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23.ルートエンドの断罪

 カイト君の人生は――庶子として生まれ、実の母と共に蔑ろにされたにも拘わらず、後嗣がいないからと無理矢理引き取られた挙げ句、その家でも実父にはプレッシャーを与えられ、継母に蔑まれるという、理不尽かつ不遇なものだったと記憶している。

 王家に連なる名門の跡取りであれば、羨まれることも多かっただろう。彼は誇張なく優等生だった。後ろ指を指されないよう、努力して生きてきた軌跡が見て取れる。



(あいつ)さえいなければ』



 前世(ゲーム)の中で、ローゼ嬢に手を掛けたカイト君が言った科白は、本心の吐露に他ならない。



『あいつさえいなければ……オリーブ先輩もそう思っていたはずです。先輩はいつも悲しんでいた。泣いていた。嘆いていた。苦しんでいた。知っています。僕はずっと貴女を見ていたのですから』



 閉塞したカイト君の世界にあって、同じようにローゼ嬢に苦しめられたオリーブ嬢だけが、唯一無二の心を寄せる相手だった。ゲームもリアルでも変わらない事実だ。

 きっと彼は、本気でオリーブ嬢に恋をしていた。

 偏執的な、狂気を感じるものであっても――いや、だからこそ今の事態に至ったに違いないのだけれども。


(あいつ)さえいなければ……オリーブ先輩もそう思っていたはずです。……」


 記憶(ゲーム)のシーンと同様に、カイト君が言う。

 この世界での犯行動機はゲームの内容と結構ズレていたのに、根本的な部分は変わらないのだろうか。偽善や自己欺瞞――オリーブ嬢の幸せのために泥を被る――が失われ、より欲望に忠実になっただけ、なのかもしれない。


「……僕は、貴女をずっと見ていたのですから」

「カイト君……」

「貴女さえいれば良かったんだ、僕は」

「ごめんなさい、カイト君」


 オリーブ嬢はカイト君をはっきりと突き放した。

 切り捨てる冷たさはなかった。ただ真っ直ぐに、彼の想いと向き合っている。


「きっと私とは比べものにならないほど、カイト君はローゼ様を、……憎んで、いたのね」

「憎悪なんて……簡単には言い表せるものだったら、もっとマシだったんでしょうね。貴女だってそうでしょう?」

「私は……」

「貴女だって、あいつを」

「カイト君、ねえ、やっぱり私は……()()()()()と思うの」

「違う……?」

 カイト君は無理に笑おうとして失敗したような表情で、オリーブ嬢に反問した。

「何が違うと?」

「友人として……貴方の本心を察し切れなかったこと、全然力になれなかったことは、本当に後悔してる。でもね、カイト君、私がローゼ様にされたことは、飽くまでも私が受けたものだから。貴方が代わりに意趣返しをするべき筋なんてない。絶対にない」


「……っ」

 真っ向から否定され、カイト君はぐっと言葉を詰まらせる。構わずにオリーブ嬢は続けた。

「私が酷く当たられていたのは事実だけれど、悔しくても辛くても悲しくても、私とローゼ様の遺恨はお互いの間で決着しなければならなかった。そうしたかったと、今になって思ってる」


「その機会はもう永遠に奪われてしまった。それが()()()()()()()なら、仕方ないとも思う」

 黒い睫毛がゆっくりと伏せられ、濃い影を作った。柔和な印象が強い(おもて)は、何故か却って厳しさを感じさせた。

「だから……何が悪いのかと訊いている!」

 カイト君はおそらく完全に呑まれていた。

 荒げた声は酷く虚しく、それ以上に情けない。

 外野(モブ)の私ですらそんな印象なのに、当事者で、しかも覚悟の決まった主人公(ヒロイン)に響くはずがなかった。

「駄目に決まってるでしょう?」


「どうして貴方がやったことの理由に、勝手に私の気持ちを使うの? 私の苦しみは私だけのものよ。貴方の心の傷がそうであるように」


 独り善がりの共感も同調も許さない、とオリーブ嬢は冷静に断罪する。どう言い繕っても何を動機にしても、カイト君の罪は当人だけの責に帰すのだという、至極常識的な主張だった。


「……それに」

 数秒だけ、オリーブ嬢は躊躇いを見せた。面と向かっては言い難い主張があるのだろうか。

「わ、私のこと……ッ、手に、入れたいって」


 ああ……(察し)

 これは確かに自分から言うのは厳しいわ。

 すでに愛の告白されたも同然だとしても、平然とは口にできないよ。思春期の女子が人前で「アナタ私に惚れてるって言ったけどさー」みたいな科白。私だったら自意識過剰っぽくないかって全力で自問自答する。


「私だけ、いればいい……なんて」

 オリーブ嬢は弱く首を振った。

「そんなの……本気とは思えない」

「嘘では……ありません。僕は、貴女が」

「でも先生が仰った通りなんでしょう? もし私が本当にギル君と結ばれていたら……いえ、貴方は実際にそう思い込んで、私を貶めて傷つけようとした」

「……好きだったからです、オリーブ先輩」


「ええ、そうです。先輩が他の奴の物になるくらいなら、いっそ身を滅せばいい……と」


 傍で聞いているだけでも薄ら寒い気分になり、私は頬肉を僅かに引き攣らせた。

 病みだか闇だか知らんけど……たとえ愛情の裏返しだとしても、免罪符になりはしないだろう。


 ……恐ろしい。

 いや何が怖いって、私の隣で「ああソレわかるかも」と密かに呟いたギル君が、だよ!

 ヤンデレ国の住人にはその価値観が標準装備なのか。ヤバイ。色々早まったかもしれん。


 カイト君から妄執を容赦なくぶつけられているオリーブ嬢も似たような感想を抱いたらしく、横顔に冷や汗が伝っているのが見えた。

 気の毒に。他人事以上に同情を禁じ得ない。

 しかも残念なことに、彼女は相手に返せる恋愛感情を微塵も持っていない。今まで接してきた印象では、オリーブ嬢にとってのカイト君は親しい後輩に過ぎず、たとえ多少の好意があったとしても、友人以上とは思えなかった。


 愛にも色々ある。

 普通は大人になる過程で、他者の心を動かせないもどかしさを知り、恋を失う苦さを味わい、自分の中で消化する術を模索する。誰もが同じ道を経て時を経て、現実と折り合いをつけていると理解するだろう。そして感情を持て余し処理できなかった者がどうなるか――も想像できるようになる。

 けれど彼らは未だ少年少女、今がまさに不条理と接する初めての機会だ。精神的に未熟で、繊細で、何よりも潔癖な思春期の只中にあって、己の心をコントロールするのはとても難しい。


 カイト君は欲望に負け、憎悪に負け、モラルの箍を外してしまった。どれだけ歪んだ鏡像でも、ある意味では妥協せず理想に恭順した結果だ。

 オリーブ嬢は真逆のベクトルで彼を拒絶する。カイト君が利己を貫き通したように、オリーブ嬢も自らの良心に従って悪意に誅を下す。両者が決して相容れないのは、誰の目にも明らかだった。

 

「支離滅裂だわ……」

 オリーブ嬢は今度こそ大きく(かぶり)を振った。

「私には……貴方が駄々をこねているようにしか思えない。私のことが好きだとか私のためとか言いながら、平気で私を陥れる。どうしてそんなことができるの?」

「オリーブ先輩……僕は」

「結局カイト君は、邪魔になった相手を……殺して、しまえるんでしょう? ううん、貴方はそういう選択肢を持ってしまった。その原因は元を辿れば悲しいことなのかもしれないけれど」



「私は――認めたくない」



「貴方のやり口も、理屈も、全部許せないと思う。もちろん亡くなられたローゼ様のために言ってるんじゃないの。私だってそこまでお人好しじゃないから」

「は……は。だったら何です? やはりご自分が標的にされたと聞いたから、怒ってるんですか? なら所詮は貴女も自分が一番可愛い、利己的な人間だったに過ぎない」

「そう取ってもらっても構わないわ。でも巻き込まれたからというだけで許せない訳じゃない。本当はわかっているでしょう、カイト君。どう言い繕ったところで、貴方の行為が正当化されることはない。貴方は単に私欲に溺れて道義に逆らっただけなのよ」

「随分と良い子ぶるんですね」

 カイト君の歪んだ唇が、掠れた声を紡ぐ。

 薄く開いた眼は充血していた。

「人間なんて一皮剥けば同じだ。機会がないからその境地に至らないだけで、心の奥底では願っている。手に入れたい。排除したい。思い通りにしたい。手段なんか問わない。他人の思惑なんかどうでもいい。貴女だって欲を持てばいずれそうなる。綺麗事で澄ましていられるのは、まだ無垢だから」


「先輩は何もわかってない……何も……」



 + + +



「……っ」


 絶望的に理解し合えないとオリーブ嬢が感じ取ったのと、カイト君の精神が危険水域に達したと私が判断したのは多分ほぼ同時だった。

「先生……」

 繋がる私の指が震えたのに気づいたのか、ギル君の横顔にも警戒が走る。


 でも一瞬気を取られたせいで、僅かに反応が遅れた。

 オリーブ嬢とカイト君には結構な間隔があったけれども、所詮は会話が可能な距離に過ぎない。

 しまった、と思ったときには眼前の場面は動いていた。音もなく空気が揺れる。


「あ――」


 カイト君の腕が突き出される。私の瞳にはスローモーションのように緩やかに映った。もちろん実際には秒の速さだ。

 オリーブ嬢の首元に迫る指先は生身で、攻撃力は無きに等しい。なのに、この悍ましさは何なのか。滲み出る狂気と殺気が瞬く間に場を支配した。


「!?」


 視界の端でランタンの灯が不自然に反射した。

 汚れたカイト君の制服の袖に、鈍い銀色が見えた。すぐにカミソリを連想させる薄い刃物だと認識する。

 ああいうの何と呼ぶのだろう。

 確か暗器とか、そんな感じの単語――。


「オリーブさん!!」


 喉奥から悲鳴のような声が出た。

 どうしよう。動けない。

 オリーブ嬢も硬直している。


「……!」


 割れた窓の隙間から夕闇の風が抜けた。

 少女の黒髪が不可抗力で大きく舞う。

 ほんの偶然だった。

 チラつく焔と共にカイト君の動きが乱れた。


「オリーブ!!」

 複数の叫び声と共に、ザクリという擬音が聞こえたかと思った。

 赤い飛沫が宙を飛んでいる――。

「あ……」



「あー……痛い、ね」

「ギ……ル、君?」



 ちっとも危機感のない呟きが、血と共に零れる。いつの間にか私を押し退けてオリーブ嬢の前に躍り出たギル君は、剥き身の掌で刃を握り込んでいた。


「ギル君!!」

 庇われた形のオリーブ嬢が、今にも吐きそうな顔色で叫ぶ。でもギル君は振り返りもしなかった。

「煩いよ、オリーブ……耳元で大きな声、出さないで」

「え? あ、ごめん……なさい」

 心配すら迷惑そうな風情だった。ギル君はオリーブ嬢が怯んだのも気にせず、血まみれの手で刃物を押さえたまま、呆然と佇むカイト君に蹴りを入れた。


「ぐっ……!」

 カイト君の身体が崩れ落ちる。

「いい加減に、してよ」

 手放された兇器を奪うと、ギル君は無造作に窓の外へ放り投げた。さらに血が床に落ちるのも気にせず、二発、三発と靴底を上下させる。

「ああ、面倒くさい」


 ちょ……ちょ、この子!


「ギル君、ギル君!」

 唖然とする空気を破って、私は何とか呼び掛けた。

 ステイ!

 助かったけど、とりあえずステイ!

 問答無用で後輩を足蹴にするギル君は、キレてるのか冷静なのか投げ遣りなのか、俄には判別がつかない。

 いや……これは大分キレてるヤツか?


「ギル君、手が。血が」

「うん? 大丈夫。あんまり……深くない」


 傷口を舐めるギル君の表情は、どっちが凶悪犯かと疑ってしまうほど凄絶だった。

 こわ……怖いって!

 見下す視線は優美な王子様のものではなく、怜悧な貴公子でもなく、残忍で蠱惑的な魔性のそれだ。

 誰もが困惑して身動きが取れなかった。


「カイト、さあ……」


「別に……カイトがローゼを殺してたって、この場でオリーブを殺したとしても、この先他の誰を死なせようと、僕はさあ……本当はどうでもいいんだけど」

「ギル……先輩」

 どこか脅えた様子で、カイト君は床に伏したままよろよろと後退った。気持ちはわかる。だってギル君の口端は上がっているけど、目元が全然笑ってない。

「カイトの考え……僕は、賛同できなくもないし。好きなひとを手にするためなら……何だってしたいよね? うん」


「殺して手に入れるのも、いいよね。僕も……先生が他の男のものになるなんて、絶対に許せない。そのくらいなら……いっそ殺す」

「えぇぇぇえ」

 ギル君が真顔で曰うから、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。やーめーて。何故そうなる。引く。超ドン引きする。

 そもそも私、未亡人なんですけど! 貞節はまだしも純潔とは言えないからね……って、論点はそこじゃなくて。


 ギル君が計算してるとは思わない。

 ただカイト君が自分よりも何かが極まってる相手を見て、尻込みしたのは確かだろう。


「逆にカイトにも……わかるよね?」


「僕もね……常日頃から、先生との仲を邪魔する奴は、悉くこの世から消えてほしい……って思ってるんだ。もちろん、今も」

「な……」

 立ち上がれないカイト君に目線を近づけるためか、ギル君は自らしゃがみ込んだ。

「君、邪魔なんだよ」

「っ」

「ねえ? 君たちなんかが先生の手を煩わせるの……本当に不快。どうしていつまでも、先生がこんな茶番に時間取られてないといけない? 先生は僕のもの、なんだよ。できたら一瞬だって……他の人間に気を取られてほしくないのに」


 室温が一度下がったような気がした。一歩間違えなくとも異常な執着心を、ギル君は平然と口にする。

 寒気がするのは私だけではないはずだ。

 氷点下の迫力に、カイト君が身動ぎしたのがわかった。ギル君はまるでブレてない。ただ正直に、本心――本性を曝け出している。


「だから……君の理屈に則って、一番目障りな君を、今から殺してあげるよ。いいよね?」

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