15.円環は閉じていない
まあ正直ユーハ君の抱いた疑問や違和感は尤もだった。ていうか、ギル君が裏庭からわざわざ正門側に行った理由なんて、私も知らないんだけどさ。
ただ――「何故か」と訊かれれば困るけど、「どのようにして」というなら説明できる。
「ギル君……ギル殿下はシオン殿下とは真反対の校舎脇を抜けただけでしょう? 別に不思議でも何でもない」
旧校舎は敷地も校舎も塀もすべて綺麗なシンメトリーのため、正門側に校庭が、裏門側に裏庭があるくらいしか構造的な違いがない。通り抜け可能な校舎脇の隙間は、当然もう一方にも存在した。
それだけだ。
物理的には問題にすらならない。
「違ェだろ。なんでわざわざギルは移動した?」
「存じませんよ」
これは本当に答えられないから仕方ない。
単なる気紛れか、何かの予感か。だって偶然カイト君に会って旧校舎の敷地に残ってなければ、私の悲鳴にも気づかず本校舎に戻っていたことだろう。
「おい、ふざけてんのか」
「……ちょっと待ってください、ユーハ先輩」
「カイト?」
不意にカイト君がユーハ君の追求を制止する。
「すみません、ちょっと気になって」
「何がだ?」
「いえ……今のお話ですと、裏庭にいたギル殿下とオリーブ先輩は……別行動になっていた、ということですよね?」
「! 待てよ、じゃあ……」
「そうです……オリーブ先輩は単独行動だったのでは?」
しかし自分で言い出したにも拘わらず、カイト君は「いや、まさか」と即座に翻して肯定したくない様子を見せた。眼鏡の奥の双眸には戸惑いの色が浮かんでいる。
「落ち着け、カイト。食堂でお前自身言っていたはずだ。忘れたのか」
「ルッツ先輩……」
頭ひとつ分よりさらに背の高いルッツ君が、カイト君の背後から軽くその肩に手を置いた。
「俺が最後にローゼを見たのが五時、お前やシオンがオリーブとギルを見たのが同じく五時だ。その後すぐにオリーブが美術室に行ったとしても、ローゼを害してシオンに見咎められず逃げる時間があったとはとても思えん」
宥めるよりは諭すような声音で、けれど淡々とルッツ君は言い切った。
正直、時間軸の話は堂々巡り感がある。
五時丁度には生きていたはずのローゼ嬢が、あまりにも短時間で事切れていたのは事実だ。オリーブ嬢が犯行に及ぶのは難しい。そしてギル君は正門近くでずっとカイト君と一緒だった。
じゃあ――いったい誰であれば無理なくローゼ嬢を殺せるのか?
隣室にいたルッツ君?
いいや、もし彼が犯人ならわざわざローゼ嬢の目撃情報なんて出さないだろう。殺された推定時刻に幅があった方が容疑者は増える。それこそ金木犀の下にいた二人に疑いの目を向けさせるのも可能だと思う。
犯行時刻よりも随分前に旧校舎から離れていたと主張するユーハ君はどうか?
確かに最初は本当かどうか怪しいと疑った。人気の少ない旧校舎なんて、その気になればどこにでも身を隠せる。
ただ……ユーハ君には複数の証言から成るアリバイがあった。酒場で当人に聞いた通り裏を取ったところ、本校舎に残っていた女生徒の幾人かが五時頃に彼を見掛けたり、挨拶を交わしていたようだ。
となると、消去法でいけば残る結論はひとつしかない。もちろん旧校舎は密室や孤島のように閉じてはいないから、飽くまで攻略対象者たちの中に犯人がいると仮定するならば、だけれども。
私は食堂の時点で気がついていた。
その程度の推測は同じ情報を共有する者なら誰でもできる。あの日、最も簡単にローゼ嬢を殺せたのは――。
「……シオン……?」
やっぱりというか、案の定というか、最初に勘づいたのはユーハ君だった。
「そうだ、本当は始めから難しく考える必要はなかったんじゃねェのか? あの日――最後に、一番近くにローゼといたのはどいつなのかってことだろ?」
「何を言っている、ユーハ……?」
ハッとして眦を上げたユーハ君に対して、シオン王子が困惑の視線を返す。
「え……ユーハ先輩、それは」
「……お前が言いたいのは、まさか」
シオン王子以外の全員が、ユーハ君の発言の意図するところを即座に把握した。
「俺もまさかと思うぜ? 第一発見者が犯人なんて茶番、普通ありえねェ」
「なっ……」
シオン王子は絶句していた。
まさか自分が容疑者と見做されるなんて、予想だにしなかったのだろう。
「辻褄は合うだろ?」
「いや……しかしユーハ先輩、いくら何でもシオン殿下が婚約者である姉を……なんて、そんな……」
「それだ。他の女に惚れて婚約者が邪魔になった。これ以上説得力のある動機はねェよな」
「何を馬鹿な!!」
シオン王子は激昂に近い怒りを発して、声を荒げた。端正な相貌が見る間に紅潮していく。
「ふざけるなよ、ユーハ、貴様!!」
著しく冷静さを欠いたシオン王子はユーハ君の胸ぐらに掴み掛かった。
「止めろ!!」
両腕を力強く広げ、ルッツ君が二人の間に割って入る。さすがに鍛えてるだけあって、同年代の男子程度では複数でも軽くいなせるようだ。
「退け、ルッツ!!」
「こちらの科白だ、シオン」
「何……!?」
「ユーハとやり合って何になる? ユーハもだ。たとえお前の推理が正しくとも、証拠もなく憶測ばかりではどうにもならん」
「証拠だと?」
「それを確かめるために、今こうして皆で校舎を回っているのだろう?」
極めて冷静にルッツ君が両者を制した。
本来は脳筋系キャラのくせに、随分と真っ当だ。無意味な争いを止めるだけでなく、逸れた話の軌道を戻すのに一役買ってくれている。
「そうだったな、先生」
「……まあ」
子どもの喧嘩を見守る立ち位置みたいに同意を求められ、私は苦笑して頷く。
「結論を急くのは尚早かと。何しろまだ校舎内に立ち入ってもいない訳で」
「ちッ、今更調べて何か出てくるのかよ。学園側だって一通りは見てるんだろ?」
「ユーハ先輩の仰る通りです。姉のことは無念に思いますが、最早証拠を見つけるのは困難では?」
「さて、どうでしょうね」
ユーハ君とカイト君の後ろ向きな想定を、私は曖昧に否定した。
もちろん最初から意味もなく連れ回したりはしてないんだけどさ。それこそ私は彼らに言われるまでもなく証拠――というか確証がほしい。
「とりあえずは……日が暮れて暗くなる前に校舎内を回りませんか? 議論はその後でもいいでしょう?」
ギスギスしてしまった雰囲気を敢えて取り合わず、私は再び生徒たちを促した。
「参りましょう」
+++
正面入口の扉を半分だけ開ける。
私は少し緊張しながら足を踏み入れた。攻略対象者たちが続く。
女教師がそれぞれに渋面を作る生徒たちを従えてるって、何だかアレな絵面だよね……。
背中に感じる空気が重くて気まずい。
幼馴染同士で疑い合うのはしんどいだろう。
早く解決すればいい。
犯人以外がそう願いつつも、おそらく心の奥底では真逆を切望しているはずだ。
誰も――犯人でなければいい、と。
私にもそれに近い感情はある。
転生前の記憶、つまり舞台の元ネタを知ってる自分は、最初から殺伐とした結末を覚悟していなければいけないにも拘わらず。
ああもう、本当に探偵役なんてモブには荷が勝ち過ぎてるよ。あの日の罰ゲームがまだ続いてるとでも言うのか……。
知らず溜め息が出る。
完全な部外者だったら良かったんだけれど、残念ながら私も旧校舎にいた当事者のひとりなのだ。
「あの日……」
正面入口のすぐ近くにある階段の下まできて、私は四人に尋ねた。
「一階に寄った方はいらっしゃいませんね?」
答えは全員が是だった。
ちなみに私は見廻り前に一階の管理室(当直教員の立ち寄り所で旧用務員室らしい)に行ってたりするけど、特に説明はしない。
「では、次は二階です。カイト様が探し物をされていた家庭科調理室です」
裾を少し上げて、そのまま階段を上る。
カツカツと複数の足音が響いた。
二階の廊下に入ると、躊躇わず調理室の前まで進み、鍵を開けた。
調理台がメインの室内は、以前であればお菓子の甘い香りが漂っていたのかもしれない。
壁際の本棚には分厚い料理本が並んでいる。この部屋だけではないだろうけど、閉め切られて換気の悪い場所となった今、保管状態が心配になる。
並列する調味料の棚には、一般的に使うもの以外にも、世界各国の珍しい香辛料も瓶詰めにして置かれていた。随分と勿体ない気もする。
窓の外には中庭の金木犀の頭が見えた。そう――ここは事件が起きた美術室と垂直の位置にある。
この調理室にいたのは、たったひとりだ。
「カイト様――」
おそらく受ける側は質問されるであろうことをすべて悟っていた。
「……はい」
「あの日、ローゼ様が……亡くなられたと思しき時間に、カイト様はこちらにいらしたのでしたね」
「ええ」
「姉のところに行った後に、ここに来ました。以前にもお話した通り、オリーブ先輩の腕輪を探すためです」
一見すると幼けない顔立ちでも、口調はしっかりしている。お坊っちゃまのようでも、生まれからしたら苦労を重ねているはずだろうから、当然と言えば当然か。
「ローゼ様の様子は如何でしたか? 反省されていたとか、逆に不貞腐れていたとか?」
「そうですね……どう言ったらいいのか。気もそぞろというか、反応が鈍かったような」
「感情的な様子は?」
「ありませんでした。オリーブ先輩への非常識行為を突き付けたのですから、反発は当然と覚悟していたので、意外に思いましたが……」
うーん……これはどう捉えるべきだろう。
本当なら、多分カイト君の前に訪れたユーハ君が苦言を呈したため、ローゼ嬢は自身の愚行を省みて落ち込んでいたのかもしれない。
「ちなみに、件の腕輪は調理室のどこに隠されていたのですか? 探索に随分と時間がかかっていたようですが」
カイト君がオリーブ嬢に直接手渡していた腕輪を思い出して、私は今更ながら疑問を抱く。
例えば調理器具の置かれた戸棚の奥?
調味料の瓶の中?
壁に掛けられた絵画の額縁の裏?
そんな適当な隠し場所なら、細い金鎖の腕輪でも五分もかけず簡単に発見できただろう。
「それは――本、です」
「本?」
カイト君の回答を受けて、全員の視線が自然と本棚に注がれる。
「本に挟んであったと?」
「ええ。栞紐に結んでありました」
迷いのない動作で、カイト君は本棚から一冊の料理本を取り出した。
「確か……この本でした」
差し出された本はいやに重厚だった。確かに滅多にない稀少本なのだろう。
表紙には外国語の文字が並んでいる。決して読めない単語ではなかった。学園に通う貴族だったら、友好国の言語くらい自然と学ぶ。
「ギル……殿下の、国の?」
さすがに私も眉を顰めざるを得なかった。
「ただの偶然……の、訳はなかろうな」
「隠したのはローゼだ。あり得ねェよ。どういう符号だ? 何の含みがある?」
「待て、安易に憶測で語るべきではない、が……」
ついさっきまでやり合っていたはずのシオン王子とユーハ君が、互いに訝し気に顔を見合わせる。慎重寄りのルッツ君でも、動揺は隠せない様子だった。
何だこれ、気味が悪い。
他者を陥れようとする明らかな意思を感じ取り、私は自らの危機意識の欠如を悔やんだ。いや、今更か。あの日からずっと、悪意の澱は校舎全体に纏わり付いているのだから。
カイト君から本を受け取ると、私は念のためパラパラと頁を捲った。こうして一冊ずつ確認しない限り、金の鎖が挟まっているなどとても気づけない。なかなか巧い隠し場所だ。
「むしろ……よくお気づきになられましたね」
「片っ端から探しただけです。おかげで時間は掛かってしまいました」
「そうでしょう。それで、途中で五時の鐘が鳴ったのでしたね?」
私は本を閉じて、窓辺に寄った。
昼間のカイト君の証言――鐘の音と同時に窓の外を見た――をなぞって中庭に目を向ける。
例の金木犀の樹の天辺は、二階の窓をゆうに越えている。多分あんまり剪定してないせいもあって、下から想像するより背が高かった。
家庭科調理室にはバルコニーがない。でも視線を落とせば中庭はすぐに確認できた。
樹の下には二人の人影がある。
間違いようもなくギル君とオリーブ嬢だった。
誤字のご指摘ありがとうございます
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