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青の時代 3  作者: 森 鉛
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第四章 盲目の姫君 第五話

 アイリーンとシンが王宮に暮らす事を、トランセリアの全ての閣僚が歓迎した訳では無かった。特にアルフリートや王宮の警備を担当する宮廷騎士団からは、今現在の敵国であるイグナートの王女が、国王暗殺の為に遣わされた刺客ではないのかと疑う声が上がった。第二軍に捕われた追っ手は、彼女を信用させる為にひと芝居打ったのだとも考えられるし、従者のシンはともかく、盲目の王女が剣の使い手だというのは話が出来過ぎていないかと、幕僚達はいぶかしんだ。彼等といえど疑わしいだけの二人の処罰を求める訳ではないし、国に追い返すのも不憫だとは思っていたが、入国から十日足らずで王宮に暮らすのを許可するのはいささか不用心だと考えていた。

 宮廷騎士団を直接指揮するシルヴァはその意見を尤もだとし、御前会議の席上でアルフリートに具申する。彼女も個人的にはアイリーンやシンに好感を持っていたが、軍務長官としての立場から考えれば、確かにアルフリートは甘いと思われた。シルヴァは二人に正式に国賓として離宮に滞在してもらい、護衛を着け、時間を置いて国王の護衛なり王宮の庭師なりに登用すべきだと意見した。

 ユーストの調査では、イグナートからもプロタリアからも、入手した情報は共に二人の潔白を証明していたし、旅の途中で起こった事件や二人の行動も疑わしい所は無かった。裁定は国王アルフリートに委ねられた。

 アルフリートは二人を疑う声が上がるのを当然予想していた。というか、そういった意見が出なければ宮廷騎士団は無能ということになってしまうので、少しばかりほっとしてもいた。彼はいつものように行儀悪く椅子の上であぐらをかき、居並ぶ閣僚に向かい口を開いた。

「仮に二人が刺客だとすると、我が国はこれからの対イグナート戦略を全面的に考え直さなければならなくなる。これが練られた計画だとするとあまりにも見事だ。余程の策士でなければこの作戦を成功させる事は出来ないと思う、針の穴を通すような計画だからね。これなら暗殺されても仕方ないなぁって納得しちゃいそうになるぐらいだ」

 シルヴァが横から口を挟む。

「陛下…不吉な事をおっしゃらぬように」

「ああ、ごめんごめん。それぐらいすごい計画だと思ったんだよ。イグナートに盲目の王女が居る事は知られていたけど、彼女が剣の使い手だとは誰も知らなかった。たぶんイグナート宮廷でも知られていないと思うよ。そんな人物大陸中でも聞いた事が無いからね。その王女が駆け落ちする理由をプロタリアまで巻き込んで作り上げ、旅の途中で山賊に襲われて命からがら逃げ出し、国境警備隊に発見されて将軍の目を止まらせ、さらにトランセリアの国王に接触する。……そんな計画無茶だろう」

 第三軍司令のメレディス将軍が意見した。

「山賊と警備隊の件は偶然だと考えたらいかがでしょうか。入国してから追っ手と共に騒ぎを起こす手筈だったとしたら」

「だとしたらシュバルカは彼等に注目したりしないだろうし、そもそも治安の悪い旧街道を旅して、トランセリアに入る前に二人が殺されてしまったら元も子も無いだろう…実際そうなりかけたわけだし。暗殺計画としては迂遠過ぎるなぁ、あまりにも回りくどいよ。……アイリーンを診た医者に話は聞いたんだっけ?」

 アルフリートの問い掛けにユーストが答える。

「はい、彼女の妊娠と流産は事実です。その医師も古くからのセリアノート市民で、イグナートとの関連はありません」

「十八歳の若い女性が、我々を油断させる為に自分の子供を犠牲にするだろうか?俺の暗殺を強制された事が、二人の駆け落ちの理由だというなら考えられるけど。それにこれは俺が見たんだけど、追っ手は宿を取り囲むように見張っていたんだ。二人が刺客なら無用な事だ。その上あいつら俺の顔も知らなかったんだぜ。……大体そんな策略家が国王派に居るとしたら、あんな戦争しないと思うけどなぁ」

「王弟派の計画だという可能性はありませんか」

 今度は外務長官ヴィンセントが発言する。

「王弟派に有能な身内がいたら十何年もお家騒動やらないだろう。王弟自身もどっちかっつーと阿呆だしさぁ。プロタリアのそのなんとかいう貴族とコンタクトを取ったのは確かに国王なんだ。それに今は王弟派の方が有利で彼等には俺を狙う理由が無いよ。そんなことしたら国王を助けてやるようなもんだ」

 どんどんくだけてくるアルフリートの口調に、シルヴァが咳払いをする。閣僚中で彼女だけは、アルフリートのこの癖を直す事をまだ諦めていないようだった。ユーストが静かに口を開く。

「暗殺が目的では無く、情報目的の間諜という可能性もありますが」

「だったらなおさらあんな目立つ人間使わないよ。腕が立つ必要も無いし。スパイだったらウチの侍女なり騎士なりを買収した方がよっぽど手っ取り早い。戦争中でも無いんだから、他にいくらでも使い道のある王女を送り込む程重要な情報なんか、今ウチに無いだろう」

 会議室を沈黙が支配する。アルフリートは一つ伸びをすると思いがけない事を言い出した。

「御前試合しよっか、どう?」

 閣僚達はあっけにとられて顔を見合わせた。



 数日後、アイリーンとシンを迎え、宮廷騎士団の御前試合が開催される。アルフリートは議論による決着より、とにかく二人を見てもらった方が話が早いだろうと考えたのだ。騎士達が言葉よりも、剣を合わせる事でより多くの理解を得る事を、彼は良く知っていた。閣僚達も十中八九アイリーンはシロだろうと考えていたが、今一つ決め手に欠けると感じていた。御前試合はその何かを補ってくれるかもしれないと、彼等は考えた。それに、皆渦中の二人を見てみたかったのである。

 シンはもとより、アイリーンも身体はすっかり回復しており、日々の訓練も再開していた。彼等は与えられた居室から無闇に出歩く事をせず、室内に居るか中庭に出るぐらいで、静かに二人きりの暮らしを楽しんでいた。御前試合の話もアルフリートの提案と知ると、即座に承知した。自分達にかけられた嫌疑も耳に入っていたし、何よりも国王の役に立ちたいと二人は考えていた。

 王宮内の練武場には閣僚が勢揃いし、多くの騎士がひしめいていた。アルフリートは自分も出場するつもりで平服で現れ、シルヴァとユーストに小言を言われていた。そういうシルヴァも出る気満々で、既にウォーミングアップを済ませ、うっすらと汗を掻いている。

 アイリーンがシンと共に練武場に現れる。アルフリートの前で優雅に礼をする彼女の姿に、若い騎士達の間からため息が漏れる。王宮内でこの美しい王女を見掛けた者は、ほぼ例外無く彼女のファンになっていた。体調も戻り、シンと二人きりの新婚夫婦としての暮らしに、彼女の美しさも艶やかさも一層磨きが掛かっていた。今日は試合をする為に、宮廷騎士団の軽めの軍装に身を包んでいたアイリーンだったが、漂うほのかな色香は隠しおおせなかった。

 アルフリートはその噂を聞き(そういえばウチの王宮には居ないタイプだなぁ…、しいていえばディアナかな?シルヴァとは正反対だもんなぁ)などとのんきに考えていた。貴族の存在しないトランセリアには、こういった典雅なお姫様タイプは大変珍しく、ヴィンセントら外務官僚以外の者には他国の王族や貴族に触れる機会も無かった。


 アルフリートが開催を宣言し、拍手と歓声が沸き起こる。年に一度行われる建国祭の時に御前試合は開かれているが、こうしたイレギュラーなものはここ何年も行われていなかった。練武場は次々と訪れる騎士達でぎっしりと埋まっていった。

 まずはシンが棒術の試合に出場する。相手は宮廷騎士団の棒術師範と強敵だった。目のいいメレディスが審判に立ち、シュバルカとディクスンが立ち会いとして場に臨む。シンと師範はまず国王と閣僚のためにしつらえた椅子席に向かって一礼をし、続いてお互いに礼をする。メレディスの「はじめ!」の声と共に、二人は練習用のカバーの付いた木棍を構える。

 たった一人で十人以上の山賊を屠ったというシンの棒術は、騎士団からも注目されていた。静まりかえる練武場に二人の合わせる棒の音だけがこつこつと響き、互いに円を描くように滑らかに足をさばく。先手を打ったのは師範だった。掛け声と共に繰り出された棒をシンが受け止め、激しい打ち合いが始まる。棒の当たるかんかんとした音、二人の掛け声と息づかいに、椅子に腰掛けたアイリーンは静かに耳を傾けていた。彼女にもシンの腕前がどの程度の物なのか分からず、試合の結果には興味があったが、怪我さえしなければ勝てなくともいっこうに構わなかった。二人はまだ若く、これからいくらでも修練を積めただろうし、自分を守ってくれたシンの力は彼女にとって間違い無く真実だったのだから。

 互角だった打ち合いが徐々に師範に傾いていく。三十年以上の経験を持つベテランの彼は、次第にシンの棒さばきの弱点を見抜き始める。いくつかのフェイントを織りまぜ、足を狙いシンのバランスを崩すと、胸元に棒を突き立てた。一度はかわしたシンだったが、くるくると回転する棒から連続で襲い来る打ち込みを防ぎきれなくなり、たまらず地面に尻餅を付く。「それまで!」の声が掛かり、メレディスにより師範の勝利が宣言された。割れんばかりの拍手が沸き起こる中、師範はシンの手を取り彼を引き起こすと、息を弾ませながら言った。

「見事な腕前です。何という師匠につかれたか教えてくださらんか」

「ありがとうございました、完敗です。……棒術は独学で学びましたので、特に師匠という方はおりません」

 師範は驚いてシンを見つめる。棒術を習う者は少ないとはいえ、騎士団でも自分と互角に打ち合う者は数える程しか居なかった。シンの若さを考えれば末恐ろしい事だと彼は思い、離れ際に声を掛けた。

「是非私の元で基本を学びなさい。まだまだ上達する見込みがある」

 シンはその言葉に嬉しそうに微笑み、握手を交わして礼を返した。国王に礼をし、アイリーンの元に戻ると彼は笑顔で言った。

「申し訳ありませんアイリーン様、負けてしまいました」

 シンにタオルを差し出し、彼女も微笑んで答える。

「お疲れ様でした。とても良い試合のようでしたね。……シン、あなたはわたしの自慢の夫です」

 かすかに頬を染める彼女は艶やかだった。


 第二試合はアイリーンが出場する。彼女の使う仕込み杖は武器としては特殊過ぎ、練習用の剣などもちろん無く、アイリーンは重さの合う試合用のレイピアを手にしていた。御前試合は本来三本勝負だったが、シンはこの後体術の試合も予定しており、一本のみの勝負となっていた。

 アイリーンの相手にはセリカが選ばれた。多数の立候補があったが、女性であるという事と、自分が出ようとするシルヴァを説得できる人物として、宮廷騎士団でも屈指の剣技を誇る『影の魔女』セリカならと話がまとまった。もっともシルヴァはまだ出る気でいるようだったが。

 二人が練武場の中央に進み出ると、場が揺れる程の歓声が沸いた。国王に向け礼をし、互いに一礼する。歓声がやみ、物音ひとつしない中、アイリーンは滑らかに腰を落とし、左腰にレイピアを構える。セリカが正眼に剣を構えると、メレディスの「はじめ!」の声が掛かった。シルヴァはいつの間にか、審判であるメレディスの向い側に立っている。特等席で見るつもりなのだろう。

 足音を立てずにセリカが間合いを詰める。アイリーンは顔を伏せたまま微動だにしない。しかしセリカが彼女の間合いに入る寸前、ぴくりとアイリーンの右手が動いた。セリカは敏感にその動きに反応し、小さく後ろに飛びすさった。アイリーンは視覚以外の全ての感覚で練武場の空気を読んでいる。全神経を研ぎすました彼女は、セリカの立ち位置も、剣の動きも掴み取っていた。

 セリカは幾度か間合いを詰め、接近を試みるが、アイリーンに隙は無かった。セリカは驚きを感じていたが、同時に手を決めていた。鋭くダッシュをかけ、一気に間合いを詰めると、アイリーンの右側から剣を打ち込む。アイリーンのレイピアは俊敏に反応し、セリカの剣を受け止める。試合とあってセリカは幾分力を加減していたが、それでも重い衝撃がアイリーンの腕にびりびりと伝わった。間髪を入れず繰り出される二撃、三撃をアイリーンは見事に防ぎ、稲妻のような一閃をセリカの胸に放つ。予想以上のスピードだったその切っ先をセリカは寸での所で交わし、再び間合いを取り、呼吸を整えた。

 練武場のあちこちから小さなため息と、感嘆の声が上がる。シンは椅子から腰を浮かし、両手を握りしめている。シルヴァは腕組みをしたままじっと動かず、一瞬たりとも視線を外そうとしない。アルフリートは行儀悪く足を組み、小さく貧乏揺すりをしながら何か考えているようだった。ユーストはちらりとそれに目をやり、後で小言を言ってやろうと思っていた。

 アイリーンは既に少し呼吸を乱している。日々騎士として訓練に明け暮れるセリカと彼女とでは、体力に差が有り過ぎた。セリカは長期戦に持ち込めば自分が勝利出来ると確信していたが、御前試合でそこまでするのは騎士道に反すると考えていた。アイリーン自身も残りの体力を考え、次で勝敗を決しようと、集中力を高めていく。

 セリカが剣を構え、間合いを詰めようと静かに一歩を踏み出した次の瞬間、アイリーンが瞬時にセリカの懐に飛び込む。幼い頃から修練を積み重ねた必殺のその一撃を、セリカは体勢を崩しながらも剣を逆手にかろうじて受けた。確実に入ったと思ったその一撃をかわされ、アイリーンに一瞬の隙が生じる。セリカの剣がアイリーンの胸に突き立てられたその時「それまで!」の声がメレディスとシルヴァより同時に発せられた。

 アイリーンはその場に膝を付くがすぐに立ち上がり、一礼するとセリカと握手を交わした。軽い甲冑を着けていた為にアイリーンに怪我は無く、彼女は素直にセリカを褒め讃えた。

「セリカ様、お手合わせありがとうございました。素晴らしい腕前をお持ちです。わたくしは最後の一撃は入ったものと思い込んでしまいました」

 息を弾ませ、そう話すアイリーンに、セリカはしばらく言葉を返す事が出来なかった。盲目の王女がいかにしてこれ程の剣技を身に着けたのか。もし剣が彼女の使い慣れた仕込み杖だったら、病み上がりなどでなかったとしたら。甲冑を身に着けたのも、おそらく生まれて初めてなのではないだろうか。様々な不利な条件を抱えながらこれだけの結果を見せたアイリーンの実力に、セリカは驚愕していた。

「……あ、アイリーン様。…なんと言っていいか、驚いてしまって。…いったいどうやってこれ程の剣技を…。こちらこそありがとうございました。得難い経験をさせていただいたと思います」

 騎士達から惜しみない拍手が降り注ぐ中、優雅にアルフリートに礼をし、シンの元に歩み寄るアイリーン。そっと彼女の手を取り、シンが彼女の汗を拭う。

「アイリーン様、お怪我はありませんか」

「大丈夫です。甲冑を着けていましたし、セリカ様は手加減して下さったようです。……負けてしまいましたね、やはり女性といえど騎士とはすごいものなのですね」

 アイリーンは嬉しそうにそう語った。彼女もこの試合で何か得た物があったようだった。


 第三試合は再びシンが体術の試合を行う予定となっていたが、アルフリートが彼を呼び寄せ、何か話をしている。どうもアルフリートが試合に出るとアピールしているらしい。シルヴァや将軍達も集まってなにやら大騒ぎになっている。

 シンは体術を身に付けてはいたが、どちらかといえば棒術の方が得意だった。棒術ならアイリーンを相手に練習ができるのだが、体術は基礎を知人に教わった後、ずっと一人で修練して来た。シン自身にも自分の実力がどの程度の物なのか、見当もつかなかった。

 アルフリートは国王のたしなみとして一通り武術の基礎訓練を受けてはいた。しかし彼は幼い頃から剣術が苦手で、シルヴァにも一度も勝った事が無かった。アルフリートより三歳年長のシルヴァは、子供時代からずっと彼よりも背が高く、アルフリートに抜かれたのは彼が王位に就く少し前のことだった。剣も双刀を扱う程の腕前であり、研鑽に研鑽を積み重ねたその剣技は、国内はおろか大陸でも指折りのレベルに達していた。そんな婚約者に負け続けた彼は、剣術にコンプレックスがあるのか、体術を自らの守りとして身に付けた。男としてはあまり上背も無く、体重も軽いアルフリートは、そのスピードを活かす方法を選んだ。そんなわけで彼は何処に行くでも護身用の武器など持たず、基本的に何か事が起こったら『スピードで敵の目をくらまして逃げる』方針を取っていた。現在も時間を作っては宮廷騎士団の体術師範相手に修練を積んでいる。もっともアルフリートなどまだマシな方で、先代の国王アンドリューや宰相ユーストなどは全く武術には興味を見せず、『襲われたら即降参する』といってはばからなかった。アンドリューは『私が剣を振るって戦う時が来たらこの国の終わりだと思ってくれ』と常々言っていたぐらいである。

 シンの相手は当初、アルフリートの指南役でもある宮廷騎士団の体術師範という事になっていたが、シンの話からそこまでの実力があるとは思われず、『俺ぐらいがちょうどいいだろう』と国王は主張する。シンの身に付けた体術も、彼の祖国シャンドゥルに古くから伝わる独特の物で、正直誰がやっても試合として成り立つのかどうか分からなかった。閣僚は当然のごとく、皆一様にそれを渋った。中でもシルヴァは自分が出られないのにアルフリートだけ出るのはずるい、と言わんばかりに、一番強く反対していた。結局、試合では無く組み手を見せる練習形式にすると言う事で、アルフリートは出場権を得たのだった。


 拳を守るグローブを着け、練武場中央で礼を交わす二人。メレディスに代わり、体術師範が立ち会いに着いていた。危険があった場合止める役も受け持たなければならないからだ。宮廷騎士団の騎士達は、彼等の国王が意外に優れた戦士である事を知っていた。そのスピードは騎士団でもかなりの物だと評価する者も幾人か存在した。シンも宿屋の前で見せたアルフリートのステップワークやスピードが、侮れない物であると感じていた。

 中央で拳を重ね、「はじめ!」の声が掛かる。ゆっくりとした動きでアルフリートの突きが入り、シンがそれをかわす。流派の違う二人はぎくしゃくと組み手を始めたが、いくつかの技を繰り出した後、次第に二人の呼吸が合い始める。スピードが徐々に増し、拳や服が風を切る音が聞こえてくる。アルフリートはシンに声を掛ける。

「足、いくよ」

 足技を織り混ぜ、さらにスピードが上がる。汗を滲ませた二人の表情が引き締まり、逆に彼等はこの組み手に心地よさを感じ始めていた。特にシンはこういった試合は随分と久し振りであり、一つ一つの技を確かめるように身体を動かし、楽しげな様子だった。小気味よく繰り出されるアルフリートの技を受け、かわし、自らも打ち込んでは足を使う。場内から小さく感嘆の声が上がり、皆息を飲んで二人の技量に見入った。

 シンのスピードにそろそろ限界が訪れようとしていた。彼はアルフリートが自分の得意な土俵に持ち込んだ事に気付いたが、しまったとも思わなかった。それ以上に国王との組み手は楽しかった。リーチとパワーでは自分が上だろうとも思い、知らなかった自らの弱点すら見い出され、やはり独学には限界があるのだと冷静に考えていた。

 二人の組み手は唐突に終わった。シンの正拳がかわされる事無くアルフリートの胸に入ったのだ。一瞬遅れて受け身を取ったアルフリートはぺたりと尻餅をつく。体術師範はすかさず試合を止め、言った。

「陛下、悪い癖が出ましたな」

 立ち上がり、ぽんぽんと埃を払いながらアルフリートは答える。

「うん、やっちゃった」

 汗を掻き、息を弾ませてぺろりと舌を出す彼は、ユーストの評した『やんちゃ小僧』の顔をしていた。

 アルフリートには、考え事をして動きが止まってしまう癖があった。彼によれば、激しい組み手などをしている最中にふと頭が冴え渡り、考えがきれいにまとまる事があるのだそうだ。国王の練習相手を務める体術師範はその事を良く知っていた。この癖は父親譲りらしく、先代の国王アンドリューも、廊下や広間の真ん中で立ち止まって考え事をしている事が度々あった。

 シンはしばらく呆然としていたが、アルフリートに握手を求められ、笑顔でその手を取り、言った。

「陛下、ありがとうございました。失礼ですがとても楽しかったです。あ、お身体は…」

「大丈夫、なんとも無い。俺も楽しかった、またやろう。…シンも良かったら練習に来るといい」

 師範も声を掛ける。

「毎日午前中はここで様々な訓練が行われています、シン殿もぜひ。素晴らしい素質をお持ちだ」

 普段の練武場では、非番の騎士達などが日々鍛練を重ねていた。各武術の師範は年齢や経験に合わせたカリキュラムを作成し、彼等の指導にあたっていた。教育に力を注ぐトランセリアらしい一面だった。

 浅黒い顔に汗を光らせ、シンは朗らかに答えた。

「はい、是非お願いします。今日の組み手で独学の限界が見えていた所です」

 二人に送られる拍手と歓声の中、アルフリートはシンと並んでアイリーンの元に歩み寄る。立ち上がり、出迎える彼女にアルフリートは何か話している。今日の御前試合は二人の顔見せの為に開かれたものであったので、これでお開きとなる筈だったが、アルフリートは集まった騎士達の興味の大半が、アイリーンの特殊な武器にある事を分かっていた。

 やがてアイリーンが中央に進み出る、手にはあの仕込み杖が握られていた。続いてシルヴァが立ち上がると大きな歓声が上がった。人々はアイリーンとシルヴァが実剣でやるのかと期待したが、体力の無いアイリーンに二試合目は無理であり、まして相手があの『双刀の魔女』シルヴァでは勝ち目など万に一つも無かった。

 場に歩み寄ったシルヴァは手にした銅貨を弾いて見せる。これで観客は今から何が始まるのかおおよその察しがついたようだった。これはアルフリートが提案したちょっとしたエキジビションで、アイリーンも心良く承知した。彼女はこの試合が自分達を宮廷の人々に紹介する為に開かれた事を知っていたし、同時に護衛を務めるだけの腕があるのか確かめる目的がある事も分かっていた。

 アイリーンは静かに呼吸を整え、腰だめに剣を構える。練武場を静寂が支配する。シルヴァが小さな声で「行くわよ」とつぶやいてから、銅貨をすっと投げた。ふわりとした軌道を描き、銅貨がアイリーンの間合いに入った刹那、抜き放たれた倭刀が一瞬のきらめきと共に銅貨をはね飛ばす。アイリーンが静かに剣を納めると同時に、拍手と歓声と感嘆のため息が場内に溢れた。片手を上げてその声を制するシルヴァ。再び静けさに包まれた中、今度は何も言わずに銅貨が投げられる。シルヴァの動きも小さく、スナップを利かせたそれはスピードも先程より速かった。だがアイリーンの剣は変わらぬ正確さでそれを弾く。続いて二つが同時に投げられ、これも弾き飛ばす。投げ込まれた十枚程の銅貨を、彼女は全て弾き飛ばしてみせた。

 アイリーンはこれなら経験があった、離宮でシンに石や木の枝を投げてもらう訓練をした事があったのだ。静かに礼をするアイリーンに、アルフリートは満足げに微笑み、シルヴァも特等席で彼女の剣技を見る事が出来て、かなり満足したようだった。


 閉会の宣言をし、国王と閣僚が練武場から立ち去ると、集まった騎士達がどっと二人を取り囲む。小柄なアイリーンは居合わせたセリカや他の女性騎士達がガードをしていたし、元々近寄りがたい高貴なイメージの為か、紳士的に質問や握手を求められていたが、シンの方には彼等は遠慮無く肩を叩き、握手をし、親しげに話し掛けた。数多くの騎士達にもみくちゃにされながら、シンはしどろもどろで言葉を交わしていたが、やがてセリカが解散を言い渡し、人の波は少しづつ減っていった。二人に掛けられた言葉は暖かい歓迎の物であり、こうしてアイリーンとシンはトランセリアの王宮に受け入れられたのだった。


 翌日の御前会議でセリカや師範らが二人と試合をした感想を問われていた。彼等は皆同様に、二人の剣技は邪気の無いものであり、どちらかといえば素朴な印象を受けたと語った。騎士として優れた技量を持つ彼等は、二人きりで修練を重ねて来たアイリーンとシンの努力を、手合わせをすることで感じ取っていた。

 アルフリート自身も同じ感想を漏らし、二人の王宮での暮らしがこれで承認された形となった。冷徹な宰相ユーストは国王に一言言い添えるのを忘れなかった。

「もしこれで二人が刺客や間諜なのだとしたら、陛下には人を見る目が備わっていないという証明になります。仮に暗殺でもされようものなら、運も無い国王として記録に残ってしまいますので、よく自覚をして下さいますよう。…私も嘘つき宰相になりたくはございませんので」

 この苦言にアルフリートは肩をすくめて見せるが、彼には宰相の真意が分かっていた。ユーストのこの台詞には、アイリーンとシンを登用した責任は、国王アルフリートと情報を吟味した自身の二人にあると言っているのだ。幾分横車を押す形になった今回の人事に対する、彼なりの気配りだった。

 アルフリートは会議では言わなかったが、アイリーンやシンの前で、暗殺に絶好のチャンスや隙を何回か与えてみせた事があった。そんな状況でも二人からは何の殺気も悪意も感じ取れなかった。(これで二人が刺客だとしたら本当に俺は人を見る目が無いなぁ…)と、アルフリートはこっそり考えていた。



 数日後、シルヴァとベッドを共にしたアルフリートは、彼の胸に甘える婚約者から思いがけない質問を受ける。

「……アルフ、本当はもっと別の理由があったんじゃないの?」

 何の事か分からず、返事の出来ないアルフリートに、シルヴァは重ねて言う。

「アイリーンとシンの事。…外交とか同情とか以外に」

「あぁ、その事か。……そうだなぁ、一番の理由は確かに他にあるかなぁ」

「なに?まさかアイリーンが美人だからじゃないでしょうねぇ、だめよもう人妻なんだから」

 恋人のほっぺたを軽く指でつねりながら、シルヴァが口を尖らせる。

「え?…ああそう言えば美人かなぁ、よく分かんないけど」

 アルフリートはそういう事には鈍感だった。今の彼はシルヴァがいる事で女性関係は十分に満足しており、そういった色恋事よりも政治の方が興味をそそるようであった。婚約者の可愛らしいヤキモチに気付きもせず、アルフリートは話を続ける。

「ほとんど勘なんだけど、あの二人はイグナートを変える力になると思ったんだよ」

「……?」

「リグノリアのウォルフに会ってクレアの話を聞いた時にもそう感じたんだけど、澱んで腐っていく古い国を変えるのは、ああいった若い人間が運命に逆らって動き出した時だって思って。それじゃあ助けないといけないなって思ってさ。ほんとに勘だけだから誰にも言って無いんだけどね、説得材料にもならないし」

「ふ~ん、……じゃあわたしとアルフはどうなの、ほら若いし」

「ウチは国自体が若いからね。王族の血筋だっていい加減なもんだし、貴族もいないし。…それに自分の事はなかなか判断出来ないよ」

「……アルフって」

「……?…なに?」

「政治の事はすごいなって思うけど、女心はさっぱりなのよね」

「そ…そうかな。ごめん」

「まぁそこがいいんだけど。……結婚式上げてやらなきゃね」

「誰の?」

「アイリーンとシンの、よ」

 小さく口付けを交わしながらささやき合う二人。彼等自身の結婚式は既に国の行事としてスケジュールが組まれている。アルフリートはなるほどなぁと、中味はごく普通の若い女性であるシルヴァの気遣いに感心していた。

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