勇者の帰る場所
目の前に立っていた〝魔王〟は倒れ、大きな地響きを鳴らす。数度体を痙攣させてから完全に動かなくなった魔王は、やがて指先や爪先から砂となり、巨大な体は視界から消え失せた。その時になって、彼・大地 誠は手にした勝利を実感し、雄たけびを上げる。やっと、やっと〝帰れる〟のだ、と。
大地 誠は日本人だ。夏休みが始まり、時間を気にせず好きなゲームに打込めると思ったその日、気付けば何故かゲームの中に居た──いや、ゲームの中と似たような世界と言った方が正しいだろうか。ゲームのキャラと違い、話しかけても同じ答えが返って来ると言う事はないので、似たような世界だと判断したまでだ。
昔も、このゲームをプレイ中に意識を失った事があった(その時はゲームのやり過ぎではないか? と言う医師の判断だが、記憶がなくなるまでのプレイはした覚えがない)が、その時とは違って起動させた瞬間にこの世界に居た。故にプレイ中に意識を失い、今迄の苦労はただの夢である、と言う事はない。
シナリオ内容は変わらず、映像やサブイベントを増やし、魔法や技も少し増やしてリメイクされたゲーム。やり込んでいたからこそ、誠はシナリオを全て把握しており、魔王までのルートは情報がなくともスムーズに攻略出来た。その代わり、レベル上げが大変だったが。
職業を色々と変えて技を身に付け、血反吐を吐くような戦闘に耐えた日々が、魔王を倒した事でやっと報われる。魔王を倒して王都に戻り国王に報告するとエンディングだ。エンディングを迎えれば、日本に帰れるだろう。魔王を倒した証拠に、〝魔王の剣〟と〝魔王の指輪〟を拾い、持っていた回復薬で回復してから外に出て、呪文で王都へと戻る。
魔王との決戦の少し前から空は闇に覆われて太陽が隠れていたが、今は青い空に白い雲が浮かび、太陽は世界を照らしている。王都に1歩足を踏み入れれば、人々が笑い、喜びの涙を流し、魔王が倒された事に歓喜している。酒場の前を通れば、魔王を倒した勇者(誠だとは気付いていないようだ)を褒め称え、昼間から酒を飲んでいた。
この世界もあと少しでお別れだ。初めてこの世界に足を踏み入れてからの事を思い出し、感慨に耽る誠。早く帰って、母さんの作った飯を食べたい。父さんの下らない洒落にも、今なら笑ってあげられるだろう。弟の我侭も、嫌な顔ひとつせずに聞いてやれそうだ。
城門を守る騎士に声を掛けてから城に入り、王の待つ謁見の間へと向かう。王に魔王を倒しに行くと宣言し、魔王を倒したら直ぐに会いに来いと言われていたので、予約をせずに謁見が出来るのだ。長い廊下を歩き、階段を上って、大きな扉の前に立つ。ここが謁見の間。
謁見の間の前に居る騎士に魔王を倒して来たと告げ、彼等が中で控えている騎士へと伝言を頼み、中の騎士が王へ報告をして、王が誠の入室を許可、中の騎士から外の騎士に許可が出た事を告げ、やっときらびやかな謁見の間へと入る事が出来る。その間少し待たされるが、もう2度と彼等に会う事はなくなるので、少し位の待ち時間は気にならない。
扉が開き、誠は中に入ると玉座の数メートル手前で膝を突く。王が声を掛けるまで顔を上げる事も口を開く事も許されないのは、この世界にて得た知識。暫くしてから王が誠に魔王を倒して来た事実は本当かと尋ね、証拠として持って来た剣と指輪を、自分の前に出して見せた。
騎士団長がそれを取り、鑑定人に渡して魔法で鑑定。確かに魔王の物であると鑑定人が証言し、謁見の間がわっと沸いた。空の様子で魔王を倒した事がわかっても、実際証拠となる剣と指輪を見るまで安心出来なかったのだろう。
王は直ぐに魔王が敗れた事、魔王を倒したのは〝ダイチ マコト〟だと言う事、証拠として魔王の剣と指輪を持って来た事、彼を勇者として認める事を、御触れとして出すよう命令。王の命令により、皆が直ぐに動き出す。直ぐにでも、国中に知らされるだろう。今宵は宴だ、勇者・誠のお披露目だと喜ぶ王を見て、誠の顔にも笑みが零れる。
あのゲームのエンディングは、王が『勇者~のお披露目だ』と言い、画面に紙吹雪が待ってエンディングになるのだ。紙吹雪は用意されていないだろうから、これでこの世界は終了となり、日本に帰る事が出来るだろう。ゲームをプレイしていた誠は、根拠のない漠然としたそれを、信じていた。自分の思い込みであったとしても。
一瞬にして世界が静まり返り、フルカラーの世界はモノクロへと染まる。カラーで存在しているのは誠だけ。慌てて回りを見ると、時間が止まったように動かない人々。王も大口を開けて笑い、微動だにしない。王妃も喜びの涙を拭った姿のまま。
「な……何が、何が起こったんだ!?」
「勇者・誠」
「っ!?」
背後から掛けられた声に、誠は慌てて振り返る。腰にあった剣に手を伸ばし、声を掛けて来た人物を警戒しつつ観察すると、どこかで見た記憶のある女性の姿。見た事はあっても、話した事もなければ〝会った〟事もない。しかし、誠は彼女を知っている。
「あんた、誰だ」
「私はこの世界の神・メイリーン」
女性は神・メイリーンと名乗り、誠は気付く。見たのは教会の天井近くにある、大きなステンドグラス。長い金の髪に、銀の瞳を持ち、何枚も重ねたような薄手の服を着た女性。見た事があっても、会った事がないのは当たり前だ。
「魔王を倒したお祝いに、俺を日本に帰しに来てくれたのか?」
「いいえ。やっと〝戻って来た〟貴方に、会いに来たのです」
「……戻って……来た?」
嫌な予感がする。これ以上メイリーンの言葉を聞いていたら、今迄の自分が無くなってしまいそうな、自我が崩壊してしまいそうな、そんな予感が。だが聞きたくないと言う誠の心に反し、メイリーンは微笑みを称えながら、誠に語り掛けた。戻って来たと言う、意味を。
数年前、未来の勇者だと言われていた少年は、全く違う人間になっていた。自分を〝ダイチ マコト〟だと言い、ここが自分の生きた世界ではない、呼ばれる名は自分の物ではない、この体も自分の物ではない、両親ですらも自分の両親ではないと言い出した。
息子の突然の変化に困り果てた両親は、教会に息子を連れて行った。少年はいずれ勇者になるだろうと、神託を受けた教会に。神託を受け取った大司祭は、少年の姿を見て言った。『これは別人だ』と。入れ物は少年であっても、魂が少年の物ではない。故に、彼は勇者に成る事は出来ないし、成らないだろう、と。
少年の変化の理由がわからず、両親も教会の者達も困り果てた。魔王を倒すべき勇者が、消えてしまったのだから。勇者である魂が戻るかも知れないと言う希望を持ち、少年は両親と共に帰らず、そのまま教会で暮らす事となった。そして十年近い年月が経ち、なんの変化も見られない彼に対して教会は勇者はもう戻らないだろうと結論を出す。青年となった少年は冒険者として生計を立てるべく出発し──。
「そして、あの時と同じく、突然貴方は戻りました」
「う、そだ……」
「勇者・誠──いえ、勇者・クリストファー」
「っ!!」
クリストファー。その名は、ゲームをプレイする際に誠がよく使っていた名前。文字数が5文字以内の場合はクリスと短くしていたが、長い名前を付ける事が出来る時には、クリストファーと名付けていた。ネットで使うHNもクリストファー。
確かに誠は数年前にゲームをプレイ中、気を失って倒れた。倒れた後、目覚めた時には記憶を失っていた。言葉は話す事が出来ても、文字もわからず、両親や弟の顔もわからず、何一つとして思い出す事が出来なかった。故に、彼は1年程留年している。平仮名も片仮名も、全く思い出せなかった故に。
ゲーム中に倒れたと言う事で、その後ゲームに触れる事を両親は嫌がったが、その後でプレイしても全く異常はなく、当時医者の診断はゲームではないかと言う事だったが、数年後には別の理由があったのだろう、と言う事となった。
「……つまり、俺は本当はクリストファーで……マコトと……入れ替わった……?」
「恐らく、そうなのでしょう」
リメイク前、誠がゲームプレイ中に何らかの原因でクリストファーと魂が入れ替わってしまった。誠は記憶を失う事なくクリストファーの体で〝マコト〟として数年過ごし、クリストファーは記憶を失ったが故に〝誠〟として生きた。本来のクリストファーの魂が体に戻れたのは、リメイク作品をプレイしようとしたからだろう。
リメイク前の作品をやり込んでも戻らなかった理由はわからないが、リメイク後の作品をプレイしようとした瞬間に戻れたのは、何万分、何億分の1の確立と言える。原因は神にもわからないが、彼女は奇跡だと言った。
「父さんも、母さんも、弟も……本当の家族ではなかった……?」
「貴方の両親は、貴方の存在が消えてしまった数年後、魔王の手下によって私の下へ送られて来ました」
「神の下? それって殺された、って事か……?」
痛ましい者を見るような目でメイリーンは誠を見、視線を反らす。答えなど口にしなくても、それだけで十分魔王の手下によって殺されたと言う肯定になっていた。死した者は神の下へと送られると言う、この世界の教典に載っている通りの意味で取るならば。
魔王を倒せば日本に戻れると思っていた希望は、打ち砕かれる。既にクリストファーの中に居たマコトは、誠として日本に戻ったのだろう。今更だとしても、彼には数年振りの家族との再会。高校生活に戻るのは難しいだろうが、数年掛ければ最低限の知識は得られる筈。
彼が日本に戻れば、クリストファーとして生きる事を余儀なくされたマコトが、再びクリストファーに戻るだろう。恐らくマコトは嫌がる筈だ。彼にしてみれば、生き別れとなった両親や弟と再会し、生まれた地で再び生きるのはずっと願い続けた事だろう。
だが誠は日本に居る家族の元に戻ると言う事を前提にして、魔王を倒した。そうじゃないと、幾ら好きなゲームとは言え、魔王と戦おうなどと思わない。しかしその家族は誠の家族ではなく、マコトの家族。メイリーンは誠にクリストファーに戻れと言う。
「……俺は、日本に帰りたい……」
「貴方の魂は、既に貴方の体に定着しています。もう2度と、マコトの体に戻る事はないでしょう」
「何も、ないのに……。家族も、いないのに……」
「何もない事はないのです。貴方には勇者としての称号と、輝かしい未来がある。勇者・クリストファー。これから先は貴方の物語。私はいつでも貴方を見守っていますよ」
去り際とも取れるセリフに、誠は慌ててメイリーンを見る。ステンドグラスと同じ笑みを称え、彼女は祈りを捧げると眩い光が辺りを覆いつくし、眩しさから誠は目を閉じた。次に目を開いた時にはメイリーンの姿はなく、自分とメイリーン以外にモノクロだった世界がカラーに戻っている。
人々のざわめきが、笑い声が、時間が戻り、耳に入るのは〝勇者・誠=大地〟の名ではなく、〝勇者・クリストファー=フォルトナー〟の名。メイリーンの力によって、大地 誠から書き換えられたのだろう。王は、今宵の宴までゆっくり休めと誠に客室を与え、各国に勇者・クリストファーの功績を知らせる為に手紙を書きに謁見の間を後にする。
勇者を客室へと案内するよう言付かったメイドが勇者に近づくと、視線も心もここにあらず、魔王を倒したと言う喜びよりも、何か大きな物を失ってしまったような瞳で、どこかを見詰めて涙を流す勇者・クリストファーの姿があった。
勇者になる筈の少年が、ゲームプレイ中の少年に成り代わって、記憶喪失故に知らずに過ごし、リメイクされたゲームをプレイしたら自分の世界に戻って、日本に戻れなくてガッカリな話を書いてみたくなりました。
トリップ当時は双方7、8歳くらいかなーと。
ここから勇者に惚れた姫やメイドや貴族令嬢達のアタックが始まると思うのですが、傷付いている勇者は立ち寄った教会で出会った素朴女性と恋をして、幸せな大家族を作ればよいと思います。