十二
啓介は所在なくうろついていた。行くべき場所がないのだから仕方ない。家にはまだ戻りたくないし、かと言って他にでかけるべき場所もない。いかに今までの行動範囲が狭かったかを、啓介は思い返してなげいた。
亡者のように街をさまよっていた彼は、気づけばさっき出てきたカラオケ店の前にいた。どうしてこんなところにいるんだろう。開け放してあるカラオケ屋の扉の前で涼みながら、啓介は不思議に思った。来るつもりなど、まったくなかったのに。
俺は入らないぞ。
そう決心しているのに、啓介の足は勝手に店内に立ち入っていた。
「いらっしゃいませ」
いつもの女性店員が頭を下げ、怪訝そうに啓介を見た。一日の内に二回も来店した客をいぶかしんでいるんだろう。
「なにかお忘れ物でも……?」
「い、いえ別に、何もないんですけど。足のおもむくまま、来ちゃった、みたいな」
ははは、と愛想笑いを浮かべてみせると、彼女は首をかくんと右側に倒して、そうですか、と呟いた。
「もう一回歌っていかれますか?」
レジスターに手をのばすと啓介に尋ねる。カラオケ屋に来たのだから当然のことだろう。だが、啓介はここまで来てもまだ何も考えていなかった。彼にとって歌うことと音に会うことは同義だった。
「あーっと……ど、どうしようかな……。ご、五○三号室って空いてますかね?」
「五○三ですね。今は空いて――」
彼女は少し言葉を途切れさせると、ちらりと啓介のほうに目を上げた。そんなに挙動不審だっただろうか。
「すみません、現在は他のお客さまがいらっしゃって。他のお部屋なら……喫煙ルームなら空いているんですが」
「あ、それでお願いします」
啓介はほっとしたような表情でうなずいた。音に会おうか会うまいか、心の中で葛藤していたが、その必要もなくなったのだ。音が五○三の部屋にしか現れないという仮説が正しければ。
「それでは、二一○のお部屋ですね。お時間は――いつもと同じですか?」
「はい、お願いします」
女性もほっとしたように頬をゆるめると、小さなクリップボードを差し出した。
「ごゆっくり」
啓介は階段に向かって歩き出した。