第1章 蛯名いずほ ①
近年の統計をみると、人生において付き合った経験のない男女が増えている。
そして恋愛に興味を持たない、いわゆる絶食系というジャンルのタイプが生まれてきた。人間という生物がこれから先、繁栄していくためのサイクルの中で必要とされている恋愛が消極的になってきていることは大きな問題ではなかろうか。このままこのようなタイプの人間が増加することは、人間を絶滅に追いやることを意味している。
今、ここにいる私たちがこのサイクルを維持しなくてどうする?どんどん恋愛していこうじゃないか。結婚しようじゃないか。セックスしようじゃないか。
私たちが守らなくて誰が守るんだ!!ガンガン恋愛していこうぜ!脱、絶食系!!!
セックスという日常生活で聞きなれない言葉を聞いた瞬間、私は口に含んでいたお茶を吹き出しむせてしまった。
「あーあーあーなにしてるの、エビちゃん」
自分で吹き出したお茶で濡れた白いニットにおしぼりを当ててくれたのは、さっきまで隣で熱弁していた伊倉はるの、通称はるちゃん。はるちゃんは私より頭一個分小柄なので、秋のトレンドに合わせて染めた栗色の髪の毛一本一本を眺めることができる。近づくとほんのり柑橘類の匂いがする。小柄に見せないために、どんなに足場が悪いところでもヒールを履いていたり、ネイルは2週間に1度サロンに通っていたりと、女子力高めの女の子。
「はるちゃんがこんな公衆の場で下ネタ言うからじゃん!」
そう。外見だけは。中身は、家族連れで賑わう某寿司屋チェーン店のど真ん中で、恥ずかしいと思われるワードを大声で言ってしまう女の子なのだ。お願いだから、向かい側にいる幼稚園ぐらいの男の子、耳を塞いで〜!
「ねー私、サーモン炙り注文するけど、他に頼む人いる〜?」
私の斜め前で注文用のモニターを操作しているのは、浜地桜子、通称ハマ子。私たちの会話には目もくれず、花より団子と言わんばかりに目を輝かせながらメニューを眺めている。最近、糖質ダイエットをしているからお米は控えめにすると宣言していたというのに、入店1時ぐらいだというのに空の皿が10……いや15はいっているな、これ。
でも、ハマ子の輝いている笑顔を見ていたらこちらも癒される。
「ハマ子〜痩せるんじゃなかったの?」
はるちゃんがため息をつきながら釘をさす。
「いや、はるちゃん。それがね、私、ついに標準体重を下回りまして、つまり
痩せの部類に入ったんだよ!お祝いお祝い!ご褒美だよ」
「だからそーゆことじゃなくて健康的に痩せないと意味がないのに」
誇らしい顔をするハマ子に、はるちゃんはまたため息をついた。
確かにハマ子は出会った頃に比べたら結構痩せたと思う。笑った時に頰肉が上がって目尻が隠れていたのに、今ではくっきりとして二重がさらに強調されて化粧の技術が向上されただけじゃない綺麗さが増した気がする。もともと顔立ちが整っていたこともあり、染めてない艶のあるバージンヘアーの黒髪が清楚さを引き立たせている。はるちゃんがギャル系だとしたらハマ子は清純派って感じか。互いに外見だけだと相容れないスクールカーストも壁がありそうだが、共通のアニメや漫画の趣味があり、よく二人で映画や限定カフェに行くくらいに仲がいい。世話焼きのはるちゃんとマイペースなハマ子だから、お互い求めているものがあっている、例えるなら仲良し姉妹って感じ。
「ごめん、遅れたー!」
声の主が私の目の前の席に腰掛けた。自転車で逆風と戦ってきたのか、前髪が逆立っており、首元から汗が見える。
「平っち、思ってたより早かったね」
「バイト終わってダッシュで自転車飛ばしてきたわ。疲れた〜」
平っち、本名平目みき。彼女は私たち4人の中で唯一、アルバイトをしている。職場はこの店から自転車で30分ほど走った先にある、駅ビルの大手靴メーカー。
平っちは疲れたと言いながら上に羽織っていた控えめな檸檬色のカーディガンを脱ぎ、バイトの制服であるワイシャツをあらわにする。首元の汗がつーっと鎖骨を通り、純白なシャツに染みこんでいく。なんとも色気のある光景で、おいおいここはファミリーの集まる飲食店だぞ、とつっこみたくなる。
「なんか平っち、エロい」
すかさずはるちゃんが目を光らせる。全く、彼女はこういう系統の話が好きなんだから。
「やめてよ〜もう〜」
強く拒みきれない平っちは眉毛をハの字に曲げて笑っている。
「でもさ、不思議だよね。平っち、こんなにエロいのに彼氏いないんだよ。嘘でしょ。本当はいるんでしょ?」
「やめてよ、はるちゃん。私いないって」
「元彼は〜?」
「もいないって〜!」
平っちがそう答えると、はるちゃんは目をカッっと見開き、声のボリュームを上げた。
「そうなんだよ!彼氏がいたことないんだよ、私たち!!」
「……」
「……」
「……」
タタラ〜タタラ〜タラタタタタ〜、注文シタオ品物ガ届キマシタ〜。
静まり返ったテーブルにタッチパネルの音が響き渡る。
「あっ!サーモン炙りきた〜」
「ハマ子、お黙り」
いつになく真剣な眼差しのはるちゃんの声に圧倒されたハマ子の唾を飲み込む音がかすかに聞こえた気がした。
紹介が遅れたけど、私たちはこの店の近所にある女子大に通う華の大学2年生。小さい頃は女子大生なんて言ったら、合コンやサークルで出会った殿方と恋に落ちて彼氏を作って楽しいキャンパスライフを送っていると思っていた。
にもかかわらず、現実は私たちみんな彼氏がいない。というか20年間彼氏がいたことがない。今、あの頃の自分に現実なんてそんなに甘いものじゃないよって伝えたい。そもそもサークルに男はいない。だって女子大だよ。そりゃインカレに入れよって話だけど、それに気づいたのは大学2年の秋頃。今から3ヶ月前の話。
で、合コンもね、存在しているのか聞いたことないから謎。都市伝説なんじゃないかな。あんなの。大体、女子であるっていうだけでご飯を男子が奢るってどんなご都合主義な話だよ。きっとあれは夢見る女子が作り出した夢物語だよ。さあ、そんな出会いがない中、そして今まで自発的に求めてこなかった結果、彼氏はできるはずもないよね。
王子様なんて降ってこないって話だよね。