1.悪役令嬢殺人事件
黄金の粒が舞う。
強く濃く香りが舞う。
金木犀の樹の傍で、あなたは言った。
「――好きだ」
花が舞う。
想いが舞う。
奇跡を告げる鐘の音が聞こえる。
私はただ瞳を瞠き茫然としていた。
ああ、今もなお忘れることができない。
あの日、あのとき――。
すぐ近くで事件は起こっていたのだ。
◆ ◆ ◆
――乙女ゲームで主人公と攻略対象者が結ばれると、悪役令嬢が殺されてしまうような話を前世ではよく見かけたものだ。
「でも、こうやって現実で実際に起こっちゃうと、何て言うか陰鬱な気分になるよねぇ……」
「……アニー先生?」
テーブルの対面に座っている銀髪の少年が、ぼんやりと独り言ちた私を呼ぶ。
「先生の番……だよ」
「おっと」
「それとも、決定?」
私は慌ててカードの手札を確認した。
いけない、いけない。
つい思考がズレて疎かになってしまった。
さて、集中しないとね。
「うーんうーん……いや、一枚替えるね」
「替える……」
「……何よぅ、ギル君?」
「ん?」
銀髪の少年――ギル君は手持ちのカードを裏返したままテーブルの上に置いた。
相変わらず無感情で反応が薄い子だわ。
この手のカードゲームでは天敵かもしれない。
「僕は……これで」
「いいわ」
相手の一向に変わらない表情に向き合うと、私は挑むように視線を返した。
うむ、全く読めない。
今の私の手札も弱くないけど、どうだろう。下手打ったかなぁ。勝負は避けた方が良かった?
いやいや、でも今更だし、後戻りはできないし。
覚悟を決めるのよ、アニー。
「では」
二人同時に宣告すると、私は意を決めてカードをくるりと表に返した。
同じ色、柄、数字を揃えて点数を競うポーカーに酷似したこのゲームは、私は得意でも不得意でもないけれども、ギル君の大のお気に入りだ。
ついでに対戦相手として私もお気に召していただけているようで、今のところ戦績は半々くらいで拮抗している。
「あ……残念」
「やったっ!」
全然悔しくもなさそうに、ギル君は僅かに口端を上げた。
私は思わずテーブルのカードを宙に上げて万歳してしまう。結果は僅差で私の方が上だった。
「勝ったっ」
「うん……僕の負け、だね」
「わーいわーい」
「先生……子どもみたい。可愛い」
年下のくせに、生徒のくせに、まるで立場が逆転したみたいにギル君は私の頭を撫でた。これは褒めているのか? ご褒美なの?
なーまーいーき。
「そうだギル君、私が勝ったんだから約束は守ってくれるよねぇ?」
「えー……」
「酷いっ。この前は私にあんなことやそんなことをさせたくせに! 自分のときだけ都合よく逃げるなんてっ」
「嘘です……わかってるよ」
むくれる私の頬を人差し指でつんと突くと、ギル君は悪戯っぽく笑った。
立場もあってか普段は大人びた印象なのに、時折凄く年齢相応に見える。まだ若いんだなあってしみじみ思う。だから対応に困る。
「とは言え、やっぱり友好国の王子様を巻き込むのは気が引けるかなぁ。留学中に万が一にも何かあったら、責任問題になっちゃうかも」
「それは気にしなくていいけど……僕、第七王子で大した価値、ないし」
ギル君は緊迫感のない声で言った。
「まあ、負けちゃったしね……アニー先生が困っているなら、ちゃんと聞くよ」
「ギルくぅん、大好きっ」
わざとらしい自分の猫撫で声キモっ。
と思ったけど、ギル君は何故か赤くなっていた。
こういうところは健全な少年なんだなあ。そうだよね、まだ十五歳だもんねぇ。おねいさん(二十代前半なので、さすがにまだおばちゃんではないと主張したい)にその反応は刺激が強すぎるよ。
さすが攻略対象者のひとりだけあって、超絶美形度も半端ないし。本物の王子様だし。一介の教師の私とは格が違う。
「で……先生のお願いって、この間の事件に関係、ある?」
のんびりしているようで、ギル君は意外と勘が良かった。ついでに結構頭も回ったりする。
だから考察方面でも協力してくれるとありがたいなーという下心は否定しない。頼りない先生でごめんなさい。
「ある。めっちゃある」
情けない声を出しながら、私は散らかったままのテーブルのカードの上に突っ伏した。
「ほら、あのとき私がたまたま近くにいて、真っ先に駆け付けたじゃない?」
「うん……」
「調査しろってお達しが。上から」
「……なるほど」
私たちは殆ど同時に大きく溜め息を吐いた。狭い生徒指導室に、はあっという音が響く。
「先生に……殺人事件の調査を? 無茶でしょ」
「無茶だよねぇ」
超同意。ギル君は私の駄目さ加減を熟知しているので、評が辛くてもやっぱ正当なんだな。
「私の立場じゃあ、引きこもっていらっしゃる第一発見者様の聴取さえもろくにできない訳よ。学園長あたりは下っ端に押し付けて、暗に有耶無耶にしたいのかもしんないけど」
「ああ……」
「先生、可哀想」
ギル君はぐだぐだしている私の黒髪をわしゃっとかき混ぜる。おおう、ひっつめが崩れた。
「でしょう?」
「それで僕……なんだ?」
「そぉ。でね、ギル君、特別男子寮に連れていってよ。第一発見者様ほか何名か、お話したいんだ」
「特別男子寮……どうかな」
ちょっとだけ悩んだ様子で、ギル君は返答を濁らせた。おや、迷いを表に出すのは珍しい。
「……先生、もしかして」
「ん?」
「犯人……目星ついてる?」
「え? ええっ?」
全然そんなつもりじゃなかったから、私は大仰に驚いてしまった。
「ままままっさかー」
「本当に?」
ギル君は疑い混じりで私の顔を覗き込む。
「な、なんで? さっきも言った通り、学園側は聞き取りすらできなくて、殆どなーんも進展してないのに」
うわあ、凄い。鋭い。
何だろう、この子。
どうしてド底辺教師の私に対して、そんな荒唐無稽な考えを抱けるの。
常識的に考えてよー。私ごときが名探偵よろしく犯人を絞り込んでるなんて、絶対あり得ないから。
――っていうのは嘘。
実は……心当たりはあるんだね。
他の誰にも説明できない理由で、私はその事件を俯瞰していたりする。物証だの推理だのじゃなくて、もっと規格外の視点から。
でも話せない。
そもそも信じてもらえない。
例えば、先週学園内で起こった例の事件――とあるご令嬢が殺されてしまう物語――を私がずっと以前から知っていたとか。
私の記憶だか知識だかが示唆する犯人の候補は五人ばかりいて、本来はその中にギル君も含まれているとか。
でも現時点でギル君は犯人ではないと確信しているとか。
そんなの口にしたら、頭がおかしいと思われるに決まっている。
「先生……隠し事、あるよね?」
「む? あのねぇギル君、女にはひとつやふたつ、隠された部分があるのよぅ。すべて暴こうったって簡単にはいかなくってよ!」
「そういう……問題じゃ」
「兎に角っ!」
追及から逃れるために、私は一気に上体を起こして立ち上がる。
「約束は約束だからね、ギル君。賭け札に勝ったらお願い事をいっこ聞いてくれるって。わかったらさっさと動くっ」
「……仕方ない」
わざとらしく誤魔化そうとする私に呆れてもう一度息を吐くと、ギル君もようやく重い腰を上げた。
「僕の、大事な先生のため……だしね」
+ + +
さて――それでは丁度一ヶ月前の出来事に少し触れようと思う。
そう、私が便宜上「悪役令嬢殺人事件」と呼んでいる、学園で起こった一大不祥事のことを。
つい先日、学園の片隅にある旧校舎で、あろうことかひとりの女子生徒が殺されたのである。
事故ではなく、明らかに事件だった。
被害者のご令嬢は名をローゼという。なんと我が国の第二王子の婚約者様でいらっしゃる。
貴族の子弟子女を預かる学園は権威も信用も地に落ちたも同然で、学園中が騒然となった。
なのに、まだ犯人は見つかっていない。
捜査は何も進んでいない。
その理由は事件の第一発見者にあった。
彼女の死体を発見したのは、第二王子シオン殿下そのひとだったのだ。
他ならぬ私自身が目撃している。異変を察知して二番目に現場に着いたのが自分だったから。
そして私はもうひとつの事実を知っている。
この学園が――この世界が何なのか。
死んでしまったローゼ嬢が、シオン王子が、ギル君が、その他にも数人いる特別な男子生徒がどういう存在なのか。
すべての発端となる、中心人物が誰なのか。
私は憶えている。
俄には信じ難いかもしれないが、遥か遠い前世の自分がすべてを見てきたのだ。
『金木犀の散る頃に』
事件が起こるよりずっと前、この学園に赴任したときから、私の記憶の中にはそんなタイトルの乙女ゲームの情報が刻み込まれていた。