2、相談所の相談員
俺も、相談員に……。彼らの、仲間に……。
伸ばされた手を見て、俺は呆然とする。
「……まあ、今すぐ決める必要はありません。よければこの後、相談所へ来てみませんか?お時間があれば」
黙り込んでしまった俺を見て、男性は優しく言った。
俺はスマホを取り出して時間を確認した。午後二時。まだまだ時間はある。
「えっと、じゃあ……。行きます」
俺はおずおずと返事をした。
「よかった。ではみんな、帰りましょうか」
俺の返事を受け取った彼は、三人にそう呼びかけた。
「はーい」
雄大と火花が元気よく返事をする。
「ふふっ、ちょうどよかった。朝、帰ったらみんなで食べようと思って、ケーキを買っておいたんだよね。お客様にもお出しできる」
澪は柔らかく微笑みながら、楽しそうに言った。
「ケーキ……」
俺は小さく呟いた。
そんな俺の顔を覗き込んで、澪が不安そうに尋ねる。
「甘いものは苦手?」
「あ、ああ……。あまり、得意じゃない」
俺は申し訳なくなりながらにそう返した。
しかし澪は安心させるようににっこり笑って言った。
「大丈夫。甘さ控えめのもあるし……。それに、無理して食べなくてもいいからね」
そう言って澪は歩き出す。かけられた優しい言葉に心が温かくなっていくのを感じながら、俺は後を追った。
「着きました。ここです」
さっきの現場の銀行から、十五分ほど歩いた所で、男性が言った。
その相談所の場所は、なんというか、驚かされる場所だった。
相談所といえば、悩みなんかがある人が相談をしにくる場所のはずだ。だから必然的にその立地も、相談しにくる人が安心できる場所だと思ったのだが……。
俺は唖然としながら辺りを見渡した。それなりに細くて薄暗い路地裏。その路地裏の一番奥、行き止まりになっている場所に、その建物はあった。
二階建てのこじんまりとした、年季の入った建物で、下の階は喫茶店のようなおしゃれな扉をしている。そして、窓には不思議な木のマスコットのような絵が描かれている。周りが暗いせいか、笑ってる顔がちょっと怖い。
男性が建物に近づいて、ドアにかかったプレートをひっくり返す。“open”と書かれたプレートがからんと揺れる。
「……さあ、ようこそ、相談所へ」
そう言いながら、彼は流れるような所作で扉を開けた。
「ただいまー」
三人はそう言って店へと入っていく。彼らにとってここは家みたいな場所なのかな、と俺は思った。
「こ、こんにちは?お邪魔します?」
「そう固くならなくて大丈夫ですよ。ここは相談所なんですから。ほら、リラックスして」
緊張している俺に、男性が笑いながら言った。
「ケーキとお茶、用意してくるね。先に話してていいよ」
澪はそう言いながら店の奥へと入っていった。俺は席を勧められて、高級そうなソファに座る。そういえば学校の校長室にこんな椅子があったなぁと思い出した。
他の三人は俺の反対側のソファにそれぞれ腰掛ける。
俺はきょろきょろと店の中を見回す。やはり外から見たように、元々は喫茶店だったのか、カウンターが残っていたり、壁におしゃれな絵が飾られていたり、コーヒー豆やらがたくさん並んだ壁があったりする。
「お待たせしました」
しばらくして、店の奥から澪が戻ってきた。両手にトレーを持っていて、その上には美味しそうなケーキと湯気が立っている紅茶が乗っている。
「手伝えばよかったな。ごめん」
「このくらい平気だよ」
いっぱいのケーキと紅茶を一度に持ってきたのを見た火花が、申し訳なさそうに言ったが、澪は余裕そうに返した。俺も彼女のバランス感覚に驚いた。
「はい、みんな選んで。あ、お客様が最初だよ」
そう言いながらトレーをテーブルの上に置いていく。そして、一番に選べと言われて戸惑っていた俺に、優しくケーキの説明をしてくれる。
「いろんな種類のを買ってきたの。これはショートケーキでこれはチョコ。ビターだから、甘さ控えめだよ。これは抹茶で、こっちがミルクレープ。食べられそうなのはあるかな?」
そう説明を聞きながら俺は、ケーキが四つしかないことに気づいた。それはそうだろう。突然の来客なのだし、それを想定していなければ、元々いる四人の分しか買わないはずだ。
「……このままだと、誰かが食べられないよな?」
俺は澪を見上げて言った。
「うん、そうね。大丈夫。私はいらないわ。いつでも食べれるし。お客様は気にしなくていいのよ?」
そう言った彼女を見て、絶対にその意見を変えないだろうなと感じた俺は、ビターチョコのケーキを選んだ。
あとの三人はそれぞれ、雄大がミルクレープ、火花はショートケーキ、男性が抹茶のケーキを選び、全員が席についた。澪は紅茶を啜っている。
「いただきまーす」と言いながらあっという間に食べ始めてしまった雄大と火花に対して、男性は紅茶を一口飲むと、俺に話し始めた。
「改めて、玲君。もりすけ相談所へようこそ」
「……へ?も、もりすけ?」
穏やかな顔で平然と言った彼の言葉を、俺は思わず聞き返す。
「ええ。この相談所の名前です。窓に貼ってあったマスコットの絵を見ましたか?あれがもりすけくんです」
彼はどこか誇らしげに言っているが、ここでは普通なのだろうか。確かに自分の職場の名前なら誇るべきなのかもしれない。そもそも、おかしいのは俺のセンスなのかもしれない。
そう考えながら彼の横に座る三人を見た。が、その三人の反応も微妙である。雄大と火花は目を逸らし、澪は苦笑しながら言った。
「えっと、普段は相談所って言えば伝わる人には伝わるし……、あんまり気にしなくても平気だよ」
どうやら他の三人もこの名前には思うところがあるようだ。ひとまず、俺のセンスがおかしいというわけではないことが分かってホッとした。
……しかし、路地裏に建っている変な名前の相談所なんて、本当に人が来るのか?
だが、さっき見た限りでは彼らは特別な力で事件を解決するのが仕事のようなので、そういう危険な仕事がいくつも来るのかもしれない。俺の考える一般的な相談所とは訳が違うのだろう。
「とりあえずまずは、自己紹介をしようか」
男性はそう言って、三人に自己紹介を促す。
「じゃあ、私から」
澪がそう言って俺を方に向き直る。
「伊織澪です。よろしくね」
綺麗な笑顔を浮かべながら彼女は言い、ちらりと首元のペンダントを見せてきた。
「次は俺だな。帳雄大。よろしくな!」
彼は指で片耳に付いたピアスを揺らしながら言った。
「……私の自己紹介はいるか?まあ一応……来栖火花だ。改めて、よろしく」
火花ももう一度、上着に付いたチャームを見せながら言った。
「そして最後に、私が、白波龍弥。この相談所の所長です。よろしくお願いします」
彼はそう言いながら、服の内側から動かない時計を取り出した。
「よ、よろしくお願いします」
俺も一応、改めて挨拶をしておく。
俺の挨拶に所長は笑って頷いてから、スッと顔を引き締めた。
「では、単刀直入に聞かせてください。君は、炎の使い手ですか?」
「……使い手というのはよく分からないですけど、この力のことですか?」
そう言いながら俺は、手のひらから揺らめく炎を出す。これはおそらく、俺だけが持っている力。さっきの戦いでも使った力だ。
所長はそれを見ると、満足げに頷いた。
「そう、その力です。ところで、その能力に制限などはあるのですか?何かしらの条件とか……」
「え?いや……分からないです」
所長の質問に俺は首を傾げる。
「その力、その炎は、いつどんな場所でも出せるのですか?その炎は、制限なく出し続けられるのでしょうか?」
そう言われて、俺は質問の意図を理解した。
「出すのは多分いつでもできます。制限なく出せるかどうかは……やったことがないので分かりません」
「なるほど。それもそうでしょう。……しかし、炎を出すこと自体に制限はないのですね。ふむ……」
所長は顎に手を当てて考え込んだ。数秒の沈黙の後、再び顔を上げて俺に話しかける。
「教えてくださってありがとうございます。このような話、他の人にすることもあまりなかったでしょう?」
そう言われ、俺は「まあ……」と小さく返した。
「そのような力を持っている者たちは基本、その力を隠して生活していることが多い。周囲にバレてしまうことで、ひどい扱いを受けることもありますしね」
思い当たる節があった俺は、わずかに視線を落とし、目を伏せた。視界の端に、同じように目を伏せる火花が見えた。
「ですが、君も薄々は気付いていると思いますが、ここにいるのは皆、君と同じように特別な力を持った者たちです」
その言葉に、俺は「やはりな」と思った。やはり、さっきの戦いで見た雄大や火花のあの攻撃は、見間違いでもなんでもなく、俺と同じ、不思議な力によるものだったということだ。彼らの付けているネックレスやイヤリングなども、俺がいつも肌身離さず付けているこのブローチと、同じようなものなのだろう。
「せっかくですし、お見せしましょう。……と言っても、私の力は誰かに見せられるようなものではないので、代わりにこの子達が。雄大の力も見せるなら、外の方がいいでしょう」
そう言った彼とあとの三人が外へ出ていく。俺も慌ててついて行った。
外へ出ると、澪はペットボトルの水を持っていて、雄大は風に吹かれていた。火花は店の前にある室外機の上に、空き缶を並べていた。
……何してんだ?
内心首を傾げながらその光景を怪訝な目で見ていると、澪が声をかけてきた。
「ねぇ、今どこか、怪我してたりしない?」
そう聞かれて俺は、さっきの戦いで少し足を擦りむいたことを思い出した。
「擦り傷なら……」
俺は足を少し上げて傷を見せる。
「ほんとだ……。さっきの戦いだよね」
澪が目を伏せながら心配そうに言った。
「ねぇ、この傷に、水をかけてもいいかな?」
「は?」
少し首を傾げながら尋ねてきた澪に、俺は思わず聞き返す。が、俺の返事を待たずして、澪は俺の足にペットボトルの水をかけた。
そして、手を組んで目を閉じる、何かに祈っているときのようなポーズだ。
すると、俺の足の傷がみるみるうちにひいていった。
「すごい……」
俺は思わず口にする。それを聞いて「えへへっ」と笑った澪はペットボトルの蓋を閉めながら言った。
「これが私の力。私は水の使い手なの」
「よし!次は俺だ!」
澪の言葉に間髪入れず、雄大の楽しそうな声が聞こえてきた。
「みんな危ないから、俺の後ろに下がっといてくれ」
そう言いながら彼は、火花がさっき並べていた空き缶に向き直る。俺は大人しく彼の注意を聞いて、後ろに下がった。
「窓ガラスは割らないでねー」
所長も後ろに下がりながら、そう言った。
雄大は構えて、前に手を出し、それから一気に後ろに引いた。その動きと一緒に、風を切るような音がして、次の瞬間、空き缶が真っ二つに割れた。
「なっ……」
言葉を失う俺を余所に、彼は並んだ空き缶を次々と切っていく。全ての缶を割り切った後、俺の方を向いてニカっと笑いながら言った。
「これが、俺の力だ。風を操って攻撃できる、風の使い手の力」
「じゃ、最後はアタシだな」
そう言いながら火花は人差し指を立てる。そこからバチバチと電流が見えた。雄大のような派手なパフォーマンスこそないが、この力の強さは、さっきの戦いでよく知っている。
「こんな感じで電気を生み出せるのが、アタシの力。電気の使い手の力だ。お前と似たような力だな」
火花が言い終わるのと同時に、所長がパチパチと拍手を送った。
「みんな、ありがとう。さて、どうでしたか?玲君」
所長に聞かれて、俺は驚きが収まらないまま答える。
「驚きました。こんな力を持っている人が、他にもいたなんて……」
「そうですね。……どうでしょうか、さっきの質問、少しは考えがまとまりましたか?」
これはきっとさっきの、相談所に加わらないかという質問のことだろう。所長は続ける。
「君もお気づきの通り、この相談所は特殊です。ここでは主に身の回りの不可解な事件や、警察でも手に負えない、もしくはそれが難しい事件の解決などを担っています。そう、例えば、対使い手の事件なんかを」
俺はゴクリと唾を飲む。他にもたくさんの使い手がいるということだろうか。
「ここでの仕事は、ほとんどが荒事で、あの子達に命の保証はありません」
俺はさっきの事件を、戦いを思い出す。あとちょっとであの二人が死んでいたかもしれない状況を見た後では、この言葉が脅しでもなんでもないことが分かる。
「それでも、あの子達は戦っています。時に傷だらけになろうとも。まあ、澪がいるので大抵の傷はすぐに治るのですが」
最後の言葉に少し笑ってから、彼は顔を引き締めて俺を見る。
「君は、この相談所の相談員になって、彼らと共に戦ってくれますか?」
俺を見る彼の目は真剣だ。問いかけている。俺に、その覚悟があるかを。
どうだろうか。俺はなるべく平凡な日々を送りたいと思っているし、痛いのも死にかけるのも嫌だ。彼らのように戦えるという自信もない。でも……。
ここは、この力の価値を認め、この力を役立てることができる場所だ。ならーー
「やってみたいと思います。ここの、相談員になりたいと」
「ふむ。でもここは危険がいっぱいですよ。辛いことも多い。それでも、この相談所の一員として、戦ってくれるのですか?」
俺は決意を込めた目で彼を見返し、頷く。
「なぜ?」
所長は表情を感じさせない顔で聞いた。
なぜ?それはーー
俺の中にある答えを俺はそのまま彼に伝えた。
「だって、この力が役に立つなら、誰かを救えるなら、使った方がいいに決まってるじゃないですか」
俺は笑ってみせる。彼は俺を見て軽く目を見張り、そして、フッと笑った。
「そうですか。ありがとう。……みんな、新入りです。彼が新しくここの相談員になりました」
「おお、お前!ここに入ることにしたのか!」
雄大が嬉しそうに言う。
「よろしくね、阿澄くん?」
「玲でいいよ」
澪に俺はそう言った。
「よし!よろしく、玲!」
火花も俺を歓迎してくれる。
こうして俺は、この相談所の一員となった。
阿澄 玲→あすみ れい
伊織 澪→いおり みお
帳 雄大→とばり ゆうだい
来栖 火花→くるす ひばな
白波 龍弥→しらなみ りゅうび
と読みます。ルビがうまく振れなかったので。