五十八
翌日の朝。姉は宣言通りに、夏音を連れて意気揚々と病院まで迎えに来た。啓介を急かして足早に病院を後にする。タクシーでも待っているのかと少し期待したが、家まで徒歩らしい。八月下旬で少し涼しくなったとは言え、病院帰りの奴を歩いて帰宅させるとは。
「大丈夫ですか? 荷物、持ちましょうか」
何も知らぬ様子で気遣う夏音の顔を、啓介はまともに見ることができなかった。夏音が音である……厳密には、音の成長形態であることは昨晩の説明で分かりきっているのに、それでも彼女が音だとはどうしても思えなかったのだ。カラオケの中にいた少女は、完全に今の夏音とは別人だった。あの男――平山昭二の狙いが感情を持ったAIを創り上げることだった以上、音が夏音とはまた違った方向に成長していてもおかしくはない。
「平山さんって、小さいころの思い出とかある?」
突然の啓介の問いかけに、夏音はちょこんと首をかしげた。その後ろで、姉がぎょっとしたのが目に入ったが、啓介はそれを無視した。
「残念ですが、中学生の時に交通事故に遭って記憶が全部とんじゃったんですよ。だから、何も覚えてないんです。とんだポンコツですよね」
夏音は明るい表情でにっこり微笑む。啓介が謝ると彼女は別に支障はないですし、と笑いながら手を振った。姉がものすごい形相で啓介を睨んでいたが、気にしないことにする。
「あ、でも」
真剣な顔で夏音は呟いた。
「一つだけ、覚えているような」
「一つだけ……」
「いえ、別に大したことじゃないんですけど」
彼女は歩きながらアスファルトに目線を落とした。
「夏の暑い日に、かき氷を食べたことがあったような。それが、すごくおいしかったんです……また食べたいな」
啓介は、夏音の横顔に音の面影を見た気がした。




