6、影の王
地下に広がる広い空間。その奥にある椅子に座る一人の青年と、彼に跪く大勢の人々。彼らは皆黒いローブを羽織っていて、青年も黒い上着を着ている。集まった黒が海のように広がるその空間で、青年が静寂を破り口を開く。
「まさか、黒曜石がやられそうになるとは……」
冷たい声で言いながら、冷ややかな瞳で足元に倒れている黒曜石と名乗る彼を見下す。
青年が彼に手をかざすと、彼の体から黒いモヤが溢れ出した。それが青年の手に吸い込まれていく。やがて黒いモヤが止むと、青年は彼から手を離し、その手を握って言った。
「処分しておけ」
氷のような声と共に温度が下がったように感じられて、跪いていた人々に緊張が走った。
彼の命を遂行できなければ、自分たちもこうなるのだと。分け与えられた力を回収され、不要になった自分たちの体は処分されてしまうのだと。
それを今、見せつけられた彼らは背筋が凍り、緊張に冷や汗が滲んだ。
「相談所……か。今回黒曜石を倒したのは、新入りだったか」
「はい。そうです」
青年の独り言のような問いかけに、最前列に跪く二人のうちの一人が、僅かに顔を上げて返した。
彼は戦いの最中、ずっと影からその様子を監視し、最後に黒曜石を地下に引き込んだ人物だ。
その答えを聞くと、青年は椅子から立ち上がり、外へ続く階段の方へ歩いていく。跪いていた人々は彼の通る道を開けるために引いていく。
「どこに行くのですか?」
最前列に跪く、さっきとは別のもう一人が青年に尋ねた。
「決まっているだろう。黒曜石を倒した新入りとやらの顔を拝みに、だ」
「おし!頑張るぞ!」
相談所の中、所長の机の前に立った俺は、そう言いながら拳を握る。
昨日、頼まれたおつかいの途中で敵に遭遇し、火花と協力して倒すも逃げられてしまった俺は、一度は自信をなくしたが、その後の火花の言葉で再びやる気を取り戻した。
それから今日、所長はもう一度おつかいのチャンスをくれた。昨日のおつかいの目的だった夕飯の材料は結局所長本人に買ってきてもらうことになってしまったが、今日また夕飯の材料を買ってきてほしいと、昨日と同じ条件で頼んでくれた。
「本当に一人で平気ですか?」と心配そうな顔で尋ねてくる所長に力強く頷いて、俺は相談所の出口の方へ向かう。
「じゃあ……」
「れ、玲!ちょっと待て!こっちに来い!」
外に出ようとした俺を火花が慌てて呼び止めた。
何のようだともう一度中の方に戻ると、火花が食い入るようにテレビを見つめている。
それを見た俺も、同じく驚いた。
「なっ……」
俺は言葉を失って呆然とテレビを見た。
そのテレビに映るニュースでは、なんと、昨日逃したあの男が逮捕されたことが報じられていた。どうやら入ってきたばかりの速報のニュースのようで、犯人は捕まったばかりのようだ。一体何があったのだろうか。
「意識不明の状態で発見され……」などと言われているが俺はますます訳が分からなくなり思わず首を傾げる。
「一体どういうことなんだ……?」
「さあ……、アタシにもサッパリだ」
俺と火花が二人で首を傾げている間、所長は後ろで静かに、顎に手を当てて考え込んでいた。
ニュースが次の話に移ると、俺はもう一度出口に向かう。
「じゃあ今度こそ、いってきます」
「いってらっしゃい。お願いしますね」
「ファイトー」
火花と所長の見送りを受けて、俺は外に出る。
さっきのニュース、一体どういうことなんだ……?俺たちに代わって別の人物が彼を捕まえた……とか?いや、でも彼は影に連れて行かれていたじゃないか。いや、その後に……?
しばらくの間俺は突っ立ってそんなことを考えていたが、やがてそれをやめ、歩き始めた。
少なくとも今は、それを考えていても埒が明かない。それより俺はおつかいの任を遂行しなければ。高校生にもなっておつかいの一つもろくにできないなんて恥ずかしい。もう一度所長が与えてくれたこのチャンスを、逃すわけにはいかない!
道は大体覚えている。きっと今回こそスーパーまで辿り着けるはずだ。
……敵にさえ遭遇しなければ!
俺は辺りを警戒しながら歩いていき、そして、昨日の路地裏の前まで辿り着いた。
そこで、俺はこう思う。
……俺、この先知らない。
昨日火花と来たのはここまでだ。ここを通れば近道とは言っていたが、ここを通ればゴールとは言っていない。
いや、落ち着け。スマホだ。マップを見れば……。
俺は肩にかけていたバックの中を漁る。中に入っているのは、所長にもらったお金の入っている財布、買い物リスト、エコバッグと……。
……スマホがない。
最悪だ。置いてきてしまったのか。今時スマホがないと何もできないのに!
スーパーが案外見える位置にないものかと辺りを見回してみたが、周りの建物が高いせいでそれらしいものは見当たらない。
一度引き返すか、路地裏に入ってみるか、それとも周りを歩いてみるか。
うーん……とその場で悩んでいると、ふと誰かが俺に声をかけてきた。
「大丈夫?」
突然声をかけられてビクッと肩を揺らした俺は、顔を上げて声の方を見る。
そこには、優しそうな笑みを浮かべた青年が立っていた。
黒いフード付きのパーカーを着ていて、長めの前髪が印象的な黒い髪をしていた。それでも根暗な感じがあまりしないのは、彼の顔立ちが整っているからだろうか。
「じ、実は……、道に迷っていて……」
敵との遭遇を警戒していた俺は、彼に対しても少し警戒しつつ、しかし彼の優しそうな笑みに絆されそれを打ち明ける。
「どこに行きたいの?」
「スーパーです。おつかいを頼まれたんですが、場所が分からなくて……」
「分からないのに引き受けちゃったの?」
相手が笑う。確かに笑われるような間抜けさだなと自分でも思って少し落ち込んだ。
しかし彼はそれを気に留めず、優しく言った。
「そうだな……。口で説明するのも難しいし、付いてきてもらえる?案内するよ。近くのスーパーでいいんだよね?」
「あ、ありがとうございます!」
俺は顔を輝かせてお礼を言う。親切な人でよかった。そう思いながら俺は彼の後ろをついて行こうとしたが、路地裏に入っていく彼を見て立ち止まる。
昨日のこともあって、できれば路地裏は避けたかった。
「あ、あのーー」
引き止めようと口を開きながら路地裏に足を踏み込んだ瞬間、俺は影へと引き摺り込まれた。
ギリギリで掴んだ建物に取り付けられている水道管のおかげで、なんとか影に引き摺り込まれずに済んだ。そのまま体を一回転させて、引き摺り込まれかけた影から離れた場所に着地する。
敵か!?そうだ、さっきの人は……。
「すてきなブローチだね」
「!?」
首元にヒヤリとした感触。耳元で誰かが、俺の胸元についているブローチを褒める。
この声は……。
背後に回った敵は、俺の首元にナイフを当てている。俺は焦る。ピンチだ。動けば殺されるかもしれないし、逆に動かなくてもこのまま殺されてしまうかもしれない。息が上がり、冷や汗が滲む。
「落ち着いて」
背後の敵が囁く。
「……お前は誰だ」
できる限り息を整えながら、なんとか声を絞り出して俺は後ろに尋ねる。
敵が俺から離れ、俺は振り返る。
敵は先ほどの青年だった。
「俺は久世瑞貴。影の使い手だ」
久世瑞貴……。影の使い手……。
俺はその名前をしっかりと覚えていた。影の組織の頂点に立つ者。真の影の使い手。
彼が……。
彼の言葉に偽りがないことは、彼の首元のチョーカーについた、陰陽マークのような飾りが証明している。影が広がるこの路地裏でも、あの飾りは僅かに煌めいている気がした。
昨日の彼を思い出す。何人もの人を殺した極悪犯で、目の前にいる彼はその彼が仕えていた存在だ。
強い怒りが湧いてくる。体が熱くなる。それでも、体は動かなかった。
無理だ。勝てるわけがない。
彼は、昨日火花と二人でようやく倒せた相手の、さらに上にいる存在だ。
勝てるはずがない。少なくとも俺一人では、絶対に勝てない。それならもうーー
俺は路地裏の出口に向かって走り出す。相談所の誰かを呼ばないと。一人で立ち向かうのは危険だ。
「逃げるのか」
背後から青年の声がしたが、構っている余裕はない。
俺は路地裏から飛び出そうとしたが、その行く手は阻まれた。俺は思わず足を止める。
路地裏の出口を、地面から現れた黒い龍が塞ぐ。
これが、影の力……?今まで見てきたものと、全然違う。あいつらは、影に潜ることしかできなかったのに……。
堂々たる気迫を持つ龍を見つめながら、俺は絶望してその場に崩れ落ちる。
影の組織は力を分け与えられた者たちで構成された組織だと、昨日のやつが言っていた。力を分け与えれば当然、自分の力は減ってしまうはずだ。
力を分け与えて尚、こんなにも強いなんて……。
近づいてきた敵を振り返りながら、俺は思った。
「諦めるか?」
冷ややかな目で俺を見下ろしながら、青年が問いかける。
「ああ……」
その答えを聞いた彼が黒い龍を消す。油断して生じた隙を目掛けて、俺はすかさず火の玉を打った。
僅かに目を見開いた彼は攻撃を交わしたが、攻撃は彼のパーカーの袖を少しだけ掠った。それを驚いたというように、青年はその跡を見つめる。
立ち上がった俺は自分に言い聞かせるように叫ぶ。
「諦めたい!逃げたい!それでも俺は、戦わなくちゃいけない!」
約束したんだ。火花と。戦い続けるって。
だから俺は、諦めるわけには行かない!
「はあぁぁっ!!」
俺は作り出した巨大な火の玉を、彼目掛けて思い切り投げつけた。
……当たったか?
大量に炎を生み出したせいで、意識が朦朧として立っていられなくなる。俺は地面に手をついて倒れ込む。
「ーー残念だったな」
上から降りかかる声。
攻撃、当たらなかったか。
もうこれ以上動けない。負けだ。
これから下されるであろう命を奪う一撃に目をきつく瞑っていたが、青年は手を下さず話しかけてくる。
「元々俺は、お前を殺すつもりはない。だがそうだな……、お前の力は悪くない。俺の手駒にしてやろう」
周りの影が濃くなり、体が影に飲み込まれていく。
嫌だ。悪になんてなりたくない。諦めたくない。
諦めたくーー
(嫌な予感がする)
相談所の部屋の一角にある所長机に座る彼は、ふとそう感じた。
気のせいだろうか。いつもと何も変わらない相談所の風景を見て考える。基本依頼が入っていて誰かが欠ける事の多い部屋だ。今日も部屋には一人足りないが、その彼に頼んだことは何も難しいことではない。
それなのに収まらない胸騒ぎ。そんな彼に、火花が声をかけてきた。
「……あ、ねえ所長。玲、スマホ忘れてったみたい」
思わずガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。
「玲、スーパーの位置分かるかな?前回は結局辿り着いてないんだよね?」
澪が心配そうな顔でそう言った。そんな中彼は心の中で、この心配はもしかしたら当たっているのかもしれない、と思った。
悩んだ末に、彼は力を使うことを決めた。
首にかけた時計を無意識のうちに握りしめる。彼は、時の使い手だった。この時計は、その証だ。
そして、時の使い手である彼の能力は、時を止めることができる。
「みんな」
部屋にいる三人に、声をかける。三人はそれぞれこちらを向き、そして、いつもとは違う様子に何かを察したようだった。
「力を使おうと思う」
そう言うと、三人は思わず身構える。それはそうだろう。今から時が止まるのだ。何も害がないと分かっていても、少し不安になるのも無理はない。
彼は相談所の扉をあらかじめ開いておく。澪は読んでいた本を置き、お菓子を食べていた雄大やゲームをしていた火花も手を止める。
それを見てから、合図するようにコクリと頷いた後、彼は指を鳴らす。
すると、次の瞬間彼の目に映るのは、色の無い、白と黒のモノクロの世界になる。
部屋にいる三人も、ピクリとも動かず、瞬きもしない。静止した世界に、彼は一人になる。
(やっぱり、この空間は嫌いだ)
そう思いながら、彼は開いたドアを出て走り出す。色の無い、不気味な世界を。
向かった先は、スーパーに行く際に通る近道の路地裏。
案の定、そこでは激しい戦いが繰り広げられていたことが窺える現場で、玲が影に連れ去られる寸前だった。
彼の予感は当たっていた。あともう少し判断が遅ければ、玲は危なかっただろう。間に合ったことに、安堵のため息が漏れた。
彼は敵を見やる。手をかざして影を操る青年を。
(はぁ……。こんなに立派になっちゃって)
懐かしさが込み上げてくるが、その感情は胸にしまい、玲の手首を掴む。そして、もう一方の手で、この静止した時間に再び時を流すため、指を鳴らした。
ーーない!
もう一度、何らかの方法で反撃しようと伸ばしていた俺の手首を、誰かが掴んでいた。その手が俺を影から引っ張り上げてくれたことで、俺は影に飲み込まれずに済む。
さっきまで誰もいなかったのに……。一体誰が……。
そう思いながら振り返ると、そこにいたのは、
「所長!?」
「無事でよかった」
優しく微笑む彼に、俺は唖然とした顔をする。
「な、なんでここに?」
俺が所長に尋ねると、彼は首にかけている時計を見せてきた。
「私は時の使い手で、時を止めることができるんです」
そう言った彼を、俺はまたしても唖然とした顔で見るしかなかった。時を止めるなんて、そんなの、反則級に強いじゃないか。
驚きや尊敬の混ざった目で、俺は所長を見上げる。
「まあそんなわけで、君はおそらく勝てないだろうけど、どうする?」
いつもと違って敬語の抜けた話し方で青年に尋ねる所長に、彼はため息をついた。
そして、最後に俺を睨んで、彼は影に消えていった。
その顔が、羨ましがるような、そんな顔に見えたのは、俺の気のせいだろうか。
「またダメだった……」
力を使いすぎて動けなくなってしまった俺は、所長に運ばれて帰ってきた相談所でがっくりと項垂れる。
またおつかいに失敗した。なぜだ?俺おつかいに嫌われてる……?それともスーパーが俺を嫌いなのか……?
澪の力で癒してもらい、ついでに慰めるようにポンポンと背中を叩かれた俺は、外も暗くなってきているためそろそろ帰らなくてはならない。
「玲はおつかいの才能はないみたいですけど、きっとまた別の才能があるはずですから。気を落とさないでください」
そんな所長のフォローなんだろうけど、なんとなく傷つく言葉に、俺はため息をつく。
「はあ……、確かに俺にはおつかいの才能がないみたいなので、他で頑張ります」
「はい。じゃあ、また明日」
所長に見送られて俺は相談所を出る。そして、帰路を急ぐ中でふと我に返った。
おつかいの才能って、なんだ……?
次の投稿の予定はまた来週の月曜日です。
次からは、三話ほど続く「冥王星編」が始まります。