看取り人
男は家に帰ってくると、部屋着に着替えもせず、水と買ってきた錠剤をベッド脇のテーブルに用意した。
それから机から便箋を用意すると、短い手紙を書いて、それを封筒へ入れた。
男は遺書を書いていた。つまり、この後自殺するつもりなのだ。
よし、これで準備はできた。あとはこの薬を飲んで眠れば、そのまま俺はこの世界からおさらばできる……。そう思って水の入ったコップに手をかけようとしたその時。
「自殺ですか?」
俺は心臓が止まるかと思った。いや、別に止まってもよかったといえばよか……じゃなくて、誰だ!?
声がしたドアの方を見てみると、そこには全く見知らぬ少女が不思議そうな顔をして立っていた。なぜだ?鍵はかけていたはず……。
そんな俺の思いをよそに、少女はこちらに近づいてきて、俺と同じようにベッドに腰かけた。
「やっぱりそうでしたか、自暴自棄気味な顔をしてたので、もしかしてと思ったんですよ〜」
「いや、余計なお世話だわ!ってか、そもそもあんた誰?」
「誰だと思います?」
少女は嬉々として返す。仕方ないので、俺はしばらく考えてみた。
「……格好からすれば、天使のお迎えってとこが妥当か……?」
少女は15〜16歳ほどで、真っ白のワンピースを着ていた。髪は手入れされたロングヘアーで、羽と天使の輪があれば、十分にそう見えるほどだった。しかし、そのつぶやきを聞いた少女は首を横に振った。
「だいたい、あなたはまだ死んでないじゃないですか」
「ん〜、じゃあ真逆で悪魔ってとこか?魂よこせば願いを叶えてやる的な」
「いいえ。そもそも、魂なんてもらっても、私には使い道が分かりません」
「そうか……もしや夢魔みたいな?」
「そんな風に見えますか?」
そう言われて、もう一度少女の身なりや外見を確認する。小柄な身長、童顔、幼さを漂わせる体躯(婉曲表現)。ふむ…………
「……無いか」
「どこ見て判断したんですか!!」
少女が突っ込む。いや、まぁそれは……ねぇ。
「で、実際のところ何なの?」
「私はあなたに死ぬように促す悪魔でも、生きるように励ます天使でもありません。ただ、死に向かおうとする人間の最後の話を聞く者……言うなれば、『看取り人』といったところです」
「看取り人、ねぇ……」
俺はそんな存在がいるということについては初耳だった。
「そういうわけで、あなたの最後のお話、お聞きしますよ。見た所、一人のようですし」
「一人で悪かったね。う〜ん……」
確かに、話を聞かせる人間は他にいないが、では一体何を話したらいいのか……。少女に自分から社会人の愚痴を聞かせるのは気がひけるし、プライドとしても少々微妙なところだ。
そんな迷いを察したのか、少女の方から口を開いた。
「そもそも、何であなたは自殺しようと思ったんですか?」
「あぁ、実は……恋人が先日亡くなったんだよ」
俺はとりあえず話してみることにした。どうせ時間なら十分にある。自らの命を絶つのは、話してすっきりしてからでも遅くはないだろう。
「急性の発作だったみたいでね。会社を早退したけど、結局間に合わなかった。それだけかって言われれば、まぁそれだけなんだが、どうも自分は思っていた以上に彼女に依存していたらしい」
「ふむふむ」
「何せ、彼女と過ごすことでまた明日も頑張ろうって思えていたわけだからね。仕事に対しても、ただ生きることに関しても、気力が無くなってしまったんだ。」
「なるほど、仲が良かったんですね〜」
「まぁな。喧嘩もほとんどしたことなかったし」
「ってことは、少しは?」
「あぁ、あったあった。特に怒らせちゃったのは、付き合い始めた記念日に仕事の休みを取るのを忘れてて……毎年その日は必ず休みを取って、一緒にゆっくり過ごすってしてたんだけど、ちょうどその時は会社のプロジェクトが大詰めでバタバタしててさ。彼女にもう知らないって家を出ていかれた時は、さすがに堪えたね」
「あらあら……それで、しばらく戻ってこられなかったんですか?」
「あぁ、後から聞いてみると、家に帰ってくるまで友達の家で世話になってたらしい。って言っても、せいぜい3日間ぐらいだったけどな」
「それで、仲直りはどちらから?」
「1日気持ちを落ち着けた後、俺から謝罪のメールを送ったよ。忙しいって言ってもやっぱり忘れちゃったのは俺の方だからね」
「へぇ、意外と素直なんですね。こういうのって男の人の方が意地になりがちだと思っていましたけど」
「なんかそういうのって、俺は逆にかっこ悪いと思うんだよね。そうするよりかは、潔く頭を下げた方が良くない?」
「うんうん、確かにそうですね」
「でしょ?草食系男子も流行ってるし」
「いや、それは関係あるんですか?」
「……ま、それはそれとして、彼女は無事に帰ってきてくれたよ。向こうも向こうで友達と色々話して考えたらしくてね。自分も大人気なかったって謝り返されたよ。で、それからまた別の日に休みを取って、ちゃんとゆっくり過ごす時間を取ったよ」
「ふふ、素敵なカップルじゃないですか〜」
そう言われて少し照れていたが、ふと謝られた時に言われた言葉を思い出した。
「……『あなたがいなきゃダメなの』」
「?」
「あぁ、いや。彼女に謝られた時に言ってたんだ、涙を流しながらね。思えば、お互いがお互いに依存してたんだなぁ」
「そうですね。ということは、あなたも彼女さんも、想いは同じだったんですね」
「ってことかね」
少女にそう言われて、はたと考える。病院に運ばれ、最期を迎えるまで、彼女はどんな想いだっただろうかと。もし俺と同じ想いだったなら、きっと相当心細かったはずだ。
だが、息を引き取った彼女の顔は、思いの外安らかだった。まるですべてを受け入れたかのような、そんな雰囲気だった。最後の最後に、俺に不安を感じさせないようなその顔を見せてくれた彼女は、なんと強い人だろうか。
……俺は、これでいいのか。最後まで俺を励ましてくれた彼女の応援をよそに、これから彼女の元へ行ったところで、果たして彼女は笑顔で迎えてくれるだろうか。
しばし考えた後、おもむろに俺は立ち上がり、コップの水を飲み干して、錠剤と便箋をゴミ箱へ放り込んだ。
「どうなさいました?」
いきなりの行動に戸惑ったかのように少女は聞く。
「このまま俺がここで死んで、彼女が笑顔で受け入れてくれるかどうか心配になってね。せっかく彼女が最後まで励ましてくれたんだから、俺、もう少し生きてみようと思うよ」
「……そうですか」
振り向きながら少女に言うと、彼女は納得した様子で答えた。
「まぁ、色々聞いてくれてありがとよ……って、あれ?」
ふと気がつくと、部屋には俺一人しかいなかった。
夢でも見ていたかと思ったが、写真立ての俺と彼女の写真を見て、どちらでもいいかと思い直した。
「ありがとう、莉子」
写真立ての彼女にそう言って、俺は寝室を出た。
「なんでも最近、『看取り人』とか名乗ってる死神がいるらしいな」
「あぁ、らしいな。死のうとしている人間の前に現れて、ただただ話を聞くだけのおしゃべりな死神みたいだぜ」
「けどよ、どうもそいつが訪れた人間は、ことごとく自殺未遂で終わるんだと」
「マジかよ。まったく、魂を狩る同業者としてどうかと思うぜ」
案外、人間はふとした精神的衝撃で壊れてしまう脆い生き物だと思います。でも、だからと言って一時の感情で人生を棒に振るのもいかがなものかと。
もう耐えられないと思ったことも、客観的に見れば、「案外たいしたことない」あるいは「それでも頑張れる」って思えることだって、きっとある。そんなことを考えながら、書いてみました。




