25.それだけが私の望みです
長く間借りしていた生徒指導室ともついにお別れだ。実はこの学園では最も利用されない部屋なんだよねぇ。
下っ端教師が時間をやり過ごすには便利な場所で、ある生徒が勝手に入り浸っているのを発見してから、私的利用の共犯関係になってよく使わせてもらっていた。って、まあギル君なんだけど。
事件の日はたまたま、私がフリーの午後、彼が授業をサボってやって来たから、さすがに本校舎は目についたらヤバイよね……って安易な考えで旧校舎に行ったんだよね。ホントろくでもないな自分。
そこでまさかギル君から告白されるとは。人生何があるかわからんもんです。
この世界は成人年齢が低いからいざ知らず、前世の倫理観を持ち出せば完全にアウトだよね。うん、わかってる。自覚はある。教師が生徒に手を出すなんて条例違反的に(この国の法にはないけど)到底許されない。
だからギル君の手を取った私が、学園を辞めるのは必然だった。事件のせいで有耶無耶になっていただけで、退職自体は端から決めていた。あまりオープンにできなかった理由だ。
学園を出たら、帰国するギル君と共に隣国へ向かう。だからギル君の自主退学も同日なんだけど、こちらも周知はされてない。
単純に騒がれるのが面倒なんだろうな。文字通りの美形王子様で人気あるくせに、あの性格が難で交友関係が狭いから、ろくに挨拶もせず飄々と立ち去るつもりらしい。国際交流のための留学がそれでいいのか、と声を大にしてツッコミたい。
そんな彼は帰国準備もそこそこに、毎日当たり前のように私のところ――この指導室に顔を出していた。もちろん今日も例外ではない。残り一日という感慨はないんでしょうか。
……うん、ある訳ないね。そこまで情緒が育っていたら、執着心が妙な方向に捻じ曲がることもなかったはずだ。
「先生……賭け札やろうよ。さすがに最終日は無理……だろうから、今日で最後だし」
「いやいやいや、二人でならいつでもできるでしょうが。なんで記念みたくなってるの? ていうか昨日も散々やったよねぇ」
「うん? しばらく負け続きだし……悔しくて」
悪びれず微笑むギル君は、明らかに私の反応自体を愉しんでいる。いつだって平常運転だから質が悪い。
「僕が勝ったら……先生にしてほしいこと、あるし」
「恥ずかしい内容はお断りです」
「えー」
まったく油断も隙もない。
私が渋く答えても、ギル君は受け流してテーブルにカードを並べ始めた。やるって言ってないのに……。
「あのときの先生、可愛かったけどね。学生服の」
「勘弁して」
羞恥心を呼び起こされて、私は赤面する。
忘れかけてたのになぁ、もう。
「あーれーはナシ寄りのナシでしょ。なんで拒否らなかったのか、本っ当に後悔してるんだから」
「後悔……」
不意にギル君はカードを配る手を止めた。
「ひとつ、気になってたんだけど……先生」
「? 何?」
「あのとき……最後に旧校舎で、カイトに『後悔しろ』って、言ったときのこと」
「うん?」
前触れなく旧校舎でのやりとりを掘り返され、私は表情を強張らせた。事件関係者に最後の挨拶をされ、ギル君まで急に話題を振ってくるなんて、今日はそういう巡り合わせの日なんだろうか。
「後悔ってさ」
ギル君は真顔だった。
今更何を訊かれるのか、と私は身構える。だって私が始末書に忙殺されたこの一月、彼は最早関心の欠片も見せずにいたのに。
「本当は、先生自身が……してたんだよね、後悔」
「う……ん?」
「先生はさ、いったい何を知ってたの?」
「え、別に……」
ギル君の追求に私は視線を逸した。
「誤魔化さないでよ」
「前からね、たまに先生が、何かを思い出して心ここにあらず……みたいな感じになるの、知ってたよ。ずっと前からだったけど……事件の日以来、明らかに多くなってた」
「いや、そん……なの」
「だから先生は、事件の……って限定するのも違うのかな。オリーブやローゼのことで、最初から何か知ってるんだって、思ったよ」
「……っ」
絶句する。
踏み込まれているのは、明らかに前世の記憶の存在だった。無論、具体的に前世だと、ギル君が悟れる由もないはず。なのになんて勘の良さだろう。
確かに幾度も思い起こしていた。乙女ゲームの筋が事件に関わってるのだから私にとっては自然の成り行きだったけれど、傍目には奇異に映ったのかもしれない。
「もしかして、ローゼが死ぬって……殺されるって、知ってた?」
「ギル君、私は……」
「止められたんじゃないかって、後悔してたの?」
「そうじゃない。そんなんじゃないよ、私は。そもそも後悔なんて以前の、……あ」
――後悔?
ふと、その単語が引っ掛かる。
あのときカイト君に対して、私は率直な気持ちを伝えたつもりでいた。でも……それだけだろうか。
物覚えの悪い脳の奥の、曖昧な記憶の蓋が開く。「私は後悔している」という科白を、どこかでよく聞いた。そうだ、あのゲーム内のどこかで……。
いったい誰の?
ああ、わかった。確かヒロインの……。
この世界はどこまで行ってもあの乙女ゲームに支配されているのか。やる瀬ない気分になる。
かのゲームにおいて――悪役令嬢の断罪イベントが発生するのは、いつもヒロインが誰かを攻略した後だった。
彼女は自身の恋愛成就と共に、他の誰かが罪を犯すことを知る。ギル君のルートは当人がヤンデレるからちょっと異なるけれど。
断罪――悪役令嬢殺し――の主体は攻略対象者だけれど、シーンの出だしは必ずヒロインの語り口調から始まる。その科白は人物名以外、一言一句変わらない。
『これは――後から聞いた話であり、すべて伝聞だ。私は当時、何も知らずにいた。今でも信じられない。■■■君(先輩)がまさか、あんなことをするなんて。私は後悔している。もしも私が□□□君(先輩)を選ばなかったなら、彼女はどうなっていただろう』
「そっか、後悔か」
なるほど、だから私もカイト君に語り掛けたとき、脈絡なく「後悔」なんて言葉がすぐに出てきたのか。
古い記憶に刷り込まれた言葉であると同時に、私の後ろめたさを象徴していたんだ。だから。
「後悔かぁ……」
「先生?」
「そうだね。でも私は多分、後悔できるような立場なんかじゃないんだよ」
「どうして?」
ギル君は惚けようとした私の発言を一蹴する。
「何を隠してるの? 気になるよ」
「……何、って言われてもね」
悟らせまいとして私は平静を装う。
ああ、咄嗟の演技は何故こうも難しいんだろう。
「僕はね、先生のこと……何でも知りたいんだよね」
熱なのか湿度なのか判別がつかないじっとりとした声音と眼差しで、ギル君は私を捉えた。
「今日の賭け札に勝ったら、全部教えてよ」
「え」
誰の得にもならないペナルティを提示され、私は頷くのを躊躇した。暴いて面白い要素なんかどこにもないのに、ギル君の拘りは理解できない。
「意味あるの、それ……」
「僕には、ね」
真実を捜し続ける探偵みたいな目で、ギル君は私を見つめた。もし自分が後ろめたい犯人だったら、思わず自白してしまいそうな強い意思を感じた。
「先生が、好きだよ」
「先生が……アニーが好き。過去も今も未来も……全部、僕のものにしたいんだ」
「ギル君……」
正面から告白されたのは二度目だった。
あのときは金木犀の――散る花の粒が風に舞っていた。
黄金の欠片が陽に煌めいて、息を呑むほど美しかった。
動揺と、幾許かの既視感に呑まれた私は、抱きしめようとするギル君の腕を払えなくて、ううん、払いたくなくて、流されるままその胸に飛び込んでしまったんだ。
前世なんか、乙女ゲームなんか忘却の彼方に追いやって、自分の恋にだけ溺れていた。
あの中庭こそ、運命を変えた場所。
鐘の音が鳴り響く思い出の場所。
ごく近くで別の物語が進行していた悲劇の場所。
そして、私が傍観者でいられなくなった場所。
同一の場所に異なる幾つもの感情を抱いてしまうのは、自分が転生者である故かもしれない。それこそ後悔に似た複雑な想いもある。
語れぬ過去――いや過去以前を負う私を、惚れた腫れただけでギル君がすべて追う必要はない。
なのに、彼はそれを望む。応えるのが正しいのかどうか、私にはわからなかった。
「どうしても、なの?」
「どうしても、だよ。だから僕が勝ったら……先生をちょうだい。アニーを全部ちょうだい」
「……私が勝ったら?」
挑発するでもなく自然に言い返すと、私が乗ったと判断してギル君が目を輝かせた。
「へえ、ほしいものがあるの?」
「僕なら最初から……アニーのものだよ」
「そうだねぇ」
「違うんだ? ふぅん」
ちょっと拗ねて口を尖らせたギル君に、私は苦笑しながら答えた。
「私が勝ったら……そうだね、一枝ほしいかな」
覚悟を決めてテーブルの上のカードに手を伸ばす。折角応じたのに、ギル君は怪訝そうに首を傾げた。
「枝? 植物の?」
「――金木犀の」
「挿し木、したいんだよね」
そう告げると、ギル君はますます解せぬとばかりに眉を顰めた。
「中庭の? わざわざ?」
「うん。育てたいの」
「今、冬だよ。時期じゃないよ」
「あー……そうだった。夏から秋口だっけ? その頃に一度来てもいい? オリーブさんとシオン殿下はまだ学園に在籍してるだろうから、頼んでおけばいいかなぁ」
「わざわざ国まで運ぶのは……現実的じゃないと思うけど。咲かせるまで、何年も掛かるよ?」
「それでも」
「何のために……そこまで?」
心底不思議そうに、ギル君が尋ねる。
そうだね、私自身でさえはっきりしない心の機微は、常人の感性からは程遠い彼には伝わり難いだろう。
それは喩えるなら、色褪せていく情景を切り取ってしまっておきたいと願う、望郷の念に似ている。
あの場所は確かに自分の人生を変えた舞台には違いなく、怒濤の一幕が終わりを迎え、私はようやく過去を見つめ直せる。未来に夢を託せる。そのために――今はただ純粋に、記憶の寄す処がほしかった。
「……忘れないために」
季節が巡る度、私はきっと思い出す。
金木犀の散る頃に――悪役令嬢である彼女が死んだ日のことを。
<完>
ありがとうございました
今作は大分見切り発車と言いますか
更新が遅かったり背伸びし過ぎたり
本文でも言い訳じみていますが
ツッコミどころはすでにセルフでやってますので
ご容赦いただければ幸いです
誤字の修正やリアルタイム前書き後書きの削除等で
更改はしますが、本文の改稿はしない予定です
では、また別の物語でお会いできれば何よりです
陸空海




