3.婚約者の供述
前世で見た乙女ゲームという創作には時折、主人公のライバルとなる女性キャラクターが登場する。
中でも手段を問わずあからさまに嫌がらせに走って、主人公の恋路を邪魔する身分の高い女性を悪役令嬢と呼ぶ。
先日の事件で殺されたローゼ嬢は、一般的には悪役令嬢に違いないだろう。
主人公のオリーブ嬢がどの攻略対象者のルートに入っても、ローゼ嬢は物理的に、高圧的に、精神的にヒロインを攻撃する。
特にシオン王子のルートでは正式な婚約者の立場だから、それはもう激しく対立するのだ。
ゲーム内のローゼ嬢の性格を一言で表せば――苛烈、が最も相応しい。
プライドが高く、嫉妬深く、容赦がない。王国の要人としての責任感を見せることもあるが、基本的には思い込みや執着が行動源となっている。
そんな彼女も創作上は所詮、主人公を引き立てるためのライバルキャラに過ぎない。オリーブ嬢が攻略対象者と結ばれた暁には、反動のように蹴落とされるのがセオリーだ。
実際に、件の乙女ゲーム『金木犀の散る頃に』のストーリーにおけるローゼ嬢の結末は厳しかった。
なんと彼女は主人公が誰のルートでハッピーエンドを迎えても、殺されて命を落とすことになる。まさに今――現在の状況と言える。
オリーブ嬢の恋が成就すれば、ローゼ嬢は死ぬ。
私は前世を思い出した瞬間から、その未来を予期し得るはずだった。
物語の中にいると自覚しつつも、登場人物が周囲にいると知りつつも、結局は部外者でしかないと予防線を張って、止めるべき運命を見過ごしたのかもしれない。
だとしても、残念ながら現時点で私が握る情報は限られている。
そのうち重要なのは、主人公の恋のルートが幾つも分岐するように、ローゼ嬢が殺される経緯も一通りではないという点だろう。
端的に説明すると、ローゼ嬢を殺すのは攻略対象者のひとりに他ならない。
全エピソードにおいて、悪役令嬢は当人にとって理不尽な理由で殺される。
私はこの顛末を、誰がどういう動機で手を下すのか、すべてのパターンを知っているのだ。
だからオリーブ嬢の恋の行方さえわかれば、ローゼ嬢を殺した犯人も自動的に判明するはずだった。
例えば、婚約者のシオン王子はどうか。
遺体の第一発見者である彼が最も怪しいと言えなくもないが――。
+ + +
特別寮の最上階を陣取っているのが、シオン王子だ。言っても十人くらいしか寮生はいないらしい。
もちろん、お付きの従者とか護衛とかメイドさんとか、兎に角わさわさいる。随分と待遇の良い引きこもりだ。
面会を申し込んだのが一教師の私だったら、門前払いだったろうなぁ。
隣国の王子であるギル君が間に入って、しかも寮内まで来ちゃったものだから、シオン王子自身も周囲も渋々要請を受け入れてくれた。
オリーブ嬢の同席もとりあえず問題なし。さっすがヒロインちゃん。
とは言え、さすがに対面での着席はせず、私とギル君が座ったソファの後ろに控えている。
シオン王子の居室はだだっ広い。
やたら高級そうな調度が並んでいた。
まあ一国の王子様が下手に質素に暮らしてても嫌味ったらしいだけだから、節度があれば贅沢も構わんさ。
「……それで?」
さて、私たちを客間っぽい部屋に迎え入れて人払いをしたシオン王子は、豪奢な椅子に腰を掛けたまま、気だるそうに言った。
「私は暇ではない。ギル、お前と教師がどうしてもと言うから時間を取ってやったが、くだらない話ならさっさと帰ってもらう」
うわぁ、何こいつ。
尊大なのは王子様仕様か?
尤も最初から承知してたけどさ。シオン王子はゲームでも俺様キャラってヤツなんだよね。しかし二次元なら兎も角、現実にいると超絶むかつくわー。態度のデカいヒッキーが粋がっているみたいにしか思えんわ。
「忙しい……? シオンが?」
「……何が言いたい?」
「別に? 先生の方が……授業以外で面倒を引き受けて大変、と思うよ」
「何だと?」
「だから、先生に迷惑……」
「この私に、教師ごときに気を遣えと?」
何故か王子様同士が一触即発になって吃驚した。
おおーい。
私は別にシオン王子に慮ってもらおうなんて、露ほども考えてないよ!?
ギル君が怒ってくれたのは私のためだとわかってる。本当にこの子は私に懐いてくれてて、それは嬉しいんだけど。
「ギル君、ありがとう。でも大丈夫。私は手短に用件を済ませるから」
「……そう? 先生が良いなら」
「ふん、随分と手懐けたものだな。たかが一教師風情が」
シオン王子は傲岸不遜を絵に描いたような態度を改めなかった。
こいつ……先達に対する敬いの心を知らんし。まったく生意気な。天然不思議ちゃんのギル君や清楚健気なオリーブ嬢と同じ年齢とは思えんわ。
しっかーし、私は大人。
結婚経験もあり、職業婦人でもある一人前の成人女性だ。甘ったれの学生なんぞ掌で転がしてやるんだから。
「失礼、シオン殿下。未熟ながら、わたくしも学園で教鞭を取る身。不躾な訪問にてお心を乱しましたことお詫び申し上げますが、これは学園側の意向でもありますので」
「……何?」
「一刻も早く学園に広がる不安を除き、日常取り戻すことこそ肝要と愚考いたします。また御身のためなればこそ、と学園長にお命じになった国王陛下の御心にも添いましょう」
慇懃無礼の見本とばかりにスカートの裾を掴んで礼を取ると、シオン殿下はややたじろいだ。
貴族ぶりっこはおろか、営業スマイルだって年季が違うんだよ、クソガキが。
「父の命令だと?」
「畏れ多くも国王陛下におかれましては、最初に婚約者のご遺体を目にされて傷つかれたであろう殿下の御ためにも、亡きローゼ様の魂が安らかに眠りにつくことを望む、と仰られたとのこと」
格上である唯一の人物を持ち出しながら第一発見者の義務を果たせという意図を含ませると、さすがの王子も神妙に押し黙る。
うむ、嘘は言っていない。
学園長だか教頭だかがそんなニュアンスを口にしていた気がする。方便だよ。
「ご協力いただけると幸いです、殿下。あの日ご覧になった事実をお話しいただけるだけで良いのです」
――犯人でないと主張するのならば。
言外の意味を感じ取ったのだろうか。シオン王子は渋々と頷いた。
「……いいだろう」
「尤も私に訊いても何かわかる訳ではない。見たものはただひとつだ。知っての通り、あの日――私は旧校舎の四階、美術室に入ったところ、ローゼが倒れているのを発見しただけだからな」
仮にも婚約者の死について語るには、シオン王子の声は淡白に聞こえた。
ローゼ嬢は王弟である大公の娘で、シオン王子とは従兄妹同士に当たる。
情が薄いのか? それとも攻略対象者なだけに、すでにヒロインのオリーブ嬢に心変わりしていて、婚約者を疎んでいたのだろうか。
にしても、殺されたばかりの死体を直で見ちゃってるのにねぇ。あれ結構生々しくて強烈だったと思うのよ。
「お声を聞きました。わたくしもあのとき旧校舎におりましたので」
「ああ……そうだったな」
そのときの光景を脳裏に思い浮かべたのか、シオン王子の顔色は少し悪い。
あの日、戸締まりため校舎内を見回ろうとしていた私は、明らかな驚愕の声を耳にした。「うわぁぁぁっ!!」みたいな情けない悲鳴で、目の前のお澄まし王子様が発したと思うと、ちょっと笑える。
兎も角、異常を察して美術室に入ったとき、シオン王子は見るからに狼狽していた。私だって、危うく腰を抜かすところだった。
生まれて初めて見た――死体。
「私が……わたくしが赴く前に、ご遺体を確認されておりましたね?」
「最初は死んでいるなどと思わなかったからな。近寄ったら息をしていなかった。首に……痕が」
シオン王子の供述に齟齬はない。
ローゼ嬢は絞殺されていた。
私の……ろくでもない前世の記憶とも一致する。
「紐、のようなものは……?」
「いや、特に見た覚えはない」
凶器は見つからず。
これも現場の検証と差異はなかった。
「その後は聞く必要もないだろう? そちらもあの場にいたのだから」
「仰る通りです」
実は私もパニックになってて、きちんと把握しているかと言えば怪しいけどさ。
確か、思いっ切り叫んだような……。
それを聞きつけて、同じく旧校舎にいたギル君が現れた。その後におそらく、本校舎からバラバラとひとが集まってきたんだよね。
「ギルも……いたな?」
「僕?」
問われて、ギル君はゆっくりと首を縦に振った。そのまま私の方にちらりと視線を向ける。
「うん、先生が……凄い声で、吃驚した」
「早かったな」
「近くにいたから……僕と、カイト」
「え?」
「カイトが? あの場にいたのか?」
意外な名前が上がって、私もシオン王子も同時に訊き返した。
「うん。僕が倒れそうな先生を介抱してたから……カイトが他のひと、呼びに行ったんだよ」
カイト君――というのは、ギル君たちのひとつ下の後輩に当たる。
あのときは私も動転していたのか、その場では全然気がつかなかったなぁ。
「カイトの様子は?」
「さあ……僕は、葬儀から会ってない」
「ああ、そうか。当然だな。まだ実家から戻っていないか」
ギル君もシオン王子も、同じ特別寮の寮生としてカイト君とは親しいから、複雑な心情だろう。
それ以上に、カイト君は庶子ではあるが大公の長男という立場だった。つまりローゼ嬢の母親違いの弟なのだ。
――攻略対象者のひとりでもある。
誰も知らない情報を握っている私の胸中に、一抹の不安がよぎる。未だ絡まっているこの糸はいったい何なのか。
自分が憶えている物語と比較して、どことなく違和感があった。いや多分、間違えてはない……はずだけど。
「シオン殿下」
「もうひとつ、お尋ねしても?」
「……何だ?」
「あの日、殿下は何故、旧校舎に出向かれたのでしょう? ローゼ様と何かお約束でも?」
内心の疑問はさておき、聞くべきことは尋ねなければならない。
ただ、どちらか言えば形ばかりの質問をしたつもりだった。
「あの日は、……いや」
シオン王子は微妙な反応を見せた。
「私がローゼの元に赴いて何かおかしいか? ローゼは絵を描くのが趣味だった。放課後はひとりで旧校舎の美術室にいることなど、身近な者であれば誰でも知っている。婚約者であれば、別に用がなくとも会いに行くこともあるさ」
「いえ……」
もし言い淀んだりされてなければ、そう主張されても否定する要素はなかったかもしれない。
でも怪しい。
あからさまに怪しいよ、王子様。
「では、シオン殿下は……ローゼ様とお会いになるために、たまたま旧校舎にいらっしゃった……」
「ああ」
「正門から入られて、真っ直ぐに美術室に?」
「そうだ」
「他にお顔を合わせられた方は?」
「……いない」
またしてもシオン王子の口調に曖昧な、もしくは後ろめたいような空気を感じて、私の中の疑念は確信に近くなる。
「どなたにも?」
「会ってはいない」
「ずっとおひとりで? 殿下が?」
「くどい」
裏側か行間に隠されたものを探っても、シオン王子は口を割る気はないみたいだった。
うーん、これは難しいな。
虚言の気配を感じても、隠し通すと覚悟を決めた相手に何かを求めるのは困難だろう。
「シオンは、じゃあ、旧校舎の正門から入って……正面の階段から四階に直行して……美術室の、扉を開けた。ローゼが倒れてたから、よく見たら――死んでた」
困っている私の横で、ギル君がシオン王子の行動をぼんやりとなぞった。
「そうだ」
「……五時の鐘は、いつ鳴ってた?」
「鐘?」
シオン王子は怪訝そうに眉を顰める。
ギル君は小首を傾げる動作をしてから、同じ質問を繰り返した。
「五時の鐘が鳴ったとき、シオン、どこにいたのかな……って。もう旧校舎の中に、いた?」
「ああ……どうだったかな」
一瞬戸惑ったかに見えたシオン王子は、あからさまに空惚けて答えた。
「すまない。思い出せない」
「そっか……」
旧校舎には特徴的な時計台があり、日に三回、朝の七時と昼の十二時と夕方の五時に鐘が鳴り、時刻を知らせる。音は大きく、校舎内や敷地内にいたら忘れるはずがない。
けれどギル君はそれ以上追求せず、私も今更しつこくする気はなかった。
だって、すでに勘づいている。
私もギル君もそこまで鈍くはない。
彼の嘘は明白だった。
誰にも会わなかったと断言した瞬間と同様に、シオン王子の視線はそれが偽りであると白状するかのように激しく揺らぎ、私の後ろで佇む彼女に向かっていたのだから。
誤字のご指摘ありがとうございます