5、影の殺人犯
昨日は結局時間が遅かったので、俺は直接家に帰った。次に相談所に来たのはその翌日だった。
「今回もお疲れ様でした、玲」
所長はそう言うが、俺は今回何もしていない。族退治は雄大が一人でやってしまい、俺は戦うことも力を使うこともなかった。この相談所には一応報告書を書くという仕事があるが、それも雄大に任せてしまった。
ここの給料は相談者の相談料、依頼料から来ていて、問題を解決すれば報酬として給料が出る。その仕事を請け負った人に給料が出るが、俺は今回何もしていない。ただの見学だった。
それなのに給料を受け取るのは……と思い、俺は正直に口にする。
「でも、俺今回は何もしていませんよ」
「それもそうですね……」
苦笑まじりに言った俺の言葉に所長が少し考え込みながら頷いた。
所長も認めちゃったし、今回の給料はないな……。
諦めてソファに座る。今日はいつもみんなより帰りが遅い澪もいて、しかしこんな日に限って相談に来る人もおらず、みんな仲良く暇している状態だ。
「……ねぇ玲、おつかいに行きませんか?」
ふと所長が声をかけてきた。
「おつかい、ですか?」
「そう。夕飯の材料、買ってきて欲しいんです。余ったお金はあげます」
所長の言葉に俺は目を輝かせる。
お金!余ったお金がもらえる!前回仕事に行ったのに出番なしだった俺への恵み!
所長は俺の様子を見て行ってくれると判断し、さらさらっと買い物リストをメモ帳に書いて俺に渡してきた。
「火花もついて行ってくれますか?」
「ええ〜、なんで」
所長のお願いに火花は不満そうな顔をする。しかし彼女が所長のお願いを断るはずもなく、文句を口にしつつも立ち上がって支度をしようとする。
「だって、玲はこの辺のスーパーがどこか、知らないでしょう?」
ニコニコしながら所長が言った言葉に、俺は自分の盲目さを突きつけられた気がした。
言われてみれば、確かに……。
そして俺は今、火花の後ろをついてスーパーに向かっている。今日は天気も良くて、暑いと感じてしまうくらいに暖かい。
はぁ、平和だなぁ……。
俺は青い空を見上げながらそう思った。
「おーい、曲がるぞ」
ふいにかけられた火花の声に俺は意識を引き戻される。見ると、目の前には薄暗い路地裏が伸びている。
「え……、ここ曲がんの?」
「近道なんだよ」
立ち止まって戸惑う俺を置いて、火花は先に進んでいく。どんどん遠ざかっていく彼女の背中を見て俺は慌てて追いかける。
何も起こらないといいけど……。
だが、こういう時に限って、嫌な予想は的中する。
前を進んでいた火花の足首が突然、地面から伸びてきた手に掴まれた。
「え」
「火花!」
俺は咄嗟に彼女に手を伸ばし、彼女もそれを掴んだ。しかし伸びてきた手は彼女の足首を離さず、彼女を地面に引き摺り込もうとしてくる。
俺は空いた方の手に火の玉を作り、それを火花の足元目掛けて投げつける。すると手は慌てたように引っ込んでいった。
「大丈夫か!」
「ああ。ありがとう。それより気をつけろ。相手は影だぞ」
その言葉に、俺も身構える。影。澪と行った誘拐事件の犯人の拠点の屋敷では、散々苦労させられた。その犯人と同じ組織の人間か。
あの相手はとても厄介だった。影に潜って逃げる能力を持つ彼らにとって、あの屋敷やこの路地裏のような影の多い場所は有利だ。
「どうする?逃げるか?」
俺は小声になりながら火花に尋ねる。
「その方がいいかもだが……、人数的には二対一でこっちのが有利だ。あと、足首を掴まれた仇を取りたい」
火花も小声になりながら、掴まれた足首を見て顔を顰めて言った。確かに、女の子の足首を掴むなんて、今時痴漢で訴えられて警察行きだ。
それならやるしかない。俺たちは顔を見合わせてニヤリと笑う。そして、前を見て影から現れる敵の姿を捉えた。
ゆらりと影から出てきた敵は、誘拐事件の犯人と同じように、黒いフード付きのローブを羽織っており、顔は半分しか見えなかった。背は俺より高いが、ヒョロリとしていて強そうには見えない。
「電の少女に炎の少年……。初めまして。私は影の組織の一員。黒曜石と名乗っております」
相手が名乗る。声は低く、落ち着いていた。見た目や声で考えるに、相手は大人の男だなと判断した。
それよりも、こちらが何の使い手なのかがバレている。力を使った俺はまだしも、火花まで。まあ別に隠しているわけではないが。俺のブローチや火花のチャームも、それぞれの力を象徴する形なので、見ただけで判断できるとしてもおかしくはない。
「さあ、お二人の実力を見せてもらいましょうか」
敵がそう言ったのを合図に、火花が素早く敵の背後に回った。俺と挟み撃ちの状態に追い込んだ敵に向けて、俺と火花はそれぞれの攻撃を同時に放つ。
が、敵は影に潜って攻撃をかわす。俺と火花の攻撃がぶつかって弾ける。
「わっ」
炎と電気がぶつかり合って起こった爆発の爆風に、俺は飛び退く。火花も「チッ」と舌打ちしながら後ろに避けた。
今度は俺の背後から出てきた敵に、火花が手を銃のようにして敵に人差し指を向ける。そこから電流を飛ばしてくる。俺は敵と一緒に慌てて避ける。
「俺もいるんだけど!」
「そんなこと言ったって!」
口頭で少し喧嘩をしながら、次に敵が出てくるのを待つ。しかし、これではいつまでも敵を倒せない。なんとかして奴の力を前のように封じなければ。
しかし、前回と同じ方法を使うのはリスクがある。火花を見ながら俺は考えた。先ほどのように、俺と火花の攻撃がぶつかると、爆発が起こってしまう。俺が前回のように明かりとして浮かべた炎に火花の電気が当たると、敵だけでなく俺たちも怪我をする可能性がある。
この爆発に威力があることは間違いないし、上手く使えればいいんだけど……。
そういえば、火花は以前彼らのような敵と戦ったことがあるようだった。
「火花ー!お前はこういう敵と戦って、倒したことはあるのかー!」
火花に届くようにと思って、俺は叫ぶように言った。が、余計なお世話だったようだ。
「うるさい!叫ばなくても聞こえる!」
火花の怒号が飛んでくる。
「あいつらを倒すには、影に潜れなくすることが必要だ。前回は雄大がいたから、あいつが相手を空中に巻き上げて敵を撃破したんだ。けど、今回はこの方法は使えない」
俺の方に駆け寄ってきた火花が小声で言った。
「お前はどうやったんだ?」
尋ねてきた火花に、俺は前回の方法、そしてそれを今使うのが難しいことを説明した。
それを聞いた火花は、難しい顔をする。
二人で知恵を絞ってなんとか方法を考えようとした時、ふいに足元から手が伸びてくる。俺はギリギリでかわして後ろに飛ぶ。
相手をしろ、ということだろうか。再び戦闘態勢に入る俺と火花を前に、現れた敵は攻撃を仕掛けるわけでもなく、突然ベラベラと喋り始めた。
「影の組織は真の影の使い手である久世瑞貴様のお力を分け与えていただいた者たちで構成されています」
その言葉を、俺も火花も胸に刻んだ。
久世瑞貴。それが人々に害をなす組織の頂点に立つものの存在の名前か。
「私もその内の一人です。あの方のお力、影の力は、我々のような者を魅了してやまない、悪の道を生きる一族が代々継承してきたものなのです。あの方は影の使い手になるために生まれてきた。そして今、その力を持って我々の頂点に立ち、世界に影を広げるために我々を使って力を尽くしておられるのです!」
長々とした語り。俺たちはその間、口を挟む隙もなかった。
ただその久世瑞貴とやらがどのような人物なのか、おそらく火花は所長に報告するため、必死に聞いていただろう。
俺はというと、ある一点に引っ掛かりを覚えていた。それは、力の継承の部分だ。
そもそも自分が使い手と呼ばれる存在であることを知ったのがつい最近なので当然のことではあるが、力を継承できるなど聞いたことがなかった。その部分に驚きながら、俺はじっと自分の手のひらを見ていた。
「あの冷ややかな瞳に見つめられると、背筋が凍る!その感覚が、私はたまらないのです!」
敵の話が変態じみたものになってきたことで、俺は顔を上げる。横ではドン引きしたような、呆れたような表情で火花が相手を見ていた。
「そんな方のため、私はあなたたちを連れて行かなければならない!」
高らかに宣言した敵は唐突に影に潜る。どういう意味だと尋ねようと口を開いた俺の横腹に、鋭い蹴りが入る。
「がっ!」
「玲!」
思わず声を上げて地面に転がる俺と、心配して駆け寄ってきてくれた火花に向けて、敵は銃を取り出してこちらに向ける。
「ここまで来ても降参しないというのならば、こちらも全力で勝負に乗りましょう」
蹴りをくらった横腹に手を当てながら俺は何とか体を起こす。
でも無理だ。相手が本気を出せば、俺たちに勝てるとは思えない。
そんな俺たちを見下ろして、うっすらと笑いながら、敵は言った。
「私は彼の忠実なる部下として、今までに十八人殺した。君たち二人は、その記念すべき二十人目になるか?」
その言葉に、俺の中でなにかがプツリと切れた。あの時と、銀行強盗の事件の時と同じように。
そしてもう一人。俺と同じ状態になった少女がいた。
「がああああっ」
電光石火とも言える素早い動きでいつのまにか敵の背後に回っていた火花が、敵に電気を流す。そんな彼に炎をかざしながら、俺は言った。
「お前は人を殺したのか」
その声は、自分でも驚くほど、今までに出したことのないような冷めた声だった。
火花が彼から手を離すと、彼はその場に崩れ落ちる。
火花もまた相手を鋭い目つきで睨みつけている。俺は彼を見下しながら冷めた声で続ける。
「お前が殺した人は、誰かを殺したのか?殺人犯だったか?スパイだったか?テロリストだったか?」
怒りに任せ、畳み掛けるように俺は言葉を重ねる。
「それとも、何の罪もない人たちだったか?」
俺は炎を出した手を彼に近づける。火花もチリチリと辺りに電気を撒いている。
彼は途切れ途切れに、声を震わせながら答えた。
「最後に、殺したのは……、仲睦まじい家族、だった……」
その言葉を聞き終えた後、俺の炎と火花の電気が触れ、彼に目の前で爆発した。
「警察呼んだよ。すぐ来るって」
火花が警察に連絡してくれる。その間に逃げられないよう、手足を縛っておく。火花がポケットから縄を取り出したその時だった。
地面から伸びた手が敵を影へと攫っていく。あまりに突然で、かつ影に引き込まれた彼は無抵抗だったため、俺たちは止めることもできずそれを見送るしかなかった。
「!?……おい待て!」
俺は手を伸ばしたがすでに遅く、俺に手は空を切るだけだった。
火花も呆然と立ち尽くす。
「クソっ、仲間か!どうすんだよ……っ」
思わず吐き捨てる。せっかく倒したのに、これで殺された人たちが、報われると思ったのに。
世界はどうしてこうも、残酷なのか。頑張りは報われず、罪なき人が殺され、悪人が生き延びる。
「なんで……」
弱々しい声で俺は呟く。
路地裏に再び静寂が広がった。
せっかく来てくれた警察官に、逃げられたことを告げ、謝り、俺たちは相談所に向かって歩き始める。
とてもおつかいができるような体力も、精神状態もなく、ただとぼとぼと来た道を戻った。
殺人犯を逃した。殺された人たちの仇は討てず、まんまと逃げられる。
悔しかった。
「玲」
俯きながら歩く俺に、火花が声をかけてきた。俺は顔を上げる。
火花は夕陽に照らされながら、風に髪をなびかせている。逆光で暗くなっていてうまく見えないが、その表情は俺と同じように悔しそうだった。
「今日、アタシたちは失敗した。敵に逃げられた。でもーー」
火花は真剣な瞳で、真っ直ぐ俺を見て続ける。
「お前は、かっこよかった」
悔しそうな表情は残したまま、俺に笑いかける。俺はその一言に目を見開いた。
「殺された人たちのために、怒って、相手が強くても自分が痛い目に遭っても、諦めずに戦ってた。倒すこともできた」
「それは、火花だって……」
口を挟んだ俺に再び笑いかけながら、彼女は続ける。
「だから、これからも一緒に戦ってほしい。今日のことで自信を無くさないでほしい。玲は強い。それにみんな、お前のことを大事に思ってる。だから……」
火花は言葉を途切れさせる。俺はまた俯く。
おかしいな、さっきまで泣きそうだったのに。
ーー今の方が、泣きそうだなんて。
自分の力が、自分自身が、必要とされていることを、改めて実感して、嬉しかった。
「だから……」
もう一度口を開いた火花の言葉を遮って、今度は俺が言う。
「大丈夫だ。俺はこれからも、みんなと戦い続けるから」
そう言うと火花は少し驚いた顔をした後、安堵するように笑った。
「ああ。……よかった。元気になったな!」
「お前のおかげだ。ありがとう」
俺が感謝の気持ちを伝えると、火花は夕陽に染まって赤くなっていた頬をさらに赤くして、逃げるように走って行った。褒められ慣れていないのがよく分かる反応に俺はつい笑ってしまう。
いつか必ずあいつを見つけて、今度こそ、絶対に、彼を倒して罪を償わせる。
俺は夕暮れの街を見ながら、そう誓った。
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