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夕暮れ時の奇跡

 臓器提供予定日前日。

 この日もいつもと変わらず楓は学校に通った。彼女のいない学校は、彼にとっていちごのないショートケーキも同然だった。

 けれど笑った。一際笑顔で過ごした。



 学校が終わり放課後、誰よりも早く教室を出て、誰よりも早く学校を後にした。そして病院まで走る。別段速くもない足をこれでもかというくらい回して。

 この日は一週間前とは真逆の快晴である。

 追い風が背中を懸命に押す。とは言うものの、左肩にスクールバッグを掛けているため、おもいっきり走れないのは悔しいところではある。彼は道道鞄を捨てようかとも思った、と言うのはさすがに言い過ぎか。


 病棟までやっとの思いでたどり着いた。自動ドアの向こうへ。

 そして早歩き。

 やはりこの日もエレベーターは彼の味方をしてはくれないようだ。楓はここらで切らした息を整える。



 今日もまたエレベーターの中では体重が重く感じた。楓はなんだかその感覚が日に日に大きくなっているような気さえした。


 931号室。彼女の病室。

 まだ肩で息をしていた彼は、その前で一度深呼吸をする。そしてもう一度。

 内心に宿る負の気持ちを一掃するように両掌で頬をパンと叩く。

 若干火照り、ジンジンと痛む顔を笑顔へと変えた後、扉を開いた。



 今日もやはり寝たきりである。

 あぁ、可哀想に。この時期が一番青春を謳歌でき、楽しい時でもあるのに。

 もう見目好かった昔の彼女は鳴りを潜めている。

 頬はこけ頬骨は突出しシワも増え、唇は青紫色に染まっている。

 でも楓は彼女からの目を逸らそうとは思わない。むしろ必死に向き合おうとしている。少しの刺激でも思わず溢れ出そうな涙を抑えながら。


 楓は椅子に座った。何を話そうか少し悩んだ。だってもう残りわずかかもしれない命なのだから。

 悩んだ結果、いつも通りに振る舞おう、という結論に至った。彼が普段通りじゃなかったら、彼女が不安になるかもしれないと思ったからだ。

 彼は寝たきりの香に意識があると思っている。いや、そう信じているのだ。


「そうだねー、今日は……」

 何もなかったとは言えない。

「そうそう今日は球技大会だったんだ。種目はバスケ。で、僕中学生の時バスケやってたじゃん。て、知らないかそんなこと。まぁ、やってたんよ。それで今日の球技大会は……結構…………活躍できたよ。…………君にも…………………見て欲しかったなぁ……」


 もちろん今日は球技大会なんてなかった。


「実はさ、明日から僕もうここには来れないんだ」

 明日は彼女の臓器移植。明日は家族水入らずの時を過ごすべきだと思っていた楓は、今日が彼女と過ごす最後の日かもしれない。


「そう、母さんに怒られて受験勉強に本腰を入れないといけなくなったんだよ」

 苦しい嘘だった。だけどこれは彼なりの優しさでもあったのだ。


 少しの間沈黙があった。というか唯一話せる楓が黙り込んでいた。

 この時彼は天井を見ていた。涙を流さないように。


「結局返事もらえなかったなぁ。まぁ、どうせ返事をもらったとしても結果は見えてるんだけど」

「……ッ……」

 窓からの夕日がだんだん彼女の体を染めていく。だからだろうか。心なしか彼女の唇が素の赤色に戻っていくように思われる。


 楓はもう我慢ならなくなり、目の前に彼女がいるというのについ思いをぶちまけてしまった。

「神様は酷いやつだ。僕よりもずっと才能のある香をこんな状態にして。みんな平等にしたいからこんなことしたの?それならこの子は生まれた時からこうなる運命だったの?どうしてそんなに僕から奪っていくのさ」

 楓の拳はももの上でギュッと握りられ、微かに震えている。

「神様は酷いやつだ。僕がこんなに嘆いているのに姿すら見せてくれない。今も……昔も……。神様は酷いやつだ」


 少しして落ち着いてから彼女の顔を眺めた。

 なんて穏やかな顔なのだろうか。夕日を浴びてとても気持ち良さそうだ。



「もう日も沈んできたし、これで最後にするね」

  立ち上がった。

 目を閉じ一度深呼吸をする。

「僕は前も今も変わらず。君がどんな姿になっても、どんな状況になっても君のことが好きです。僕と……付き合ってください!」

 それはいつもの倍、いやそれ以上の気持ちを乗せて発した精一杯の『告白』だった。


 刹那、彼女の右手の小指がビクッと動いた。

 楓はその一瞬を今度こそ逃しはしなかった。

「え、今………」

「……ッ……うッ」


 この時楓は初めて本当の奇跡というものを目の当たりにしたのかもしれない。


 今まで微動だにしなかった彼女が氷が溶けていくようなスピードで両目を半分くらい開いた。

「香……?」

 その呼びかけに彼女は首を少し彼の方に傾け、

「楓…………君……」

 そう呟いた。

 本当に楓の『告白』が彼女の心に届いたようだった。


 彼女の目覚めは彼の涙腺を刺激するのには十分すぎるくらいのちからを持っていた。

 楓の目からは今までの人生で流した涙の総量に匹敵するくらいの涙が溢れ出ている。

「ああぁぁ!」

  制服の袖で流れ出る涙を拭う。

 慟哭する彼に香は少し口角を上げて言った。

「楓君……泣いてるの?」

「目にゴミが入っただけだよ」

 込み上げてくる声を抑えながらくしゃくしゃの笑顔で答える。

「ふふふ」

 彼女も笑顔で答える。

 この時をどれほど待っただろうか。



 その後、彼は急いで病院の先生の元へ行き説明は後回しで病室へと呼んだ。もちろん彼女の両親にもすぐに連絡は回った。


 医師が横たわった香の体を診ている時、彼女は楓に言った。

「いいよ」

「え?」

 彼には良く理解できなかった。なんのことだろうと思ったが、答えを見つけ出すことを遮られた。

「体は衰弱しているがこれから半年ほどリハビリをすればすっかり元どおりになると思うよ。奇跡だね」

 本当に奇跡だ。神様はいたのかもしれない。


 間も無くして彼女の両親が駆けつけた。

「かおりー!」

「ただいまお母さん、お父さん。心配かけてごめん」

「こっちこそごめん。怖かったよね」

 母親は泣きながら香に抱きついている。

「怖かった。ずっと暗闇の中で終わらない悪夢を見ているようだった。でもね、悪夢の中でも良い夢を見たの。お父さんとお母さんに言わないといけないことがあるの」

「なに?」

「この男の子、楓君は私の彼氏」

「えっ?」

 誰よりも驚いてしまったのは他でもない楓だった。何が何だかわからないけど嬉しかった。

「言ったじゃん。いいよって」

 さっきのは『告白』への返事だったのか、と今理解した。

 両親は二人とも異論はないといった顔で頷いている。

「私が見た夢。それは楓君が何度も私に『告白』してくれる夢。あの夢は暗闇の中に光を与えてくれた。気がついたら意識があったの」

 夢なんかではない。確かに楓の声は彼女に届いていた。彼女の迷い込んだ暗闇を夕日のように照らしていたのだ。


 神様なんていない。奇跡なんて起きない。そんな考えを持っていた楓は思った。奇跡は自分から掴みに行くものなんじゃないかと。



 そして彼と彼女は正式に付き合うこととなった。

 そして彼女のリハビリ生活も同時に始まった。


ありがとうございました

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