第一章 結婚式と出会い(知)
「失礼します。お飲物いかがですか?」
とても高級そうなスーツを纏った男性が俺に話しかけてきた。
高級そうなのはそのはず。ここは結婚式場だ。
今日は妹の結婚式だった。
「コーヒーを頂けますか?」
俺は日本人らしく疑問系で返事をした。
男性は手際よくコーヒーを用意すると、どうぞ、と俺の前にコーヒーを置いた。
周りでは叔父やら叔母やらの親戚が、くだらない話で盛り上がっていた。
「そのネクタイいいんねぇ。」
叔父Aが叔父Bにお世辞ともとれる褒め言葉を投げかけた。
投げかけられた叔父Bも満更ではない。
俺はコーヒーを飲みながら、お世辞にも良いとは言えないピンクのネクタイを流し見た。
この空気、気持ち悪い。
俺は一口飲んだコーヒーを受け皿に置くと、親族控え室を出て喫煙所の椅子に一人腰掛けた。
元々親戚関係が疎遠な家系に加えて、俺の社交性の無さが、俺を社交の場に居させることを拒んだ。
だいたい俺は親戚だけでは無く、弟妹関係も疎遠だ。
同じ屋根の下にいながら、妹ともう何年会話をしていないのか分からない。
全く持ってここにいる意味が分からない。
他人にも近い人間の結婚式に来てしまったことに、心から後悔していた。
「やっぱりこない方が良かった…。」
俺は溜息混じりに呟くと、目の前の灰皿に目をやった。
胸ポケットには最近吸い始めた煙草。
負の感情に満ちている時、俺は煙草を吸う癖があった。
俺は胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、箱からメンソール使用の煙草を一本取り出した。
煙草を吸う人なら知っているだろうが、メンソール使用の煙草のくわえる部分には小さなボールが埋め込まれている。
そのボールを潰すとメンソールの香りが効くようになる。
俺は慣れた手つきでそのボールを指で潰すと、煙草をくわえ火を付けた。
息を吸い吐くと、スーっとしたメンソールの香りが喉元を通り過ぎた。
煙草はいい。吸っている間は何も考えずにすむ。
面倒な親戚との絡みだとか。何で俺がこんなリア充な儀式に出なきゃいけないのかとか。
そんなことを考えなくてすむのだが、所詮その場凌ぎ。
吸い終わる頃には現実逃避も終わる。
はぁ…。
俺は煙草の火を消すと、大きく一つ溜息を付いた。
そしてまた箱から煙草を出すと、再びボールを潰そうとした。
「ねぇ。」
隣から聞こえた女性の声で、ボールを潰そうとしていた手が止まった。
俺は真横から聞こえたその声に驚き、声の主を確認しようと左を向いた。
右手に煙草を持つ綺麗な女性がそこにいた。
「潰してくれない?」
彼女は堂々とたたずみ、俺にぼろぼろになった煙草の口部分を差し出した。
左手を見ると俺と同じ銘柄の煙草の箱。
どうやらメンソールのボールをうまく潰せないでいたらしい。
煙草を無心で吸っていた俺は、彼女がボール潰しに苦戦していた事など、全く気付いていなかった。
俺は無愛想に差し出された煙草を受け取ると、ぼろぼろで明らかに吸えなくなっている口部分を見つめた。
そしてそれを真っ二つに折って灰皿に捨てた。
彼女の、あ!っと言う声が喫煙所内に響きわたった。
俺は彼女の予想外の声量に驚いたが、慌てず自分の持っていた煙草のボールを潰して彼女に差し出した。
「こんなぼろぼろじゃ吸えないだろ。」
俺は灰皿にある折れた煙草を指して言った。
彼女は戸惑いながらも、ありがとう、と言って俺から煙草を受け取った。
俺と彼女は煙草に火を付けると、しばらくの沈黙が流れた。
「ダルいね。」
彼女が言った一言に俺は驚いた。
俺が言いたくても言えなかった言葉を、彼女は軽々と口にした。
俺の考えを分かってか、それとも空気の読めない奴なのか。
何れにせよ非常識な人だ。
妹の結婚式なのに憂鬱な気分になっているのは常識的かと言われると、それも疑問だが。
そんな非常識に共鳴してしまったのか、俺は思わず、ああ、と返事をしてしまった。
気持ちを隠していたつもりの俺は、思わず漏らしてしまった同意に、自身で驚いてしまった。
はっとして彼女の方を見ると、彼女は満面の笑みでこちらを見ていた。
そして彼女はその顔を維持したまま、再び俺に近付いてきた。
「2人で抜けちゃおうか。」
彼女の言葉に耳を疑った。
お世辞にも顔立ちのいいとはいえない俺は、生まれて初めて逆ナンを受けた。
一瞬の喜びの後に、俺は我に返った。
疎遠とはいえ、流石に新婦の兄が式場を抜け出し、見知らぬ女性と遊ぶなどあり得ない。
俺はその旨を彼女に伝えると、彼女はくすくすと楽しそうに笑った。
「何も本当に抜け出すって訳じゃないよ。」
彼女はそう言うとケータイを取り出し、その画面を俺に見せてきた。
“妄想日記”
如何にも怪しげなサイトが、そこには表示されていた。
これが俺と彼女と“妄想日記”との出会い。
そして全ての現況。
悲劇の始まりだった。