏めに束ねている。眼鏡姿が如何にも優等生っぽい。俺様で傲岸不遜なシオン王子よりも余程育ちが良さそうだ。
「ギル殿下にもご心配をおかけしました」
「うん? 別に……」
「オリーブ先輩も。わざわざ来ていただいてすみません。本当は僕の方からお伺いしようと思っていたんです」
「ううん、私は全然」
先輩にも礼儀正しく振る舞えるのは良いね。好感度UP。ショタ系で癖のない男子は乙女ゲームだとあんまり人気でないイメージ(偏見)だけど、実在だとこういうタイプの方が落ち着くわ。
やっぱり、二次元を三次元に置き換えると全然違う。ただしイケメンに限るなんて妄想や空想の類いだよ。人間性に限るが正解。
だからヒロインちゃんも、シオン王子よりカイト君を選ぶ可能性あるかもなぁ。仲良さそうな雰囲気だし。
「本当に……久しぶりに会えて嬉しいです。オリーブ先輩」
少なくともカイト君はオリーブ嬢への好意を隠そうともせず、熱っぽい口調で名を呼んだ。こういうところはまだまだ少年らしさがある。
「私も……その、カイト君が気を落としてないか、ずっと心配だったから、今日会えて良かった」
「ありがとうございます。お気持ちがとても嬉しいです。僕こそ会えて良かった。ええ、元気になったのはもちろん、オリーブ先輩に会えたからですよ」
「大袈裟ね」
「それにこれ、オリーブ先輩に渡さないといけないって思って、ずっと気にしていたんです」
カイト君がこれと言って制服の胸ポケットから取り出したのは、金鎖の腕輪だった。
オリーブ嬢は軽く瞳を瞠く。
「それ……私の」
「ええ。あの日、僕が代わりに取りに行った先輩の忘れ物です。あの後、事件でバタバタしてたから、渡しそびれてしまって……すみませんでした」
「そんな、いいのに」
腕輪の手渡しで、オリーブ嬢とカイト君の指が触れる。おっと、いい雰囲気?
……というのは置いといて、突然現れたアイテム(?)が気になる。
そういえば、ゲームのヒロインもその手のアクセサリーを身に付けていたような、いないような……うーん、うろ覚えだな。記憶に薄いということは、特に攻略過程で必要となるものじゃなくて、単なるファッションのひとつだったのかもしれない。
「その腕輪……」
何かが気になるように、ギル君が小首を傾げる。
「オリーブ、前から着けてた?」
「? 最近亡くなった身内のものです」
少し表情を翳らせて、オリーブ嬢が答えた。
「これが、何か……?」
「……いや、うん、別に……」
自分でも何が引っ掛かってるのかわからない、という怪訝な様子で、ギル君は考え込んでいる。
細い金の鎖に小さな宝石が幾つか付いているだけのシンプルな腕輪は、そこそこ高価そうではあるけれど、別に取り立てて特徴的な品ではない。
となると、やっぱり攻略アイテム的なもの? ギル君ルートで思い出エピソードがある、とか?
前世の記憶を弄ってもわからない。一通りはプレイしてるはずでも、まだまだ知識が不足してるんだろうか。
「身に付け慣れてなかったから、紛失したんです。多分、家庭科調理室に置き忘れて……」
ヒロインは恥じらう姿さえも愛らしい。
同性でもドキッとするような仕草に狼狽えつつ、私は何とか平静を装って尋ねた。
「まさか、事件のあった日に?」
「いいえ……」
「オリーブ先輩が腕輪を忘れたのは、その……姉の事件の前日です。週に一度、先輩はお菓子作りをされてるんです」
家庭科調理室は旧校舎の二階にあって、下位貴族出身の女子生徒が、たまにお菓子作りなんかに使っていると聞く。
無理矢理遮るような形で口を挟んだカイト君が、オリーブ嬢の行動に関する説明を続けた。
「翌日、つまり事件の日に、忘れ物を聞いて僕が探しに行きました。もともと旧校舎に行く用事があったんで、ついでだったんですが」
「用事?」
「ええ。姉に用があったんです。アニー先生が訊きたいのはそういうお話では?」
あー……見透かされている。
まあ仰る通りだから構わんがさ。
しかしカイト君、気が利くように見えて逆に胡散臭く感じるのは穿ち過ぎか?
そもそも事件の日に現場にいた容疑者には違いない。油断はしないように気をつけないと。
「……お話が早くて助かります。事件の日のことをおうかがいしても?」
「もちろんです」
是の意を示して、カイト君は深く頷く。
であれば、と私は遠慮せずに尋ねた。
「確か……カイト様は、その、シオン殿下がお姉様の異変を発見された際、旧校舎内にいらしたのですよね?」
「はい、そうです」
「先程も言った通り、僕は調理室でオリーブ先輩の忘れ物を探していました。見つかってすぐ部屋を出て……旧校舎から帰る間際です。女性の悲鳴が聞こえたのは」
「あー……それは私ですね」
何か気まずいというか恥ずかしい気持ちになって、私は苦笑いを浮かべた。
「そうでしたね。あのような場に居合わせて、女性が動揺されるのは無理もないことです。アニー先生の声……とは、そのときは気づきませんでしたが、たまたま一緒にいたギル殿下が即座に反応されて」
「僕とカイト……正門のところで行き合って、少し話してたときだったんだ」
ギル君が肯定する。
それから先はなるほど、さっきシオン王子のところで聞いた通りのようだ。
「僕は……先生の声、すぐ判った。先生に何かあったのかって驚いて、すぐに校舎に戻った」
「そ、そう……」
そんな距離で私の声だと判別できたギル君の方が特殊だよ。いくら絶叫したと言っても、美術室は四階だったのに。
「ええっと……で、カイト様はギル殿下と階段を上って四階まで駆けつけた、と」
「はい。それで……姉があのような状態で。アニー先生もシオン殿下も酷く混乱されていた。僕は誰か他の先生でも誰でも呼んでこなくてはと思い、本校舎に向かったんです」
ううう……頼りない教師でスマン。
いやいやいや、身内の異常事態にも冷静に対処できる生徒って、ちょっと凄すぎない? パニックになるのが普通だと思うのよ。
「先程のお話ですと、カイト様は……事件の日、旧校舎でローゼ様とお会いになったんですよね?」
「ええ、会いましたよ」
「何時頃に?」
「正確な時間は把握していませんが……四時半くらいでしょうか。十分も話していないです。その後、二階まで下りて、しばらく調理室で先輩の忘れ物探しをしていました」
「どんなお話を?」
「それは……まあ、身内の会話です。つまらない家の用事ですよ」
話しにくいことを質問してしまったのか、カイト君は曖昧に誤魔化した。お家の事情が絡むのであれば、下っ端教師に包み隠さずというのも抵抗があるだろう。都合の悪い内容を隠している可能性もあるけど、追及してもどうせ真偽は知れないから、とりあえず置いておこう。
兎に角、少なくとも四時半頃――その時間までローゼ嬢は生きていたのだ。カイト君の供述が真実であれば。
私が旧校舎内に入ったのは、五時の鐘が鳴った後だった。カイト君とは遭遇していない。まあ二階にいたのなら、単にすれ違っただけか。
「五時の鐘」
シオン王子は記憶にないと答えた、大音量の鐘の音を、カイト君は認識していただろうか。
供述の整合性を取るためにも、私は念のために尋ねた。
「カイト様は……五時の鐘が鳴った際、どちらにいらっしゃいましたか?」
「? 五時ですか?」
カイト君は怪訝そうに問い返した。
「まだ調理室にいましたよ。それから……多分、五分かそこらで出たと思いますが。思いの外、探すのに手間取ってしまって」
「ご、ごめんなさい……カイト君」
「先輩のためなら構いませんよ。お気になさらず」
爽やかっぷりを見せつけるかのように、カイト君は屈託のない笑みをオリーブ嬢に向けた。
なんつーか、若さって凄いね。
何十分も失せ物探しに時間取らされて、文句の一つも言いたくなるだろうに。狙った女子に恩に着せられたから、それでいいのか? 確かに対人関係で距離感を縮めるには貸し借りの関係を作るのが良い、という説はあったかもしれない。
まあ、それはさておき。
事件の日のカイト君の行動に今のところ矛盾は感じない。
「他に……事件の日のことで何か気になった点や、気づいたことはありませんか? 例えば、お姉様の様子や美術室の中で特に変わったところは?」
「そうですね……」
下顎に指を置いて、カイト君はしばし記憶を弄っていた。たった一月で薄れるはずがないけど、気に留めていなかったらスルーしてしまう光景もあるだろう。
でも異常事態が起こった以上、勘のいいタイプなら事前に違和感を察知していても不思議じゃない。よくよく思い返してみれば、というヤツだ。
「……関係あるかはわかりませんが」
前置きをしつつ、カイト君は興味深い事実を口にした。
「僕の前に、どなたか来客があったようです」
「来客?」
「ええ。姉が入り浸っていたので、美術室には応接用の長椅子と卓を置かせてもらっていたらしいのですが、ご存知でしたか?」
「ああ、そういえば」
言われて私も室内の様子を脳裏で構築する。
美術室には教卓がない。そもそも旧校舎の教室は現在のメインの授業では使われておらず、必修でない課外授業や放課後生徒が自主的に学習するために開放されているだけだ。
件の美術室は趣味で絵を描くローゼ嬢みたいな生徒しか立ち入らない。静物画を描くための幾つかの椅子や台、石膏の彫刻、画材画布画架等々がわりと雑然と配置されていた気がする。
奥の方に応接セット……あったな。
あれ、持ち込みの私物だったのか。
「僕が姉と会ったとき――卓上に、二人分の茶器と焼き菓子が置きっ放しになっていました」
「誰が来ていたのか、訊かなかったのですか?」
「そのときはあまり気にしていなかったので、特には……」
「では……前後で誰かを見かけたり、すれ違ったりはしていないですか?」
「ないです。僕は正門、つまり正面入口から真っ直ぐ四階に行きましたが、誰にも会いませんでした。姉と会った方は、もっと前に校舎を出られたか、もしかしたら裏口の方から出たのか……或いは」
「まだ、校舎内にいたか――」
ギル君の抑揚に乏しい声がカイト君の語尾に被さる。何やら薄ら寒い気分がして、私は無意識のうちに両腕を交差させて身震いを抑えた。
誤字のご指摘ありがとうございます