アブノーマル
不定形の存在、スライムと対峙するライガー。
向こうもライガーに気付いたらしく、壁にぶつかる事をやめて真っ直ぐにじり寄ってきた。
『ライガーが悪魔とはいえ、鍛えられていないわたくしの身体で大丈夫なのかしら……』
「個体差はあるけど、スライムは初級のモンスターらしいです。騎士見習いが徒党を組んで棒で殴っているのを見た事があるので、私も一緒に同じようにすれば――」
「いえ。相手は一人です。手出しは無用。カウントを取ることだけお願いします」
『かうんと?』
「はい。私かスライムの両肩が地面に押しつけられたら3秒のカウントを取ってください。それで勝者が決定しますので」
『わかりましたわ!』
人魂がライガーとスライムの間に入る。
スライムはすぐにでも飛びかかってきそうな気配を出しながらも様子を伺っている。
だがそれはライガーとて同じである。
両者ともロザリーの合図を待っているのだ。
『はあ!』
ぴかっ、とロザリーが光る。
ライガーの身体が若干沈んだ。跳躍前の予備動作である。
だが、それよりも速くスライムが宙を舞っていた。
「む。速い」
ライガーは咄嗟に両手を突き出して組み合おうとしたが、相手には組み合うための手が無かった。
そのままスライムがライガーの顔面にぶつかる。
「ぶべべ!」
スライムの体当たりをもろに受けてしまったライガーが怯むと、スライムはその隙にと言わんばかりに広く体積を伸ばしてライガーをまるごと包み込んでしまった。
『ああ! なんてこと』
「このままでは窒息してしまいます! なんとかしないと……」
呼吸を制限されたライガーの体内時間は大きく引き伸ばされていた。
俗に言う走馬灯である。
ほんの数秒にも満たない時間で彼は様々な事を考えていた。
例えば――
この窒息を狙った行為は反則ではないのか。チョークとは少し違うから適用外なのか。そういえば反則5カウントのルールを教えていなかった。反則5カウントとは、簡単に言うと反則行為に対して5秒以内にやめなかったら強制的に反則負けとするルールである。なお、審判の注意が別方向へ向いていたらするなどの理由でカウントが行われていない場合は反則し放題である。
――これらが一般的に走馬灯と呼べるのかは怪しいが、彼は常に冷静で自信に満ち溢れている。
戦闘のベテランだからだ。
ベテランが相対する生物は初めて戦うタイプであった。
不定形の異形が全身を満遍なく包み、呼吸を阻害している。
残りわずかな酸素をいかにして使うべきか。ライガーは考える。
普通のベテランならば、経験を生かし器用に手足を使い脱出を試みるだろう。
それが不定形のスライムに通用するかは別として。
普通のベテランならば、結局その運動により体内に残された僅かな酸素を浪費してしまうだろう。
だが、彼は普通ではない。
「ンブブブフゥーーーーっっ」
ライガーはこの土壇場において、経験よりも直感を優先させた。
体内に残された僅かな酸素を、ありったけの空気を口から吐き出したのだ。
すると何が起こるのか。
すぱぁんっ。
『おお! 穴が空きましたわ!』
「スライムがやや体躯のいいロザリーさんの為に身体を薄く伸ばしていたのが仇となったのですね!」
『あなたナチュラルに口悪いってよく言われません……?』
ライガー秘伝の呼吸法から成る、恐るべき空気砲でスライムの身体の一部が千切れ吹き飛び宙を舞う。
スライムは身体を回収するべくライガーから拘束を解いて跳ね飛んだ。
「今度はこちらの番です」
スライムが飛ぶのとほぼ同時に、欠片の方へライガーもまた跳躍していた。
「ピ、ピギーッ!?」
スライムはライガーの迅速な行動に対して反応が追いつかない。
スローモーションのように空から迫るライガーの気配を感じて、スライムはこれまでの人生を振り返った。
幼少時、ダンジョンに自然発生した彼には家族と呼べる者はいなかった。暗いジメジメとした鍾乳石が彼の遊具であり、たまに生えているしいたけが彼のおやつだった。
長い間そうしていると、稀に動くモノが迷い込んでくる事があった。
動くモノの最初の一体、遊具遊びしか知らない彼は身体ごとぶつかり、それが何なのか観察すべく、全身を包み込んだ。しばらくするとそれは動かなくなり、他の鍾乳石と変わらなくなってしまった事に気付いた。
二体目はゆっくりと近づくようにしたが、逃げられてしまった。
三体目は、どうせ逃げられるのならばと、包み込み、おやつとして捕食した。すると、かなりの絶品である事に気付いた。捕食する度に生を実感し、次の獲物の事を考えるようになった。
それから、スライムの前には逃げるものだけでなく、戦う者も現れるようになった。腹を叩き、抵抗力を削ぐと更に効率良く捕食できる事を知った。
彼はこれまでに一度も逃げ出した事は無かったのだ。
スライムの周りに虹色のオーラが現れる。
「なんだと……!」
上空から振り下ろすライガーの拳を、スライムの中から虹色の手が現れてそのままがっしりとキャッチした。
「あれは……特殊個体!?」
ベティが叫ぶ。
仕事柄冒険者の噂話をよく耳にする彼女は、虹色のスライムの存在を知っていた。
『一体なにごとですのっ!?』
「普通の下級スライムと違ってなんかかなり強いやつです! それはもう騎士団から三日以内に討伐隊が組まれるくらいに強いんです!」
『あわわわわ! 大丈夫なのですかライガー!』
虹色のスライムはライガーよりも一回り大きなヒト型へと成長していた。
両者の手ががっしりと捕まり合い、拮抗している。
「好敵手だ……ククク やらせてくだ……さいっ! んががががっ」
ライガーの広角が吊り上がる。ただ悪魔のような笑みではない。純粋な、楽しそうな、いたずらっ子のような笑みだ。
「ふ、ふふふ! 楽……しいよ! 楽しいよねえ……! ボクもだよお姉さん」
『スライムが喋った!?』
「目も見えて知能もあるようですね……一体どれだけ捕食したのでしょう」
拮抗していた手四つは、じわじわとライガーが押され始めていた。




