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青の時代 3  作者: 森 鉛
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第五章 共和国宣言 第二話

 二人の結婚式の最後のイベントである大舞踏会が、華やかに催されていた。話題はリグノリアの新しい政治制度でもちきりとなっていた。各国の来賓には公式文書が配付され、暫定ではありながらその詳しい内容が記されていた。十二名の委員は、クレア王女に宰相マーカス。内務、外務両大臣。三人の将軍。有力貴族から二名、商工会等の平民代表を二名。それに裁判所長官を加えた構成となっていた。諸外国に配慮したのか、王族がクレア一人になってしまった為の、やむを得ない措置である事を強調する一文が添えられていた。

 トランセリア国王、アルフリートはその文書をさらさらと読み下すとヴィンセントに手渡す。横からシルヴァ元帥が声を掛けた。

「陛下、あの、自分はどういう事か良く分からないのですが…」

「要するに決定権を国王一人から十二人の委員に分散して、会議で物事を決めていく方式にするわけだよ。ウチの法務庁がやってる事を、全ての国政に適用するみたいな感じかな」

 トランセリアの法務庁には五人の委員で組織される元老院が存在し、法律の改正案を審議し承認を与える権限を持っている。たとえ国王であっても、国法を独断で変える事は出来ない仕組みになっていた。

「それぐらいは分かるわよ……、いや分かりますが。どういうメリットがある訳?このやむを得ない措置ってのは言い訳でしょ?……ですよね?」

 シルヴァは言葉使いがごっちゃになっている。親しいメンバーだけの席で気が弛んでいるのかもしれない。メレディスがこっそりとシルヴァのシャンパンを、ジュースのグラスに置き換えている。

「うん、そう。各国の反発を怖れたんだろうな。たぶんこの制度はクレアの希望だろう。一番のメリットは権力が分散される事だ、血族に関係のない権力の委譲が行われる。つまりもうこれで五歳の子供が首を撥ねられる事は無くなる訳だ、どっかの国みたいに兄弟で王座を奪い合うこともね。デメリットは……う~ん、結構ありそうだなぁ」

 ヴィンセントが口を挟む。

「例えば色んな決定に時間と手間が掛かるでしょう。それから収賄や汚職、談合も増えそうですね。後は外交関係かな」

「新たに大公家を興すのは外交の為だろう。他国の王室との付き合いがあるからなぁ。委員の任命もネックになりそうだな。……ヴィンセント、これが誰の発案なのか知りたい。たぶんクレアだと思うけど、ウォルフの意見かもしれないから」

「かしこまりました、すぐ調べます。……ウォルフでは無いと思いますよ、あいつにここまでの改革意識は無いでしょう」

「そこだよ。だとしたら十四歳のクレアがこれを思い付いた事になるぞ」

 メレディスが口を開いた。

「姫の印象から察するに、政治家向きとは思えませんでしたが…」

「来たわよ」

 シルヴァが耳打ちする。きらびやかなドレスに身を包んだクレアが、ウォルフと共に挨拶に現れた。

「アルフリート陛下、先程の就任式ではありがとうございました」

「どういたしまして、女王陛下。素晴らしい御挨拶でした、色々と驚かされていますよ」

「変化が多くて戸惑われるかもしれませんが、トランセリアとの同盟関係が変わる事はありません。今後とも末永く友好を続けて行きたいと考えております」

「もちろんです。盛大な式と美しい女王には、同盟国である我々トランセリアも鼻が高いですよ」

 アルフリートがつるつると社交辞令を口にしている間に、ヴィンセントはウォルフをつかまえ、事の詳細を確認していた。

「おい花婿。これは誰の発案だ?まさかお前じゃ無いよな」

「…クレアだ。色々と修正は施したが、基本的には全てあいつの考えだ」

「マジかよ。十四だろ?」

「昨日から十五だが…、俺も驚かされてるよ」

 二人はまじまじとクレアを見つめる。アルフリートが小声でクレアに訊ねた。

「立ち入った事をお伺いしますが、クレア様は御懐妊されていらっしゃいますので?」

 クレアはほんの少し頬を染めて答えた。

「今はまだそうではありませんが…、いつか来るその日の為にこの制度を考えたのです。アルフリート陛下にはやはりお判りになるのですね」

「なるほど、よく分かります。……二度とあの悲劇が起きないようにとのお考えですね」

 にっこりと微笑むクレア。ウォルフがアルフリートにそっと声を掛ける。

「陛下、よろしければ明日にでも会見の時間を持ちたいと考えているのですが…」

「そうだね、明日の朝食会の時ではどうだろう。…この件についてだよね?」

「はい。トランセリアとはしっかりと意見を交わしておきたいと思っておりますので」

 アルフリートは声を潜めた。

「……大変だね、ウォルフも。プロタリアからは何か言って来たかい?」

「グスタフ将軍がいらしていますので、おそらくこれから…」

「こっちの情報ではそうそう無茶な事は言って来ないと思うけど…、シルヴァもう駄目だよ」

 二杯目のシャンパンを受け取ろうとしたシルヴァに、すかさずダメ出しをするアルフリート。メレディスがいつの間にか少し離れた所に避難している。アルフリートはシルヴァのグラスを奪い取り、小さな声でウォルフに言った。

「連れ合いは少し大人しいぐらいの方が、男は楽なんだけどなぁ…」

「はい……今実感している所です」

 唇を尖らせているシルヴァをクレアがきょとんと見つめている。才色を兼ね備えた妻というのもそれはそれで苦労があるようだ。

「もう一杯ぐらい大丈夫なのに……。アルフのケチ」

 並べられたグラスは確かにいい酒が揃っていた。恨めしげに抗議するシルヴァに、アルフリートはよしよしと頭を撫でてやる。ウォルフはその光景を見つめ、軍勢を指揮するシルヴァとのギャップの大きさに目を白黒させていた。

「ここじゃなければいいよ、後で部屋に届けてもらおう。それより踊る?シルヴァ」

「え!?この格好じゃヘンじゃない?」

 シルヴァは宮廷騎士団の第一礼装を身に付け、腰にも装飾用の剣を吊っていた。アルフリートより少し背が低いだけの彼女は、大変凛々しくはあったが、男同士で踊っているように見られないかと躊躇していた。アルフリートは構わずにシルヴァの腰に手を回し、踊りの輪に加わる。彼はあまりダンスには縁の無い婚約者を上手にリードし、それなりに美しくステップを踏んでいた。二人を見つめるクレアがそっとウォルフの腕に手を回し、何か言いたそうに彼を見上げる。ウォルフはすかさず言う。

「言っておくが、俺はダンスなんぞ生まれてこの方一度もやったことはないからな」

「………ちょっとだけダメ?わたしがリードするから、ね?おねがい~」

「………」

 ウォルフがクレアのおねだりを断れる訳も無く、結局ダンスの輪に引っ張られて行く。大きな身体をかがめ、クレアに手を引かれ、見よう見まねでステップを踏むウォルフを、皆が微笑ましく見つめている。今夜の主役は彼等二人なのだから、どちらにせよダンスの一つぐらい覚えておくべきだったろう。


 メレディスとヴィンセントは自分達の主君と上司のダンスに、遠慮なく感想を言い合う。

「陛下は何をやらせても卒なくこなすなぁ、まったく可愛げが無いよ」

「シルヴァ様もこんな席なんだからドレスでも着てくれば良かったのに。ひょっとして持って無いのかな?」

「そんな事はないだろうが、軍服しか似合わないと思ってるんじゃないのかな」

「いつも思うんですが、陛下はシルヴァ様の扱いが上手いんですよ。意外と尻に敷かれてはいないんだなぁ」

「ああいうシルヴァ様も可愛いだろう?」

「はいはい。…ウチの三将軍はシルヴァ様の事が可愛くてしょうがないんでしょうよ」

 にやにやと言いたい放題なヴィンセントにリサが声を掛ける。てっきりダンスのお誘いかと思ったが、仕事の話でがっかりする。各国の来賓が勢ぞろいするこういった舞踏会では、ヴィンセントら外交官は踊っている暇などないのであった。いつもに増して胸を強調したドレスのリサは、ヴィンセントを引き摺って次のターゲットに向かう。その凶悪な胸の谷間に鼻の下を伸ばした親父達から、いくらでも情報を引き出す事が出来るからだ。一人になったメレディスにも次々と賓客から声が掛かる。第三軍を見事に率いた彼の名も、シルヴァと共に大陸中に響き渡っていた。



 夜、ウォルフはプロタリアのグスタフ将軍の部屋を訪ねる。皇帝騎士団の司令官である将軍は、プロタリアの外務大臣と共にこの式典に招かれており、おそらくそれは自分と直接話をする為であろうとウォルフは思っていた。部屋に通されたウォルフを、大柄な初老の将軍は懐かしそうに出迎えた。

「御無沙汰しております将軍。……何からお話していいものか、…誠に…申し訳なく思っています」

「ウォルフ、もういいんだ。おぬしを失った事は残念だったがもう過ぎた事だ。…まずこれを渡しておこう」

 グスタフが差し出した一通の書状は、ウォルフが正式に皇帝騎士団を退団した事を受理した書類だった。ウォルフは将軍の気遣いに感謝した。グスタフは続ける。

「これでおぬしは何の憂いも無くリグノリアの将軍として働けるだろう。出世したな、ウォルフ」

 笑顔で言うグスタフにウォルフはしきりと照れた。

「将軍から見れば自分などまだまだでしょう、お恥ずかしい。……皆変わりは無いですか?」

「ああ。……だがあの事件から少し騎士団も変わったな。今では普通の騎士団とそうは変わらんよ。…先に仕事の話を済ませておこう。皇帝陛下からの伝言がある」

 ウォルフは緊張し、顔が強ばる。グスタフはそれに気付いたが構わず続けた。

「プロタリアは正式にリグノリアとの友好条約締結を考えている。できればおぬしに橋渡し役になってもらいたいと思っておるが…、今日の発表内容からするとこの場で返事は無理だろうな」

「はい、自分は確かに軍の総司令官の地位に就いてはおりますが、所詮外様で新参者ですから。リグノリア政府全体の意志を諮ってみない事には。ただ…いずれ各国との友好関係は進めていくつもりでいます。トランセリアだけでなく」

「ふむ…。まぁこの話はそのうちに正式な書状での申し入れになると思う。とりあえずはおぬしに打診してみたまでだ。……固い話はこれぐらいにするか、久しぶりに酒でもどうだ?新郎をそんなに遅くまで引き止めては花嫁に叱られてしまうかな」

 表情を和らげ、酒をすすめる将軍は、昔のままの懐かしい上官の顔だった。ウォルフは昔話に花を咲かせ、つい深酒をしてしまい、深夜になってようやくクレアの待つ自室に戻って来た。

「た~だ~い~ま~」

 ご機嫌で帰って来たウォルフを、ラウと遊んでいたクレアが出迎える。

「おかえり……。わっ、お酒臭~い。もう、ちゃんとお話出来たの?今お水あげるからね」

 水を持って来た侍女を下がらせ、一人でまめまめしくウォルフの世話をするクレア。ベッドに連れて行き、靴を脱がせ、服を着替えさせようとボタンを外していく。ウォルフはクレアの身体を抱き締め、嬉しそうに話す。

「お前はほんとにいい子だなぁ~。ごめんな~遅くなっちゃって。ついつい昔話が長引いちまって。今日は新婚初夜なんだから、俺は頑張るからな~」

 そう言いながらクレアをベッドに押し倒し、所構わずキスをするウォルフ。酒臭い息に閉口しながらも、今日からウォルフの妻になった嬉しさを隠しきれず、クレアは彼の背中に手を回す。

「あん、もう。お酒臭いなぁ、酔っぱらい。……あん、ウォルフぅ。…そんなに…あ…。…………?」

 動かなくなったウォルフを覗き込むクレア。ウォルフは全く頑張る事も出来ず、既にいびきをかいていた。クレアは重くのしかかるその身体を押し退け、小さく言う。

「もう、ばか……」

 クレアは苦労して男の服を脱がせ、下着姿にすると自分もベッドに潜り込む。気持ち良さそうに眠る夫の頭を抱え込むように抱き締めると、そっと囁きかける。

「しょうがないなぁ…。ご苦労様でした、あなた」

 頬に小さく口付け、彼女も目を閉じた。クレアはウォルフの服のポケットから退団の書類を見つけ、話が上手くいった事を知っていたのだ。


 グスタフは明かさなかったが、プロタリアはかつての自国の准将がリグノリアの中枢に入り込んだ事を知り、これを上手く利用する手を画策していた。

 リグノリア襲撃に目をつぶる代わりに、金鉱脈の採掘権の一部を譲り受けるというイグナートとの密約は、既に御破算となっていたが、その事実は各国に伝わっているだろうとプロタリア宮廷は考えていた。特に宰相ユーストの情報網を持つトランセリアには、ほぼ確実に露見していると思われ、同盟関係にあるリグノリアにその情報は当然もたらされているだろうと想定していた。

 もともと皇帝はこの密約に懐疑的であり、他の閣僚や貴族達に押し切られた格好になったのであるが、彼等もイグナートがここまで徹底的にリグノリアを潰すとは予想していなかった。一戦交えた後に和平交渉を持ち掛け、武力を楯に金鉱脈の利権を手に入れる筋書きだろうと読んでいた。王族を根絶やしにし、貴族の財のほとんどを没収するという傍若無人なイグナートの所行に、イグナート寄りだった貴族達はすっかり腰が引けてしまい、早々にリグノリア領から退去していたのである。皇帝はこの一件でイグナート王室の混迷ぶりを確信する。国王派と王弟派の争いが長く続く事で、軍部の掌握にも影響が出ているのだろうと彼は考えた。

 事態を静観する各国の中で、トランセリア只一国が公式に遺憾の意を表明した事を、皇帝は興味深く受け止めた。彼は歴代の三人の王と面識があり、それぞれの性格の違いをおおよそ掴んでいた。アーロンなら即座に軍を動かしたであろうし、アンドリューなら巧みに諸外国に働きかけ、大陸の意志を統一してイグナートに圧力を掛けるだろうと予想出来た。新たな若き王アルフリートがなかなかの曲者である事を知る皇帝は、この戦に対して彼がどう対処するのかを注目し、その能力を推し量ろうとしていた。

 抗議文を提出し、外交官を引き上げさせた後は沈黙を続けるトランセリアに、皇帝は一時失望を覚えたが、クレア王女発見の報が伝わるや間髪を容れずに挙兵し、その上レッド・ドラグーンの准将まで手中に収めたと聞き及び、驚きを隠せなかった。見事な戦で勝利を得たトランセリアが、翌日には金鉱脈のある地域に兵を送り込んだ事で、プロタリア閣僚はまさしく『鳶に油揚をさらわれた』事実を知るのである。

 果たしてこの計略が、徹底した実力主義を以て鳴るトランセリア閣僚の手腕なのか、国王アルフリートの意志なのかは定かでは無かったが、大陸中央の勢力図が大きく塗り替えられた事を皇帝も認めざるを得なかった。同盟国となったリグノリアとトランセリアが、今後共闘して他国との外交を展開する事は疑い様も無く、プロタリア、グローリンドに続く力を持つ、大国の一画を成すであろうと予見された。事態を重く見た皇帝は、早々にトランセリア第四代の国王に見える機会を持つべきだろうと側近に語り、さらにリグノリアとの友好関係を再構築する方針を固めたのである。



 アルフリートに与えられた豪華な寝室で、シルヴァはグラス片手にご機嫌になっていた。約束通り彼女の為にシャンパンを用意してあげたアルフリートは、既に夜着に着替え、礼装のままのシルヴァの隣に腰掛け、慣れた手付きで服を脱がせていく。

「ん、アルフわたし着替え自分の部屋から持って来て無いわよ」

「いいよそんなの、裸で寝ればいいだろ」

「自分の国でもないのにそんな事しないわよ。あ、こら」

 既にズボンを脱がされ、アルフリートの手が上着にかかる。

「シルヴァ結構ダンス上手だったよ」

「そう?でもこの格好じゃヘンじゃなかった?もう少しドレスの似合う体型なら良かったんだけど…」

「そう思ってるのはシルヴァだけだよ。明日でもいいからドレス着てみればいいのに。はいもうおしまい」

 アルフリートはシルヴァの手からグラスを取り上げ、するりと上着を脱がせる。シルヴァの下着は意外と可愛らしい白のランジェリーだった。

「え~、もうおしまい?……んんっ」

 不満を告げるシルヴァの口を唇で塞ぎ、それほど自分と体格差の無い彼女を、アルフリートは軽々と抱え上げる。彼は見かけよりかなり腕力はあるようだ。すっかり酔っぱらっていい気分になったシルヴァは、抗う事もせず彼の首に手を回し、自分から口付けを繰り返す。大きなベッドに横たえられ、婚約者の優しい愛撫に身を任せていた彼女の口から、やがて小さな寝息が漏れ始める。

「やっぱり…」

 アルフリートは小さく呟き、そっと毛布を掛けてやると、寝室を出て行った。まだ夜は長い。明日の為にもう一度例の文書を読み返しておこうと、彼はシルヴァの飲み残したグラスにシャンパンを注いだ。ヴィンセントと打ち合わせをしておこうかと考えた彼だったが、リサが同行していた事を思い出し、遠慮しておく事にした。もっともリサが居なくても、ヴィンセントの寝室に女性が居る可能性は十分考えられたが。


 翌朝、ウォルフは若干の二日酔い気味で目覚め、シルヴァはアルフリートのベッドで目を覚ます。それぞれの連れ合いにお酒はほどほどにと注意され、そそくさと朝食会の為の身支度を始めるのだった。


 結局シルヴァは宮廷騎士団の礼装に袖を通した。彼女付の侍女は気をきかせてドレスなども用意していたのだが、シルヴァは悩んだ末、着慣れた軍装を選んだ。顔に刀傷のある女にドレスなど似合わないだろうと彼女は考えていた。眉間に残るその古傷は数年前の負け戦の時に負った物であり、シルヴァは生涯で唯一の敗戦の記憶として鏡を見る度に自らを戒めた。

 アルフリートはいつもの服装の彼女に少しがっかりする。シルヴァが傷を気にして人前では女らしい格好をしない事を彼も良く知っていたが、実際そんな物化粧でいくらでも隠しおおせたし、彼女自身が思う程ドレスが似合わない訳でも無かった。すらりと背が高く、均整の取れたスタイルのシルヴァは、シンプルな大人っぽい格好をすれば大変艶やかで美しかった。宮廷騎士団の軍服姿も凛々しくてアルフリートは好きだったが、彼女が自分の前でだけ見せる可愛らしい女性としての面を、もう少し人前で出してもいいのではないかと思っていた。ただシルヴァは既に十年近い軍歴を持っており、公の場での軍人らしい振る舞いはもう当たり前のように身に付いてしまっていた。アルフリートと二人きりの時には彼に甘える事も、時には泣き言を口にする事もあった。そうした公私の切り替えは、彼女の精神のバランスを保つ役に立っているようだった。

 支度を終え、婚約者の前に姿を見せたシルヴァの耳元にアルフリートは「今日もとても素敵だよ」とだけ囁いた。その言葉にかすかに頬を染めて微笑む彼女の、着飾った姿を見る事が出来なかったのは残念だったが、シルヴァはアルフリートの前には可愛らしいネグリジェやらナイトドレスやらの女っぽい夜着で現れたりもするので、彼自身は良く目にしてはいたのだった。


 朝食会のテーブルにはリグノリアの閣僚が顔を揃えていた。アルフリートがこの国を訪れたのは初めての事であり、ウォルフ以外の閣僚とは全員が初対面である。切れ者と名高いトランセリアの若き国王に、リグノリアの人々は興味津々であった。

 贅を尽くした豪華な料理が運ばれ、会食は和やかに進んだ。話題が予想されていたので、アルフリートの隣にはヴィンセントが座り、食事中から既に新しい合議制に対する意見が交わされていた。クレアは大陸中で最も合議制に近い政治手法を採っているトランセリアの意見を聞きたがった。アルフリートは食後のコーヒーを行儀良く口にし、普段の会議などとは別人のような口調で話し始める。

「若輩者の私ですが、優秀な閣僚に支えられてこれまで国王の大任を務める事が出来ております。今だ見識の浅い私などの意見でよろしければ、皆様方のお耳を拝借いたしたいと存じます」

 横ではヴィンセントが吹き出すのを堪え(可愛げが無い…)と思い、シルヴァは(やれば出来るのに…まったくもう)と憤慨している。クレアは柔らかに微笑み、アルフリートを促す。

「お聞きした合議制には素晴らしい利点がございますが、同時に欠点も存在致します。これは王政に利点と欠点が存在する事と同じく、今の世に完璧な政治制度が今だ見い出されていないという事だと考えます。王政は良き王が善政を施せば、国王を頂点とした命令系統のシンプルさにより、政策決定や実行のスピードが早く、国家を一枚岩にまとめる事が容易です。しかしその国王を選ぶシステムに問題があります。ほとんどの国家…我が国以外全ての諸国は血族をその条件とした世襲制を採っています。幼い頃からの教育の余地はありますが、いってみれば運任せの面がある事は否めません。歴史が積み重なる程、王位継承の順列は複雑になり、兄弟で王位を争うなどといった事態に陥る事もままあります。王族に対する危険も鑑みなければなりません」

 すらすらと滑らかに語るアルフリートを、リグノリアの閣僚達はじっと見つめ、耳を傾ける。彼は尚も続ける。

「対して新たに発案された合議制は、多くの候補から能力に応じて国を動かす人物を選び、国家の中枢を人為的に作り上げる事が出来るわけです。これにより常に政府の能力を一定のレベルに保つ事が可能になります。他にも民意が反映されやすい点、王族の後継者問題が存在しなくなるという利点があります。しかし多くのデメリットも生まれます。まず委員の選定をする権限を何処に置くかです。王族が居なくなった後の貴族諸侯の扱いも気に掛かる点です。賄賂や汚職を防ぐシステムが不可欠になると考えます。委員の任期を限定したり、再選や世襲を禁止したりする必要があるでしょう。二つの政策がぶつかった時はどうするのか、責任の所在は何処になるのか、何しろ委員が賛成すれば国法すら変える権利がある訳ですから、そういった部分の厳密な法制度の作成が急務になると思われます」

 アルフリートは話し終えると静かにコーヒーを口に運ぶ。場は静まり返っていた。(やっべぇ、ちょっと突っ込み過ぎたか…)と彼は思っていたが、リグノリアの閣僚達は皆感嘆の念を抱いてアルフリートを見つめていた。実年齢より若く見える彼は、十五歳のクレアと並んでもたいして歳の差を感じさせず、その口から淀み無く流れる示唆に富んだ意見と一層のギャップを生んでいた。彼等も切れ者とは聞いていたがこれ程とは思っていなかったようだ。シルヴァはちょっと誇らしげであり、ヴィンセントは(そんな突っ込んだ事まで言わなくてもいいんだよ~、ああまったくホントに可愛げが無い)と、目の前のクレアの顔色を伺っていた。

 アルフリートの話にじっと耳を傾けていたクレアがゆっくりと口を開く。

「…アルフリート陛下、大変貴重な意見をありがとうございます。今我が国に必要なのはそういった実際的なお話だとわたくしも考えております。失礼かと存じますが、もし陛下があたりさわりの無い社交辞令をおっしゃったなら、わたくしはきっと少し失望したことでしょう。…わたくしは陛下を見くびっていたのかもしれません、大変申し訳なく思っております。アルフリート陛下の治めるトランセリアこそ、これからの我が国にとって最も大切な友人となると、わたくしは今改めて確信致しました。本当にありがとうございました」

 クレアも率直に言葉を返した。アルフリートはにっこりと笑い、場の空気が和む。人々は口々に二人を褒め讃えた。リグノリアの閣僚も戦役を経て刷新されており、若い彼等は新たな国家の再建に熱意を抱いているようだった。それを見て取ったアルフリートは、言うべきかどうか迷っていた考えを告げる決心をした。

「女王陛下、ひとつ私のお願いを聞いて頂けますか?」

「はい。……我が国に出来ることでしょうか。トランセリアには可能な限り協力をしたいと考えておりますが…」

 クレアは少し戸惑いぎみに答えた。

「難しい事では無いと思います。イグナートと和平協定を結んで頂きたい」

 その発言に両国の人々の間に一気に緊張が走る。シルヴァは一瞬身体を固くしたが、ヴィンセントは動じなかった。これはアルフリートが常々言っている事だからである。ただ(今言わなくてもいいだろぉ)とは思っていた。アルフリートは皆を見渡して続ける。

「もちろんすぐにと言う訳ではありません。国民感情もあるでしょうし、何よりクレア様のお気持ちも十分に理解しているつもりです。ただ、和平という道を頭から否定しないで頂きたいのです。政策の一つとして常に議論する価値があると私は思います。大陸に敵対する二カ国が存在するという事は、新たな火種を生む原因に成り易いと考えます。次の世代に、その次の世代に、世界に恒久的な平和を築く為に、何処かで憎しみの連鎖は断ち切るべきです。どうか考えてほしい。国と国の関係で無く、大陸全体を見据える視点を持ってほしい。何年先でもいいのです。来るべきその時には、自分がその手を繋ぐ一助となりたいと考えています」

 アルフリートは少しテンションが上がってしまったようだ。一人称を『私』でなく『自分』と言ってしまった。『俺』と言わなかっただけマシかもしれないが。

 クレアも、ウォルフも、リグノリアの閣僚は皆驚きを持ってアルフリートを見つめている。この若き王が、本気で大陸の平和を考え、実践している事が感じ取れたからだ。過日の戦役でクレアに与し、リグノリア奪還の為に出兵した事実もそれを裏付けていた。クレアは立ち上がり、アルフリートに歩み寄ると彼の手を取って言った。

「陛下のおっしゃる通りです。わたくしは自ら最後の王族と名乗っていながら、まだ自分を捨てきれていませんでした。お約束します。いつか必ずイグナートとの和平の道を開きましょう。トランセリアと手を携えて、大陸に平和の灯火を絶やさぬ為の努力を生涯続けたいと思います」

「ありがとうございます。若輩者が僭越ですが、御理解を得られて大変恐縮です」

 アルフリートも立ち上がり、しっかりと握手を交わす。両国の閣僚も立ち上がり、拍手が巻き起こる。ヴィンセントはほっと安堵のため息をついた。


「陛下……ああいう事は前もって言っといて下さい、ヒヤヒヤしましたよ」

 控え室に戻ったヴィンセントは、開口一番アルフリートに言う。シルヴァもメレディスも、同席したトランセリア側の人達は皆一様に頷いた。

「ごめんごめん。ホントはあの場で言う気は無かったんだよ。後でクレアかウォルフにこっそり言っとこうかなって思ってたんだけど…なんか調子が出ちゃってさぁ」

 ソファーに腰を下ろし、メレディスが口を開く。

「結果的にリグノリアに好印象を与えはしましたが、あの意見は少し深入りし過ぎではなかったですか?弁説は大変素晴らしかったとは思いますが…」

 シルヴァも小言を付け加える。

「陛下はいつもあのようにお行儀良く発言なさるとよろしいんですけれど」

「いくら俺だって場はわきまえるよ。……そうだなぁ、クレアには後でフォロー入れとくか。そんなトコでどう?」

 すっかりリラックスしていつもの口調に戻ったアルフリートに、ヴィンセントがクギを刺す。

「陛下、『外交』なんですからね。まだ全然元が取れてないんですから、お忘れなきよう」

「は~い」

 極めて優秀なのだがいつか何かやらかすのではないかと、どうも一抹の不安が拭いきれない自らの国王に、トランセリアの重鎮達は小さくため息をついた。お判りのようにアルフリートはいくらでも国王らしい慇懃な振る舞いや、勿体ぶった言い回しが出来るのだが、彼自身はそういった物を不要な行為と思っているようだった。人と人のコミュニケーションには限界があり、言葉を飾る事でそこに一層の隔たりが生ずると考えていた。それ以前に面倒臭いと思っているのかもしれないが。



 出発の日の朝、アルフリートは閣僚らと共に慰霊碑の前に立つ。花や菓子などの供物がいくつも供えられるその場に、用意した花束の中にアイリーンからのブローチを包むようにして供えた。膝をつき、祈りを捧げる国王の後ろで、シルヴァ以下の閣僚達も頭を垂れた。

 同行したクレアとウォルフらリグノリアの人々から、感謝の言葉と共に見送られ、トランセリア一行は首都セリアノートへと帰還の途に着く。


 リグノリア王都を出発したアルフリート一行は、馬車を飛ばして帰路を急いだ。忙しい彼等は途中で一泊などせず、宰相ユーストなら間違い無く車酔いで音を上げる速度でひた走る。自由国境地帯を抜ける頃には日も傾き、なんとか夜になる前にトランセリア領内に入る事が出来た。きっちりと宮廷騎士団の一個小隊が護衛に付く一行が、山賊や野盗に襲われる可能性は皆無だったが、夜の街道はもちろん明かりなど無く、暗闇を進む危険は馬鹿に出来なかった。

 松明やランプを掲げる国境警備隊の出迎えに安堵する一同は、その中にアイリーンとシンの姿を見つける。警備隊の詰め所があるこの集落は、三ヵ月前に二人が担ぎ込まれたあの村だったのである。警備隊の隊長もあの若い騎士だった。国境警備は三軍がひと月ごとに持ち回りで交代する為、ちょうど彼の担当する月だったのである。

 村でアイリーンを看てくれた老婆に再会した二人は、結婚式をあげた事を報告し、手を握りしめて何度も礼を繰り返した。その話を聞いたアルフリートがこの老婆に挨拶をする為に村に立ち寄る。国王直々にお褒めの言葉を掛けられた彼女はひどく恐縮し、床に額をこすり付けて平伏したまま、アルフリートが言ってもなかなか顔を上げてくれなかった。


 アイリーンとシンは一行が到着する前に、国境警備隊のパトロールに同行させてもらい、旧街道のあの場所に向かった。二人が命を落とし掛けたその場所は、街道の他の場所と何も変わりは無く、シンが彼女を庇って戦った大きな木がわずかに目印となるだけであった。

 同行の騎士達が敬礼をする中、アイリーンは失った我が子の為に小さな花束を置き、二人は長い間祈りを捧げていた。シンはアイリーンを気遣い、無理にここを訪れる必要は無いのではと言ったが、それは彼女に残された最後の心残りだったのである。顔を上げ、涙を拭うアイリーンの顔には、もう過去を振り返らぬ決意がみなぎっていた。


 アルフリートの馬車に乗せてもらったアイリーンは、窓の外を流れる風の匂いを感じていた。国境を越えた一行はもう急ぐ必要も無く、馬車も速度を緩め、きちんと整地された道を進む。

 首都が近付くに連れ集落や民家が増え、あちこちの家の窓から明かりが漏れ、夕げの支度をする暖かな匂いが漂っている。黙って窓の外を眺めていたアルフリートが小さく呟いた。

「この風景を見ると、やっと帰って来たかってほっとするよ。やっぱりウチがいいや」

 そう言って微笑む若き王の言葉に、アイリーンは胸が熱くなった。彼女も全く同じ事を感じていたのだから。


 馬車はセリアノートの大門をくぐる。アイリーンとシンにとっても、そこはもう間違い無く我が家だった。

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