9、石の使い手ー後編
澪を連れ去った車の運転手は、驚いていた。
先ほど仲間の一人に刺されたはずの男が今、目の前にいるからだ。
まさか仲間が失敗したのだろうか。そう思ったが、目の前の男の腹には血がついていて、ナイフでしっかりと刺されたことが窺える。
ならなぜ……?後部座席にいる他の仲間たちも、目を見開いて彼を凝視していた。
彼らは冥王星に金を貰い、目の前の男、白波龍弥の殺害と、伊織澪という少女の誘拐を依頼された。
過去にもこういう仕事で金を貰ったことが何度もあり、今回も仲間たちとの見事な連携プレーで、その依頼をこなしたはずだった。
「こんにちはー。開けてもらえませんかー」
外から男がコンコンと窓を叩いてくるが、彼らは皆呆気に取られていて応える余裕がない。
刺されても平気で動けるような人間を殺すような依頼など受けたことがなかった。一体彼は何者なのか。
そんな中、後部座席で手足を縛られて口を塞がれ、横にされていた少女がモゾモゾと動いて車の鍵を開けてしまった。
「あっ、おい!」
すかさず男がそのドアを開けて、逆上して少女を殴ろうとした仲間の手をパッと掴んだ。
その所作は一見穏やかに見えるものの、仲間の腕を掴む手にはすごい力が込められている。なんとかしてその仲間は手を振り払ったが、もう少しで折られたのではないかと感じ、青ざめた顔をしていた。
男は止めに入った別の仲間を蹴飛ばして少女を掬い上げると、手足を縛っていた縄を解き、口を塞いでいたガムテープを優しく剥がした。
「所長!」
塞がれていた口が解放されて話せるようになった少女が言った。
「澪、大丈夫かい?」
男が心配そうに尋ねると、少女は安心したような表情で「はい」と笑う。その時突然、遠くから爆発音が聞こえてきた。それを聞いた少女は焦りと不安の浮かんだ顔で傍に立つ男に問いかける。
「みんなは!?」
「今は三人だけで戦ってもらってる。すぐに加勢に行ったほうがいいだろう」
爆発音のした方を見ながらそう言った男にコクリと頷いてから、少女はまた不安そうな顔でこちらを振り向いた。
「でも……、この人たちは?」
「ああ、大丈夫」
男がそう言った時、車内の冥王星の雇われ者たちの耳にどこかからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。それは徐々に近づいてきて、彼らの車を取り囲むように留まる。
「なっ……」
運転手の男が振り返ると、すでにそこにあの二人の姿はなかった。
再び呆気に取られた彼らの元に、パトカーから降りてきた警察官たちがやってくる。何が起きているのかを理解できないまま、彼らは逮捕されていった。
去り際に、澪は思った。所長を敵に回すことになってしまった彼らもかわいそうに、と。
「うわあぁぁぁ!」
慌てた俺の間抜けな声が辺りに響く。命綱も足場も何もない状態で宙に浮いていることに今更ながら気づいた俺は、どうしていいか分からずただ声を上げていた。
「下ろしてくれっ!雄大!早く下ろしてくれ!!」
「急降下コースでいいか?」
「やめろ!ゆっくり下ろしてくれ!怖い!!」
雄大はやれやれといった様子で俺をゆっくりと地面に下ろしてくれた。火花はそれを耳を塞ぎながら眺めている。
急降下コースとかいうのにならなくて本当に良かった。
俺がホッと胸を撫で下ろしているところに、火花が近づいてきて言った。
「警察に連絡しといたぞ。爆発は……こいつのせいってことにしよう」
土煙が立っていていまだはっきりと見えないが、おそらくは気絶している敵が倒れているであろう方を指差す。
「そうだな。……大丈夫かな?死んでないといいけど……」
「まあ大丈夫だろ。ところで玲、さっきのあれって……」
そこまで言いかけて火花は笑いを堪えきれずに吹き出した。さっきのあれとはおそらく、俺がさっきやったフードを被るジェスチャーのことだろう。
「影の組織か?ハハッ、面白い……」
「なんのことだ?俺にも教えてくれよ!」
雄大も寄ってきて火花が爆笑している理由を尋ねてくる。そんなに笑うか?と思いながらもあの時のことを雄大に教えてやろうと口を開きかけた時だった。
突然、いくつかの巨大な岩が俺たちの方へと飛んできた。そのうち一つは俺たちのちょうど真上にあって、今にも俺たちを下敷きにしようと影をつくっている。
土煙の向こうに立っている人影が見えた。
あの避けようのない爆発なら、しかも、岩を砕くようと本人を叩くようで二回も爆発を起こすという念入りなことをしたのだから、絶対に彼を戦闘不能にできたと思っていた。
けれど、確認を後回しにしたのは事実。油断せずに彼の様子を確認しにいくべきだった、と反省してももう遅い。
俺は気づくのが遅れた二人の腕を掴んで後ろに飛んだ。すぐ目の前に岩が降ってきて、勢いで俺たちはさらに後ろに飛ばされる。
思わず転んでしまい、さらに追い討ちをかけるようにまた岩が降ってくる。転んだ体勢からでは避けるのが間に合わない。
誰も、声を発する余裕も他人を気にかける余裕もなかった。目の前が真っ暗になり、せっかく勝ったのに、という後悔が襲ってくる。しかし次の瞬間、突然誰かに引っ張られて俺たちは降ってきた岩を避けることができた。
……これは!
前にもこういうことがあったことを思い出して俺は顔を上げる。
「所長!」
俺と雄大と火花の声が重なった。その声が向けられた先には、一体何をしたのか、今度こそ確実に気絶した石の使い手を抱えた所長が立っていた。
おそらくは、うまく時を止めながら俺たちを助け、敵を気絶させたのだろう。
「みんな!」
声のした方を振り返ると、そこには澪がいた。澪を助けた上で、俺たちのことまで助けてくれたのだ。さすが所長、としか言えない。
俺は立ち上がって澪の方へ行こうとしたがうまく立てず、結局彼女の方がこちらに来てくれた。
「よかった、無事で」
そう口にすると澪も笑って、
「私も、玲が、みんなが無事でよかった」
と言った。
俺のそばを離れ、雄大と火花にもそれぞれ声をかけていく。
みんなの顔を見て周り、ひとまず気が済んだようで、また俺のそばに戻ってきた。そしてみんなに向かって声をかける。
「じゃあみんな来て!治療するから!」
ゴソゴソと肩にかけた鞄から水を取り出しながら、「足りるといいんだけど……」と心配そうにこぼす彼女を見ながら、そういえば俺も怪我をしていたな、と思い出した。
俺たちは傷を澪に癒してもらう。俺は背中や足に、所長は背中から腹に刺された傷があったが、全て澪によって綺麗に治された。水は、雄大と火花が目立った傷がなかったことで、なんとか足りたようだ。俺も二人のように強くならなければ、と思った。
一通り治療が終わり、「でも、安静にしててよ」と澪に念を押されて大人しくその場に立っている俺たちの元に、今度は所長が来た。
澪が代わりに石の使い手の方に行き、彼を逃さないために縄で縛っているのを見て、手伝おうとした俺たちを所長が止める。
「安静にしてないと」
所長にそう言われて、澪が向こうから大丈夫だよというように手を振っているのを見れば、大人しくしているしかない。
そう思ってその場に留まった俺たちの頭を、所長が順番に撫でていく。
「よく頑張ったね」
優しい声が頭上で響く。所長の手が頭を包み込む感覚に心が温かくなっていく。
前に頭を撫でられたのはきっと記憶にないくらい昔のことで、初めてのような心地さえした。
どれだけ痛くても、頑張ってよかったと、そう思えた。
雄大と火花も、頭を撫でられて幸せそうに笑う。
ほどなくして、石の使い手を縛り終わった澪が駆け寄ってくると、俺の隣に並んだ。それを見た所長は一瞬目を丸くし、それからフッと笑って澪の頭も撫でた。
それから警察が来るまで、所長は順番に、俺たちの頭を撫でてくれた。途中で撫でられていない人が今撫でられている人の頭を撫でる撫で合いっこまで始まり、穏やかな時間がその場に流れた。
ほどなくして、警察が来た。彼らは撫で合いっこという謎の行為をしている俺たちを見て呆気に取られていたが、俺たちはそれを気にすることなく石の使い手を彼らに突き出した。
事情を説明し、石の使い手の身柄は警察に渡された。話し合っていた通り、爆発も彼のせいにしてしまったが、大丈夫だろうか。
澪の力で傷は回復し、ある程度の疲れは取れている。それでも、心身共に疲れ切っていた俺の体はすでに根を上げていた。
「もう動けない……」
俺はその場に座り込む。雄大と火花も同じように疲れ切っていて、それを見た所長は言った。
「じゃあタクシーで帰りましょうか。私も今から車を撮りにいくのはきついので」
そう言って所長はスマホのアプリでタクシーを呼んでくれた。そしてタクシーが来るまでの間、所長がふと俺に尋ねてきた。
「ところで玲、好きな食べ物はありますか?」
「好きな食べ物……ですか?」
俺は一瞬ポカンとしてから、答えを考える。
「……うどんです」
「うどん?」
意外だ、というような反応に俺は苦笑いを浮かべる。
「スイーツ系……は確か、甘いものが苦手なんでしたね。もう少し豪華なものでもいいんですよ?」
所長はそう言うが、俺は首を横に振る。
「俺、そういうのを食べる機会はあんまなくて。それに比べてうどんは、安くて、一人でも茹でるだけで簡単に作れるし、つゆを変えたりするだけで味を変えられるし、なによりおいしいので!」
俺がうどんの魅力を熱弁すると、今度は所長が苦笑いを浮かべた。
「そうなんですね。教えてくださってありがとうございます」
でもどうして急に……。そう聞く前に、タクシーが来てしまった。タクシーアプリは優秀だなぁと感心する。
タクシーの中に、ギュウギュウと五人が乗り込む。所長は助手席の方に乗ったので、俺たちは四人で後部座席に乗らなければならなかった。
「狭い」
「仕方ないだろ」
不満を漏らす火花に雄大が呆れたような声で答える。そのままタクシーは出発して、相談所へと向かった。
相談所の近くでタクシーから降りると、所長は「ちょっと買い物が」と言ってスーパーの方へ向かった。疲れているだろうし、せめて一度戻ってから行けばいいのにと思っていたら、さらに今度は相談所の前で俺が足止めされる。
「玲はそこの居酒屋さんで待っててくれる?」
そう澪に言われ、俺は首を傾げる。
「なんでだ?というか、居酒屋には入れないだろ。まだ空いてないぞ」
それに未成年一人で入るって……と言いかけたところで、中から人が出てくる。
「いーからいーから!」
居酒屋のおばちゃんだ。前に相談所に来た時に顔を合わせたことがある。おばちゃんは俺の腕を引いて、まだ開店していない店内へと俺を入れる。
「ありがとうございます!お願いします!」
そう言って澪はそそくさと相談所へ入って行った。
「なんなんだ……?」
「玲くーん!ジュースでいい?」
俺が小さく呟いていると、厨房の方からおばちゃんが声をかけてくる。
「あ、はい。ありがとうございます」
そう返事をすると、しばらくして、お盆の上にオレンジジュースと煎餅を乗せておばちゃんが俺の方に来る。そして、俺が座っているカウンター席の前に立った。
俺が出されたジュースを飲んで、煎餅を齧っていると、おばちゃんがふと話しかけてきた。
「相談所の仕事は楽しい?」
少し呆気に取られた後で、俺が答えようとすると、それよりも前におばちゃんはケラケラと笑い出す。
「あらごめんなさい。「楽しい?」って!そんなお仕事じゃなかったわね」
「いえでも、やりがいはありますし。みんなとも仲良くやれてると思うので。なにより……、あいつらは俺と同じだから。初めて出会えた仲間だから。そういう意味でも、すごく、俺の居場所だなって思えるっていうか」
「そう」
俺の拙い言葉におばちゃんは優しく頷いた。そして目を伏せながら俺に語りかけてくる。
「あそこの子たちはみんな、昔つらい目に遭ってきたみたいだから。玲くんもそうなのかなって。だとしたら、相談所が君のことを受け入れてくれる場所になったんなら、おばちゃんもうれしいよ」
おばちゃんは君とは無関係な存在かもしんないけどね、と言いながらもおばちゃんは本当に嬉しそうに笑ってくれた。
俺はそれを聞いて目頭が熱くなるのを感じて、涙を堪える。そして、笑いかけながら言った。
「ありがとうございます」
それから三十分ほど、おばちゃんと他愛もない話をした。学校での話なんかを面白おかしく話していたところで、火花が呼びにきた。
「待たせたな。入っていいぞ。おばちゃんも、協力ありがと」
「いいのよ〜。さ、行っておいで」
そう言われておばちゃんに見送られながら居酒屋を出る。
そして相談所の中に入ると、いきなりパン!とクラッカーの音が鳴り響いて、辺りに紙テープや紙吹雪が舞った。
驚いて目を瞑った後、再び目を開けると、いつもと違う飾り付けられた相談所の部屋が目に映る。
「これは……?」
「実は毎回新人さんにはお祝いをするんです。まぁ、今まで新人さんとしてお祝いされたことのある人は澪だけですが」
俺の呟きに所長が答えた。買い物に行くと言っていたはずの彼は、買い物袋ではなくクラッカーを手にしている。
「所長!買い物は?」
「ちゃんと行ってきましたよ」
その頃、澪が台所の方から大量のうどんが入った器を持ってきた。おそらくこれを買いに行っていたのだろう。さっきの質問もこれのため。だがこんな量、茹でるのには三十分で足りるとしても、買い物の時間も含めたら三十分で終わるとは思えない。
そこまで考えて、ふと所長が時の使い手だったことを思い出した。それならば可能なのかもしれない。
雄大と火花も手伝って、台所からジュースやコップ、取り皿なんかを持ってくる。
「さ、玲は座ってて!」
澪に席を勧められてソファに座る。目の前に置かれたコップに雄大が飲み物を注いで行き、俺に渡してくれた。
「ありがとう」
「ああ」
ニカっと笑った雄大はまた別のコップに飲み物を注いで行く。
俺は壁に飾られているガーランドやテーブルの花を見ながら、お皿を配り終えてソファに座った火花に声をかける。
「飾り付けもみんなでしれてくれたのか?」
「ん?ああ。主にアタシと雄大だな。アタシたちは料理の方はあんま力になれないから」
「そうなのか。……ありがとう」
火花にも礼を言うと、彼女ははにかんだように笑う。
そうして、澪と雄大が席に着くと、いよいよ食べ始めようという雰囲気になった。そのとき、ふと澪がこう言った。
「なんか誕生日パーティーみたいだね」
何気ない一言だった。ただそれは、俺にいろんなことを思わせる一言だった。
俺は誕生日を祝われた覚えがない。おそらくは、ないのだろう。俺の誕生日は、めでたい日ではなかったから。
ただ、誕生日パーティーの雰囲気は知っている。俺の弟は、俺とは違う、生まれたことを祝うべき普通の存在だったから。
いつもより豪華な食事とケーキを食べて、プレゼントをもらう。弟がどれほど笑顔だったかは覚えているし、俺のプレゼントにも喜んでくれるのは嬉しかったから。
でも今俺は初めて、祝われる側にいるんだな、と改めて実感した。俺のために部屋を飾り付けて、好物のうどんを用意してくれている。
周りのみんなが笑っていて、俺がこの相談所にいることを祝ってくれているのだ。
ここは自分の居場所なんだな、と改めて思う。
「早く食べようぜ!」
雄大が急かす。
「ああ」
俺がそう言ったのを合図に、みんながコップを掲げた。
「では、改めて玲の入所を、そして今日の勝利を祝して!」
所長がそう言った後、みんなで声を合わせる。
「かんぱーい!」
五つのグラスがぶつかり合って、カランカランと祝福の音を立てる。
賑やかなパーティーは日が暮れるまで続き、相談所にはみんなの笑顔が溢れていた。
冥王星編が終わりました。編と呼べるほどの長さではなかったですが。
この後二つほど短い話をやったあと、またまとまった話をやる予定です。