青い海
北の海岸へ向かう道は、冷たく重い冬の風に包まれていた。首都を出て三日、馬の蹄が踏みしめる泥は粘つき、沈むように足を取った。遠くに見える海は、かつて見たどんな青とも違っていた。鈍く青白く光り、波は不自然な静けさの中で揺れている。そこに生きる魚の姿はなく、波間に浮かぶ紋様は人の目を欺く悪戯のようだった。
村に入ると、私を迎えたのは風と、異様に静かな人々の気配だった。男たちは皮膚を化学の毒で焼かれ、爪は割れ、手は荒れていた。彼らは黙って網を担ぎ、青い海へと歩を進める。女たちはうつむき、子どもたちは浜辺で青く光る貝殻を拾った。貝殻はかすかに熱を持ち、呪符の匂いがした。
老婆が杖を突きながら近づいた。
「この海は人を呼ぶ。呼ばれた者は帰らぬ。青い波の底へと」
彼女の声は呟くように弱く、それでいて村の不変の真実を告げていた。私は深く礼をして、記録を始めた。
夜は海がさらに深くなる時間だ。月光が薄く波に遮られ、浜は影に覆われる。静かな黒い鏡のような海面を見つめていると、やがて底から青白い光がちらちらと揺れ、やがてそれは無数の手のような影となって伸びていった。
私は足を竦ませ、息を殺す。潮の香りが薬品の匂いと混じり、まるで死が潮騒に混じっているようだった。
翌日、漁師の一人が夜に舟を出し、戻らなかった。村は誰もそれについて口を開かず、まるで失踪者がすでに海の一部であるかのようだった。
私もまた、毎夜浜を歩いた。海の声が聞こえる気がした。遠くからは「おいで」という囁きが風に乗り、波の奥底からは、囁く者たちの無数の眼が光っているように思えた。
漁師たちは明け方に黙々と網を引いた。魚は取れない。それでも手を止めない。彼らの手は、青白く光る海底の影を忘れようとしているのかもしれなかった。
私は帳簿に記す。
「この海は、かつての豊穣を捨て去り、魔法と化学の瘴気が満ちている。だが、それでも人は海と向き合い、終わりの見えぬ漁を続ける」
帰りの道すがら、私は何度も振り返った。海は静かに、青い手をこちらに伸ばし続けていた。
それはまるで、忘れられた呪紋の残滓が、この世の外縁で生きているかのように。