五十
警察は室内の状況に目を丸くしていたが、姉の一言でやっと動いた。未だにみぞおちをおさえている男を捕縛し、床に寝転がっている店員二名も取り押さえたのだ。男がダメージから回復した時には、すっかり身動きがとれなくなっていた。店員たちもすでに連行された後で、味方は誰一人いなかった。彼は相変わらず唇をかみしめて痛みをこらえながら、両脇を警官に固められて立ち上がった。
「研究が、ここで頓挫していいのか? 人類は貴重なものを一つ、失ってしまうのに」
夏音と姉のおかげで台上から解放された啓介をにらみながら、男は吐き捨てるように尋ねた。長い時間拘束されたせいで痛む腕をさすりながら、啓介はしかしはっきり言った。
「あなたが研究を完成させられなくても、いつか、他の誰かがやり遂げるかもしれない。もっと別の……倫理的な、安全なやり方で。人の命を犠牲にしてまで、執着することじゃない」
「ガキが、甘っちょろい戯言を」
さらに何か言いつのろうとしていたが、警官に引っ立てられて男は舌打ちしながら部屋を出て行った。
「啓介さん、大丈夫……ですか?」
男が出て行ったのを見届けるや否や啓介が床にへたりこんでしまったために、夏音は不安げに聞いた。全身から力が抜けてしまったようだった。
「言い返し方を考えてて、頭が沸騰しちゃったんだよね」
姉が笑いながら顔をのぞきこんできた。
「なかなかできない答えだったよ……その……理想主義者みたいでさ」
「将来に希望を持て! みたいなことですよね」
軽くバカにされていることは分かっていたが、それでも啓介は口元がほころびるのを感じた。助かった、もう命の危機はないんだ――少なくとも、自分の命は。