迎えの馬車
約束の通り、イライアスはその週末、ロゼリアを迎えにクラン伯爵家にやって来た。薄紫色の上品なドレスを身に着けたロゼリアを見て、イライアスが目を細める。
「綺麗だよ、ロゼリア」
「……ありがとうございます」
お世辞は結構ですと言いたくなるのを呑み込んで、差し障りのない礼を述べたロゼリアは、背の高いイライアスを見上げた。
(私よりもずっと、イライアス様のほうがお美しいのに)
濃紺のフロックコートを纏うすらりとした彼は、誰が見ても文句のない美しさだった。その笑顔が自分に向けられていることに、勿体ないような複雑な気持ちになる。
ロゼリアの側で、心配そうに彼女を見つめる父の視線を感じて、彼女はできる限りの笑みをイライアスに浮かべた。
「では、まいりましょうか」
「ああ」
イライアスが、流れるような動作でロゼリアの腕を取る。ロゼリアの肩は微かに跳ねたけれど、緊張を解くようにゆっくりと呼吸をした。横にいる父が、親しげな様子のイライアスと自分に安堵しているのがわかる。少しでも幸せそうに見えるように、ロゼリアは全神経を集中させていた。
イライアスは丁寧にロゼリアの父に挨拶をしてから、彼女に手を貸して馬車へと乗り込んだ。
馬車がごとごとと動き出すと、ロゼリアは胸に溜めていた息を吐き出した。
(お父様の目は、何とかごまかせたみたいね。イライアス様のご両親にこれからお会いするのも、気が重いわ……)
緊張の滲むロゼリアの顔を見て、彼女と向き合って座るイライアスが気遣わしげに口を開く。
「今日はありがとう。あまり顔色がよくないようだが、大丈夫かい?」
「ええ。問題ありませんわ」
「俺が君に無理に縁談を持ち込んだせいで、すまないな。だが、父も母も、君と会うのを楽しみにしているんだ」
(……本当かしら?)
ロゼリアはイライアスを訝しげな顔で見つめた。普通なら、困窮している格下の家の娘に自慢の息子が婿入りするなど、許せることではないはずだ。歓迎されるはずがないというロゼリアの心の声が聞こえたかのように、イライアスは静かに言った。
「安心してほしい。君の優秀さも人柄も、両親には事前に伝えてあるから」
「そんなことを言われると、むしろ、余計に緊張してしまうのですが……」
「それは悪かった」
イライアスは言葉を切ると、しばらく口を噤んでから、改めてロゼリアを見つめた。
「……俺がまず謝るべきなのは、前世の君にしたことに対してだな」
はっとしてロゼリアがイライアスを見つめ返す。彼は真剣な瞳で、彼女に深々と頭を下げた。
「いくら謝ったとしても、許されることではないとわかっている。だが、本当にすまなかった」
イライアスからは、真摯に過去を悔いていることが伝わってくる。でも、今更謝られたところで、前世の彼を許せるたった一人の人物だったリュシリエールは、もうこの世にいない。いくら前世の記憶があるとはいえ、彼の言葉はロゼリアの耳に虚しく響いた。
「イライアス様、頭を上げてください」
ゆっくりと頭を上げたイライアスに、彼女は続けた。
「今の私はリュシリエールではなく、ロゼリアです。私に謝られても、困ってしまいます」
イライアスの深い青色の瞳が揺れる。
「そうか。……そうだな」
悲しそうな、切なげな目で彼に見つめられ、ロゼリアの胸はどくんと鳴った。イライアスの言葉や仕草、そして表情からは、彼に好意を向けられていると勘違いしてしまいそうになることがある。
けれど、ロゼリアは自分に言い聞かせた。
(絶対に誤解しては駄目よ。前世だって、それで痛い目に遭ったのだから)
前世の最期の日を迎えるまで、リュシリエールはエルドレッドに愛されていると信じて疑っていなかった。丁寧にエスコートされ、甘い瞳で見つめられ、優しい言葉を掛けられるのが常だったのに、いつの間に彼の愛情を失っていたのか、それとも初めから愛されてなどいなかったのか、それすらわからなかったのだ。誰より信じていた最愛の人に裏切られたかつての記憶は、今のロゼリアにとってもトラウマになっている。
(私のほうこそ、過去に囚われているのかもしれないわ)
イライアスの側にいるだけで、ロゼリアは今も落ち着かない気持ちになる。自分の感情もままならないものだと思いながら、彼女は窓の外に視線を移した。二人の間には、しばしの沈黙が落ちる。整然とした並木道を通り抜けると、馬車は次第に速度を落とし始めた。
馬車が完全に止まると、イライアスが口を開いた。
「着いたよ。ようこそ、アルレイ侯爵家へ」
彼の手を借りて馬車から降りたロゼリアの目に、大きく荘厳な屋敷が映る。自分の家とは違う驚くほど立派な屋敷に、彼女はくらくらと眩暈がした。屋敷の前には多くの使用人が並び、イライアスと彼女を出迎えている。
屋敷の玄関からは、上品な装いをした男女――アルレイ侯爵家当主夫妻がちょうど姿を現した。




