第八話 昼食 其の弐
三人の茶番から20分程が経った。
一翔と結瑚はそれぞれの買う物の支払いを済ませ、4人は店を後にする。
「んー! 練習用の道具も買ったし、来週からの仮入部が楽しみだなー!」
当初の目的を済ませ、肩の荷が下りた結瑚は日の光を浴びながら歩道の真ん中で蹴伸びをする。小さい背丈で行うその姿に『まるで子猫みてぇ』、と一翔は心の中で呟く。
「一緒に買い物来てくれてありがとね! ひぃちゃん!」
「いいよ、ゆっこ。どうせ暇だったし」
結瑚の快活な笑みに対して、陽葵は控えめな微笑みを向ける。
女子二人から少しだけ離れてその様子を見ていた一翔と大和。一翔はしばらく何かを考えた後、隣にいる一翔に首を向ける。
「それで? こっからはどうすんだよ大和」
女子二人には聞こえないような小さな声だった。
「お前からすれば、今日はあくまでも結瑚と出かけるための口実の買い物だけどよ。あくまでも仲良くなるだけが目的なら、今日はこのまま解散でもいい気がするぞ」
まだこの4人は知り合ったばかり。今日はこれでお開きにして、また別の機会を設けて少しずつ距離を近くしていくのも悪くはないと一翔は考える。だが、大和は顎に手を合わせ、一翔のそんな考えをあざ笑う様になにか企みがありそうな悪い顔をしながら笑う。
「ふっふっふ……この俺がこのまま終わるわけないっしょー?」
大和も女子二人には聞こえないように小さな声で返す。
「まだどっか行くのかよ?」
「当然! が、その前にまずは腹ごしらえと行こうぜ」
「飯か……じゃぁ、牛丼屋とかどうだ?」
「は? 邨上ちゃーん、本気で言ってんの?」
一翔の提案を大和は鼻で笑う。牛丼は好物だった一翔にはそれが癇に障った。
「駄目か?」
不服そうな一翔の声に大和は軽くため息をつく。
「ダメダメ! 俺とお前の二人だけならそれでも全然いいけどさ。今回は女子が二人も一緒にいるんだぜ?」
「女子が居たら牛丼はダメなのかよ?」
「当ったり前だろ。女子はもっとこう、華のある食べ物が好みなんだよ」
「華、ねぇ……」
うわ言の様に呟く一翔を無視して大和は女子二人に駆け寄って行く。
「ゆっこに心山さん。そろそろ腹も減ってきたことだし、お昼も一緒にどう? 俺、いい店知ってんだぁ」
「おっ、いいね!!! せっかくだし食べてこっか!!」
あっさりと乗ってきた結瑚に、大和は内心でガッツポーズをする。
「ひぃちゃんもいいよね?」
「うん、別にいいよ。暇だし」
陽葵の声は素っ気ないが、優し気な口調だった。
「それじゃぁ、行こうぜ! こっちこっち!」
「大和君のおすすめかー。どんなセンスしてるのか楽しみだねー」
先頭を切って歩き出す大和に期待の表情でついて行く結瑚。
先を進んでいく二人を陽葵はついて行かずにしばらく見つめていた。そんな陽葵を一翔は見ながら口を手で覆って考える。
一翔には一つ気になったことがあった。彼女の結瑚と一翔への反応の差だ。
店の中で一翔が陽葵に話しかけた時、彼女は無愛想な反応を返した。それに対して陽葵にはまだ無愛想気味ではあるが、一翔に向けていたそれよりはずっと愛嬌があった。
今日知り合ったばかりの一翔よりも、同性で前から面識がある結瑚の方が心を開くのは分かる。けど、一翔はそれだけには思えなかった。
「……まさか、まだ俺に警戒してるとか?」
陽葵を『友達』と呼んでいた結瑚が誘ったから付き合っているだけで、陽葵は大和の冗談を本気にして一翔があの時のナンパ男と同様の軽薄な男と思っているのかもしれない。そう考えれば一翔は自分に対しては冷たく対応されているのに納得がいった。
一翔の独り言が聞こえたのか、陽葵は一翔に向けて首を向け、二人の視線が合う。とっさに目を逸らしたくなったが、それをするとますます気まずくなると思い、一翔は視線を動かさない。
陽葵は何も言わず、ただただ一翔を見続ける。下手に何か言ってくるよりもよっぽど怖く、陽葵の何を思っているのか分からない冷ややかな視線に、一翔は頬に冷や汗を流す。
「何やってんだよそこの二人ー! ぼーっと突っ立ってないで来いって!」
「ひぃちゃーん!! 早く行こうよー!!」
5秒ほど二人が見つめ合い続けた時、二人から10メートルほど離れた所から大和と結瑚の叫び声が聞こえる。気まずい空気の流れを変えてくれた二人に心の中で『でかした!』と叫ぶ。
「あ、ほ、ほら。あいつらが待ってるし、俺らも行こうぜ!」
大和達を指差しながら、必死に明るい声と笑顔を作る。
「……うん」
素っ気ない返事で陽葵は歩き出す。後に続くように一翔も歩みながら考える、『俺だけ先に帰っちゃ駄目だろうか?」と。
◇
レンガ造りの壁に覆われた喫茶店の中、4人は席を囲み昼食に舌鼓を打っていた。
「美味しー!!! たまんないね、大和君のおすすめのこの茄子とチーズのトマトソースパスタ!!」
結瑚の前に置かれた、白い皿の上に乗るパスタから食欲をそそるチーズとトマトの香りが漂う。
トマトソースがよく絡んだパスタの赤色は白い皿の上でよく映え、上に乗った茄子の紫と彩りを考えて乗せられたバジルは視覚的にも結瑚の食欲をそそる。
結瑚はフォークを使ってパスタを口に運ぶ。舌の上に広がるトマトの酸味に熟成されたチーズのコクのある味。厚みを持たせて切られた茄子の甘味と柔らかな歯ごたえがパスタの食感に飽きさせず、結瑚は空いた手で頬を抑えて味を楽しむ。
「大和、よくこんな店知ってたな」
一翔は自分が頼んだデミグラスソースのかかったオムライスを頬張りながら店内を見渡す。
道路側の壁は全面ガラス張りになっており、日光が店の奥にまで届く。明かりはついてこそいるが、仮に無くても日光だけで十分に明るい。
店内にはジャズのBGMが小さな音量で流れ、それがまた落ち着いた空間を演出し、忙しく道を歩く人々が見える店の外とは別の空間の様に感じさせた。
「へへっ、まぁなー」
一翔の感心した様子を見て大和は自慢げに笑う。
「心山さんはどう? ここ、気に入った?」
陽葵がサンドイッチと一緒に頼んだコーヒーを静かに飲む。コーヒーカップを口から離して軽く息を吐いた後に笑顔になりながら口を開く。
「うん、いいところなんじゃないかな」
「だろ!? いやー気に入ってもらえてよかったよ!」
陽葵の答えに大和はますますご機嫌な顔になる。
「それでさ、この後はカラオケなんてどうかな? 皆で思う存分に歌ってさ、楽しく今日を終わろうぜ!」
「おぉ、いいね!! 私たちまだ知り合ったばっかりだし、互いの事を知るいいきっかけになるし!! 邨上君とひぃちゃんもいいよね?」
パスタを頬張り、その美味しさに上機嫌になりながら結瑚は二人に目を配る。
一翔は手に持ったスプーンを置いて、首に手を置いて困った様子で口を開く。
「俺はいいよ。カラオケはお前ら三人で行ってこい」
「えー……なんで!?」
一翔の返答に結瑚は頬を膨らませる。せっかくの親睦を深めるためのお誘いを断られて、結瑚は不満気に理由を問い詰める。
「いや……その……」
『彼女に嫌われてるっぽいから』とは一翔は口に出せない。
一翔がカラオケの誘いを断る理由は一つ、それは陽葵だ。
彼女が一翔を警戒しているのならば、一翔もカラオケに行ったら気まずい空気が流れるかもしれない。
今日はあくまで結瑚と仲良くなるのが目的なのだから、一翔が無理にこの後もついて行く必要はない。それならこの後は三人とは別れ、大和には結瑚と陽葵の三人でカラオケを楽しんでもらえばいい。むしろ男一人に女二人の状況はいかにも女好きそうな大和にはありがたいだろう。
「私もいいや。カラオケは二人で行ってきなよ、ゆっこ」
「え!?」
「は?」
落ち着いた声で結瑚の誘いを断る陽葵に結瑚は驚きの声をあげ、それに一翔も続いた。
「なんでさーひぃちゃん! 皆でカラオケ楽しいよ?」
カラオケ楽しいの部分は置いておいて、結瑚の疑問に一翔は心の中で頷く。
結瑚は勿論、大和にも陽葵は不信感を持っている様には見えなかった。陽葵が警戒しているのはあくまでも一翔一人だけなら、彼女が誘いを断る理由が一翔には思い当たらなかった。
「ごめん、私カラオケはちょっと……」
バツが悪そうに答える陽葵に結瑚は親に何かをおねだりするような声で顔を近づける。
「そんなこと言わないでさー、皆で行こうって! きっと楽しいから! いや、私が楽しくするから!! ね? ね?」
結瑚の必死な懇願を無視するように陽葵はコーヒーを口にする。その様子を結瑚は断りの意思表示として受け取ったのか、しょんぼりとした寂しい顔で呟く。
「皆が行かないなら、私もやめよっかな……」
「なっ……お、おい邨上君!! ノリが悪いぞ!! お前たちの買い物に付き合ったんだから、今度は俺達に付き合う番だぜ!? な、行くだろ? 行くよな!? 行くって言えよ!!」
カラオケがご破算になりそうな流れに大和は大慌て。何としてもカラオケに行きたいのか、必死の形相で一翔に迫る大和に一翔は『俺達って……心山さんは行かないんだからお前ひとりじゃねぇか』とツッコみたくなる。
「な? な? 行こうぜ親友ー! 4人でカラオケでレッツパーリィしようぜ!!」
明るく気さくな声で調子のいい事を言いつつ大和は一翔に肩を組む。だが、大和の目は言っていた。『頼む。来てくれ。お願いだから』、と。
よっぽど結瑚とカラオケを楽しみたいのか、鬼気迫る物を感じさせる大和の眼に思わず一翔も折れた。
「わ、わかったよ……行けばいいんだろ」
「おっしゃぁ!! な、な、心山さんも行こうぜ!!」
一翔を説得……いやごり押しでOKの返事をさせた大和はそのままの勢いで陽葵に目標を変える。
「でも、私……」
「行こうよひぃちゃん! 邨上君も来るって言ってるしさ! ね?」
大和の必死な説得に陽葵は困った顔になる。これならこのまま押し切ればイケると思ったのか結瑚も必死な顔でもう一度陽葵に食いつく。
自分が来るなら余計に陽葵は嫌がるんじゃないかと思う一翔だが、口にしたら二人に睨まれそうなので黙って様子を見守る。
「う、うぅ……」
二人に迫られて視線の逃げ場所を失った陽葵は俯いてしばらく黙り込んだ後、諦めた様にため息をつく。
「わかった……私も行くよ」
「「やりぃッ!!!」」
陽葵の返事を聞いた二人はハイタッチで喜びを分かち合う。
「そうと決まったらさっさと飯食ってカラオケ行こうぜ!!」
「そうだね!! ほら、二人とも早く早く!!」
一翔と陽葵を説得させた達成感のせいか、それとも純粋にカラオケが楽しみなのか。大和と結瑚は大急ぎで昼食を平らげ始める。
「ほんと、調子のいい奴……」
「ゆっこってば、強引なんだから………」
陽葵と一翔は呆れたように俯いて、溜め息をつきながら愚痴をこぼす。二人のその動作はぴったりとシンクロしていた。