それでも彼女は笑顔でいたい
あれから幾日か経った。
今日は月曜日。まただるいだるい一週間の始まりである。
しかも実力テスト付きという最低な月曜日である。特に最近勉強方面で右肩下がりの楓にとっては。
「一時限目から体育とか午後のテストで寝ろって言ってるようなもんだろ」
「ほんとだよ。全然勉強もしてないし」
「わかるー。休みの日は本気で勉強しようと思うけど、結局やらずに月曜が来ちゃうよね」
まだ朝だというのに次々と不平不満が飛び交う。テストの日の恒例行事と言っても過言ではないだろう。
それに必ずいる勉強してない星人は一体なんなのだろうか。保険でもかけているのだろうか。
楓自身も前はテストが億劫だと思っていた。前は。今はやっと受験生だという自覚を持ったのか、不思議とやる気に充ち満ちていた。それとも理由は他にあるのかもしれない。
間も無くして担任の先生が教室に入ってきた。
「静かにしろよー。今日もまた面白い話を持ってきたぞぉ」
でたでたとみんなの顔があからさまに呆れ顔になる。
と言うのも一組の担任の先生は毎朝何かしらどうでもいい話をする、と言う習慣があるのだ。
「今回は面白い話だ。昨日テレビを見てたんだけどな、ある男性の臓器がもう一人の他の男性に移植されたんだよ。そしたらな、レシピエントの男性は性格がドナーの男性に似てきたらしい。それだけじゃない。レシピエントの人ががなぜか、ドナーの人の家族や友人の顔まで認識できるようになったんだって」
クラスのみんなは、ぼけーっと話を聞いていたが、楓だけはなぜな興味を持って聞いていた。
「臓器を移植するってことは少なからず相手のDNAも一緒に移植されるから、それで記憶が移ったんじゃないかって言われてるんだけど。不思議なものだねぇ」
夢の詰まった話だ。
久しぶりに面白い話を聞けたと楓は思った。
それから朝礼は終わり、体操服に着替えるために全体が動き出す。
午前中は間間に仮眠を挟みながらなんとか乗り越えた。
ここからだ。ここからが本番である。
午後一番は英語のテストである。
しかし仮眠はしたと言っても、体育の疲れに昼食が加勢すると、集中できるはずもない。リスニングで流れてくるネイティブな発音すらも子守唄に聞こえてくる。
そんな状態でどう高得点を狙えと?と、やる気があっただけに反動も大きかったのだ。
次の国語のテストでも同様、活字が眠気を誘う。出席番号順に並んで後ろの方だったとはいえ、楓の視界に入ってる人だけでも、船を漕いでいる人が三人と完全にノックダウン状態の人が二人はいた。
ここは本当に三年生の教室なのか?もしかしたら二年教室に迷い込んでしまったのかもしれないと、彼が本気で心配するくらいだ。いや、まだ二年生の方が真面目に問題に向かっていると思うが。
そんなことを考えている間にテストも終わり、皆んなが絶望の声をあげた。
「時間なさすぎかよ」
「ほんとそれ!あんな問題量できっこないよ」
「英語のリスニングとかちょっと発音おかしくなかったか?」
「あーわかる」
終いには彼ら純日本人よりも何十倍と上手なネイティブの発音にすらケチをつけ始めた。何を言おうと言い訳にしか聞こえてこない。にしてもさすがにリスニングを指摘するのは無理があるのではないかと思う。同情したあの子もあの子だ。
クラス中が賑やかな中、一人項垂れているのは楓だった。
実は楓は専有教師に勉強を教えてもらい始めたために自信があったのだ。いや、自分の実力というよりもその家庭教師を過信していた。
という話も今になっては昔のことである。
彼は既に例の病室に至ろうとしていた。彼女に会いに行く高揚感はあったが、先ほどの敗北は彼堪えていたらしく、少し釈然としない様子である。
ガラガラ
なんだか一瞬憂懼するような顔つきだった気がしたのはきっと気のせいだろう。彼女は楓の顔を見た香の第一声は「テストどうだった?」である。
「察してくれよな」
「ダメだったんだ。せっかく校内トップレベルの私が教えてあげたのに」
そう、楓専有教師とは彼女のことである。
楓が授業ノートを見せてあげるかわりに、香が勉強を教えるという契約を交わしていたのだ。
「そんなすぐには上がらないよ」
自信があったことは内緒にして、冷静に答えた。
「なんでそういうこと言うかなぁ。もう教えないぞー」
香は少しお怒りのようだ。
続けて彼女が言う。
「そんなこと言って、このままもう上がらないんじゃないの?」
「おいおい、失礼なことを言うんじゃない。君が教えてくれてるんだから君くらいの学力にはなると思うよ」
すると彼女はクスッと笑って言った。
「私だって努力してるんだから、そんな簡単には追いつかれないもーんだ」
確かにそうだ。楓も彼女が努力の天才だということは重々承知の上だった。
けれど負けず嫌いの彼は彼らしい答えをもってきた。
「ノミって知ってる?」
「寄生虫の?それがどうかした?」
「ノミってのは実に興味深いんだよ。ノミをコップに入れたらどうなると思う?」
「ジャンプして出る」
とても簡潔な回答が返ってきた。
「正解。じゃあその後コップに蓋をするとどうなるかわかるよね。ノミはジャンプした時に体を蓋にぶつける。だからぶつからない程度にジャンプするようになるんだ。次にコップから蓋を取ったらどうなるか知ってる?」
「ジャンプして出る?」
「実は違うんだ。蓋を取ってもノミは蓋があった高さまでしか飛べなくなるんだよ。最後の質問。このノミを外に出させるためにはどうしたら良いと思う?」
「んー、わかんないや」
「正解は、他のノミを新しく一緒にいれる。そうすると当然そのノミはジャンプして外に出るよね。ここで不思議なことが起こるんだ。元からいたノミも、まるで自分の限界を忘れてしまったかのようにジャンプしてコップを飛び越えられるようになる」
最後に楓はこれらを踏まえて結論付けた。
「つまりね、自分の限界を作っちゃいけないんだよ。そうは言っても作っちゃうことがある。そしたら仲間と切磋琢磨していけば良いんだよ。で、今の僕がその状態ってこと」
彼は満足そうな面で、立派なことが言えた、と自画自賛していると、彼女からの不意打ちがきた。
「でも人間はノミじゃないよ」
それを言っちゃ終わりだろう。
「う、うん。そう言う考えの人がいても良いと思うよ……」
何も言い返せなかった。
「そうそう、はいノート」
「あ、ありがとう」
目的のページまでペラペラめくる。
「個性的な字だね」
「下手って言っても良いんだぞ」
「まあ、字が汚い人ほど頭が良いっ言うしね」
「嫌味かな?」
「うん」
笑顔でそういこと言うのはずるい。
今日受けた教科のノートを書き取った後は明日の残りの模試に向けての勉強だ。
加えて明日は課題の数学である。
正直楓は数学だったらこの前まで眠っていた彼女にさえ負ける自信があった。
「だからなんでそう計算してんのよ!ここをこうしてこうでしょ⁉︎」
本当に頭の良い人の説明は総じて分かりづらい。全てが当たり前のように説明してくる。
「そうとかこうとかばっかりでわかんないよ」
「もう教えてやんないよー」
「あー、ごめんなさい!」
こんな感じで彼女に屈してばかりの彼だが、最近前みたいに明るくなってきた彼女を見て実は嬉しくなっていたり。
勉強タイム終了。
「よっしゃ、なんか明日いける気がしてきた」
「よーし、その調子その調子。楓君ならできるって。たぶん地頭は私より楓君方が良いんだから、自信持って。ふぁいと!」
香は両拳を握って胸の前でガッツポーズ。
好きな人からの応援ほど力になるものはない。
彼はいやがうえにもやる気がみなぎってきた。
彼は幸せを感じた。
こんな幸せがずっと続けばどんなに良いなろうか。
ありがとうございました。