異世界転移したのでトレーニングしてます
大ブーイングのリングの上。
それが彼の聖域だった。
「ふははは! その程度かチャンピオン!」
二メートルに迫る筋骨隆々の巨体に悪魔めいた猛獣のマスクをした男。
悪魔獣ライガージェットマスク。
その足下でチャンピオンが苦悶の表情を浮かべてのたうち回る。
「お前に助けはこない!」
ライガーは倒れているチャンピオンの腹へ足を伸ばし、かかとで踏み付ける。
「ぐわぁ!ぐはぁ!」
更に表情を歪ませるチャンピオンへ何度も何度もフッドスタンプで追い詰める。チャンピオンは声にならないような声をあげて苦しむばかりだ。会場のブーイングと悲鳴は最高潮に達している。
ライガーはベテランだった。
相手に触れれば、どれくらいの力で叩いても平気なのかが瞬時に分かる。
叩く力が弱すぎれば説得力が無くなってしまうし、強すぎれば相手を壊してしまう。細心の注意を払い相手を気遣いながら、なお手は抜かない。それが彼の目指すところであった。
「そこまでだ!」
一瞬、会場が暗転するとリングに上がっていた新たなヒーローがライガーの胸元へドロップキックを放った。
「あが!?……ぐ……ぁ」
ヒーローは新人だった。
説得力の事しか考えていない新進気鋭のドロップキックは運の悪い角度で運の悪い場所に突き刺さっていた。
ライガーは薄れゆく意識の中で思った。
それでも、己の鍛え方が足りなかったのだと。
…
……
………
ライガーはゆっくりと目を覚ました。
そして、全く見覚えのない場所にいることに気付いた。
ブーツが沈むような高級絨毯、大きなベッドや凝った意匠の調度品。およそ浮世離れした部屋である。
「天国……にしてはやや俗っぽいか」
ライガーはとりあえずプランクトレーニングを行う事した。
厳密には行う事にした、というよりも行いながら現状を考える事にした、の方が正しいかもしれない。
常日頃から繰り返すこの筋肉トレーニングは殆ど意識せずに行うようになっていた。ちょっとした時間の隙間に行う事が出来る自重トレーニングは自己鍛錬の基礎にして極地だとライガーは考える。
『あの……』
うつ伏せの状態で膝と足のつま先を立て、そのまま静止する。プランクは文字通り身体全体を一枚の板に見立て姿勢を継続させるトレーニングである。
『も、もしもーし……』
10秒と経たないうちに身体に強い疲労が出てきてしまっている事に驚きを禁じ得なかった。いつもなら片手で5分くらいは余裕なのだ。
遂には息が乱れ、仰向けに倒れ込んでしまう。柔らかい絨毯を背中に感じるとともに、奇妙な光景が眼前に飛び込んできた。
『ぜぇ……ぜぇ……。ちょ……ちょっと貴方、 聞こえてまして!?』
青白い人魂が喋っているのだ。なぜそれが喋っているのか分かったかというと、顔がついてたからである。ちなみにこの人魂にも筋肉がついているらしく、今は額のあたりに力が入り収縮してシワになっている。
『やっと気付きましたのね……。わたくしはロザリー。その身体と……そして、貴方の主ですわ』
妙なことを言う人魂だと思った。この身体は他でもない、自分が鍛えてきた身体なのに。
ライガーは立ち上がり、背中へ手をまわしてコルセットを脱いだ。幾分か呼吸が楽になるのを感じる。
そのまま筋肉を確認しようと部屋の隅にある鏡台へ移動している最中に、違和感に気付いた。
「む。 コルセット?」
疑問はすぐに解決した。鏡に答えがそのまま出ていたのである。
「金髪縦ロール」
ライガージェットマスクは少女になっていた。
身長はそこそこあるが、問題は身体つきだった。筋肉の気配が微塵も感じられないのだ。
『お分かりかしら。その身体は私のものなのよ』
鏡に写る少女の顔は、確かに人魂の顔と同じものであった。
ならば、この人魂こそが本来の身体の持ち主だろうと考えられる。
『貴方はわたくしが召喚に失ぱ……召喚した悪魔で合っていまして?』
「はい。悪魔です」
厳密には<悪魔獣>であるが、ライガーはファン相手にいちいち訂正を求めたりはしない。リングの外では紳士かつ寡黙。それがライガーなのだ。
『それなら話が早くて結構。わたくしの身体を返しなさい。命令ですわ』
「はい。返します」
本人のものはすぐに本人に返すべきである。身体となれば尚の事。
「……」
『……』
ライガーはプランクトレーニングを始めた。
先ほどの|膝とつま先を立てたトレーニング《フロントブリッジ》は負荷が大き過ぎる事が分かったので、今度は腕を伸ばした状態でのトレーニングである。ねらいはフロントブリッジで均一に強くかかっていた負荷を、少し足側へ逃す事によって難易度を下げる事だ。簡単に言うと腕立て伏せの腕を伸ばした状態で静止するトレーニングである。どうしてもフロントブリッジが維持できない場合など初心者にオススメである。
「これをハイプランクと言う」
『何をやっていますの!? はやく身体を返して!』
「返し方が分からないのです」
『な、なんですって……』
返したいのは山々である。自分はもう既に死んでしまっているだろうから、その後どうなるかは分からない。
だが、それはこの少女の人生とは無関係な話なのだ。返す手立てがあるのならすぐにでも実行するつもりである。
今度のトレーニングはおよそ20秒続いた。コルセットを脱いだ影響もあってか先ほどよりも中々の好感触だ。やはり最初の内はこのトレーニングで慣らすのが正解なのだと再確認できた。
それに、この若い身体は驚くべきスピードで筋肉が成長しているのを実感する事が出来る。前世が成長しきっていたからかもしれないが。
いずれにせよ。
「……ふう。素質ありだと思います」
『はぁ……はぁっ……と、とにかく筋トレをやめて……ぜぇ……今後のことを……は、話し合いましょう』
大の字になり、豪華なシャンデリアを見上げる。
やはりどんな時でも、身体を鍛えたあとの肉体疲労は良いものだ。




