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青の時代 3  作者: 森 鉛
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第五章 共和国宣言 第一話

 リグノリアを襲ったイグナートとの戦役から半年が過ぎ、ただ一人の王族クレア・グリーンディールは十五歳を迎えようとしていた。

 クレアの誕生日に合わせ、王女の結婚式が催される。ようやく戦乱の痛手から立ち直ったリグノリアにおいて、初めての祝い事になるこの式典は、同時にクレアの女王への即位式でもあった。クレアの夫、ウォルフ・エルスハイマー将軍は事実上の全軍の総司令官となっており、今後この夫妻が正式にリグノリアの王族として扱われるようになると考えられていた。イグナートの侵攻の原因となった金鉱山の開発も、トランセリアの技術力を借りて着々と進んでおり、式典は盛大に行われた。

 今現在の敵国であるイグナート公国を除く各国から賓客が多数招かれ、トランセリアからは国王アルフリート、軍務長官シルヴァ元帥、外務長官ヴィンセント、さらに第三軍司令官メレディス将軍が訪れ、両国の繋がりの強さを諸外国にアピールした。

 今回の訪問にアイリーンとシンは参加しなかった。国王の護衛が最大の任務である二人は、本来なら同行するのが役目なのだが、半年前まで占領下にあったリグノリアに、イグナートの元王族を連れていくのはさすがにはばかられた。閣僚には既にアルフリートより書面での説明がなされており、経緯を聞かされたクレアは二人の境遇にいたく同情していた。彼女自身も家族を失った経験があり、同じ女性として共感するものがあったのだろう。次の機会には是非お目に掛かりたいと、クレアは自分からアルフリートに告げた。

 アイリーンとシンは既に正式にトランセリアの国民となっていた。アルフリートは二人の為に書類を作成し、結婚式と同時に手続きを済ませていた。

 アイリーンは戦乱の犠牲者の名が刻まれた石碑への手向けとして、彼女の母親の形見をアルフリートに託した。王宮に暮らすアイリーンにとって、彼女個人の持ち物など数える程しか無く、国を出奔した際に持ち出したわずかな宝石の中から、慰霊の為にと小さなブローチをアイリーンは選ぶ。果たしてその行為が、彼女の意志をどれ程リグノリアに伝えられるかは分からなかったが、何もせずにいる事などアイリーンに出来はしなかった。


 二日間に渡って行われる盛大な式典の最初のイベントである、クレアの即位式が始まる。居並ぶ各国の賓客を前に、女王への即位を宣言するクレア。彼女の言葉は列国に衝撃を与えた。

「……わたくしは本日よりリグノリア王国の女王に即位いたします。しかし、グリーンディール王家はわたくしが最後の王となります。リグノリアはこれより一年後に王政を廃止し、十二名の委員による合議制へと移行致します」

 ざわざわとざわめく来賓達。何の事か理解出来ぬ者も多く居るようだった。アルフリートもこれには度胆を抜かれた。さしもの地獄耳宰相ユーストもこの情報は掴んでいなかったのだ。アルフリートは即座にクレアの考えを理解し、一人だけゆっくりと立ち上がると、壇上の女王に拍手を送った。それににっこりと笑顔を向けるクレア。やがて周囲の者達も立ち上がり、会場に拍手の輪が広がっていく。リグノリアは大陸初の共和国宣言を行ったのだ。



          ◆



 事の発端はクレアがウォルフに漏らした一言だった。

「ねぇウォルフ、……わたしウォルフの子供産まないとダメかなぁ」

 寝室のベッドに横たわり、白い裸身を逞しい胸に擦り寄せたクレアは、情事の余韻にひたる彼にぽそりと呟いた。

「……?ん?どういうことだ?今はまだって事か。それともどっかから貴族の男の子種を貰ってくるって事か」

 ウォルフのこの返事にクレアは真っ赤になって怒った。枕でウォルフを叩きながら抗議する。

「な、なんてこと言うのよ!わたしがウォルフ以外の人に抱かれるわけないじゃない!もうっ!」

「いて、いや王族ってのは俺達平民とは…いて、いろいろ違うのかと思って…。こら」

「いくら王族でもそんなことしませんっ!も~う~、ウォルフの赤ちゃんがほしいから悩んでるのに…。ウォルフはわたしが他の男の人に身体を任せてもいいって思ってるわけ?」

 ウォルフに枕を取り上げられたクレアは、今度は小さなこぶしでウォルフの胸板を叩きながら言う。もちろんそんなもの彼には痛くも痒くも無かったが。

「そんなこと思ってないよ。愛してるって。……ちゃんと説明しろ、どういう事だよ」

 両手を押さえられ、真面目な顔でそう言われてクレアはやっと怒りを鎮めた。ウォルフの裸の胸に額をこすり付け、話し出す。

「…わたしたちこうやって愛し合ってるから、いつか子供を授かるわよね。わたしもウォルフの赤ちゃん産みたいって思ってるし。……でも生まれた子はその日から王族として扱われるわ。もし何かあったら…その子はまた…」

 クレアは最後まで言う事が出来なかった。彼女の頬を涙がつたった。ウォルフはクレアの考えを理解し、そっとその細い身体を抱き締め、言った。

「なるほどなぁ、そういう事か。……でもあんな事はそうそう起こるもんじゃないだろう」

「…わたしだって…そう思うけど、……でもわたしたちの孫は?その子供は?…王族がいる限り、あの悲劇が繰り返される可能性はあるのよ」

「確かにそうだ……。歴史を見れば珍しい事じゃねぇしなぁ…。ふ~ん、お前はそんな事考えてたんだなぁ」

「リグノリアには今では王族はわたし一人なのよ、でもちゃんと国は動いているわ。わたしなんかほとんどなんの仕事もしていないのに…。ウォルフのおうちは鍛冶屋さんだったんでしょ、でもあなたはきちんと将軍のお仕事をこなしているわ。……だったら王族っていったいなんなのかしらって、…思って」

「クレアがたいして仕事をしてないのはお前がまだ子供で、女だからって事もあるが…」

「わたしが子供で、女で、なんの役にも立たなくても、国は成り立っているのよ。……王様なんて…ほんとはいらないんじゃないのかしら」

「………」

 ウォルフは考えた。彼自身は王政に疑念を持った事は無かったが、クレアの疑問も理解出来ない物では無かった。歴史上でもまだ子供の王や、役立たずの王を家臣が支え、国を繁栄させた例はいくらでもあった。問題はどこに国を動かす権力を持たせるかだと、ウォルフには思われた。


 次の日から、クレアとウォルフは仕事の合い間を見ては資料を集め、建白書を作成していった。王族が居ない国とは、どのように物事を決定し、国政に関わる諸事を執り行い、各国と関係を築いていくのか。クレアは熱心にその作業に取り組んでいた。

 ウォルフは正直意外な思いで彼女を見ていた。優しく、美しく、守ってやるべき存在だと思っていた少女が、このような考えを持ち、そしてそれを実現させようと努力する姿は、ウォルフの心の中に新たな尊敬の念を抱かせた。クレアは覚えた事を、日々ウォルフに楽しそうに話す。

「わたし知らなかったんだけど、トランセリアって貴族がいない国なのね」

「お前それは結構有名な話だぞ。さては歴史をちゃんと勉強しなかったな」

「……だって眠たくなっちゃうんだもん」

 トランセリア王国は、アルフリートの曾祖父にあたる初代の王アルザスが、セリア山脈周辺の三部族を統合して出来上がった国である。遊牧民が多く暮らすこの地方は、もとより貴族など存在せず、現在の王族も元を正せば山羊を追う遊牧民であった。アルフリート自身も自分を王族というよりは、国王という役職についているだけという意識が強いようである。またその為に、他国の王族や貴族からさげすみの対象にされる事もしばしばだった。

「まぁだからあの国は徹底した実力主義なわけだ、家柄ってのが元々無いんだから」

「ふーん。でもシルヴァ元帥とかヴィンセントとか、みんな颯爽としてかっこよかったわよね」

「ヴィンセントはともかく、あの若さで軍務長官に昇り詰めたシルヴァ様は、相当な実力者だという事になるかな。もう一つ教えてやる。トランセリアは王族でなくても国王になれるんだ」

「?……どういうこと、それ?」

「トランセリアの国王は二十年以上の任期を勤め上げ、次の王を指名して、それが閣僚に承認されると王座を譲る事が出来る。それは自分の血族で無くてもいいんだよ」

「でも王の座を譲るなんて、普通はなかなかしないんじゃないの?」

「他の国ならそうだけど、あの国は国王の私有財産を認めない法律があるからな。アルフリート陛下だって自分の持ち物は何一つ無いんだよ、下着一枚まで国の物なのさ。だから先王も、その前の王もまだ生きてるんだよ。普通に働いて暮らしているらしいぜ。考えてみると変な国だよなぁ」

 ウォルフは得意げにクレアに話を聞かせているが、彼だって子供の頃は、勉強など全くといっていい程していなかった。今披露している知識は、全てプロタリア軍の仕官に昇進してから、必要に迫られて覚えた物ばかりだった。トランセリアの事情も最新の物とは少し違っていた。現在では毎年決められた額の私費が支給され、王の座を退いてからも、任期に応じた年金が支払われている。もっとも裕福とはいえないトランセリアであるから、とても他国の王族と比べられるような金額では無かったが。国王としての仕事が趣味、といった人物でも無い限り、割に合う役職とは言えなかった。先々代の国王アーロンも、先代のアンドリューも、きっちり二十年で退位している事からその内情が伺えた。


 クレアは一か月かけて建白書を完成させると、御前会議を招集し、閣僚にそれを発表した。予想通りほとんど全員が反対の意向を見せた。特に宰相マーカスは涙を流さんばかりに猛反発した。先々代からの王族に仕えてきた彼にとって、自分の人生を否定されたのも同然だったのである。クレアは静かに話し始めた。

「初めに言っておきますが、この建白書はわたくしが自分の考えで作成した物です。ウォルフ将軍は手伝っては下さいましたが、彼の意見はこの中に入ってはおりません」

 閣僚の間から小さな声が漏れる。わずか十四歳の王女にこのような考えがあることを、感心する者もいたのだ。

「皆がそのように反対する気持ちも分かります。わたくしや国の事を思ってそう言ってくれているのだという事も、理解しているつもりです。…けれど、わたくしはあの日の光景を忘れる事が出来ません。床にころがった父と母の首を…、血まみれになった姉の姿を。…わずか五歳の幼子が殺され、首をさらされるなど…もう二度とあってはならないことです」

 クレアの目が潤む。沈黙が広がる中、マーカスが絞り出すように声を発する。

「……しかし、いや、だからこそ、お世継ぎをもうけいただき、国を繁栄させ、再び王家を復興させるべきではないのですか」

「マーカス、王政を廃止してもわたくし自身がいなくなるわけではないのですよ。もちろんグリーンディール家は、わたくしがウォルフ将軍と共に守っていくつもりでいます。ただ、その事と国政とを分けて考えるべきではないかと思っているのです」

「し、しかし……、王家は、王族は、国そのものです。国王がいてこそのリグノリアではありませんか」

「…王家など、…王族などもうわたしひとりしかいないではありませんか!…わたしひとりを守る為に何人死んだと思っているのですっ!!どれほどの兵がわたしの目の前で命を落としたと……思って……」

 クレアは激昂し、握りしめたこぶしを震わせて叫ぶ。大きく見開かれた瞳から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれた。一同は仰天し、息を飲んだ。優しく、美しい王女にこのような一面があるとは誰も知らなかったのだ。ただウォルフ一人を除いては。クレアは途切れ途切れに言葉を続ける。

「……すまぬ。……マーカスが…わたしのことを思って…言ってくれているのはわかります……。でも…でも。……わたしは」

 クレアは泣き崩れた。ウォルフは暫時の休憩を提案し、彼女の身体を支えるように部屋を出ていった。その場に残された者は声も無く、しばらくの間それぞれの思いに沈んだ。


 控え室でクレアを泣き止ませると、ウォルフは一人で会議室に戻ってきた。一同の注視の中席に着くと、静かに切り出した。

「申し訳ない、少し興奮してしまったようで。マーカス宰相に謝っておいででした。……どうでしょう、すぐに結論を出せるような問題ではありません。一旦持ち帰って頂く訳にはいきませんか」

顔を見合わせる閣僚達の中から、ハインズ将軍がウォルフに問い掛けた。

「確かに前代未聞の事ではありますから、それもいいかもしれませんが…。将軍はどうお考えになっておられますか?」

 ウォルフは少し考え込むと口を開いた。

「正直自分がこの話を聞いた時には反対の意見を持っていました。今でも諸外国の反応を考えると、デメリットも多いように思えます。国内の有力な貴族の反応も気になります。……ただ、王女の体験してきた悲劇を思うと、実現させてやりたいとも思えるのです。あいつは……失礼、姫は二度も自分を守る為に人が死んでいくのを目の当たりにしています。一度は宮殿で、二度目は戦場で。……自分と一緒に居た時も、首を落とせと、そうすれば俺が助かるからと、何度も言われました。姫は民が死ぬくらいなら、自分の命を投げ出す方だと思います」

 一同は複雑な思いを胸に黙りこくった。この日はそれ以上の話し合いも進まず、彼等はそれぞれの仕事に戻っていった。


 再び控え室に戻ったウォルフに、クレアは泣き腫らした目を向け、謝った。

「ごめんなさい、ウォルフ。…もっとちゃんと出来ると思ってたのに。…ごめんなさい。結局あなたを頼ってしまって」

 ウォルフはそっとクレアを抱き寄せて言った。

「俺の事はいいんだ、気にするな。……とりあえず時間を置く事にした、また次にがんばればいいさ」

 クレアはウォルフの胸でやっと落ち着きを取り戻した。



 その夜、クレアは一人でマーカスの執務室を訪れた。一緒に行こうかと気遣うウォルフの言葉に、珍しく彼女は首を横に振った。自分一人で説得しなければならない相手だと思っていたのだ。

 侍従にうやうやしく部屋に通され、応接室に向かうと、一部の乱れも無く正装に身を固めたマーカスが王女を出迎えた。お茶が運ばれ、侍従が下がるまで、二人は一言も発しなかった。やがてクレアが話を切り出した。

「マーカス、昼間の会議ではすまなかった。つい声を荒げてしまって、涙など流してしまって。申し訳なく思っています」

「とんでもございませんクレア様。私が至らぬばかりに、姫様にご苦労をお掛けしてしまい、誠に申し訳なく思います。亡き陛下にも合わす顔がございませぬ」

クレアは自分が作成した建白書が机の上に置かれているのに気付く。

「これ、目を通してもらえましたか」

「はい、何度も。……失礼ですがこれは本当に姫様お一人で?」

「そうです。ウォルフは資料を集めてくれたり、少し書式を教えてくれたりしただけです。これは全てわたくしの意見です」

「……こんなに、……立派な物を。姫様はお怒りになるかもしれませぬが、マーカスめには姫こそが、国王の才覚をお持ちのように見受けられます。御歳わずか十四歳でこのように立派な…」

「ありがとうマーカス、でも国を動かすとは様々な才覚が必要な事だと考えます。わたくしにだってこの意見が完全な物だとはとうてい思えません。どの国もやったことがないことのようですし。どうかお前の知恵を貸してほしいのです。皆で国を支えていく方法を考えてほしいのです」

 しばらくの沈黙の後、ようやく意を決したのか、白髪の老人は答えを出した。

「……姫、……分かり申した。今は少し考えがまとまりませぬが、しばらく時間をいただけますでしょうか。この仕事を王家への最後の御奉公として、取り組む所存でございます故」

「マーカス、ありがとう。よく辛い虜囚の身を耐えて生き延びてくれました。頼りにしていますよ」

「もったいないお言葉です。……姫、本当に御立派になられて」

 マーカスは膝をつき、クレアの白い手を捧げ持ち、臣下の礼をとった。深々と頭を下げるマーカスを残し、クレアは執務室を出ていく。慣れぬ交渉に疲れたのか、彼女は小さくため息をついた。しかしこれでクレアは、最大の難関を一つ突破したのである。


 同じ頃、ウォルフの元にも二人の来客が訪れていた。ルーガーとハインズの両将軍であった。もちろんこちらもクレアの建白書の事で相談に現れたのだが、既に気心のしれた三人は酒を酌み交わしながらの話となった。癖のある黒髪をしたルーガーが、若者らしく正直な感想を漏らす。

「アイデアとしては大変面白いと思います。実際たった一人の王が国を動かす訳ではないのですから。実務的な事は王政とほとんど変わらない筈です」

 ハインズも同じような意見だった。短い金髪と青い瞳、実直そうな面持ちの彼は幾分遠慮がちに話す。

「…言い方は悪いですが、当面我が国はクレア様をお飾りの女王と立て、閣僚が政治を動かす以外方法が無いだろうと考えていました。内容的にはこれと全く同じ事な訳です」

 ウォルフも率直に考えを話す。

「いくつか修正しなくてはならん所もあるが、確かに可能なやり方だと思う。俺は一年間ほどテストケースとして試してみたらどうだろうと思っている。その上できちんと法令を作り、諸外国にうまく配慮して発表すれば、なんとかいくんじゃないかな」

 ハインズはルーガーと一瞬顔を見合わせ、口を開いた。

「我々がこの建白書に賛成するのには、もう一つ理由があるんです。ダルガル将軍が生前漏らしていた事が合って…」

 ルーガーがその言葉を引き継いだ。

「将軍はクレア王女の事を大変心配しておられて、できれば政治や外交に姫を巻き込みたくないとお考えのようでした。…もう二度とあのような辛い目に合わせたくないと、おっしゃっていました」

 ウォルフはグラスの酒を見つめ、呟くように言った。

「将軍……。俺も同じ事を考えた事がある。クレアと二人で暮らしている時に、このまま名前を捨てさせ、一人の少女として生きていく方が幸せではないのかと…。国を取り戻しても親も居ない、兄弟姉妹も、親戚さえ居ない場所で、孤独に耐えて生きるのは辛いのではないかと…。それに今あいつは自分の子供を産む事さえ躊躇している。それが不憫に思えてなぁ…」

 これを聞いたハインズがおずおずと問い掛ける。

「あの…ひょっとしてクレア様は御懐妊されていらっしゃるのですか?」

 ウォルフは笑って答えた。

「いや、そういう訳じゃないんだが。……五歳の従兄弟が無惨な殺され方をしたのが、相当ショックだったんだろうな。将来の自分の子供や孫に危険が及ぶような事を心配してるのさ。そんな事滅多に起こる訳が無いんだが、あいつはそれを体験しちまったからなぁ」

 酒のせいもあるのか、同じ軍人同士の気楽さからか、ウォルフはいつになく饒舌だった。やがてクレアが部屋に戻り、二人の将軍は遠慮して去って行ったが、ウォルフはクレアにも色々と話掛ける。

「マーカスは説得出来たのか。あのじいさんは頑固そうだが」

 結い上げた髪をほどき、ウォルフの隣に腰掛け、クレアは言った。

「うん、なんとか協力してくれそうな感じになってくれたわ……、なぁに、酔っぱらってるの?」

「ちょっと飲んでるだけだよ。……クレア、お前はすごいなぁ。お前が女王になって国を治めれば、結構上手くやるような気がするけどなぁ」

「マーカスにも似たような事を言われたけど…。それではダメなのよ、今までと何も変わらないもの」

 クレアはウォルフの手からグラスを取り上げると、自分でぺろりと舐めてみる。

「まずぅ~い、なんでこんなもの美味しそうに飲むのかしら」

「こら、子供が酒なんか飲んじゃ駄目だろう」

「ウォルフももう飲んじゃダメ。……その子供に国政を任せるのはいいの?」

「可愛くないな~。……まぁ確かにその通りなんだが、わっ」

 クレアはウォルフの膝に飛び乗ると、唇が触れる程顔を近付けて尋ねる。

「わたし可愛くない?……その子供にあんなに色々したくせに」

「お前……ほんとに成長してるなぁ。いや色々と」

「そうかしら…?自分ではよく分からないけど」

「俺はここんとこ驚かされてばっかりだ」

 クレアはウォルフの顔にキスを繰り返す。

「……ベッドの中でのことはあなたに教えられたのよ…。上手になってる?」

「ああ、…ちょっと優等生過ぎるぐらいだ、十四歳にはまだ早かったかなぁ」

「最初は子供を抱く趣味は無いなんて言ってたわよね。…ウソつき」

 耳元でそう囁き、くすくすと笑うクレアは随分と機嫌が良さそうだった。最近になってようやく年相応の明るさを取り戻した少女を見つめ、ウォルフは、なんとかしてその笑顔を絶やさずにいさせてやりたいと思っていた。

 クレアのキスは次第に熱を帯びたものに変わり、細い身体を擦り寄せて来る。ウォルフの手が少女の服を脱がせていき、下着姿になったクレアを抱き上げると、二人は寝室に消えていった。



 宰相マーカスと、ルーガー、ハインズ両将軍の賛同を得たクレアの建白書は、幾つかの改善を加え、結婚式の後一年間の試用運営をすることが承認された。クレアは一年間を女王のまま、委員の一人として議会に加わり、その後グリーンディール大公家を興し、外交などの執務に就く事となった。これによりリグノリアから王家が消滅する事となる。クレアはウォルフに大公位に就いてもらおうと考えていたが、彼は軍の総司令官の立場でもういっぱいいっぱいだと、その要請から逃げ回った。総司令官の地位も、本当はルーガーかハインズに任せたい所だったのだが、二人はまだ二十代であり、年長者の彼がやむを得ず受け入れたのだった。

 クレアを初め、リグノリアの人々は何とかウォルフに恩を返そうと、様々な地位や役職や、あるいは勲章などを与えようとするのだが、彼は自分が外様であり新参者である事を理由に、そのほとんどを拒んできた。結局彼の現在の立場は、第三騎士団の将軍であり、全軍の総司令官であり、クレア王女の夫だった。爵位の授与も拒んだ彼は、今でも身分は平民のままであった。


 ウォルフは王宮の中でとにかく自分が目立たぬように気を配っていた。いくら救国の英雄と祭り上げられ、クレアの夫として国政の中枢に参加し、全軍を指揮する立場であったとしても、突然現れた他国の人間をこころ良く思わぬ人物もいるだろうと考えたからだ。特に古い家柄を持つ貴族階級には常に控え目な態度を崩さず、自分の存在が国を乱す原因にならぬよう細心の注意を払った。

 騎士団の様々な取り決めも、必ず三人の将軍で話し合った結果であるという格好をつけ、自らが突出したイメージを持たれぬようにしていた。ルーガーとハインズはそういった彼の気配りを良く理解し、協力を惜しまなかったが、ウォルフのその深謀遠慮に感心する二人の将軍の尊敬の念を、かえって一層高めてしまうのであった。

 当初クレアは自分の代わりにウォルフに王位に就いてもらう事も考え、実際彼にそう告げたこともあったのだが、ウォルフはそれだけは絶対に駄目だと、クレアに懇々と諭した。王族の血統で無い自分が王になれば、リグノリアの王位継承の系譜に例外を作る事になる。それは高位の貴族に支配権を要求される根拠になりかねないと彼は考えた。まして彼はプロタリアの出身であり、一時は皇帝騎士団の准将位に居た男である。他国の人間に王位を簒奪されたと感じる人間も現れるだろうし、プロタリアの思惑が絡んでいるのではと深読みされる恐れもあった。若くして女王となるクレアの負担を考えれば、自分がその重責の一端を担ってやる事にやぶさかでは無かったが、国力の回復せぬ今、国が割れる事態だけは絶対に回避せねばならない必要があったのである。

 クレアの考案した新たな政治システムは、少女の責務を幾らか軽くする意味もあり、そういった面ではウォルフにも賛成できる物だった。しかし、不安は幾つも残されていた。王族の持つ求心力といった物が薄れ、派閥争いが起こるのではないかという懸念もあった。国民が王族に対して持つ信頼や敬愛といった感情は、決して軽く見る物では無いと考えていた。

 ウォルフはかつての祖国、プロタリアでの経験を思い出す。あれ程の強大なカリスマ性を持つ皇帝ですら、国内の貴族達が作る派閥と複雑な力関係には手を焼いていたのである。彼の上司であった皇帝騎士団の将軍グスタフは一本気で堅物な軍人であり、そのような宮廷の陰湿な争いを最も嫌悪し、時にはウォルフら准将に愚痴をこぼす事もあった。

 苦い記憶と共に過ぎた日々をウォルフは振り返り、王の血統それ自体に如何に力があるのかを、今になって思い知らされていた。そしていくら貴族の居ない国とはいえ、わずか二十歳でトランセリア一国をまとめ上げ、貧乏国家と揶揄されながらも大陸諸国と互角に渡り合っているアルフリートの手腕に、改めて驚愕していた。

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