十七
「夏休みだから暇でしょ」
ということで、あれから平山家に駆り出される日々が続いた。確かに啓介自身夏休み中は暇だったし、働かされるとは言え女子の家に上がり込めるのだから、文句を言いながらも掃除を手伝った。音について手がかりが見つかればという気持ちもあった。
だが、高校三年生で受験を間近に控えているはずの姉上が、せっせと年季の入った本棚を拭いているとはどういうことだ。
「私は、推薦がもらえるからいいの……多分」
そのことを尋ねてみると、姉が振り返りもせずに事もなげに言った。最後に、怪しい言葉が聞こえた気がしたけれど。大学に入れなかったらどうするつもりなんだろう。
「はいはい、手を動かしてね」
姉にうながされて、啓介は再び畳の拭き掃除を再開する。広大な屋敷の掃除は、どこまでいっても終わりそうにない。啓介は右手をあげて額の汗をぬぐうと、もくもくと作業を進めた。
「ここが終わったら一休みして、アイスでも食べませんか?」
そんな夏音の一言に俄然やる気を出し、啓介は一層畳を拭く手に力を込めた。夏音はと言うと、さきほどから台所と啓介たちが掃除している部屋、そして彼女の母親の部屋を行ったり来たりしている。
「お母さんのご様子はどう?」
姉が手を止めて、やってきたばかりの夏音に目を向けた。夏音は少し顔を曇らせると、
「動けない状態です……寝返りもうてなくて。ご飯も要らないって言われちゃいました」
「何かお手伝いできること、あるかな?」
「いえ、とんでもないです!」
夏音は顔の前で両手を大きく振った。
「ただの夏バテとぎっくり腰なので! しばらく安静にしていればよくなりますよ」
「……そう」
具合が悪いとは聞いていたが、まさかぎっくり腰だとは。不治の病なんかを連想していた啓介は、少し肩の力を抜いた。心なしか、姉も気の抜けたような顔をしている。
夏音はそんな空気を敏感に察したのか、あ、それ! と大声を上げると、掃除のために脇に積み上げていた本の一つを抜き出した。
「これ、アルバムじゃないですかね!」
……ただ単に、空気が読めていないだけかもしれない。
夏音は瞳を輝かせると、埃っぽいアルバムを机の上に載せた。赤いアルバムだ。古びているせいか、変色してくすんだ赤色になっている。血の色みたいだ、と啓介は唐突に思った。
夏音は分厚いアルバムを慎重に開く。姉も興味津々なのか、夏音の手元をのぞきこんだ。姉ちゃんがさぼるならいいだろう。啓介も雑巾を畳に放置すると、夏音の傍らに膝をつく。
「これ、夏音ちゃん? かわいい!」
七五三の写真のようだった。千歳飴をしゃぶっている夏音を中央に、スーツ姿の男性と着飾った女性がそれぞれ彼女の肩に手をのせ、微笑んでいる。
だが写真の人物とは対照的に、夏音は眉をひそめてうーん、とうなった。
「ちっとも記憶がない……」
「ちっちゃい頃の記憶ってなかなか残ってないからね」
姉が心得たようにすかさずうなずいた。
「いいね、こんなかっこいいお父さんと美人のお母さんで。素敵なご家族だってのが伝わってくる」
「いえ、そうじゃないんですよ」
夏音は顔をしかめたまま首を横に振った。
「またまた。美男美女の子どもだってとこ、否定しなくても――」
「違うんです。その人たち、私の両親じゃないんです」
さっきまでにこやかに笑っていた姉はさっと顔色を変えると、鋭い目で夏音を見た。夏音は写真を食い入るように見ながら、静かに呟く。
「まったく知らない人たちなんです……このアルバムのどこにも、両親が写っていないんです。いるのはこの二人の男女ばかりで」
姉と夏音は難しい顔をしてアルバムを見つめたが、啓介には思い当たる節があった。
音。
もしかしたら啓介はカラオケの少女に関する情報を、つかもうとしているのかもしれない。