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運命に導かれて

 一通り海の生き物を見終わった頃にはもう6時を回っていた。



 水族館は海に隣接することが多く、ここもまた、そのうちの一つである。故にこの水族館から大きな橋を渡って直接浜辺に行ける仕組みとなっている。

 その橋を渡るのも一苦労だが。


 楓は香と相談して、結局その浜に行くことになった。


「遠いねぇ。海が近づいてる気がしないよ」

 橋を渡っている香はそう言った。

 そんなことを言っている間も少しずつ確実に近づいている。

「あっつ、汗が吹き出る」

 息遣いも荒くなってきた楓は汗を拭ってもうひと頑張り。

 彼女の笑顔を見るために。


 七分ほどたった。

「よっしゃ、もうちょい」

「座ってるだけの私が言うのもなんだけど、がんばってー」

 楓は苦笑い。それでも少しはやる気が湧いてきた。



「とうちゃーく!」

 橋の端まで来たところで楓はこの言葉と共に思いっきり息を吐いた。

 まだここから海までの距離が残っていると言うのに。


 楓は何も考えずそのまま車椅子を浜辺へ押し出した。

 ズボッ


 車輪は案外深く砂にはまり、進みにくい。

「あらら。どうしよう」

 ここまできたら海のそばに行かないわけにはいかない。

 これは困ったと思い、彼はが思案した結果、一つの結論に至った。

『香をどうにかして持って、海の近くまで運ぶ』

 これしかない。

 思い立ったらすぐ行動。楓は車椅子の左前にしゃがみ、背中を見せる。

「乗って」

「えっ……」

「気を使う必要なんてない。海、一緒に行こうよ」

「じゃあ……お願いします」

 若干の躊躇いを見せつつ彼女は手を伸ばした。


 彼女の左手が彼の左肩に触れた時知った。香が今さっき彼の方に乗ることを躊躇っていた本当の理由を。

 それに気づいてから楓は落ち着くという言葉を見失い、血流のスピードがアップする。

 香のもう片方の手も楓の右肩にかかる。

 そして彼女はとうとう体全体を彼に任せた。


 左心室から血液が一瞬で全身を巡る。


 彼の気づいたこと。彼女の躊躇った理由。それは、おんぶ(・・・)にある。おんぶ、つまり香が楓に後ろから抱きつくということになる。

 彼らは、ハグはもちろん手を繋いだことすらない。

 しかし今現に香が楓に抱きついている。

 緊張しない方がどうかしている。


 楓は香を背負って浜辺に足跡をつけていく。彼女の胸が楓の背中に接している。楓は自分の鼓動と同時に香の鼓動も伝わってきていることに気がついた。

 緊張しているのは楓だけではなかったのだ。緊張していたからこそ彼女はさっき躊躇したのだ。

 楓はそれがどうしようもなく嬉しかった。


 心臓は誰にだって備えられている臓器なのだ。それは無意識に動く。意識でどうこうすることは許されていない。つまり、彼女の鼓動で初めて自分への本当の愛を確認できたのだ。

 嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しかった。


 楓は彼女の軽い足をより強く抱くと、それに答えるように彼女の方も楓の肩に回した両手を、ぎゅっとしめた。

 彼女の愛おしい香りと彼女の吐息が鮮明になるところまで二人の顔が近づいた。


 そうこうする間に、楓の足に波がかかる位置まで来ていた。

 香に向いていた楓の意識は冷たい海水に向く。

「下りる?」

「うん」

 楓は香を波が来ないギリギリのあたりに下ろした。彼女の体は、まだ肉が十分に付いておらず、簡単に下ろすことができた。


 楓も香の隣に座り、海に目をやると、そこにはまさに火の海のような光景だった。

 ちょうどこの時、水平線やや上には雲一つかかっていない夕日が浮かんでいたからだ。

 もうすぐ沈んでしまう。まるで一つの命の灯火が消えていってしまうようだ。

 そのため楓は絶景に感動すると同時に何かを喪うような哀しいような怖いような気持ちがした。その気持ちを隠すように、

「夕日が綺麗だね」

 と言うと、彼女は茶化すように返した。

「なにそれ我流の告白?」

「べ、別にそんなつもりじゃ……。てか、もう僕たちそういう関係じゃん」

 香はクスッと笑い、

「そういうって、どういう?」

「それは……彼氏彼女の……関係」

 夕日で赤い彼の顔は一層真っ赤に燃え上がり、香の顔すらもろくに見られない状態となる。

「そうだね。ごめんごめん」

 それから彼女は話を戻した。

「確かに綺麗だけど、少し怖いな」

 それは意味深な言葉だったが、なぜか楓は共感してしまった。

 それでも楓は香の怖がる理由を知りたくなり、

「いったい何が怖いのさ」

 尋ねる。

「私の命の恩人を思い出すの。私の代わりに、私のせいで死んでしまった人。優しく、穏やかそうだけど根は勇敢な人だった」

「……」

「彼は炎の中で死んでいった。どれだけ暑かったのか、どれだけ寂しかったのか、私には到底わからない。それでも一つだけわかったことがあったの。私に『俺のことは良いから』って、一丁前に格好良いこと言っときながら、彼の目は少なくとも生きることを望んでいた。本当は死にたくないと訴えていたの。…………目の前の光景を見ていると、その人のことが脳裏に浮かんでくるのよ」


 楓は思った。

『あぁそうか、君だったのか。僕の父さんが助けた命っていうのは。僕がかつて憎んだ少女っていうのは』

 彼は途中から心中を口に出していた。

「そんなことってねぇよ。なんで君だったんだよ。憎もうにも憎めないじゃないか……」

「ごめん……私あなたが葉山春之さんの息子ってこと、知ってた。だけど怖くて言い出せなかったの」

「謝らなくて良いよ。その代わり、君は父さんの分まで強く生きて、僕は父さんの分まで君の事を愛する。それが僕たちにできるヒーロー(葉山春之)への恩返しになるから」

 楓は静かに泣いた。香は声を出して泣いた。


 そして夕日は水平線に沈んだ。



 二人の涙が枯れ尽きた頃、楓は再び香を背中に端の方へと歩き出した。

「一つ聞いて良いかな」

「なに?」

 一つの確信を持って楓は香に質問する。

「昨日両親と出かけたって言ってたけど、何をしたの?」

「お墓参り。あなたのお父さんのお墓参り」

「それじゃあ、墓に供えてあった花って」

「そう、私が供えたお花」

 やっぱりそうだったか。



「僕の父さんが助けた人が君で、僕はその君に恋をした。僕はこうなる運命だったんだね」

「そうだね」


 運命は変えられない。人間は運命に沿って生きてゆく。

 けれどもこの先の運命もまた未来のことだ。誰にも知る由はない。人間は弱い。そう知っておきながら抗うのもまた人間の特徴なのではないだろうか。

ありがとうございました

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