18.亡霊は現を見誤る
「真犯人は――」
この中にいる、と名探偵気取りで続けたいところだったけれど、私はひと呼吸置いた。
「……あの日、致命的な勘違いをしました」
「おい、いつまでも勿体つけてんじゃねェよ。しかもさっきから言ってることが何かおかしいぞ」
「黙れ、ユーハ。話を聞け」
「煩ェよ。濡れ衣着せられてる可能性はあっても、シオン、お前がまだ一番の容疑者なのは変わらねェだろうが」
「何っ……!」
怪しんでいた側と疑惑の対象が再び険悪になる。
いや、迂遠なのはわかってるんだけどさ、こっちにも心の準備というか覚悟が要るというか。
「お止めください、殿下、ユーハ先輩」
小さな手振りで、カイト君が両者を止めた。
「……アニー先生、真犯人とやらは、いったい何を勘違いしたというのですか?」
事実をきちんと見据えようとする姿勢は、元来の性格によるものなのだろう。カイト君の生真面目さが場に伝播して、緊張感が引き戻される。
「先生が真相に辿り着いたのは、それを発見したからなのでしょう。僕には見当もつきませんが……」
「そうかもしれませんね」
頷きながら、私は窓に触れていた手に力を込め、そのまま外側へと押した。
「さて、もう大分暗くなりましたから、角灯ひとつでは見え辛いでしょうけれど」
隣の空き教室とそっくり同じのバルコニーに、オレンジの灯りが影を映す。自分で言ったとおり、周囲を細かくチェックできるほど視界は良くなかった。
「真犯人はあの日、この露台から下を覗きました」
「最初はまあ、単純に裏門の出入りを確認していただけだったのでしょう。ただ裏庭に目を落としたら、自然と見つけてしまった」
「ギルと――オリーブか」
ルッツ君がここにはいない二人の名を挙げる。はじめにカップルの目撃情報を耳にしたのは彼からだった。シオン王子もカイト君も最初は口を噤んでいた。
「やはりあの二人に何かあるのか? ここまで連れて来なかった深い理由が」
「……種明かしを致しましょう」
「金木犀の樹の下にいた男女のことです」
私はやや自嘲気味に口端を上げる。
許されるのならば、一生沈黙を守りたかった。本心からそう思う。残念ながら叶わない願いだ。
「ギル殿下とオリーブさんだと皆様は信じ込んでいます。しかし、それが勘違いなのです。ギル殿下と一緒にいたのはオリーブさんではありません」
はぁ、と私はわざと音を立て、嘆息めいた呼吸を吐いた。ああ嫌だ嫌だ。本当に嫌だ。
眉間が勝手に渋面を作っているのは自覚している。
ええい、致し方ない。女は度胸だ。
「あれは――わたくしです」
+ + +
誰もが惚けたように私を見ていた。
うん、言葉の意味を理解するのに時間がかかるよね。無理もない。逆の立場なら私だってそうなる。
「……な、にを言っている、貴様」
最初に尋ねてきたのはシオン王子だった。ていうか、動揺が思わず口をついて出てしまっただけか。
「アニー先生が……? オリーブ先輩ではなく、あのときギル殿下といたのが、先生……?」
カイト君が下手をすると聞こえないくらいの呟きで、まさかと嘘だを交互に繰り返していた。
ごめん、気持ちはわかるよ。でも。
「事実です」
望みを断つかのように、私は一言で切って捨てる。感情の整理が追いつかないのか、シオン王子もカイト君も頭を抱えていた。
一方で年長組はいち早く冷静さを取り戻し、私の告白の信憑性に疑義を唱えた。
「見間違いなどあり得るのか? いくら遠目でも教師と生徒では明らかに異なるだろう」
信じ難いのは当然だ。ルッツ君の指摘は至極尤もだし、私とオリーブ嬢の顔の印象が似ても似つかないという前提条件を考えれば、否定以外出てこないだろう。
「俺は直接見てねェからな。だが、見た奴全員が人違いするなんておかしいだろ。百歩譲ってオリーブと似た別の女子ッつうなら兎も角」
ユーハ君の意見はより具体的である。その場で見ていないからこそ、客観的に考えられるのかもしれない。
「制服――だったんじゃねェのか? あの日裏庭でギルと一緒にいた女は。あんたじゃねェはずだ」
「……お恥ずかしながら、わたくしなのですよ」
私は片手を頭の後ろに上げて、アップにしていた髪を解いた。いつも簡単に束ねているだけだから、あまり手間はかからない。
はらりと黒髪が肩より下へと落ちる。
丁度オリーブ嬢と同じくらいの長さだった。
「実は、身長も体格もあまり変わりません」
まあ顔は全然違うんだけどね、と内心で自嘲しつつ、私は彼らに背中を向けてみせた。
「だが……服装は? ユーハも言った通り、ギルと共にいた者は女子の制服を着ていた」
「だから殿下、ええ――着ていたのです」
「は?」
「わたくしが、その制服を」
ううう、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
何が悲しくて、こんな生き恥を暴露しなければならないのか。いったい誰得だ。誰のせいだ。
顔は間違いなく羞恥で真っ赤だったけれど、後ろ姿だから連中にはわかるまい。これ以上、生徒に恥を晒したくない。
「何故、先生が……生徒の制服を?」
「……まあ、簡単に言えば賭け札遊びの罰則です。カイト様はご存知でしょうが、学園内では賭け事で金銭のやりとりは禁止されてますでしょう?」
「そういう問題では……」
「ああ、金銭云々ではないだろう」
カイト君だけでなく、堅物なルッツ君も半ば絶句している。正直その反応は予想していた。教師として駄目人間ですよね、はい。
「今、要点はそこじゃェだろ。この教師の素行を糾弾するのは後でいい。それよりも……本当なんだな?」
「そうです。あの日の四時から五時にかけて、ギル殿下と中庭にいたのはわたくしです。五時の鐘が鳴った後、わたくしは当直の仕事のため校舎に入りました。一階の用務室で着替えてから校舎の見回りに行き、シオン殿下に次いで二番目の発見者となりました」
一息に語ると、私は再び振り返る。開いた窓から背中に風が当たり、黒髪を舞わせた。
自分の軽率さに後悔はある。でも顔には出せない。素はどうしようもないロクデナシ教師であっても、今だけは毅然とする必要があった。
「おわかりになりますか?」
挑発するように顎を突き出す。
同時に、左から右へと視線を一巡させた。
「これがどういう意味か」
「……」
四人がそれぞれの表情で考え込む。
登場人物の入れ替えを示唆されたのなら、まず疑問に思うのは、そこに居たはずの人物についてだろう。
「オリーブ先輩……」
「そうだ、オリーブはその時刻どこにいたのだ? もし我々が誤認していたのなら確かめる必要がある」
「待てよ、カイト、シオン。んなモン、とっくに確認してるに決まってるだろうよ。言ってることがマジなら、お前らが見たのがオリーブじゃねェと、この教師もギルも端から知ってたんだぜ?」
ユーハ君が私を睨んだ。
「違うか?」
残りの三人がハッとして目を瞠く。
まあ、むしろ思い至らない方が迂闊だろう。
「そうだ……振り返ってみれば、最初に中庭の話をしたときも、その後も、オリーブは何かを言いたそうにしていた。それを止めていたのは、貴女だった」
「ええ、ルッツ様」
誤魔化す気もなく、私は素直に肯定する。
例の逢引現場――と、表現するのも微妙な気分だけれども――について、一番はじめに言及したのはルッツ君だったから、動揺するのも無理はない。
「意図したことではありませんでした。ですが、偶然にもそれが真犯人を暴く大きな手掛かりとなったのです」
「真犯人……」
溢すように呟いたのは誰の声だったか。
犯人――私がローゼ嬢殺害犯人だと断定している人物は、おそらく自分の失策に気づいている。だから言い逃れる方法を考えているはずだ。できるだろうか。間髪入れずに追い詰めるなんて。
「真犯人はあの日、この露台から下を覗きました」
「くどい。先程も同じ科白を聞いた」
「……おい、今なんつッた?」
「? 同じ科白を……」
「違う、シオン。お前じゃねェ」
「ユーハ……?」
ユーハ君は表情を著しく険しくさせて私を見た。あまりの迫力に、シオン王子ですらちょっとビビっている。
「なんでだ?」
「……何故、とは?」
「ローゼだろう?」
「露台にいたのは。なんで犯人になっている?」
+ + +
「そうだ……さっきからあんたの言い回しに違和感があったのはコレか。シオンに手紙のことも、呼び出したのはローゼだったはずなのに、いつの間にか犯人の思惑となっていた。そういうことなのか?」
ここまで導けば、鈍くとも答えに辿り着けるとは思う。現時点で把握している情報は、私も彼らも大差ない。
人違いをしたのは……いいや。
されたのは誰なのか。
「私への手紙は騙り……?」
「あのとき露台にいたのは……ローゼではなかった?」
シオン王子だけでなくルッツ君も愕然としている。長身がよろりと傾く。呟きは弱々しく、呻くようだった。
「まさか、そんな……」
「そう……なのですか? そもそも僕は聞くまで姉が露台にいたのを知りませんでしたから、何とも言えないのですが」
カイト君は見るからに青褪めていた。少年らしい高めの声は、動揺を隠そうとして失敗したみたいにやや上擦って聞こえた。
「姉を見た、と断言されたのは……」
「……ルッツだけだ」
シオン王子は感情を押し殺すかのように、人差し指で眉間を押さえていた。
「私も露台を見てはいなかったのだから」
「ルッツ、お前は本当にローゼを見てんのか?」
ユーハ君が抑えた口調でルッツ君に尋ねた。真に疑いを向けるべき相手が誰なのか、多分まだ迷っているんだろう。
「見てたとしても、それが間違いなくローゼだったと今も言い切れんのか?」
「俺は……確かに」
「本当にそうか?」
「俺が嘘を言ってると?」
「ルッツ様……ユーハ様は貴方の証言に虚偽があったと仰っているのではありません」
無用な誤解から軌道がズレても関係が拗れてもいけないので、私はすかさず修正をはかる。
「わたくしが思うに、ルッツ様は視力があまり良くないのではありませんか?」
「何?」
「よく目を細めていたので。オリーブさんとわたくしを見間違えたのも、距離的に顔が判別し辛かったからでしょう」
「な……」
別に意表を突くような指摘じゃないと思ったけれど、言われた側は初めて自覚したのか、何やらポカンとしていた。
「果たして目の悪いルッツ様が、裏門から四階にある美術室の露台を見上げて、個人の顔立ちまで特定できますか? 距離に加え高さもあるので、常人でも難しいはず。ルッツ様が見た方が、オリーブさんとわたくし同様、背格好が近しい別の誰かではないと言い切れるでしょうか」
「馬鹿な……」
納得し切れないと、ルッツ君は頭を抱えた。
「あり得ない。俺は隣の教室からも見ている」
「後ろ姿を一瞬だけ、でしょう?」
責めるつもりはなかった。
口調がキツくなってしまうのは、ロジックが強引でも断定的である方が説得力がありそうだからで、特に他意はない。思い込みや先入観が払拭できれば構わなかった。
でもルッツ君はがっくりと項垂れていた。
「俺が見たのはローゼではなかった……どころか、ローゼを殺めた張本人だったのか」
「ルッツ様でなくとも、あれだけ距離があれば見間違えても不思議ではありません。美術室にいるのはローゼ様以外にないという先入観もあったでしょう。シオン殿下とて目を遣っていればそう信じたはずです」
「だが……だとすれば、そのローゼに似た姿の女子生徒が真犯人なのだろう?」
腹芸ができないシオン王子が、ストレートに切り込んでくる。いや、話が早くて全然いいんだけどさ。
「女子生徒……やはり、オリーブ先輩なんでしょうか」
蒼白のままカイト君が呟く。
慕っていた相手を語るには弱々しすぎる声だった。
「金髪のカツラでも被って、オリーブがローゼのフリをしたってか。ねェだろ。だいたいローゼの方がオリーブより長身で体格も良い。いくらルッツが遠目でも後ろ姿でも間違えるかよ」
「ああ。俺もそれはないと思う。先生とオリーブはまだ身体つきが似通っているが、ローゼはまったく違う」
「そう、例えば――」
「ローゼ様に顔貌も含めてよく似た金髪の御仁。そんな方が女子生徒の赤い上着を着て、露台に立っていたとしたら如何ですか?」
私はたったひとりをじっと見つめた。
ローゼ嬢と同質の金の髪。
近似値を描く顔立ち。
背の高さも肩幅もほぼ変わらない。
彼こそが死者の亡霊――。
死んだローゼ嬢に化けた真犯人に違いなかった。
「どうでしょう、カイト様?」




