13.謎はすべて
導き出される結論は――。
「アニー先生……?」
訝し気に名を呼んだのは、誰の声だったか。
気がつけば、考え込む私に全員の目が集まっていた。皆が皆、期待、或いは警戒しながら、次の言葉を待っている。
「あ……」
――しまった。
ヤバイ。今の間はマズった。
これはきっと誤解されてる。
以前からのハッタリ発言のせいで妙に買い被られてるから、まるで私が真相に至ったみたいに思われたんだ。
「……何でもありません」
私はわざとらしく空惚ける。
誰もが嘘だと言いたそうだったが、意に介さないフリをする。勿体ぶってると思われるなら逆に重畳だ。
「申し訳ありませんが、皆様――」
「もう昼休みも終わります。そろそろ解散しましょう。午後の授業が始まります」
「馬鹿な、今更だろう」
速攻でシオン王子から不満の声が上がった。我慢が効かない俺様な性格だけに、口に出すのにも躊躇がない。
思い違いで騒ぎを起こしてくれた分際で、傲岸というか厚顔というか、何ともなく腹立たしい。
「同感だ。貴女にはすべてをつまびらかにする責任があるのでは?」
ルッツ君は飾らず真っ直ぐに主張する。
こういう悪意のないタイプも面倒だ。私の報告義務は彼らでなく学園なんだけどなぁ。簡単に聞き入れそうになくて辟易する。
「僕にとっては実の姉のことです。アニー先生にご迷惑をお掛けするのは申し訳ない。しかし先輩方がこれ以上争い合うのも辛いです」
控えめなようで、実は一歩も引いていないカイト君も厄介だった。いったい何のプレッシャーだと言いたいけど、余計面倒になりそうで怖い気もする。
「隠しても無駄だ。あんた何か勘づいただろう? 見かけによらず油断ならねェ女だからな」
自分の方がずっと勘が良いくせに、鋭く切り込んでくるユーハ君みたいなタイプは、あしらうにも限度がある。
考えてみれば、彼の言動が一番想定と外れていた訳で、ややこしくしてくれたという感は否めない。
「勝手だね。先生が……無理すること、ないよ」
こちらを慮ってくれるのは、唯一ギル君だけだ。
でもこの子は国外の人間だし、ヒロインとも攻略対象者ともモブの私ともまるで違う、特殊な環境下にある。それがどう影響するのか、現段階で判断できなかった。
「でも……アニー先生だけが頼りなんです。私、何もしていません。なのに、このまま誤解されたままなんて……!」
オリーブ嬢はヒロインらしく涙声で可憐に、かつ必死に訴える。可愛らしさも純情さも同性の私相手じゃあ意味を成さない。
むしろあざとい? どうだろう。全然わからない。彼女の本心をそこまで見通せるほど親密にしていたら、この茶番地味た捜査ももっと楽だったろうに。
物言わぬ悪役令嬢。
挙動が疑われる主人公。
すれ違う攻略対象者たち。
犯人。
そして――私。
どうしたらいいだろう。
頭の中がごちゃごちゃしてる。
ここは現実であり、何もかもがゲームのシナリオ通りに進むとは限らない。ただ、誰が何をしてもおかしくないという状況は一緒だ。誰もがヒロインに恋した訳じゃあない。同様に、悪役令嬢に対する想いもそれぞれ異なる。
もうちょっとだけ考えたい。
あと少しで全部わかりそうなのに。
「えっと、あの……ですね、申し上げました通り、このままだと午後の授業に差し支えが、ですね」
兎に角すべてを先送りにするべく、私はしどともどろに追及を逃れる言い訳を口にした。
「ですから……授業が終わった後、そう、放課後に仕切り直しを致しましょう」
あからさまな時間稼ぎだ。
しかし腐ってもお互い教師と生徒という立場である以上、この建前は通用するはずだった。それに私は別に、謎をすべて解いたところで隠し立てしたり沈黙したりしない。
「放課後……」
「ええ、放課後に必ず」
私の意思が伝わったのか、生徒たちはそれぞれ複雑な表情で引き下がる。
本気度を理解してもらうために、私はさらに付け加えた。
「そして……わたくしは今一度、旧校舎の調査をしようと思っております」
「皆様がよろしいと思うのであれば、どうぞ――お手伝いにでもご一緒してくださいませ」
◆ ◆ ◆
偶然にも、その日の午後に私の受け持ちする授業はなかった。これは本当にラッキーというか。
昼休みが終わると同時にシオン殿下をはじめとする問題児たち(身分的にはどうあれ、学校サイドからしたら充分モンスター系だと思う)を食堂から無理矢理追い出して、自分は教員室に戻ることもせず、こっそり生徒指導室へと逃げた。
お偉方に捕まったら煩いどころじゃ済まないからね。いずれ始末書の嵐は免れないにしろ、現時点で身動きが取れなくなるのは困る。
いや、いっそその方が楽かもしれない。探偵よろしく推理ショーを披露するって、正直どういう状況だよと思う。
「真相、ねぇ……」
自然と独白が漏れる。
ひとりになると色々なものが見えてきた。金木犀が散っていたあの日――いったい何があったのか。
教師であり前世を知る私みたいな人間が旧校舎にいたのは、誰にとっての不運だったのだろう。
「元凶は……ギル君だよねぇ」
「――僕が、何?」
「!?」
思ってもみないところから聞き慣れた声が聞こえて、私はヒッと後ずさった。
「ギ、ル、君……?」
声の方角を凝視する。
室内じゃあない。窓の――。
「ちょっ、何やってんの!? ここ、二階だよ!?」
「うん? 二階ぐらい……登るの、難しくない。先生は子どもの頃、やらなかった?」
「やんないよ。できるできないって訊かれたら微妙だけど、一応これでも元は貴族のお嬢様デスカラ」
「へぇ……?」
銀髪を翻して、ギル君が窓から室内に侵入してくる。私は呆然とそれを見守るしかできなかった。体重を感じさせない身軽さには驚嘆せざるを得ない。
安全地帯であるはずの生徒指導室が、一瞬で抜け出せない牢獄みたいな雰囲気になる。
おかしいな……。
この子とはしょっちゅう、それこそつい昨日まで、まさにこの部屋で賭けカードやら何やらで遊んでいたのに。
「困ってるね……先生」
くすり、とギル君は意味あり気に口の端から笑みを溢す。私にはよく見慣れた顔だった。
「まったく……脅かさないでよぅ、ギル君。ていうか、授業はどうしたの?」
「……うん」
「いやいやいや」
返事になってないよ!
わかりやすくサボりか……悪びれもせず、いっそ清々しいほどだ。
「別に。もう……わざわざ授業とか、出る意味ないかと思って。あ、先生の授業は除いて、だけど」
「?」
「うん……辞めるからね、学園」
「はぁ!?」
おもちゃの箱を前にした子どもみたいに無邪気な声で、ギル君は爆弾発言を放り込んできた。
え? ええ?
意味がわからない。全然わからない。
ギル君はお行儀悪く指導室机に腰を掛け、不思議そうに首を傾げた。
「驚くこと、かな? もともと成人したら、祖国に帰るつもり……だったし。この国でほしいもの……もう、ないし」
「なんで今? 確かに前からそんな話してたとは思ったけどさー。もしかして今日いきなりシオン王子が騒いだのって、それが原因?」
「多分……」
「そりゃあ殺人犯だと疑ってる相手が帰国するなんて聞いたら、逃亡するのかと思われるに決まってるでしょうが!」
「……みたいだね」
淡々と肯定するギル君の態度に、私は嫌な確信を抱いた。
「わざと……?」
「計算したの?」
うわぁ、どうしよう。
さっきの事態のお膳立てというかきっかけは、全部この子だったんだ。
「膠着状態……なんて、面倒じゃなかった?」
「でも」
「先生的には、色々……わかったでしょ?」
「違くて」
私はくらくらとする頭を押さえた。
「殺人犯じゃなくても、逆上するような人間がいたら危険なんだよ?」
「それは先生も、だよ」
不意にギル君の声音が低くなり、含むところのある眼差しで私を見た。さらに目線はそのまま動かさず、ガタンと机から腰を上げる。
近づいてくる右腕の先が、私の喉元を掠った。冷たい。血が巡っていないような指の感触が、ひんやりと肌を撫でる。
「迂闊すぎ……ない?」
年齢に似合わない表情で、ギル君は薄く笑った。理知的なのか酷薄なのか俄には判断がつかない。どこか達観している風でもるし、敢えて我を抑えてるだけという感じもした。
「殺人犯を挑発……したくせに」
「ちょ、挑発なんて……」
してない、とは言い切れないかと私は口ごもる。犯人からしたら、放課後すべてを暴いてやるから首を洗って待ってろよ、くらいには聞こえていたかもしれない。
「もし、襲われたら……どうする気?」
確かにもっと身の危険を考えた方が良かった。でもさ、こんなタイミングで不穏な行動を取れば、ある意味バレバレじゃない?
「例えば私に今、何かあったとしたら……この時間に授業サボってる生徒が簡単に特定される。ローゼ嬢のときみたいにはいかなくて、即効で容疑者扱いだよ? 折角これまで疑われずにきたのに、その程度で馬脚を現すの?」
半ば自分自身に言い聞かせるつもりで、私は余裕を保ってみせた。
「まあ……尤もだけど」
ギル君は面白くなさそうに肩を竦める。
「でも、気をつけて……先生」
長い指が頸動脈の上を滑る。
色気に溢れた仕草だ。
同時に二人の間に互いの皮膚一枚しか隔てていないのがよくわかる感触だった。
「女性の細首なんて、……僕でもすぐ、絞められるよ?」
指に力を込めることなく、ギル君はゆっくりと腕を下ろした。思わず喉がこくりと鳴る。
いや――いいや、脅える必要なんてない。ただの忠告だ。或いはビビらせてからかってるだけ。そう、冗談めかして痛み入りますとでも返せばいい。
私は前世の、あの乙女ゲームの記憶があるから、何となくギル君の本性って実はヤバイんじゃ……って考えてしまうときがある。もちろん他の攻略対象者に対しても同じだった。
いつでも一線を踏み外せる人間性なんだと、端から決めつけてかかっている。
相手からしたら酷い偏見だろう。私だって、そんな殺伐とした心情とは無縁でいたい。
けれど現実として他者を殺害せしめた人物が存在する。警戒を促されるまでもなく、充分わかっている。私は……結局のところ、誰も信じてはいない。
だからこそ――虚構の入り交じる証言の中から、真実を探し当てられるのかもしれない。
「ギル君……」
「……うん」
真正面から名を呼ぶと、いつもと変わらない声が返ってくる。青年になりかけの面持ちには、何の影もなかった。
古い記憶が巡る。ごく最近目にした場面が回る。交互に浮かんでは消えてゆく。
まるで――二次元に舞う花びらを、リアルの手で拾えと言われているようなものだ。金木犀が散る頃に、起こった事象はひとつだけのはずなのに。
知らず大きな溜め息が漏れた。
それを聞いて、ギル君が思わず苦笑する。呆れるというより気の毒がられているみたいで、私は憮然とする。
「ごめんね、先生。意地悪……した」
「え」
「疑われてるの、きっと僕だけじゃない……んだろうけど、正直やっぱり、面白くなくて」
ごめん、と寂しそうにギル君が繰り返す。
「えっと……いや、疑ってる訳じゃ」
「一度は考えた……よね?」
「それはそう……だけど。ただ私は立場的にあらゆる可能性を模索しないといけないから」
「うん、わかってる」
「先生が……『元凶』って言った意味も、ね」
少し前の私の独り言を引き合いにして、ギル君は思わせ振りに言った。
「え……っと、つまり」
「先生と、同じ。だいたい解けたよ」
重大な発言をしているにも拘わらず、ギル君は妙にあっさりとしていた。
考えてみたら当然だった。前世云々を除けば、ギル君と私の情報量は概ね等しい。推理するに充分だろう。
だとしても、確信に至るには根拠が薄い。証拠があるでもない。だからさっきも言及できず、誤魔化すしかなかった。
だけどもし、ギル君にも同じ道筋が見えているとしたら。
「答え合わせ……しようか、先生」
含みのある言い方だった。
意地悪の続きに聞こえて、私は渋く答える。
「……いいよ。学園を辞めるってことなら、個人的な卒業試験にしてあげる」
「ふぅん?」
煽ってみたのは単なる意趣返しだ。ギル君は全然動じてくれなかったけれど。
「たまには札遊びじゃないのも、面白いね」
「じゃあ、僕から言うよ」
「う、ん」
授業中よりも試験中よりもよっぽど慎重な雰囲気に、思わずこちらが固くなる。明らかな緊張感は彼から伝播したものなのか、私ひとりの内側に張っているものなのか、判然としない。
「ローゼを殺した犯人は――……」
そしてギル君は――私の予想通りの人物の名を挙げた。




