ディナータイム
外は夜を迎えようとしていた。
聞こえてくるのは静かな虫の合唱と庭を流れる噴水の音、それから馬の嘶きだ。
馬車の中では相変わらず寡黙なライガーが微動だにせず何事かを思っている。
『ねえ貴方。最初からずいぶん静かだけれど、なにかわたくしに質問などありませんの?』
「はい。ありません」
真っ直ぐな瞳、真剣な態度。
どう見ても想像していた悪魔とは違うようだとロザリーは考えていた。
突然身体を乗っ取られたのは想定外だけれど、それ以上はこれといった要求も無ければ意地悪もしてこない。
強いて言うならば暇を見つけるとすぐに筋トレを始めるところだろうか。
やめろと言えばすぐやめるので意地悪のつもりでは無いらしい。疲労感や肉体の感覚は共有されているので絶妙に困ったりもするけれど。
いや。ただ単に、優位にいるから多くは語らないだけかもしれない。この乗っ取られた状態で放っておけば、魂が定着してそのままロザリーに取って代わる……そんな恐ろしい事を考えてしまった。
『悪魔なのに対価を求めたりしませんの? もしかして貴方……こ、このまま身体を返すつもりがなかったり……』
「いえ。私は悪魔ですが、それは闘いの場だけです。お嬢様が困るような事は絶対に致しません。身体の返し方は本当に分からないのです。調べ方を教えていただければすぐにでもそのように致します」
それまで静かに座っていたライガーは体ごと向き直る。そして、声を震わせるロザリーへ真っ直ぐと向かい、思いの内を話した。
ロザリーは真っ直ぐ見つめてくるもう一人の自分の瞳に耐えきれず、視線を反らす。
『これではまるでわたくしの方が……。貴方、名前をまだ聞いていませんでしたわ』
「悪魔獣ライガージェットマスクです」
『変な名前ですわ』
「よく言われます」
『では紳士のライガー。貴方はこれからわたくしがする事をどう思いますの?』
先程は顔色一つ変えずに計画を聞いていたライガーへ、今一度質問を投げかける。
ライガーは少し困った顔をした後、
「はい。大丈夫です」
とだけ答えた。
それからしばらくの後。
馬の嘶きと共に馬車が止まった。
「お嬢様。到着致しました」
馬車から降りると、お城の一部であるかのような豪華な宿屋と、眩しいくらいの純白のドレスを着た娘が一同を出迎えた。
「今夜は私の宿屋へようこそいらっしゃいました。ロザリーお嬢様!」
『その娘が宿屋のベティ。満面の笑顔の裏で何を考えているか分かりませんわ。王子へ取り入って宿屋を大きくしてもらって……それで「私の宿屋」なんて平然とよく言えたものですわね』
「おほほ。よくってよ」
『え?』
「はい? あ、あはは」
「ごきげんようでしてよ」
「ご、ごきげんよう!」
ライガーはぎこちない言葉遣いでなんだか不気味な挨拶をしたあと、ベティへお辞儀をした。
『貴方、やっぱり変ですわ……』
その後、ぎこちなさが伝染して早くもライガー以外が逃げ出したくなっている空間へ救いの手があらわれた。
「やあ君たち! いつまでそこにいるんだい。さあ中へ! 中へ!」
金髪碧眼の絵に描いたように端正な顔立ちの好青年がこちらへ手招きをしている。容姿こそハンサムだが、声色や仕草がやや少年的である。
『あの爽やかな方がイアン王子ですわ。ああ、今日もよりイケメンですこと』
「あ、はーい! 今行きますね!」
「行きますわよー」
『……』
宿屋に入り、一番奥にある食堂……と呼ぶにはあまりにも大胆かつ絢爛に改築が施されてしまった部屋に通される。
「今日は僕たち三人だけ。無礼講だよ! テーブルマナーなんて気にすることもないからね」
「は、はい! でもどきどきしますね!」
「よくってよ」
『……ベティを気遣っていますのね。お優しいイアン王子……でも、その優しさは誰にでも向けていいものではありませんわ……』
三人で囲む大きなテーブル。楽しいディナーの時間。
「さあ、宿屋改築の完成記念に、乾杯!」
「乾杯です!」
「乾杯でしてよ」
『屈辱ですわ、祝う気持ちなど微塵もありませんのに……と、先日までのわたくしなら、そう思ったかもしれませんわね』
計画は遂行されようとしていた。
この会食に誘われた時、ロザリーは小さな殺意すら覚えた。
しかし冷静で冷徹なロザリーはその感情を逆手に取った奸計を思いついたのだ。
それを奸計と呼ぶにはあまりにも単純で直接的かもしれない。
だが単純な計画ほど強力、かつ明確な結果を導きやすいものだと、ロザリーは今までの経験から知っていた。
ロザリーは計画について、今この瞬間まで何の疑いもなく進めてきたのだった。
だが、王子が傾ける杯の先に見てしまったのだ。
先ほどの馬車の中で、純粋な目をしたもう一人の自分の姿を。
計画は遂行されようとしていた。
ロザリーは幻覚から目を反らす。
『ただ、ちょっと腹痛になるだけじゃない……』
身体のないロザリーだけが、時間がいつまでも引き伸ばされているように感じていた。




