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二度と

 全く頭が追いつかなかった。

「おいおい、何の冗談だよ。全然笑えないよ」

 香は真剣な眼差しを向けている。

「楓君はやっぱり優しすぎるんだよ。私の心配ばっかで、私に尽くしてばっか」

「だからそれは僕のためだって……」

「そんなことより受験勉強に集中した方が君のためじゃないの?」

「何でそんなこと言うんだよ。最近僕に対して冷たかったのもそんなことだったのかよ」

 楓は寂しい気持ちで胸が苦しくなった。

「そんなこと?そんなことなんかじゃない。私のせいで君が君の人生を棒にふるなんてことして欲しくないの」

 そこには力強い気持ちが宿っていた。

「……わかった!じゃあ大学受験まで。それまで別れよう。受験が終わったらまた香を迎えに行くから!それまで待っててよね」

 相手の言葉も待たず彼は早足で病室を出ていってしまった。


「そうじゃないの……。その時じゃもう遅いの……」


 力ない彼女のその言葉すら、楓には聞こえる余地もなかった。


 カーテンを開ける音が聞こえた。

 瀬戸和久せとかずひさだ。

「橘さんのところもだけど、君のところもなんだか大変そうだねぇ」

 彼は五十歳くらいのおじさんで、重傷の骨折を左手に患っている。

「人間ってどうしてこうもすれ違うのですかね」

「そりゃあ人間だからでしょうね。人はそれぞれ意思を持っていて、人と人との間で生きるものだから人間って言うんだしね。だから人同士の相互作用によって嬉しくなるし、悲しくもなるさ」

「人間ってそんなもんですかね」

「そんなもんさ」

 香はその時ふとあることに気がついた。

「なんだか楓君みたいなこと言いますね」

「あぁ、朝倉さんの彼氏さんのことか。どんなところが?」

 和久は少し考えるそぶりを見せてから、答えを見つけたように言った。

「そうです。私の彼氏の葉山楓君。面白い事というか、興味深い事を言うところとか」

 香がそう言った時、和久は何か大事なことに気が付き、目をギョッとさせた。

 そして悲しみの映る笑顔で言った。

「たった今わかったよ。それは多分、俺もそう言うことをよく聞かされたから……かな」

「⁇」

 意味深な発言だったが、踏み入って良いのかわからなかったため、香は敢えて聞かなかった。

 このまま沈黙が続いてしまうのだろうかと彼女が思っていると、彼が静かに言った。

「大変そうだけど、まぁあれだ、……強く生きろよ。俺はこの辺で」

 彼はいたずらな顔をていた。

「はい」

 優しく答えた香は察したように、にこっと真っ白な歯を見せた。

 二人はカーテンを閉め、自分たちの世界に閉じこもった。




 楓はその日から勉強に励んでいた。

 自分でも不思議なくらいあっさりと香との一時的な別れを受け入れていたのだ。

 実は楓のことを気にしてくれていることが少し嬉しかったりしていたためだ。

 それに加え受験が終われば、また香と好きなだけ会える。

 ご褒美があれば人はより頑張れる。楓は今そんな状態だっだ。

 彼は学校が開放されていたら、休みの日でさえ学校へ勉強しに行くくらい真面目になっていた。



 学校では夏が少し過ぎてきたこの時期は、毎週テスト三昧になる。

 楓の学力ははっきりと目に見えはしないものの、着実に良くなってきていた。

 それは楓自身が一番実感していて、喜びさえ覚えていた。

 苦手意識の高い数学でさえマーク模試で8割を取れるほどになっていた。

 彼にとっては全てがうまくいっているように思えた。実際表では上手くいっていた。




 しかし。

 いつものように学校が解放されていたため、学校の自席に向かって頭を働かせていた楓のポケットが細やかに震え始めた。

 学校にいてもなお常備しているスマートフォンである。

 せっかく集中していたのに一体誰だよこんな時に。

 そう思ってしまった。

 どうせ母が何かしらの用事を伝えるために電話してきたのだろう、とポケットからスマホを出した。

 そこには「朝倉香」という文字が映し出されていた。

 以前互いの電話番号を交換しあい、登録していたのだ。

 自然と少し笑顔がこぼれた。

 ダッシュで誰にも邪魔されないトイレに駆け込んだ。

 通話のボタンを押し平常心を装って応答する。

「はい、もしもし」

「……って」

「え?何?」

 相手は震える声でぼそぼそと、楓には届かない声でしゃべっているようだ。

「……っ来て」

 その声の主が香だと認識するには無理があった。

「誰ですか?」

 恐る恐る訊ねる。

「早く来て‼︎」

 聞くが早いか彼は脊髄反射で足を動かしていた。通話終了のボタンを力強く上から押す。

 教室に鞄は置きっ放しで駆ける。

 さっきの電話で何ら諭旨はなかったものの彼は迷わなかった。

 どこに行けば良いのか、誰がどうなったのかなんていう質問をしなくても自然と足が彼を目的地まで運んだ。

 まだ完璧には理解できていなかったが、唯一確かなことは、良くない何かが起こったということだけだ。


 曇天の空の中、あまり車の通りの多くない道路を横目に、それに沿って走る。

 このスピードならオリンピックも夢ではない。道行く人が目を見開いて彼を見る。


 病院に着き、中へ入り、エレベーター前で時計を一瞥する。

 自己最高記録を達成したことに彼は何ら喜びすら感じていなかった。


 胸が苦しかった。それは走ったせいではない。近い未来を予想しての結果だ。


 エレベーターから左手に包帯を何重にも巻いた一人の男性が慈悲深い表情で降りて来た。

 不覚にも関係のないそんな人まで睨んでしまう始末。

 エレベーターはいつの日かも感じたものと同じくらいかそれ以上の重さを彼に課した。


 ゆっくりゆっくり扉が開く。

 重たい足を動かす。

 彼女の病室へ続く、曲がり角を曲がるとより一層重たい空気を感じ取ることができた。


 楓はその空間へ足を踏み入れた。

 最初に目に入ったのは電話越しの声の主であった香の母親。それと彼女の父親だった。

「何があったんですか?」

 掠れた声で発せられた楓の声に二人は答える代わりに、斜め下を俯いた。

 ベッドのそばまで駆け寄り二人の目線の先に目をやった。


 そこには静かに眠る朝倉香の姿があった。

ありがとうございました

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