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10.不可解の沼から

「貴方がローゼ様に会いに行ったのは、オリーブさんのためではなかった。本当はローゼ様のためだったんでしょう、ユーハ様」

「……!」

「先生……それって」


 私の思いつきに、言われたユーハ君も隣で聞いていたギル君も唖然としていた。

 ただ殆ど確信があった。直感とも言う。


 何の意図で普段ユーハ君とローゼ嬢がわざと険悪を装っていたのかまではわからない。

 でも生徒たちの間で流れる噂とは裏腹に、またユーハ君自身の言動とも相反して、二人の友誼は子ども時代と変わらず――かどうかはわからないけれど、きっと続いていたのだろうと思った。

 でなければ、ユーハ君からローゼ嬢の立場を慮った言葉は出ないし、ローゼ嬢も毛嫌いしている相手が抗議に来たからって、わざわざお茶を振る舞わないはずだ。


「違いますか?」


 重ねて訊いてみる。

 もちろん、正直に答えてくれるとは限らないと承知していた。ユーハ君からすれば、所詮私は部外者の、信用ならない教師に過ぎないのだから。


「つまらねェ冗談だな」

 案の定、否定の言葉が返される。ただ見事な棒読みだったため、本気で隠す気はないのだと悟らされた。

「……なるほど、理解しました」

「ちッ、嫌な女だ」

「光栄です」

 嫌味を鼻で返して、私はさらに尋ねた。

「それで、結局ローゼ様とのお話はどう決着したのです? そもそも……私物を隠す程度の嫌がらせ、日常的にやっていたのではないのですか?」


 これはユーハ君の発言の中で、もうひとつ気になる点だった。乙女ゲームの知識を有する私だけが感じた齟齬で、もっと凄い物理的攻撃をしてそうなのに、聞く限りでは随分と生温いようだ。

 前世の空想ゲーム世界と現実リアルはまったく違う、ということだろうか。まあ悪い方向じゃないのは幸いだけど。


「あァ、教師あんたらは知らねェか。ローゼがやってたのは主に言葉だな。事の始まりは学園に入学した直後から、シオンがオリーブに好意を抱いたせいだ。気づいたローゼはオリーブを目の敵にした。嫌味を言ったり、婚約者に近づくのをあからさまに邪魔したり、な」

「取り巻きの方々と一緒に、オリーブさんを孤立させていたとか」

「結果的にオリーブはローゼに迎合しない、立場的にも対抗できる人間――シオンやカイト、ルッツ、それにギルや俺が庇う形になってた」

「え……僕、庇ってない、と思うけど?」

「意識してたかは知らんが、お前は周囲の女共の空気を気にせず接してただろ、ギル。ローゼからはオリーブに味方したみてェに見えたんだよ」

「うーん? 勝手に思い込まれても、微妙」

「……まあ詳細はさておき、つまりオリーブさんは学園内でも優位にある男子生徒を味方につけた。だから余計にローゼ様を逆撫でしてしまったと仰るのですね、ユーハ様」


 言われてみれば、ローゼ嬢の行動がエスカレートしてしまった理由としては辻褄が合う。

 でも何だろう……しっくりこない。

 攻略対象者に囲まれるヒロインちゃんも、報われない悪役令嬢も、私の中で少しもおかしくないのに。


「それで」

 奇妙な不可解さをとりあえず棚上げして、私は再び質問を戻す。

「ローゼ様は手に入れたオリーブさんの腕輪を隠したのですよね?」

「あァ、俺は隠し場所までは聞かなかったが。つゥかカイトが見つけてたんだろ?」

「確かにカイト様は調理室を探して見つけたと仰っていました。要するにローゼ様はオリーブさんを本気で困らせるおつもりではなかったのかもしれませんね」

「かもな。だが事が世間に知れたら、ローゼの評判はガタ落ちだ。俺は止めた。あいつは……ローゼは今更引く気はないと言った。他に方法が思いつかないと」

「方法?」


 何だろう。文脈の不自然さが引っ掛かる。

 そもそもライバルを排除したいだけなら、国王の覚えもめでたい令嬢にしては随分乱雑なやり口だ。自らを貶める結果なんて、手抜かりもいいところだろう。


 そこまでオリーブ嬢が憎かったのか? 理性を失わせるほど嫉妬心がコントロールできなくて?

 だったらもっとゲームみたいに強烈なイビリになってそうだけど。

 

 それとも……それとも?


 ローゼ嬢の矛盾に満ちた行動とユーハ君の態度から、私はひとつの推論を得る。


「……わざと?」

「わざと……ってこと、かな」


 私とほぼ重なるように、ギル君が同じ科白を口にした。人差し指を優美な動きで顎に当て、考え込む仕草で続ける。

「シオンはオリーブのこと、好きだったけど……ローゼは違ったんじゃない?」

「ギル、お前……」

 制止するには曖昧に、ユーハ君は強さのない声でギル君の名を呼んだ。

「シオンのこと、好きじゃなかったのかも。だから本当は、婚約を……破棄したかった?」

「……止めろ、ギル」


 普通に聞いていればとんでもない飛躍、謂わば極論や暴論の類いだ。

 けれど私もギル君も、ユーハ君の表情の歪みから隠された真実を見出だした。そう、きっと彼は最初から知っていた。


「わかるけど……ね。従兄妹みたいな身内と結婚する……なんて、普通に無理、だし」

「王公貴族じゃあよくあることだけど……」

「そう? うちの国だと……あんまり血が近いと、嫌がられるから」

 財産の散逸を忌避する貴族家が親族と婚姻するのは、我が国ではよくある話だ。確かにギル君の母国は、近親婚に関する規制がもっと厳しかったかもしれない。

 その辺は文化の差だろうが、現実問題としてシオン王子とローゼ嬢の婚姻は誰しも反対はせず、規定路線として進んでいた。これを覆すのは容易じゃあない。


 だからローゼ嬢は思案した。


 方法の是非は置いておこう。ローゼ嬢はまず自分の言動でオリーブ嬢を孤立させて、婚約者のいる王子の立場からでも近づき易い状況を作った。そして二人の仲が充分親密になった頃合いで、より咎められる行為を見せて身を引く。

 正直、有効なのか微妙なお膳立てだと思う。もちろん大公の姫君が国から決められた婚約を簡単にどうにかできるものでもないけどさ。

 シオン王子をブチ切れさせて、「お前なんか王子の妃に相応しくない! 婚約を破棄する!」とか何とか宣言してもらって婚約辞退……って、どんな乙女ゲームの結末テンプレよ。


 だいたい、前世でやったゲーム――『金木犀の散る頃に』の中で、こんな裏設定なかったはずだ。

 記憶している限りでは、ローゼ嬢はシオン王子にベタ惚れだったし、オリーブ嬢へのイジメもずっと苛酷だった。ユーハ君と対立しているのはヤラセなんて状況も知らない。

 やっぱりゲームとは何もかも違っている? だったら犯人が凶行に至る経緯も、ゲームを根拠とした私の想定とは異なるんじゃ……。


「まさか、ね」


 思い至ってぞっとする。

 いや――考えすぎかもしれない。


「先生……?」


 呟いた私の顔を、ギル君が心配気に覗き込む。首を傾けると、いつもと変わらない真っ直ぐな双眸があった。

 気まずくなって、私は思わず目を逸らした。



 ――()()()()()()なんて、どうかしている。



 けれど私にとって一瞬蠢いただけの靄は、実はユーハ君からすれば当初から抱いていた強い疑惑だったらしい。

 ふと動かした視線の先――正面に座るユーハ君の唇が、まるでギル君の目を盗むかのようなタイミングで、音を乗せずに言葉を紡いだ。

「……!」

 動揺を隠して、私は僅かに息を呑む。

 ユーハ君は私が気づいたことを察したはずだ。でも多分、本当は伝わっても伝わらなくても、どっちでも良かったんだろう。



『おい、気をつけろよ』



『……ギルだって、信用できるものか』



 声なき忠告は、私の耳には確かにそう届いた。






 ◆ ◆ ◆



 幻か朧のような前世の記憶から運命のすべてを辿ろうとするのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。


 ゲームの中でも、悪役令嬢は確かに殺された。


 それはメインストーリーではなく、ヒロインに同期したプレイヤーが溜飲を下げるためだけのオマケエピソードだ。壮絶な嫌がらせを受けた側からすれば、ストレスの根源が痛い目を見たらざまあみろと言いたくなる。

 そんな需要があったのか単なる作り手の悪趣味嗜好かは知らないが、ゲーム制作者は悪役令嬢の殺害シーンを、ヒロインの攻略ルート毎にそれぞれ設定した。


 順を追う。


 まず乙女ゲーム的大本命、シオン王子をヒロインが攻略した場合――ローゼ嬢を殺めるのは、彼女の実弟であるカイト君だった。

 動機はヒロインへの想いが行き過ぎて、姉がいる限り彼女の幸せが阻まれると思い詰めたためである。健気とも取れるが、実らない片想いの相手に抱くには少し偏執的な印象を受ける。

 優秀な、そして高圧的な姉に対する複雑な感情もあったんだろう。なお、カイト君のルートを攻略すると、その辺りの家庭の事情も判明する。

 カイト君はもともと姉弟の父が外に作った庶子で、他に男子が産まれなかったために引き取られたはいいものの、周囲からは蔑視されて育っている。なのに跡取りとしてのプレッシャーだけは押し付けられ、評判のいい姉と比較され、爆発する要素は充分だった。

 カイト君は学園でヒロインに出会ったことで、鬱屈した心を救われ癒された。たとえ恋が叶わなかったしても、執着を引きずるのは無理からぬ話だったのかもしれない。


 さて、悪役令嬢殺人犯はルートによって持ち回りのように異なる。


 シオン王子ルートで手を掛けるのはカイト君だったが、逆にカイト君ルートでどうなるかと言うと、その場合はユーハ君が凶行に及ぶ。

 理由はヒロインのためではなく、やや歪な友情の結果とも言うべきか。そもそもカイト君とユーハ君の同病相憐れむ的な人間関係に端を発している。

 戸籍上は貴族院議長の末っ子であるユーハ君は、議長の妻が不貞を働いた結果の、望まれぬ子どもだった。

 すでに嫡子(ユーハ君の兄)がいる議長は、不貞の子にも妻にも関心がなく、実の母も放蕩三昧で、ユーハ君は孤独と人間不信の中で育った。

 同じようにカイト君も家に縛られながらも居場所のない立場だったから、彼らの間には傷の舐め合いじみた連帯感があった。尤もそういった詳細が語られるのは、ユーハ君攻略ルートに至ってからだ。


 実家の権力で弟とヒロインを引き裂こうとするローゼ嬢に対し、友人の幸福を願うユーハ君は密かに、周到に暗殺を企てる。結局はルッツ君に怪しまれて露見するが、時すでに遅し、ローゼ嬢は殺されてしまう。

 殺害直後に駆けつけたルッツ君が動機を尋ねると、ユーハ君は友人と自分を同一視して、間接的に救われようとしたのだと答えた。

 結局ルッツ君は正義感と同情心を天秤にかけて、沈黙を選ぶ。まあシオン王子ルートのカイト君も捕まった描写はないから、犯人は逃げ切るのがデフォルトなのかもしれない。


 と思ったこともあったが、そういえばユーハ君のルートで犯人となるルッツ君は葛藤の末、最終的に自首していた。

 ルッツ君はヒロインが自身のルートを選択しなければ、ローゼ嬢とあまり険悪にはならない。性格的に女性と対立するのは避けたがる傾向にあった。

 時代遅れの騎士道のような考えを重んじるルッツ君は、女性全般を守り、でき得る限り親切にしていた。男は肉体的にも精神的にも強くあるべしという価値観で、毎日鍛練を欠かさない。

 反面、人間関係の機微にはやや疎く、ヒロインがイジメられていても、女同士の諍いなど小鳥の囀る程度と受け流し、長く気づかないでいた。


 幼馴染のユーハ君が今までの素行不良を理由に非難され、秘匿していた出生を世間にバラすと脅され追い詰めらていると知ると、ルッツ君はようやくローゼ嬢と対峙する。

 表向きは義憤によるものだが、深層では無自覚の抑圧が爆発したとも推測される。男らしく強くあれと教育を受ける反面、弱いはずの女に振り回される矛盾が、ルッツ君の心に鬱屈したものを蓄積させていたのだ――と、ルッツ君の攻略ルートで一部語られている。

 ローゼ嬢はこれまで甘やしてくれたルッツ君にきつい態度を取られ憤る。逆上してヒステリックな暴力を揮った。それに抵抗しているうちに、ルッツ君は半ば勢いで、しかし残りの半分は明確な殺意を持って、彼女を殺害するに至る。

 誰にも見咎められなかったのもあり、ルッツ君は当初、犯行について口を噤んでいた。陸軍元帥の親の立場を考えたのもあろうが、自分の中の昏い部分に整理がつかず錯乱していたため、と出頭時に告白している。

 婚約者と将来の忠臣を失ったシオン王子が彼の自供をすべて聞き、その背中に悲しみを負って立ち去るシーンで物語は締め括られた。


 そして――ルッツ君のルートでは婚約者のシオン王子により、ローゼ嬢は殺害される。お察しの通り、これで攻略ルートと犯行ルートはギル君を除いて一巡する。

 

 シオン王子とローゼ嬢の関係性は、生まれたときからの婚約者だった故か、家族に近かったはずだ。逆に言えば恋愛感情は抱き難かった。

 ただシオン王子にも身分に伴う責任がある。

 ローゼ嬢が実弟のカイト君を構うのは大公家内の問題だから構わない。風紀を乱すユーハ君を攻撃の対象とするのは、学園を仕切る上の者としては致し方ない。

 ところが、ルッツ君のルートでローゼ嬢は王子の婚約者の立場を逸脱し、ライバル弟子のヒロインを排除しようと躍起になる。勉学をそっちのけで鍛錬に励むのはまだしも、やがて公式行事すら疎かになると、シオン王子も看過できなくなっていった。

 

 自分の婚約者には不適格と判断したシオン王子は、ローゼ嬢に密かに婚約の解消を申し入れる。実際には婚約者を辞退して学園からも立ち去り隠棲するよう命じたのだ。

 逆上したローゼ嬢は謹慎させられるが、なお諦めずヒロインに危害を加えるべく、かなりえげつない計画を立てていることが判明したため、シオン王子はやむなく彼女をその手に掛ける。殺害というより処刑に等しい。

 自らの手を汚したのは婚約者を制御できなかった罰と戒めである、とシオン王子は振り回されたヒロインとルッツ君に深く謝罪している。


 よくよく考えてみれば、シオン王子犯人ルート(ゲーム的にはルッツ君攻略ルート)は現状と乖離している。何しろ生前のローゼ嬢が謹慎していた事実がなかった。

 もちろんリアルとゲームが何もかも一致しているとは限らない。しかし前提を翻した場合、私が端から除外していた最後のルートも、可能性がゼロとは言い切れなくなってしまうのだ。


 つまり、ギル君のルートのことである。

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