10、強くなるために
「所長!俺に稽古をつけてください!」
相談所に来てすぐ、俺は大きな声でそう言いながら、所長に頭を下げた。
石の使い手との戦いから数日。あの戦いで痛感した。やはり俺はもっと強くならなければならないと。結果的には勝てたが俺が雄大と火花の足を引っ張ってしまう場面もあった。
強くなりたい。なら、誰かに稽古をつけてもらおう、と言う結論に至った。
「私ですか?雄大とかではなく?」
所長は一瞬呆気に取られてから俺に尋ねる。
「いや、俺も初めはあいつに頼んだんですけど……」
「所長!俺に稽古つけてくれ!」
俺が言い終わる前にドアが勢いよく開けられて、やや服と髪を乱した雄大が入ってきた。
状況をなんとなく察した所長が「なるほど」と呟く。
相談所に来るまでの道中、偶然にも学校から帰ってきた雄大に会い、そのまま一緒に相談所に向かった。その中で俺は、雄大に「稽古つけてくんね?」と頼んでみた。しかし返ってきたのは「クレープ百個奢ってくれたら」だった。
早々に無理だと判断した俺は「じゃあ所長に頼もう」と言った。
そこでおそらく雄大は、羨ましいとでも思ったのだろう。「俺も頼む!」と言い出した。
それから俺たちは争うように、走って相談所へ向かった。俺もそれなりに走るのは速い方だが、半年前まで喧嘩に走り回っていたであろう元ヤンには叶わない。元ヤンは関係ないかもしれないが。
雄大は俺より先に相談所のある路地裏までたどり着いてしまった。
しかし、そこで彼は壁にぶつかった。
「雄大!」
そこには、半年経っても諦めず、しつこく彼を勧誘している雄大のヤンキー仲間たちがいた。
雄大を追いかけるように走っていた俺は、追いついた先で見たその光景をチラリと見て、思わず笑いながら彼を追い越した。
「今日は後輩も連れてきたんですよ!」
「どうでもいいわ!勝手にやってろ!俺はもう戻らないからな!」
そんな会話を後ろで聞きながら俺は相談所に入った。
そして、冒頭に戻る。
雄大はどうやら元仲間たちを無理矢理振り払ってきたようで、息を上げながら乱れた髪を整えている。
俺はそんな雄大にニヤリと挑発の笑みを浮かべた。どちらが所長に稽古をつけてもらうか、ここで決めなければならない。雄大はそんな俺をジトっと睨みつける。
「落ち着いて。二人ともに稽古をつけてあげますから。どうせなら、他の二人も」
バトルになりそうな俺たちの間に、所長が止めに入る。
「週末にでもやりましょうか」
それを聞いて、俺と雄大は顔を輝かせる。
その後、帰ってきた澪と部屋から降りてきた火花にも伝えると、二人とも乗ってくれた。
こうして、もりすけ相談所強化合宿の開催が決定した。まあ、合宿ではないが。
週末。俺は相談所のみんなと出かけている。
向かう先は所長の知り合いのところで、広さがあって好き勝手暴れることができる場所らしい。
距離は相談所からさほど遠くなく、歩いていける距離らしいので、みんなで並んで歩いて向かっている。
雑談をしながら歩くこと二十分くらい。
「ここです」
所長がそう言った。しかし、今俺たちの目の前にあるのは……。
「神社?」
立派な鳥居を見ながら俺は呟く。雄大と火花はあまり気にしてなさそうに見えるが、澪は俺と同じように怪訝そうな顔をしていた。
そんな俺たちを置いて所長は鳥居をくぐり抜ける。雄大と火花も行ってしまったので、俺と澪は慌てて追いかける。
所長の知り合いのところって、神社だったのか?というか、好き勝手暴れられるところじゃなかったのか?神社で暴れ回ったら、神様に怒られるぞ!?
悶々としている俺に構わず、所長は話を進める。
「とりあえず、私の知り合いに挨拶を……」
「ちょっと待った!」
俺は所長の言葉を遮った。横から火花が睨んでいるのを感じる。
「本当にここなんですか?」
そう尋ねると、所長は「あぁ」と言った。
「確かに、驚きますよね。でも正確にはここではなくて。うん?いや、ここなんですけど……」
珍しく所長が首を傾げながら悩んでいる。そこに、一人の青年が近づいてきた。
「相変わらずですね。時々抜けているところは」
俺たちは声のする方を振り返る。所長も声の主を見ると、優しく微笑んで言った。
「あぁ、久しぶりだね」
「はい。お久しぶりです、龍弥さん」
「みんなにも紹介しますね。彼は雅楽代陽向。私の友人です」
そう言いながら所長は、突然現れた彼に手を向ける。
「よろしくね」と言いながら人懐っこい笑みを浮かべる彼は、長く伸ばした髪にセンター分けに前髪、整った顔立ちをしている。袴を着ているので、おそらくこの神社の人なのだろう。
「みんなにも自己紹介してもらっていいかな?」
そう言われた俺たちは、順番に彼に名前を言っていく。
「阿澄玲です」
「伊織澪です」
「帳雄大です」
「来栖火花です」
「みんな、相談所の相談員だ」
最後に、所長がそう付け加えると、雅楽代さんはパッと顔を輝かせた。
「ああ君たちが!」
俺たちの方に一歩近づいて、親しげに話しかけてくる。
「龍弥さんから話は聞いてるよ。会えて嬉しいな」
にこにこしながら話しかけてくる彼に、つられて俺たちも笑みを浮かべてしまう。
「みんなはここに運動をしに来たんだよね」
ふとそう聞かれて、俺たちは頷く。稽古と言ったが結局は運動だ。そのために動き回れる場所に来たはずなのだが……。
「じゃあ案内するよ。ついてきて」
そう行って雅楽代さんは歩き出した。
どこに向かってるんだ……?
そんな疑問を抱きながら俺たちはついていく。境内の奥へと進んで行き、本殿の裏側に来た。そこには柵があり、その先に一本道が続いている。
「他ではやっちゃだめだよ」
そうお茶目に言いながら、彼は柵を跨いだ。俺たちもそれに続く。
そうして一本道を進んだ先に、建物があった。雅楽代さんは振り返って俺たちに説明する。
「私の弓道場。十分なスペースがあるから、結構動けると思うよ」
そういうことだったのか……。
そして、所長の稽古が始まった。
雅楽代さんも特に用事がないからと言って稽古に協力してくれた。
まずは神社の周りを走ったり、腕立てや腹筋という基礎的なものから始まった。
体力的にもきついが、初夏のこの季節ではやはり暑い。こまめに休憩を入れ、水分を補給しているが、暑さが余計に疲れさせているのではないかと思ってしまう。
ちなみにこの基礎的な運動ではやはり雄大が一番だった。走るのは速いし持久力がある。筋力もあり、筋トレは彼にとって余裕だった。
俺と火花は僅かに俺が上かな、というレベルの僅差で、火花はなかなかに体力があった。
澪はあまり運動が得意な方ではないようだが、そもそも彼女はサポートに回る能力なので問題ないような気がする。なぜ彼女はこの稽古に参加することにしたのだろうか?
そんなことを考えながら道場の外で座り込んでいると、突然、上から水をかけられた。前にもこんなことがあった気がする。見上げると、澪が手を組んで祈っている姿が目に入る。
すると、体から疲れが引いていくのを感じた。
「水の使い手、すげぇ……。ありがとう」
俺がそう言うと、澪は微笑んで返し、次の人に水をぶっかけに行った。
次は武術。所長や雅楽代さん相手に学ぶ。
武器をできるだけ使わないような、空手や柔道の技を教わる。
所長は穏やかな見た目に反して、とても強い。所長が戦う時はいつも力を使って時を止めてしまうので、実際に敵と戦っているところは見たことがないが、見た目で侮るような敵はコテンパンにしてやられるのだろうなぁと想像した。もちろん、油断していなかったとしても、大抵の人は負けるだろうが。
雅楽代さんも強かった。昔、俺たちのように所長に教わっていたらしい。
初めに技を教わり、動いてみる。
次に、雄大と実際に戦ってみた。
初めは全く勝てなかった。雄大にとってこの分野は、元ヤン時代の喧嘩で慣れっこなのだろう。とにかく、雄大はすごい。それは、共に仕事に向かった時に見ている。
最初なんて、一撃でやられた。だが負けるたび、その原因を考えること、そして所長や雅楽代さんのアドバイスを受けることで、だんだんと力が身についてコツも掴めてきた。
攻撃を交わせるようになり、相手に技をくらわせることもできるようになっていった。
そうしてついに、勝利を収めた。
「よっしゃ!」
飛び上がって喜ぶ俺を、所長や雅楽代さん、雄大までもが温かい目で見ていた。それに気づいて少し恥ずかしくなる。
「玲は上達が早いですね」
そう所長に褒められて、俺ははにかむように笑う。
「じゃあ私とも戦ってみますか?」
そう言われた時、雄大に勝てた自信で、どんな敵にも勝てるような気がしていた俺は、その誘いに乗ってしまった。
そして、負けた。所長は一切能力を使ってなかったのに。
上には上がいることを痛感した。
次は人によって違うメニューになった。
俺と火花は火の玉や電流を敵に当てることを攻撃手段とすることが多いため、命中力を鍛える。
雄大はそのまま所長と手合わせをしている。
そして澪は、再び基礎体力の向上のための運動だ。
そういえば、さっきの訓練の際、澪と火花の姿は見なかった。二人はどこにいたのだろうか。気になったので聞いてみた。
「火花はさっきまでは澪と訓練してたのか?」
「いや。澪は護身術の訓練はしてたけど、武術はやってなかった」
「じゃあお前は誰と訓練してたんだ?」
「あぁそれは……」
火花がそう言いかけたところで、別の誰かがその言葉を引き継ぐ。
「僕の姉だよ」
「雅楽代さん!」
いつのまにか近づいてきていた彼を、俺は振り返る。
「お姉さんがいたんですね」
俺がそう言うと、雅楽代さんは笑って答える。
「そうなんだ。火花ちゃんは女の子だし、同じ女性の相手が必要でしょ?だから姉さんに頼んでみたんだ。でももう帰っちゃったんだ。玲くんも、いつか会える機会があるといいんだけどね」
そんな会話をしてから、訓練に移る。雅楽代さんがここに現れたのは、彼が俺たちに教えてくれるからだった。
ボールを火の玉や電流に見立て、弓道の的に当てて練習する。さすがに火の玉や電流を使うと的が壊れるのでやめてほしい、と困り顔で雅楽代さんに言われた。
「確実に当てるにはやっぱり落ち着くことだね。焦っても当たらない。実戦では難しいと思うけど、これを念頭においておくことが大事だと思う」
的をよく見ること。焦らないこと。
何度かやると、的に確実にボールを当てられるようになってきた。
驚いたのは、その後だ。
雅楽代さんが何やらリモコンのようなものを持ってきてボタンを押すと、なんと的が動いた。俺と火花はあんぐりしてそれを見ていた。
その動く的にボールを当てるのは難しかった。けれど、的をよく見て、焦らないことという雅楽代さんの教えを参考にすると、試行錯誤の末、当たるようになった。
「すごいね!二人とも」
雅楽代さんにそう褒められ、嬉しくなる。
せっかくなので、弓道もやらせてもらった。
俺たちがやっても当たらないのに、雅楽代さんは確実に当てる。しかもほとんどが真ん中に当たっていた。
「どうして弓道をやってるんですか?」
ふと、興味本意で聞いてみた。
雅楽代さんは「君たちと同じだよ」と言った。
そして、腕に付けていた数珠を見せてくれた。
それを見て、俺と火花は目を見張る。どうして今まで気づかなかったのだろうか。
「……使い手だったんですね」
数珠に四芒星形の飾りが付いていた。独特の、唯一無二の輝きを放つそれは、使い手の証だ。
「僕は光の使い手で、矢に光を宿すことで威力を強化できる。だから弓道をやってるんだ。まぁもちろん、他のやり方もあるんだろうけど……。僕には、弓が合ってると自分でも思ってるから」
遠くを見るような目でそう言っていた彼が、再びこちらを向く。
「君たちは上達が早いね。それに、頑張っていた。きっとその頑張りは、実践に活きるよ。危険な仕事だろうけど、頑張って!」
爽やかな笑みを浮かべてそう言った雅楽代さんに、俺と火花は揃って「はい!」と返事をした。
「疲れた〜」
俺たち四人は揃ってぐでんと壁に寄りかかって座り込む。
実際のところ、雅楽代さんとの訓練の後半は喋ってばかりだったので、俺と火花はそこまで疲れてはいなかったが。
「お疲れ様」
雅楽代さんがみんなにアイスを配ってくれる。暑くて疲れた俺たちには、最高のご褒美だ。
「ありがとうございます!」
お礼を言って、俺たちは食べ始める。
「みんな、どうでしたか?稽古は」
アイスを食べている俺たちに、所長が尋ねてきた。
「そうですね……。前よりも、強くなれた気がします!」
俺はそう答えた。
「それはよかったです。雄大は?」
「俺も!所長のおかげで強くなれた!」
雄大はずっと、所長に稽古をつけてもらっていた。前よりもさらに強くなっただろう。勝てたのはあれ一度きりかな、と思った。
「澪と火花は?」
「私も、前より動けるようになりました。これで、みんなの元にいち早く治療に行けるはず」
それを聞いて、澪がずっと基礎体力を鍛えていた理由が分かった。
「アタシも!強くなれたと思う。所長と雅楽代さんのおかげ。ありがとうございます!」
火花は二人に笑いかけながら言った。
「そうですか。それなら、私たちも教えた甲斐があったものです。ね?」
所長が雅楽代さんを見る。彼もコクリと頷いた。
そして、二人は俺たちのそばを離れてどこかに行ってしまった。二人が戻ってくるまで、俺たちはアイスを食べながら、今日の稽古について話していた。
「いい子たちですね」
「そうだろう?」
道場の外で、二人は静かに言葉を交わす。
中から聞こえてくる賑やかな声に少し耳を傾けてから、雅楽代陽向は口を開く。
「彼らなら、あいつを……」
そこまで言いかけてから、彼はまた口を閉じた。それを聞いて、所長こと白波龍弥は目を伏せる。
そして束の間の沈黙の後、それを破ったのは今度は龍弥の方だった。
「彼に会ったよ」
「え?」
「会ったんだ。久しぶりに。玲が入った頃だね」
それを聞いて、陽向は困ったように笑う。
「一体何しにきたんですか?」
「様子を見にきたんじゃないかな」
それを聞いて、陽向は再び笑う。そして、さっき言いかけた言葉を、もう一度言う気になった。
「彼らなら、あいつを、元に戻せるかもしれない。……僕の光はあいつには眩しすぎたけど、彼らは違うかもしれない」
遠くを見据えるような目でそう言った陽向を見て、龍弥も今度は小さく笑みを浮かべながら返す。
「そうだね……」
「みんな、食べ終わりましたか?そろそろ帰りましょう」
所長にそう言われて、俺たちは立ち上がる。
所長は後ろに立っていた雅楽代さんを振り返って言った。
「また来るよ」
その言葉には、名残惜しそうな響きがあった。
雅楽代さんも同じように名残惜しそうに、「はい、また来てください」と言った。
俺たちは神社を出て、行きと同じように並んで駅へ向かっている。もう遅いので、今日は駅でお別れをすることになった。
空はもう、オレンジ色が端の方に追いやられて、深い青が大半を占めてしまっている。
「夜は星が見えるんです」
空を見上げていた所長が、ふと、そう呟いた。
「この辺は都心より空気が澄んでて、いくつか星が見えるんですよ」
そう言った所長に、澪が尋ねる。
「そういえば所長はと雅楽代さんは、いつからの仲なんですか?」
「小学生の頃ですね」
「小学生!?」
所長の答えに、俺たちは驚く。
所長は「そんなに驚くことですか?」と言ってから、どこか遠くを見つめる。その目は、どこか寂しそうだった。
そんな目のまま、所長は言った。
「放課後は毎日のように三人で一緒に遊んでました。神社の境内、私の実家の庭、地下の不思議な空間。いろんな場所で集まって、いろんなことをしてたんです。私が中学生になった頃から、だんだんと離れていってしまったのですが」
その話を聞いて、ふと火花が引っ掛かりを覚えたように所長に聞き返した。
「三人……?」
所長を見上げて尋ねる火花に目線を向けて、彼は繰り返す。
「そう、三人」
所長と雅楽代さんと、もう一人。
それは、どんな人だったのだろうか。
夜の涼しい風が吹き抜けていく中、俺はそんなことを考えながら歩いていった。
いつもより長めになってしまいました。私も驚いてます。
「雅楽代 陽向」は「うたしろ ひなた」と読みます。そのまま打っても変換できないので大変でした。
次の話で一旦一区切りとして、次の次からは新しい長めのお話になります。冥王星編より長くなる予定です。
それと、今回の話を書いていた時、「雅楽代さんが付けてるのは数珠なのに、プロローグのブレスレットってなんやねん」と思ったので、プロローグを編集しました。申し訳ありません……。