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太陽と月と星と

 香が目を覚ましてから一週間ほどが経った。

 この日は日曜日だったので、楓は学校がない。

 そのため楓は今起きた。十時だ。

 アラームの賑やかな声に少し苛立ちを覚えた楓はベッドから上体を起こし、机に置いてあったスマホに手を伸ばす。

 ぎりぎり届かない。

「あー!うるさいなぁ!誰だよこんなところにスマホ置いたのは」

 そんなの一人しかいない。彼自身であろう。

 だけど今の彼にそんなこと言ったら多分「知ってるよ!」と返されることは間違いない。誰だって朝は苦手だ。

「もう……すこ……し」

 諦めれば良いものを無駄に頑張るから、

 ドシャン!

 ベッドから落ちた。

「いてぇ〜」

 なんだかんだこれがベッドから落ちるのが一番の目覚ましなのかもしれない。


 ぱっちり目を覚ました楓は下に降りて、朝食が準備されているであろうリビングルームに顔を出す。

「あんた遅いわね。死んだかと思ったわよ」

「バカ言え。やり残したことばかりなのに死ねるかっての」

 彼は椅子に座って、わざわざ麦茶の注がれたコップを口に運ぶ。

「やり残したことって、彼女のこと?」

 ボフッ

 親は怖い。息子以上に息子のことを知ってるんだから。

「どこから仕入れてきた情報だよ」

 否定はしない。香との関係で嘘はつきたくないと思っていたからだ。

「さあね」

 なんて嫌な笑顔だ、と思ったけど楓は母親のそういう顔が嫌いではなかった。


「今日お父さんのところ行くけど楓も行く?」

 楓の父親。もうここにはいない父親。

「いや、俺はまた今度行くよ。昼頃から用事あるし」

「そう。頑張ってね」

 やっぱり見透かされているようだ。


 朝食か昼食かわからない、いわゆるブランチを軽く終わらせて再び二階へ上がる。

 するとすぐに車の主発する音がした。どうやら母親はもう出かけたらしい。


 必要そうなものだけ適当に肩掛けバッグに詰めこむ。

 歯磨きも軽く済ませ、いざ出陣。

「鍵を閉めないと怒られるからな」

 ガチャ

 基本インドアな彼にとって、徒歩で病院まで行くのは良い機会だった。

 日光が実に気持ち良い。光合成すらできそうである。

 それだけではない。

 空気が美味しい。風が心地よい。自然が美しい。小川が輝く。地球には色々なものが詰まっている。

 今の彼には全てが鮮明に彩豊かに見える。


 自然を感じながらの散歩は、普段より早く時計の針を進めた。


 病棟に到着。

 からの彼女の病室到着。

 扉を開けると彼女はくすくす笑いながら楽しそうにジャンプを読んでいた。

 楓が入ってきたことさえ気づいていない様子である。

「何読んでるの?」

 ゆっくりと首をこちらに回し可愛らしい笑顔で答えた。

「『斉木楠雄のΨ難』っていうやつ。すっごく面白いの」

「あぁ、君は前からそれが好きだったよね」

「覚えててくれたんだ」

「当たり前だよ。忘れるわけない」

 香は楓を気遣ってか、ジャンプを閉じた。

「読んでても良かったのに」

「良いの、ちょうどキリが良いところまで読んだから」

 楓は彼女のそういうところに惹かれたのかもしれない。


「リハビリはいつからだっけ」

「さっき昼ごはん食べたから、多分もうすぐかな」

「僕も手伝うよ」

 彼女は少し困った顔をした。

 何か悪いこと言ったかな?と思ったが思い当たらない。

「どうしたの?」

「楓君は優しすぎるよ。私が困るくらい」

「褒めてもらってる気しかしないんだけど」

「褒めてるよ。でも、何でもかんでも頼ってるとこっちが申し訳なくなるのよ」

「気にしすぎ。あと少し違うよ。君のためじゃない。僕のためだよ。僕がしたいからするだけだよ。僕は僕なんだから」

 彼女がクスッと笑った。

「らしいね」

 彼女の機嫌が戻ったようで、楓は嬉しくなった。嬉しくなった自分に気付き、自分が言いたかったことはつまりこういうことなんだと改めて思った。



 コンコン

 丁寧なノックに二人はすぐにリハビリの先生だとわかった。

 ドアが開き小声で、

「失礼します」

 男性で実に優しそうで紳士的な方だ。

「そろそろリハビリルームへ行きましょうか」

「わかりました」

 彼女はベッドの脇に備えられている車椅子に移ろうとする。

「手伝うよ」

 楓が言うが

「いい。これくらいできるようにならないと。こういうところから一歩ずつ」

 楓は思い出した。そうだ、彼女は自分なんかよりよっぽど努力家で頑張り屋なんだ。


 少しばかり時間はかかったが、どうにか体を車椅子に移すとコロコロ車輪を回して先生と部屋を出た。なんだか寂しい気持ちがして、楓も後を追った。


 リハビリルームにはもうすでに複数人の患者がリハビリをしている。老若男女問わず。わずか十歳ほどの女の子までいる。

 こんなにもたくさんの人が苦しい思いをしているのだと知ると、健全な体の楓は罪悪感を覚えた。

 彼もまた精神的に苦しんでいる一人だというのに。



 まずは香はソファに座る。その彼女の右足を先生がしゃがんで曲げたり伸ばしたりする。

「痛くないですか?」

「大丈夫です」

 同様にして左足も。


 ここまでは順調だ。

「少し休憩しましょうか」

 楓は、もう休憩?とも思ったがさすがプロ、

「座ってるだけで疲れちゃった」

 そう言ってソファに横たわった。

 ちょうど彼女は疲れていたようだ。

 考えれば当たり前のことだ。何ヶ月も寝たきりで筋肉を全く使っていなかったのだから。健康体にはわからないかもしれないが、ただ座るだけと言っても多少の筋肉は必要になる。

 彼はそこまで考えが至らなかった自分を殴りたいと思った。

 本当に殴るアホはいないけど。


 二、三分が経過した。

「よし、じゃあそろそろ次行こうか」

 その声で香は上体を起こす。ここでもやはり少し時間を食う。

 彼女の気持ちもわかるが、楓の心にはどこか自分を頼って欲しいと思う部分も確かにあった。


「僕の方を支えにして立ってみようか」

「はい」

 右手を先生の方に置き、亀の歩くスピードで腰をそっと上げる。

 が、

「きゃ!」

 足が顫動して、終いにはソファに倒れこんでしまった。

 彼女の骨と皮だけの枝のような足には厳しかったようだ。

「大丈夫⁉︎」

 楓が体を支えて上げると、この状況では彼女も彼の優しさに甘えるしかなかった。

「ありがとう」


「まだ難しそうかな」

「いや、できます」

 ここで折れないのが彼女である。

「じゃあ楓君左側頼めるかな」

「あ、はい」

 やっと役に立てると思い、嬉しかった。


「せーのっ」

 ゆっくりと立ち上がるが、逆に楓のバランスが崩れかけた。

「ッ‼︎」

 踏ん張る。手助けをしている彼が足手まといになってどうするんだ、とわかっていたからだ。

 リハビリの先生も舐めたもんじゃないなあと初めて感じた瞬間でもあった。


 彼女の足は震えているものの、左右に支えがあるためしっかりと立てている。

 その後先生の号令で彼女をソファに下ろす。

 立って座るだけで彼女は息を切らしていた。

 そこらの人から見たら演技にしか見えないだろう。


 最後にまた足や手を曲げたり伸ばしたりしてほぐし、今日のリハビリは終了した。


 楓は「確かにこれは半年くらいかかるかもなぁ」と感じた。


 病室に戻り先生が別れを告げてから、ベッドに座る彼女は初めて弱音を吐いた。

「いつになったら前みたいに学校行けるようになるのかなあ。みんなに会えるかなあ。みんなで遊べるかなあ。……それとももしかしてもう元には戻れないのかなあ」

「戻るよ。きっと、いや、絶対戻るよ。戻してみんなに元気な姿見せようよ。またみんなでバカしようよ」

 笑顔でそう言った。

「そうだね」

 彼女の顔には涙が浮かんでいた。

「いっつも私楓君に助けられるな。……君でよかった」

 これが僕の役目なんだ。彼がそう確信した瞬間だった。




「香がもし暗闇に迷い込んで自分の居場所すら見失ってしまったら、太陽()()を照らし続けるんだ。それでも君は新月に(見えなく)なっちゃうかもしれない。そしたらまた僕が君を満月(見えるように)にしてあげるよ。焦らなくたって良い。だって(みんな)はずっと待ってくれてるんだから」

 彼は照れ臭く笑った。

「なにカッコつけてんのよ。でも……ありがとう」

 彼女の目にはいっぱいの涙が浮かんでいた。そして声も微かに震えていた。

「なに?もしかして泣いてるの?」

 少しからかって言ってみた。

 彼女は首をふりふりと横に振って、

「目にゴミが入っただけだよ」

 いつかの楓が言った言葉を今度は彼女が言った。

ありがとうございました

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