20.似非ミステリのhowdoneit
私が言い終えた丁度そのとき、シオン王子がオリーブ嬢を連れて戻って来た。
ナイスタイミング。
特に灯りを持ってきてくれたのが助かった。室内が暗くって、このまま話し続けるのも微妙だと思っていたところだ。さらに似非探偵役の長広舌にちょっと疲れたので、一息つけたのは幸いだった。
オリーブ嬢が手にしたランタンが再び室内を照らす。仄かに浮き出された光景が端から見たら怖過ぎた。
床に突っ伏して拘束されたカイト君、拘束するガタイの良いルッツ君、はだけたシャツ姿でピリピリと周囲を窺うユーハ君、ボロボロの私にベッタリとくっつくギル君。
うん、いきなり目の当たりにして、動揺しない方がどうかしてる。美術室に足を踏み入れるや否や、オリーブ嬢は息を呑んで立ち尽くした。
「……!」
「ア、アニー先生!」
「オリーブさん……」
「あの……カイト君が、犯人だったって聞いて、でも私、信じられなくて」
オリーブ嬢はヒロインらしく心痛を露わにした。髪をほどいた私と体格は被っても、やっぱりちゃんと見たら似ても似つかないよなーと自虐的に思う。
尤もあの見間違いは半分くらい先入観の為せる技だろうけど。麗しの隣国王子様のカップリングが冴えないモブ教師だったなんて、誰も彼も想像していなかっただけだ。
さて、そのあたりの説明はシオン王子から伝わってるのだろうか。こっちの保身でオリーブ嬢に長く濡れ衣を着せていた自覚はあるから、実はちょっと後ろめたい。
「落ち着け、オリーブ。まずは火の跡に水を掛よう。アニー教員、この量で足りるか?」
シオン王子はオリーブ嬢を宥めながら、なみなみと水を湛えたバケツ二つを私に差し出した。
「ええ、万遍なく焦げ跡に掛けてください」
「わかった」
オレサマ王子様にしては意外なくらい、こちらの指示通り従ってくれる。心なしか、しっかりして頼りがいのある顔つきになっているような。
アレか。失恋確定だったのが誤解で、ワンチャンあると見込んで格好つけてるのか。ゲンキンだなぁ。
何はともあれ、火の後始末はできたので一安心だ。よくよく考えてみれば、一応すぐに鎮火したとはいえ、火災現場に留まり続けるのって危ないよねぇ。窓を開けてたおかげか、一酸化炭素中毒みたいな怖い自体にならなくて良かった。
焦げ臭さと古い水の匂いが混じった、お世辞にも快適とは評せない部屋からは早く出たい。でも殺人事件の舞台の謎解きフェーズにおいて、容易に現場を離れられる雰囲気ではなかった。
つまり――大変不本意ながら、私が話し切るのが一番の近道と言える。マジだ。めんどい。
「さて……それでは皆様揃いましたので」
「てめェ、今度こそちゃんと説明するんだろうな? いい加減のらりくらりと躱すんじゃねェよ」
「ああ。カイトの動機にギルとオリーブが関わっているとはどういうことだ? わかるように説明してほしい」
「!? 私とギル君が? どうして……? 私は何も知りません。説明してください、先生」
「アニー教員よ、私が不在の間に何を話していた? カイトが何か言ったのか? 速やかに説明するべきだ」
それぞれが異口同音に説明を要求してくる。こういうところは教室と変わらない。前世では全然別の職種だったから今世しか教師経験はないけど、青少年が集まると質疑応答で収拾がつかなくなりがちなのは承知している。
「カイト様はだんまり、いえ黙秘を続けています。ですから確証を得られた訳ではないですが」
「事の起こりは――……」
語尾を伸ばしつつ動いた私の目線は、攻略対象者をすり抜けて紅一点の美少女へと向かった。
「オリーブさん」
「は、い……?」
名を呼ばれて戸惑う彼女の左手が、胸の前に置かれる。小さな拳はきゅっと握られていた。
「貴女のその……」
「……私、の?」
「その、一度失くされた腕輪です」
+ + +
「腕輪……?」
オリーブ嬢の左手首を飾る金鎖の腕輪は、そこそこ特に目立った特徴のないものだった。いきなり言われて持ち主も当惑している。なるほど、その反応でよくわかる。
彼女自身は腕輪の本当の出どころを知らないのだ。
「私の腕輪……何かあるんですか?」
「お祖母様の形見でしたね?」
「はい」
「ローゼ様が亡くなられた日の前日、貴女は二階の家庭科調理室でそれを失くしたのでしたね」
「そう……です」
こくこく、とオリーブ嬢が素直に頷く。
「とまあ、そういうお話でしたが、実はローゼ様が貴女への嫌がらせ……のために、盗み隠したのだとか」
「……ご存知だったのですね」
「ええ、ユーハ様から」
「ちッ」
仲間内の隠し事を暴露したのは自分なのに、ユーハ君は不愉快極まりないとばかりに舌打ちした。
別にオリーブ嬢はそんなことで非難しないと思うけどね。ワケありとはいえ、密かに加害者側の味方だったのはさすがに後ろめたいのか。
「そうでしたか……でも、私」
「特に親しくもない教師風情にすべてを打ち明けられなくとも、致し方あるまい。オリーブは悪くない」
「その通りです、シオン殿下。わたくしも隠し立てをされたことで、オリーブさんを責めているのではありません。……さて、では本題に戻りましょう」
申し訳なさそうにするオリーブ嬢と、何故かドヤ顔で庇うシオン王子を尻目に、私は淡々と続けた。
「ローゼ様がこっそり奪ったその腕輪を見つけて取り戻したのは、他でもないカイト様でした」
「!」
「そうか! それが嘘だったのか!」
シオン王子が目を瞠いて声を上げた。
「カイトが調理室を探したというのは偽りで、実際はローゼを殺して奪い返したのか!」
「……まあ、合っています」
えっと、うーん……普通はここまでくれば察せるよね。そんな大仰にしなくてもと思わなくもないけれど、教師として生徒は褒めて伸ばすべきだろうか。
「シオン殿下でしたら、いずれ正解に辿り着くと思っていました。無論、仔細もおわかりいただいておりますね?」
「露台で目撃されたのはローゼではなくカイトだった。これは先程明らかになった事実だ」
「ええ」
「つまり、調理室には行っていない」
「その通りです」
「カイトは美術室に施錠をして、ローゼを絞殺した。そしてローゼの上着に着替えて露台に出る。その姿を目撃させるために。調理室で捜し物をしたというのは、五時前後に美術室にいなかったことを誤魔化す方便に過ぎなかった」
さすがにこうやってちゃんと聞けば、カイト君のそもそもの証言が何のアリバイにもなっていない事実にいやでも気づくだろう。尤も、ほぼ全員が単独行動が多くて無罪が立証できなかったからこそ、今に至る訳だけれども。
「まさかカイト君は……私の、腕輪を取り戻すために、そんな凶行に及んだのですか?」
オリーブ嬢の肩は小刻みに震えていた。壊れ物に触れるように、見かねたシオン王子がそっと手を添える。
何ていうか……ちゃっかりというか。攻略対象者とは「隙あらば」とか「あわよくば」とかを自然とやってのけてしまう人種なんだろうなー(棒)
「私のせい……?」
「それは違う、オリーブ」
「シオン君……でも」
「君は先程いなかったからな。どうやらカイトの犯行は計画的だったらしい。そうだな、アニー教員」
「……オリーブさんが原因ではない、とは言い切れません。一連の出来事がある程度仕組まれたものであることは、事実です。所謂『カッとなってやった』という類いの犯行ではありません」
「じゃあ……カイト君は、本当に……」
突発的な、或いは衝動的な殺人であることを否定するということはイコール、カイト君の中にあった明確な殺意を認めなければならない。親しくしていたオリーブ嬢には辛いだろうか。自分を慕ってくれる優しい後輩が、一方で平然と殺人を犯していた、なんて。
「カイト様はあの日――四時半に旧校舎に赴いたと仰っています。だとしたら正門側の道を通ったというのは虚偽でしょう。帰り道のユーハ様と遭遇していたはずですから。ならばカイト様は裏門から校舎に入ったはずです」
「!」
「確かに……あんた、そんな初っ端からカイトの証言の矛盾に気づいてたのか」
「もちろん逆の可能性も考えていましたよ。ユーハ様の方が嘘を吐いていて、旧校舎に残ってローゼ様を殺めたのかもしれない、とも」
「ちッ……まあ当然か。それで? 俺への嫌疑はすぐに晴れたと思うけどな」
「そうですね。以前ユーハ様ご自身が仰っていた通り、複数の生徒から五時前後の本校舎での目撃情報をうかがえましたので」
「そうなると俺を犯人から除外するか、あとはカイトの共犯って線も考えたか?」
さっさとロジックを組み立てていくユーハ君には、改めて感心せざるを得ない。オリーブ嬢もシオン王子もルッツ君もついていくのがやっとのようだ。マジで最初からこの子が探偵やった方が解決早かったよ、多分。
「共犯……例えば四時に来訪したユーハ様とカイト様が共謀して犯行に及んだとします。ユーハ様が実行犯、カイト様が後から来てローゼ様と会ったと偽証すれば、確かにローゼ様の死亡時刻を誤魔化せますね」
「俺の不在証明が成立するな」
「しかし、それではおかしくなる証言が出てきます」
「なるほど?」
自ら皮肉を言うユーハ君は、共犯説の矛盾に気がついている。試し行為とはけしからん。ふてぶてしい態度だ。
「どこで俺が共犯、いや主犯でないと思った?」
「……ユーハ様はあの日、ローゼ様が淹れられたお茶を召し上がったでしょう?」
「ああ」
その返答を聞くと、私はオリーブ嬢に視線を向けた。先日同席していた彼女には、意味がわかるだろう。
「あ……カイト君、卓上に茶器があったと言っていました。ユーハ様と共犯だったら、自分の前に来客があったことをわざわざ示唆しないはず……?」
うむ、正解。よくできました。オリーブ嬢の頭上にマルを付けてあげたい。
「あんたの言う通りだ。俺とカイトは明らかに連携してねェよな。俺が犯人だったら旧校舎にいたなんて、痕跡も残さないさ」
「共犯でないとして、カイト様がユーハ様とはすれ違わない時間帯に旧校舎に赴いた、という可能性もありましたが」
「俺より前ってのはあり得ねェ。茶器の件もあるが、授業に出てればそんなに早くには動けねェからな。カイトは優等生だ。サボれば不自然になる。そこは確認したんだろ?」
「ええ。低学年の授業が終わってから移動すれば、最速でも四時が限度です。逆にもっと遅く……五時ギリギリに来たとしたら」
「ルッツと鉢合わせていた、か」
「そうなると、施錠された美術室内にいたのはカイト様になってしまう。どちらにせよ真っ黒です。この時点でカイト様への疑いは極めて濃くなりました」
多少強引に進めてる感はあるけれど、ひとつひとつ潰していく。一同にも私がどうやってカイト君犯人説に行きついたか理解できてきたようだ。ここまでくれば、もう前提抜きで話を進めても問題あるまい。
「まあ多分、遅い時間ではなかったでしょう。計画的にローゼ様を殺害するのですから、ギリギリでは心許ない。カイト様は低学年の授業が終わった後、速やかに旧校舎に移動したと考えます。何しろ彼は偽の手紙でローゼ嬢を騙ってシオン殿下を呼び出しており、時間的な制約がありました」
「姉弟であれば手跡を真似るのも容易い、か。惜しかった。私が手紙を処分していなければ証拠が……」
「それは致し方のないことです。付き合いの長いカイト様ですから、殿下の行動は予測していたのやもしれません。厭っておられる婚約者の手紙、況してやオリーブさんに嫌がらせをした直後です」
周到な心理戦と呼べるかはいざ知らず、カイト君にとってシオン王子は読み易い部類の人間だったには違いない。ローゼ嬢と対決するために意気込んで呼び出しに応じたとしても、不快な手紙自体を取っておかないと踏んだ訳だ。そして事実そうなった。
「理解したつもりでいたが……やはりカイトは俺が美術室を訪ねたときには、とっくにローゼを殺していたんだな」
今更ながらに、ルッツ君が痛まし気に呟く。
扉ひとつ隔てた向こう側でローゼ嬢は無惨な死体になっていた。ルッツ君が見たのは彼岸に佇む亡霊のようなものだ。思い出すほどに沈む気持ちはわからなくもない。
最早、どう取り繕っても無意味だ。顔を突っ伏したままのカイト君が、一番それを自覚しているのかもしれない。
「カイト様は……」
「ユーハ様が帰られた後に、美術室でローゼ嬢と相対しました。その際どのような会話が交わされたのかは想像するしかありません」
私はあったかもしれない光景を脳裏に描く。
口論をする姉弟。
背を向け、退出を促す姉。
隙を待っていたとばかりに、背後から襲いかかる弟。
凶器として手にしたのは、おそらく髪を束ねていた組紐だろう。この日のために頑丈に編まれたそれは、令嬢の細首を容易に締め付けた。
カイト君は抵抗虚しく事切れたローゼ嬢の衣類を検める。例の腕輪を見つけ、奪ったのだ。
「ローゼ様を絞殺した後、カイト様は彼女の上着を脱がせ、さらに自らの上着を脱いで羽織り、露台に出ました。髪は解いたままで、また下半身は露台の手摺に隠れているため、遠目にはローゼ嬢と誤認されてもおかしくなかったでしょう」
その後は先程話した通りだった。
女子生徒の上着でローゼ嬢を装ったカイト君は、バルコニーでまずルッツ君に裏門から目撃されるのを待った。次いでシオン王子を。無論、直に見られたらお終いなので、施錠することによりルッツ君を美術室前で立ち往生させ、顔を合わさず蜻蛉返りさせようとした。
「ルッツ様が隣の空き教室から美術室の露台を覗こうとしたのまでは、さすがに計算外だったでしょうね。けれど運良く一瞬の後ろ姿しか見咎められなかったおかげで、今日に至るまでカイト様の偽装は見破られなかったのです」
「それは俺の不覚だが……しかし、どうにも綱渡り過ぎやしないか。僅かな隙ですべて破綻しそうな計画に思える」
「まったくです」
その点は大いに首肯したい。
ミステリじゃない似非物語だからこそ、乙女ゲームを齧っただけの私ごときが説明できてしまうのだ。
「さて、それではもうひとつ――」
私はゆっくりと人差し指だけを伸ばして掲げた。
「カイト様が犯した失策を語りましょう」




